天上の蒼い灯火

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9



 まだ夢から覚めやらぬように、ぼんやりしていたソメイは、ふっと顔をあげた。
 あたりをみまわしてみたが、誰もいない。
 誰かに呼ばれたような気がしたのだが、いつもと変わらずあたりは閑散としていた。
 この場に入ることを許可した者などいないのだから、誰かが居るわけなどない。わかっているはずなのに、つい捜してしまう。
 最近こんなことがよくあった。
 何かが足りないような気がして周囲を見まわす。だが、なにもない。
 すると表現しようがない落胆がどんよりと腹のあたりに漂ってきて、たまらぬ空虚さがこみ上げてくる。大切な部分が抜け落ち、どこかに忘れてきたような、体の中心にポッカリと穴が開いてしまったような、表現しようのない虚脱感がのしかかってくる。
 思考が空転し、目が醒めてからぬぐえない体のダルさがさらに増した。
 「ソメイ様よろしいかしら」
 ノックがしたかと思うと、返事をするよりはやく女が入ってきていた。
 背の高い、美しい金の巻き毛の女だった。
 咲き誇る花のように絢爛な輝きをはなち、仕草や表情は自信にみちていた。ソメイの視線にさえも少しもひるむことなく顎を高くあげ、毅然としている。
 彼女ははじめて会ったとき、あでやかな笑みを浮かべながら昂然ソメイをみつめ、「わたくしがあなたの『樹』です」と言った。さも当たり前だといわんばかりだった。
 傍らにいた少年の姿をしたホムンクルスが激しく威嚇していたが、それを片手であっさり退けると、赤い唇をつりあげ勝ち誇ったように笑っていた。
 ソメイにはなぜかその女が、とても自分の樹であるようには思えなかった。ざらつく違和感が、何かの虚偽があることをはっきりと告げていた。
 「おまえは違ウ。ナギじゃない。ナギが、ソメイの樹ダ」
 ホムンクルスはそう言ったきり、睨みながらも口をとざしてしまった。
 つぎの瞬間、殺気のようなエネルギー波によって彼は壁にたたきつけられていた。グエッと短く鳴いてそのまま動けなくなっている少年の口のはしからは血が流れている。
 ソメイはエンラのそばまでゆくと、そっと抱きおこした。エンラはソメイのうでのなかで、怒りをかくすこともなく鋭い牙をみせて低く唸っていた。
 女はマリアナと言った。
 ソメイが自分でも理由がわからないままに、予定外に長く眠っていたあいだ、天上界の混乱を極小におさえるように取り計らい、天使や官吏たちを仕切っていたのだと、後で側近の者たちに聞かされた。
 その指示は多少の強引さと、独断による偏りはあったようだが、おおむね的確であることがわかった。
 そしてソメイ自身が、このマリアナを自分の樹にするために、エデンから呼び寄せたのだというではないか。
 そんな記憶など微塵もなかった。
 なのに、誰ひとりとしてそれを疑う者はおらず、その威厳さえ感じさせる振る舞いと、人に命令をすることに慣れきった態度に、みな不思議と納得させられていたのだった。
 ただヒサギだけが非常に不満げな顔をしていた。そして自分の眠りをずっと守っていたという、ルアナとカルナの二人は、難しげに眉根をよせていただけだった。
 ソメイは確かにまだ、自分の記憶があちこち欠如しているのがわかっていた。どうしても頭がはっきりせず、どこか疲れたように重くて、その不快感をどうしても払拭することができないのである。もしかしたら、そのなかにマリアナのことがあったのかもしれないと、そんな思考もよぎってしまう。
 このたびの禍蝕の眠りは、過去のものとはあまりに違いすぎていた。異質な何かの狂いが生じたのか、それとも長すぎてしまった後遺症のようなものなのだろうか。
 だが、あれほど待たれたソメイの目覚めによってさえ、世界はなんら変化が起きなかった。
 世界は暗いままであり、命のエネルギーはいまだ満ちることはなかったのである。
 このたびの禍蝕は失敗したのだ、と囁かれるようになっていた。
 そしてソメイのそばから、ナギが消えていることもまた気づかれていた。
 ナギが居なくなったことを知った人々は、今度の異変のすべての原因はナギにあり、そのためにソメイがナギを排除したのだと囁きあうようになっていた。誰かのせいにしなければ気がおさまらぬようにして、時には口々にののしり、疫病神のように言う者もいた。
 「ナギ……?」
 たびたび聞いても、その名前が、ソメイには誰のものかわからなかった。
 もちろんそんな口さがない風評もソメイの耳にもはいっていた。それらが真実ではないということも承知していた。
 彼らのいう、ナギという者の名は、特別な響きをおびており、ひどく憧れをもって口にする者と、役に立たない厄介者のように言う者と、極端にわかれていた。ソメイと深く関わっていた者だというのだが、なぜか自分だけが思い出せないのである。
 『ナギ』、その名前を聞くと、胸が苦しくなった。
 なぜかあれから、この部屋から出ることなく、ずっとエンラが傍にいた。ソメイを時々、恨めしそうに見ているのだが、けれどそれ以上のことは何も口にしようとはせず、こちらが問うても、まるで自分で思い出せ、と冷たく突き放し、責めているかのようにむっつりと不機嫌にだまりこんだままだった。いつも部屋の隅でまるくなり、彼はなにを聞こうと教えてはくれないのである。
 ソメイは禍蝕のあいだに起こってしまった不具合の数々を、迅速に処理しなくてはならなかった。かなりの多忙をきわめていた。
 休みもほとんどなかったのだが、どうしても体がままならないときは、塔の窓辺で外をみながら休息をとり、ぼうっとしていることが多くなっていた。
 こうして地球のみえる窓辺に座りながら、誰かといっしょに風に吹かれ、下界の様子を見ていたような気がする。
 ふとした拍子に思い出す感触は、いつも柔らかくて甘い香りがした。
 膝にのり、小さな頭を胸にもたれかけ安心しきったように体をまかせていた。同じ景色をゆったりと穏やかに見ており、たまらなく幸せな風をともに感じていた。そんな心地よい錯覚がふうっとかすめてゆくのだ。
 とてもそれがマリアナだとは思えなかった。
 彼女はこんな優しい気持ちになど決してさせてくれはしない。
 燦然と輝く星のように、自分をいつも主張しており、あまり相手にしようとしないソメイに対して、なぜ自分をないがしろにするのかとに非難がましい眼を向けてきた。
 彼女の有能さとともに、天樹としても、高純度なエネルギーをもつ稀有な存在の一つであることは認めるが、それをどうこうしようという気はまったく起きてこない。
 あの女はソメイなどいなくとも、一人で生きてゆける。何かを必要としているようには思えないどころか、自分ひとりで完結しているようにさえみえる。
 この世界のあり方と、彼女はどこか違っている気がした。
 人は誰しもが欠けた部分をもち、その不完全な場所をおぎないあい、埋めあう相手をさがし求めている。お互いに欠けた部分を満たし、満たされることで、自分の存在の大切さを知り、さらに己を強くしてゆく。
 必要とされることで、生きてゆけるし、求め、求められることで自分を知るのだ。
 彼女にはそれがなかった。そんなところがソメイの中にある、ある部分を不快にさせていた。
 「ソメイ様、なにをボンヤリされておりますの?」
 外をみていたソメイに、背後からマリアナが声をかけてきた。
 「こんなところで外の世界を観ておられても、現状はなにもかわりませんわよ。それよりも、あの黒い月が現れてしまった原因を少しでも早く究明されたほうがよろしいのではありませんこと?」
 マリアナは黄金の髪を肩から払いのけると、振り向くことしないソメイを気にする風もなくそばに近づいていった。
 かたわらに膝をつき、そっとソメイの手のうえに手をかさね微笑んでみせる。
 「もちろん、お体が不完全な状態なのはわかっております」
 まるで唯一の理解者のように笑みを強くし、顔を近づけてくる。
 「けれどそれを、いま下々の者に知られても何の得にもなりません。天使どもに舐められて、好き勝手なまねをされてはソメイ様の沽券にかかわりますもの。それに支配者は支配者らしく、配下の者を押さえつけておかねば、いずれ支障がおきますわよ」
 ソメイは秀麗な眉をひそめ、手をはらった。
 「わたしは誰も支配などしないし、押さえつける必要もない。彼らがわたしのことをどう思おうと、それは彼らの自由だ。どの世界であろうと、誰であろうと、わたしが関わることはない」
 「もちろん――ええ、それはわかっております。ですが下々の者は結局、どのように不満をとうと、みな自分より優れた支配者に命令され支配されることを望んでいるものです。愚民にとっては他者の言葉に身をゆだねているほうが楽ですもの」
 「人の心は、いかような者であろうと推し量ることなどできない。――マリアナっ、ここへは入ってくるなと言っていただろう。みなにはすぐに降りてゆくと先に伝えておいてくれ」
 出て行けといっていることは分かっているはずなのに、ホホホッとマリアナは笑っただけだった。
 「お怒りになったのですかソメイ様?でもわたくし、本当のことを言ったまででしてよ。ねえ、よく考えてくださいませ。わたくしなら、あなたのどんな事にでも力になってあげられますわ。もちろん愛人にでも、何でもね。必ずあなたの役に立ちましてよ。――もうそろそろわたくしの存在を認めてくださってもよろしいんじゃありませんこと?」
 しなをつくり、自分が一番美しく見えるであろう角度からみあげて、艶めかしく唇をなめる。
 「何の役にも立たぬ『天界樹』などを愛でているよりも、わたくしはずっと使い道がありましてよ。見栄えではまったくひけをとらないつもりです。あんなもの、もうお忘れなさいませ、ねえ」
 まるで言霊でソメイをしばるように甘くささやいた。嫣然と流し目をおくる魔性の女そのものの呪力は、ソメイすら絡めとろうとするかのようである。
 そうして彼女は、いままで次々と自分の魅力で男たちを虜にし、権力の座へとのし上ってきたのだった。自分の色香で篭絡できぬ男などおらぬかのように、平然とかなりの狡猾さをのぞかせている。
 ソメイは今度こそ不愉快さを隠しもせず、冷たい眼をして突き放した。
 「出て行けと言ったのが聞こえなかったのかマリアナ。今後ここへの出入りはならぬ」
 厳しい声にも、マリアナはまったく臆した様子もみせなかった。笑みを崩さずに優雅に一礼すると楽しげに出て行く。
 「それでは、また」
 戸がしまると同時に、ソメイは深くため息をついた。
 マリアナの落とす影はあまりにも強かった。
 やわらかな陽炎のような存在を思い出しかけると、必ずであるかようにやってきては、それを壊してしまう。そうっと意識にのぼりかけ、手が届きそうになると、彼女は自分の存在を誇示し、強烈にソメイのなかに入り込んで、それを濁らせてしまうのだ。
 「なぜこんなに存在が薄いのだ――」
 ソメイはもどかしくてたまらないようにつぶやいた。思い出せないことが苦しい。苛立ちを紛らわすようにグッとこらえている。
 「……朽葉のところにでも、久しぶりにのぞいてみるか」
 疲れたような顔をしたままつぶやいたが、あまり気が乗らないらしく腰を持ちあげることはない。
 その場に座り込んだまま、あたたかい風が流れ込むのにまかせていた。
 虹色に光がキラキラとゆれた。
 まるで光の乙女がながすという涙のように、ソメイの頬をなでていく感触がした。
 薄暗い空間に光の粒子が集まると、フワリと浮かびあがった。
 ため息がでるほど美しい少女の姿が、まるで夢でも見ているかのように幻想的にそこにあらわれてくる。
 命の終わりの瞬間みるという、この上なく清らかで美しい珠玉のごとき少女の姿だった。背に流れては消えてゆく黄金の羽根が大きくひろがっていて、その豪華さが、かえって存在のはかなさを強調しているようにもみせている。
 こちらを振り向いた。
 ため息がでるほど幸せそうな笑みをうかべた。
 一点のくもりもなく無心にすべてを信じ、心も体もなにもかもを投げ出している。これほど純真で無垢な笑みをみたことがない。
 それがすべて自分にむけられていた。一時でもその存在のすべてを、自分だけが得られるのなら、命すらおしくないような気がする。
 なんと愛しい存在なのだろう。
 心が震えてくる。
 『ソメイ様……ソメイ様…………会いたい……大好き……』
 それがかけより抱きついてきた。ソメイの腕の中にすっぽりとおさまったのと同時に、溶けるように光が消えた。
 呆然としていたソメイは、頬にしたたり落ちている温かいものを感じた。指ですくいとると、おどろくようにそれをみつめた。
 「わたしは、泣いているのか?」
 気の遠くなるような時間がどれくらい流れただろうか。どんなにたくさんの者がそばをかすめ通り、心に触れて過ぎ去ったかしれない。
 だが、ソメイが涙をながしたことは一度もなかった。あの、ミササギを失ったときでさえ、涙は流れなかったというのに、この涙はいったい何なのか。
 胸が痛かった。
 頭が割れるのではというほどガンガン鳴っていた。
 蛇が頭をもたげうねり絡みつくかのように、それを思い出すことを全力でもって阻止し、封じ込めてしまおうとソメイのなかで暴れのたうっていた。
 「誰かが、わたしに封印の法でもかけているのか?」
 柱にもたれかかりながら、息を大きくついて窓の外に眼をやった。
 黒月界――五番目にあらわれた新しい世界が鮮明に映しだされている。
 ソメイでさえ目をひそめるほどの深い闇と、邪陰にみちていた暗黒の呪いの世界は、もはや隠れた存在であることをやめてしまい、そのおぞましくも傷ましい姿をこれでもかというように見せつけている。
 そこから肌に突き立つような細い悲鳴が聞こえてきた。
 のぞきこんだソメイの目が大きく見ひかれた。
 先ほど現れた幻の少女がそこにいたのだ。
 大きな樹の下で、不浄の塊のような化物の攻撃をうけており、光の珠に被われた空間のなかでいまにも襲われかけているではないか。
 化物が攻撃目標をかえた。
 樹のそばにいた別の女のほうへ近づいていった。
 少女は我を忘れたように光の中から飛びだした。肩をはだけ乱れた服にもかまわず夢中で走っていく。
 化物はくるりとふりかえった。嬉々としてそのまま少女に手をのばし、掴みあげてしまった。
 『ソメイ様!』
 少女の叫び声だと思ったそれは、声ではなかった。
 心の悲鳴――思いの声だったのである。
 「やめろ、そんな不浄な手で触るなっ!壊れてしまう!」
 天上界でも最も繊細で純粋な美しい存在なのだ。過敏な体はあまりに激しい刺激には耐えられない。
 パリンッと何かが割れた。
 その壁を、想いが突き破った。
 「ナギっ!」
 ソメイは化物につまみあげられたナギにたまらず声をあげていた。
 それと同時にナギはぐったりとしたまま醜い毛のなかに飲み込まれていくのがみえた。
 「ナギ!ナギ、なぜおまえがそんな世界にいるんだっ!」
 熱いものが流れ込んできて鳥肌がたった。
 何もかもがソメイのなかで思いだされた。
 思いの強さにのみの力よって、ソメイはすべてを取り戻したのだ。
 そしてまた、理解されていた。
 なぜ自分の禍蝕の眠りが長びき、ナギのことを忘れていたのか。どんな思いでナギが地上におりたち、黒月界にまで堕ちていったのかを。
 全ての事象が一気にながれこんだ。
 神の力が戻ってきたのである。
 自分を憎悪し嫌忌していた闇の存在が介入していた。
 それが眠りについたソメイを守るはずの、『守護の封印』に一滴のゆらぎを及ぼしていた。
 たった一滴なのに、歪みの波紋はどんどん増幅されてゆき、隠され抑えていたものが姿をあらわにしてしまった。いままで取り繕ろってきた不具合を暴きたて、すべて白日のもとにさらけ出したのである。
 ナギはすべてを見て、覚悟を決めたのである。
 心優しい、いつも何かに怯えるように静かな存在だった。ひとひらの花びらのような繊細で儚いあのナギが、ソメイのためだけに、自分を欲し求める闇の者の手のなかに堕ちていったのだ。
 「ナギ…ナギ……わたしのためにっ!」
 耐えるように唇をかんだ。
 一陣の風が突風のように部屋を舞い、荒れ狂うソメイの心を表現しているかのごとく、中のものすべてをまきあげ、天空にのぼっていった。
 何もない空間で、ただエンラだけがみていた。ソメイがどれほどの苦しみと痛みをもって己を律し、自分のことを呪うように堪え忍んでいるのかを。
 「――ナギ、だがわたしはおまえをどうあっても助けに行くことができない。できないのだ、ナギっ!」
 身が二つに裂かれるという、まさにその狂おしい感覚がソメイを打ちのめした。臓腑がよじれるような痛みに膝をつき、窓の柱にすがりつく。
 「私は世界に触れることができない。それが誰のためであっても、私のためであってさえ、どうすることもできない。何もできない――おまえを、助けることができないのだっ!」
 ナギは化物の胸のなかにとりこまれたまま意識をうしなった。
 シオンたちが止めようする抵抗さえも緑の魔獣はものともせず、そのまま連れ去ってゆく。
 どこまでも増殖し、闇の腐敗をまき散らし怨嗟の叫びをあげつづける呪いの森の奥深くへと溶けるように消えていくのを、ソメイだけが苦しみあえぐように見ていたのだった。
 
 

 
 意識がもどったとき、ナギはなぜか吐き出されるようにして、魔獣の胸の中から灰色のジットリとぬれた草のうえに、転がされていた。
 まったくといっていいほど光のない昏い場所だった。
 黒々とした木々が林立し、うっそうとのびる潅木や繁みがどこまでもひろがっていたことで、どうにかそこが森の中だということはわかったが、一瞬あまりの黒さに、夜の世界へと紛れてしまったのかと思ってしまった。
 かすかに見えるのは上空からみえる丸い球だけだった。
 唯一の光が、その青くて丸い星であり、本当は灰色にかすんでいるのだが、この世界にあっては、まるで宇宙にひとつしかない、美しい宝石のように輝いてみえた。
 多分、それは地球だろうとナギは思った。月から写したという地球の写真と同じすがたをしている。
 目が慣れてくると、木々の幹や枝、気味の悪い形をした色々な草やつる植物、またコケなどが、そのかすかな光をうけていくぶん白らんでおり、黒い世界の中にも、まだわずかに色を残してるがわかってきた。
 ただ空気まで不潔にジットリと湿っていており、まるで息をすればするほど咽喉がひりついて肺が焼けてくるほど淀んでいた。生命力がないに等しいほど薄いのだ。
 それでもナギがどうにか息がつけたのは、大きな樹のそばに居るからだった。
 それこそ見上げてもどこまで続いているのかわからないような巨木であり、枝を無限にひろげている。
 ナギにはこの樹が、暗黒の森のなかにいる、特別な樹だということが自然とわかった。
 すべての心をとざし、野獣のように怒りに吼え、唸っている木々たちにくらべれば、この樹だけはそんなことすら凌ぎ去り、悠然して、王者の風格をそなえていた。
 そうであって、その影に隠れているのは、光ささぬ世界に在るということの苦しみであり、何かを見続けてきた底がない絶望であり、またこの世界のもつ悲しみそのものだった。
 苦しみながらではあったが、たしかにその気から放たれているのは、膨大なエネルギーである。
 この絶対的な無の空間にありながら、何を対価にエネルギーを排出しつづけているのだろうか。
 『王の樹』は過重な義務を負った罪人のように、そこにいるすべての生命を養おうとし、懸命にエネルギーを産出していた。痛々しいほどだった。
 ナギをくるむ空気がスウッと優しくなった。まるで仲間をむかえた喜びのように甘くなり、ナギの呼吸が楽になった。
 感触の悪い草のうえで動けなくなっていたナギは、そのエナジーによってどうにか起き上がることができた。
 樹にすがるようにして立ちあがると、やっと周囲の様子をうかがうことができるようになった。
 すぐそばに黒い塊がいた。
 動きをとめ、固まっている。
 どうやらナギをここまで連れてきた魔獣のようであり、そのままむっつりとすべての活動を止め、像のようにたたずんでいる。
 ゴウッという地鳴りの音と共に、それはみるみる溶けてゆき、黒い灰になって地面に崩れおちてしまった。
 ナギを抱え込んだことによりって、致命的なほどの激しい痛手をうけてしまったのだ。
 守っている清浄なる聖母たちの守護や、シンの強力な生命エネルギー、それに腕につけられた宇宙の波動をふくむ宝玉の膜は、不浄でおぞましい体をもつ化物にとっては、ひどく恐ろしい浄化のエネルギーであり、罪をさばく劫火の炎と同じであったのだろう。
 化物の穢らわしさに比すれば、ここまでよく耐えて連れてきたと逆に褒められるべきであったかもしれない。
 よく見てみると、そこにはたくさんの魔獣たちがうろうろと徘徊していた。
 樹のまわりを護衛しているかのように、だが、どれもまるで自分たちの意志などもってないと知れるような動きで、そぞろに動いている。
 ――……ナギ……我らの仲間、天上の、樹……
「えっ?」
 頭に声が響いた。
 ――……ナギ、黒樹界によくきた……この死せる星、すべての不浄の集まりし最下層の暗黒の果てに、よく来てくれた。……生命エネルギーを生まぬ世界に、よく光をもちこんでくれた。
 厳かで重々しい地響きのような声が段々つよく聞こえてきた。ナギの心に直接響いており、腹のそこが熱くなってくる。
 ――我はこの森の王、黒樹王である。
 ナギは神木のごとき巨大な樹をみあげた。たしかに声はそこから聞こえていた。
 「あなたが、この森の、王……」
 その言葉どおり、まさに凛然と巨体をかまえ、威厳さえ感じさせている。
 ――我はこの黒き魔の森と、この星全体の意志であり、その表れである。この森の総意でもあるのだ。
 ゴウゥッと森全体がゆれた気がした。ナギは目が回るような何かを感じさせられた。
 ――この世界、この森は、全宇宙のすべての悲しみの吹き溜まり。また人の心の濁りや穢れ、苦しみの行き着く墓場なのだ。
 「墓場?」
 ――そう、気の遠くなる時間のなかで、いまだ一度もこの宇宙空間に、あらゆる憎しみや絶望、負の想念によって消滅がおきたこともなく、また穢れによる混乱を起こさせることもなく、正常に時が刻めたのは、我らが黒月界の、すべての犠牲によって贖われてきたことなのだ。
 「そ、そんな……っ!この世界が、すべての世界の犠牲だなんて」
 ナギの驚きに声に、森が肯定するかのように唸りをあげた。
 ――だがこの世界は今まさに苦しみと怒りの限界にきている。我が星は、おのが姿をずっと現すことなく、誰にも知られることもなく、また感謝されることもないまま、ただひっそりと沈黙し、耐えに耐え、世界の排泄物をひたすらに浄化してきた。身を切り裂く痛みでもって清めてきた犠牲の世界なのだ。
 ナギは黒樹王の言葉に、気が遠くなっていくかのようだった。
 なんという残酷な運命なのだろう。この星はなんと重き試練を課せられているのだろう。
 誰にも文句をいうこともなく、ただそのためだけに作られたかのように忍んできたのか。
 ――けれども、それらはあまりにも巨大に膨れあがりすぎ、負のエネルギーは増えすぎてしまった。この世界、この森だけではとても浄化できぬ巨大な闇が、流れ込んで来すぎたのだ。
 本来、この森の木々たちは負の想念をとりこみ、自分たちの体で浄化するように定められていた。
 しかしあまりにその負の力が増したことにより、森もまた同じようにこれまでにないスピードで増殖させていった。その昇華に追いつこうと肥大化したのである。
 だがある日をさかいに、極限を超えてしまった。
 もはや爆発寸前だったそれらは、とうとうその怒りを爆発させ、浄化をやめた。なんと負を取り込みはじめたのである。
 ――我らは天界をずっと憎んできた。我らの世界だけに苦しみを課し、自分たちばかりが清浄な世界にすみ、幸せを当たり前として生活している、あの白い光の国を憎悪している。
 声が陰々と響いた。
 ――我らはソメイを憎んでいる。我らの犠牲と贖罪の苦しみを忘れさり、自分ばかりが楽になったソメイを、恨んでいる。
 ――この世界に、果てしない負の想念を、心を、思いを流し込み、それを忘れ去ったソメイを許しはしない。
 ――ソメイが憎い――ソメイが憎い――ソメイが憎い、憎い――
 「黒樹王!」
 ナギはたまらず叫んだ。黒樹王の言葉の共鳴が森を浸食し、呪詛の言葉にしばりつけられてゆくかのようである。
 痛ましいほどにつらい運命を背負わされたこの世界の憎悪は、あまりにも刺々しくて憐れすぎていた。
 その思いをすべてソメイに投げかけることによって、もしかしたらこの世界は均衡が保たれているのかもしれない。
 「ぼくは、あなたたちに何かを言える言葉などないのかもしれないけど、そんな資格なんてないのはわかってるけど――それでも、ソメイ様の悲しみは、すべての人の心から来てるのだし、ソメイの絶望は人間が引き起こしたものなんだ。ソメイのせいじゃないんだよ、ソメイ様も同じように苦しんでおられたんだよ」
 黒い霧がますます深くなり、森にたちこめていった。
 ――どのようにとり繕おうと結果は同じことだ。ここにある闇は変わりはせぬ。なぜだ、なぜ同じように創造した地球と我らはあまりにも違うのだ。違いすぎているではないか。――やつが愛した青い星は、いつも我らのうえにあって明るく輝いていた。それを羨みながら、幾万年の時をすごし、絶望の淵にたちながら、巨大な津波をいくた乗り越えてきたことか知れぬ。
 黒樹王は、不意に禍々しい気配を巨大につのらせた。まるで自分が浄化しつづけてきた黒い想念に取り込まれてしまったかのように、樹の思念がねじれてゆくのがわかった。
 もしかして黒樹王もまた、狂いかけているのかもしれない。
 ナギは思った、この世界すべてが苦しんでいる。この世界すべてが病んでいる。
 黒樹のまわりをうろついていた一匹の魔獣が、とつぜん意志をもって動きだした。
 今まであまりに幹が巨大すぎて見えていなかったのだが、黒色の幹の後ろには岩場があり、褐色の植物で編み合わされた幕のようなものが垂れていていた。
 魔獣が幕をはらいのけると、なんと人間がいるのが見えるではないか。
 まるで檻のように封じられたそこには、異界に連れてこられた恐怖におびえ、萎縮し、絶望した面持ちでうなだれている男女が数人いた。もはや抵抗する気力もないまま、まま座り込んでいる。
 その檻に向かって、魔獣が高く吼えた。
 ナギはその光景をみて、シオンが贄として『樹』に与えていた人間を思い出していた。
 場所こそちがうだけで、まったく同じオーラをもっている。すべてをあきらめ疲れきった顔つきがそっくりなのだ。
 彼らが黒樹王のエネルギーの『贄』だと悟った。
 人形になった人間たちの一部は、この魔獣にさらわれここへ連れて来られてきていた。黒樹王の放つエネルギーは、白樹王と同じく人間による『贄』なのである。
 うつろな人間たちの顔に、ナギは母である美保の顔を重ねていた。
 生きる気力もなく、死が救いであるかのような面持ちは、耐え切れないものがある。
 ナギは魔獣のもとへ駆け寄った。どうするかなど考えていなかった。ただ走らずにはいられなかった。砂浜を走るように重い草のうえをすすみ、『贄』を囲うみどりの檻へと手をのばす。
 黒樹王があざ笑うように黒い瘴気をだしてゆれた。
 「止めて、お願い!」
 ナギは瘴気にあてられ倒れた。その衝撃からか、右腕が光だした。肘から先がまるで黄金の炎のようにまばゆく輝くと、暗闇を照らしだす。
 いきなり清冽なまでの閃光を浴びたためか、森が苦しむようにうめいた。
 魔獣たちもまた動きをとめ、怯えるように光から逃げていった。
 ナギはおどろきながらも立ちあがり、夢中で檻にかけよると、草の戒めを解こうと握った。力のかぎり引っ張った。
 牢を形成していたツルは、思いのほか簡単にダラリと緩むみ口をひらいた。右手はまだ光っている。
 「早く今のうちに逃げて!」
 ナギは中にいた者たちに呼びかけた。
 だが人々はなかなか動かなかった。いや、気力を失い、恐怖と悲しみに心の力を奪われつくした者たちには、すでに逃げるということが頭の中から消えていたのだ。
 ナギがどんなに叫んでも、引っ張り出そうと手をかけても、あきらめきった目を閉じて首をふるばかりである。
 それでも、圭吾(デュアラ)との交換条件によって、無理やり連れてこられたとみられる数人の者たちは、ナギの呼びかけに我をとりもどし、外に出てきた。
 どうあっても動かない者たちの末路を思うとたまらなくなったが、ナギにはどうすることもできなかったし、またいつまでも自分の腕が光り続けるとも思われなかったので、そのままそこを後にするしかなかった。
 この光がなくなれば、きっと魔獣は追いかけてくる。そうなれば暗い森の中を逃げることは絶対的に不可能だ。
 身を切るような思いにとらわれながら、そこから離れるために、数人の者たちと森へ駆け出していった。
 ナギの光が遠ざかると、いくらもせず魔獣たちは我をとりもどし、怒り狂ったかのように猛スピードで追いかけはじめていた。
 森はざわめき、まるで絡めとろうというかのごとく棘のついたツルや枝を伸ばしてきた。腕の光がだんだん小さくなるのにあわせ、ナギの息が激しく細くなり、一緒に走っていた者たちもまた、空気の薄さに苦しみだしていた。
 「ダメ……だ、こんなところで……と、止まっちゃ――」
 ナギはとうとう息が吸えなくなり、ヒュゥッと切れるにのどをつまらせた。
 おもわず膝をつきおもむろに咳き込む。白い顔がさらに青くなり、喘鳴をくりかえす。
 片方だけの肺では限界がせまっていた。
 この空間はあまりにも不浄すぎる。どうにか呼吸を継ぐように肩を上下させると、腕の光が末期の炎のように、大きくきらめきをあげた。
 そのときだった。
 何かが空間を突き破ったかのような音がした。
 雷よりも鈍く、枝を引きちぎってゆくような衝撃が森を乱暴にかけぬける。
 『ナギ!』
 力強い声だった。
 ナギの顔が驚きに天空にむけられた。つぎの瞬間、喜びにおおきく輝く。
 「シン、シンなの――!?」
 光の筋が走った。
 流れ星が地上に落ちたかのごとくに黄金がひろがったかと思うと、目の前にまるでに包まれたかのようなシンが立っている。
 身をどうにか起こしたままのナギのそばに稲妻のように駆け寄ってくると、シンは強く抱きしめた。
 腐食した空気に犯され痛みに走っていたナギのすべてが溶かされ癒されてゆくようだった。
 「ナギっ!」
 声もかすれるほど夢中で抱きしめる腕からは、彼がどれほどナギを心配し心を傷めていたか痛いほど伝わってきた。
「やっと見つけた!」
 たまらぬ言葉にすべての思いが溢れている。そうなのだ。シンはこの黒い世界にとびこみ、今までナギを懸命に探し求めていたのだ。
 己が分解してしまうような意空間にたった一人ただよい、すべてをかけて、大切な存在であるナギを守り助け出すためだけに、我をわすれるほどにナギを探していた。
 「ああシン、どうやってここにっ?!」
 「――いろいろ、色々あって………だがそんなことよりここを抜けるのが先だ。あの魔獣どもをどうにかしないと」
 「あ、うんそうだね――。シン、この人達は魔物に連れてこられた人たちなんだ。人形と入れ替わられた、本物の……。黒樹王の――この森の王の樹に、贄にされるところだったんだよ」
 ナギがそういって簡単に説明しているうちに、ナギについてきていた者たちは、どうにか我を取りもどしたように顔つきがはっきりしだしていた。
 いきなり天空から現れたシンに度肝を抜かれていたのだが、その存在の強烈さと、未曾有の力をいやがおうでも感じ取っているらしく、強力な助け手だということを理解すると、生き残れる可能性を強く抱きはじめていた。
 「我々はあの巨大な樹に食われるところだったんです。もうダメだと、すっかりあきらめていんだが、この人が助けてくれて。一緒に逃げ出してここまえ来ました。どうなるかわからないが、あそこでムザムザ死ぬよりはマシだと思って」
 初老の男がナギの説明に口をはさんだ。
 「そうだ、この人の光をみていたら、もしかしたらっていう希望が、急にわいてきたんだ」
 隣の青年もうなずき言葉をつなぐ。口々に言葉を吐き出しはじめた人たちの表情をみていると、少しだけ余裕がでてきたらしいことがわかる。
 今までは不安なままナギについて逃げるだけが精一杯だったのだが、シンが醸し出しているエネルギーはあまりに強く、この黒く禍々しい気さえ跳ねのけるほど大きい。希望の光がより大きくなって、萎縮していた彼らの安堵の心さえ掻きたてている。
 「とにかく逃げるぞ。あんたたちもついて来い」
 シンはナギを抱きあげると、先を走りだした。
 あれから――万理の絵の入り口から、この世界に飛び込んだシンは、暗い世界をずっとひとりで漂っていた。
 この黒月界に近い亜空間を流転しながら、ナギの存在をみつけようと、一心に探していた。
 そしてようやくみつけたのは、ナギの腕が光をあげたときだった。
 まるでシンに助けを求めるメッセージのごとく、まっすぐ突き抜け届いてきた。廃墟と化したスラムの中にうかぶ天使のごとく清廉であり、黒い森が疼痛に震えざわめくようなその光芒を見逃さすことなど絶対にありえなかった。
 「シン……」
 ナギは腕にだかれると、体から力がぬけてしまい、急にいうことを聞かなくなってしまった。今までこらえていた緊張感がシンに会うことで切れてしまったのだ。
 張りつめていた細い神経は、もう何度、灼き切れてしまったかわからないほどボロボロになっていた。あまりにたくさんのことを一度に知り、また数多の事がありすぎた。怖がりで人の後ろにばかり隠れていたナギが、どうして今まで正気でいられたのかわからないほどである。
 魔獣どもは、まさに悪鬼のごとく追い上げてきていた。すぐ背後にまでせまっていて、執念ぶかく、存外にしつこい性質らしい。
 シンが目くらましや、距離をあけるために、時々放っていた灼熱の光による攻撃にもひるまず、どこまでも食いさがってくる。まるで彼らを連れ戻さねば、自分たちの秘密が漏れてしまうかのようでさえある。
 ただの人間である彼らの体力は、だんだん限界に近づいてきていた。一人の女性が息をこれ以上ないほど荒く乱し、あきらめかけた時だった。
 「こっちよ、こっちに早く!」
 声が聞こえた。
 シンはその声を疑わなかった。
 言うがままに黒い草におおわれた岩場の、わずかな裂け目に向かって飛び込んだ。後ろにいた者たちもそれに続き、まるで彼らは忽然とその場から消えてしまったかのように誰もいなくなってしまった。
 魔獣たちはいきなり追跡者の姿を見失ったことに猛然と怒りの雄叫びをあげ、半狂乱になったようにあたりを闊歩しまくりはだしていた。
 シンたちがもぐりこんだその岩場の裂け目は、不思議なほどピッタリと閉じられてしまっていて、外からみるとただの一枚の岩場にもどっている。
 魔獣たちだけが納得のいかないように、いつまでもあたりをうろついており、逃亡者への怒りの雄叫びをあげていたのだった。




 薄暗いしずかな空間だった。
 シンたちが飛び込んだそこは、暗くてひんやりとした洞窟のようなところであった。
 手引きをした少女は、静かにするように唇に指をあてると、入り口を、なにかの呪文をとなえて閉ざしてしまっていた。
 そのままシンのとなりで岩に耳をつけて様子をうかがいながら、気配をけし、魔獣たちの足音が遠ざかるのをじっと待っていた。
 魔獣の吼えるこえが遠ざかり、やっとあきらめたことがわかると、自分をじっとみていたシンに顔をむけ、ニコリと笑った。
 気がつくと、その後ろに初老の男が立っており、同じように大丈夫だとうなずいてみせてくる。
 シンはほっとするかのように息をついた。
 少女が笑うように口をひらいた。
 「やつらは行ってしまったわ。ここからはもう心配いらないわ。よく、あそこから逃げて来こられたわね。――みなさん、お怪我はありませんか?」
 少女が声をかけるのに、背後にいた者たちもみないちようにほっとしたように息をはいた。緊張がわずかにゆるまる。
 「助かりました。あなた達がここに入れてくれなければ危なかった。お礼を言います。――で、ここは一体どこなんですか?」
 シンが言いながら、初老の男性に目をむけた。
 男がうなずきながら言った。
 「ここは我らの地下集落の入り口です」
 並んで立っている二人は親子なのか、相貌がとてもよく似て見えた。
 どちらの顔も青白く、まるで皮膚の下の血管が透けるほどに薄かった。また肌の白さによく映える赤い目をしており、陽の光など一回も浴びたことのないような白い髪をしている。異様に顔も体も細長く感じられる。
 「地下集落、ですか?」
 シンが洞窟をみまわしながら言う。男がかえした。
 「そうです。地下集落はここの他にも、いくつか点在しているんですよ。どの集落もたいして人数は多くはないが、城下の村にも住めぬあぶれた者たちは、こうやって地下に集って助け合いながら、どうにか暮らしているんです」
 「そうはいっても、どうにか命を長らえている程度ですけどね」
 少女が補うように言いながら、命からがら逃げてきて、息を切らし岩場に座り込んでいる人間たちをみまわした。
 「でも時々は、今みたいに、魔獣に連れられてこられた人間が逃げこんでくるんです。執念そうにみえて魔獣もけっこう雑ですからね。せっかく狩ってきた人間を落としていったり、魔獣自身がいきなり命尽きて死んだりするんですもの」
 多分、魔の力が強まりすぎて、黒い森のなかで生きていた生命体ですら、蝕みはじめているのだ。
 「まあ詳しい話はあとでしましょう。そちらの方もだいぶまいられているようですし」
 シンのうでに抱きこまれ、呼吸の弱まっているナギに少女は尖った顎をわずかに向けた。
 「私はアシャです。こっちが父のサガ。父はこの集落の族長でもあるんですよ」
 「ああ、おれはシンで、こっちがナギです。後ろの人達は、地球から連れてこられた『人間』です」
 「そのようですね」
 姿の違いだけで十分わかる。
 少女の手には、光を微かに放っているコケが入った、灯籠のような容器が握られていた。どうやらそれが唯一のここでの明かりであるようだ。
 そこからアシャの案内で、地下へつづく縦穴をすすんでいった。
 徐々に空間が広くなっていきはじめ、人々の生活のにおいがしてくるのがわかった。
 行き道がてらに聞く話によると、どうやらその集落は、三百人足らずほどの人達が住でおり、共同生活を送っているようであった。
 「まだ地下のほうが、地上よりは邪気と負のエネルギーに犯されていないんです。それに地熱で温かいし。光こそまったく差さないけれど、この光ゴケはこの地下でも生育可能な種ですから、明かりも多少はとれますしね」
 慣れれば不便はない、とアシャは屈託なくいった。
 「それに、樹の根が張り巡らされていることで、水もその根から取れるんです。魔物もめったに入ってくることはないし、エネルギーも地下からわずかですが得ることができます。光と食べ物さえ文句を言わなければ、どうにか生活はできますよ」
 確かに地上よりはほのかに温かいし、空気も思ったよりはきれいだった。
 ただその閉塞感になれぬ者ならば、ゴツゴツとした岩の多い壁と、空の見えぬ天井の心地悪さに、精神的な圧迫を加えられてしまうであろう。
 「でも本当は、外に出て暮らせたらいいとは、みんな思っているんですけね」
 そう望まぬものいないだろう。もともと彼らとて、地下に生きるようには出来ていなかったのだ。
 だからこそ、そのように生活しているうちに、彼らの相貌はまるで深海の生き物のように白く弱々しくなっていってしまった。
 骨格が細長くなり、また筋肉もうすく、皮膚はあまりにも透明になっていた。エネルギーが最小限でも生きてゆけるように体が変わってきているためであり、目も光が少なくても見えるように赤くかわり、ツメは硬くて長く伸びるようになってしまった。
 シンたちを連れて帰ってきたサガとアシャを迎えた人達の容貌も、どれも似通ってみえていた。
 そのなかに、ポツリポツリと地球から連れてこられただろう人間たちが混じっているのがわかる。また多分その混血なのだろう、二つの種をあわせたような子供もいる。
 だがここで暮らしていくうちに、人間ですらだんだんその相貌を変えているようであり、エネルギーの薄さに馴染むように肌が白く薄くなりはじめていた。
 「ここが、地下の集落なんだね――」
 ナギがつぶやくように言った。
 シンの腕からおり、支えられるようにして立っていた。石を穿ってつくった荒い階段をおりる足元はおぼつかなかったが、遅れぬようについてきていた。
 眼下にみえている小さな村は、コケの薄明かりにさえ、粗末なところだった。
 もとは自然に出来ていた洞窟を、人の手によって人工的に下に下にと掘りひろげていった結果、このような形になったのだ。
 住居部分は、空洞だったところを改造して、岩屋として使っているようだった。また栽培しているのも、茸のように光をあまり必要としない植物であったり、大切な光ゴケであったりしていた。木の根を切ったそこからは、滴るしずくをためて、飲み水を得ており、別の根には、引っかいたような筋を無数に入れて、そこから取れる蜜や、ヤニを集めていた。
 地上と何よりちがうのは、風のまったく吹かないところだった。
 そして、風がないということがこれほど空気を重くし、息苦しい圧迫感さえ作りだすとは思わなかった。
 空気の動かないどんよりしたそこは、まるで死者の住まう場所に感じられる。人が生きていられることのほうが信じられないくらい、精気にとぼしいではないか。
 ナギは足元から力を吸い取られるような感覚がして、しだいに体が重くなってくるのがわかった。せっかくシンにもらったエネルギーが無為に消えてゆく。
 もし願いが聞き届けられるなら、この地に光を――自然の放つエナジーを無限に与えてほしい、そう懇願したいほど枯渇している。
 シンとナギについてきた者達は、はじめこそおっかなビックリの様子であり、ひどく固くなっていたが、それぞれ村人に案内をされてつれて行かれるころには、それも消えていた。
 地下に住む黒樹界人のなかにも、同属である人間がいることを知り、安心したのだ。同じような境遇は互いに安堵感をうむことを、彼らはよく心得ている。
 「二人は、こちらの部屋の方がよさそうね。とくにナギみたいな敏感なヒトには――」
 アシャはくだけた口調になると、ナギとシンを他の人とはちがう、別棟のおくにある部屋へと連れていった。
 同じように岩をくりぬいて作った部屋だったが、入った途端、そこから受ける気配が他よりはっきり違っているのが感じられる。
 茶色い壁に、樹の根がいく筋か浮き上がっていて、自然にできたタペストリーのようにさえ感じられる。
 「この部屋は黒樹王の根がよく這っているから、他の部屋よりはエネルギーが多少多いのよ。ナギにはエネルギーが必要なのでしょう?」
 「アシャさん……」
 ナギが自分のことがわかっているらしいアシャをみつめた。
 「あなたの光は私たちのところにも届いたわ。矢のように鋭く強いのに、花のように優しい……あんな不思議な七色の光をみたのは初めて。この地下の空間にさえ、エネルギーがふき込こんだわ。……だから父と二人であそこまであなたを迎えに出て行ったのよ」
 アシャはナギをじっと見ていた。うっとりするような憧れがまじった赤い瞳には、また同時に、この不思議な生き物はなんなのか、というような観察せずにはいられない興味心もまじっていた。
 「とりあえず助かったよ。少し休ませてもらえればありがたいな」
 シンは言うと、アシャからナギをさえぎるように抱きあげた。樹の根にちかい簡素なベッドに横たわらせながら、警戒心をはっきりとあらわしていることに、アシャは苦笑する。
 「黒樹王の樹の根は、大丈夫なんですか?」
 ナギは根の浮き出た壁にさわりながら言った。
 「ええ、これだけ深い地下の部分までは、黒樹王もまだ狂ってないみたいよ。でもいつそれが起こるかはわからないけど。……それでも黒樹王は、あんなふうに狂ってしまうまでは、私たちの森を守るたいせつな守護樹だったの。少ないながら食べ物をあたえ、エネルギーを放出してくれていた。けどそのうち、負のエネルギーがだんだん増大してしまい、とうとう森が浄化しきれなくなってしまった。それから何もかもが狂いだしていったわ。とうとう私たちはこんな地下深くにまできてしまったのよ」
 「ぼくたちの、せいだね……」
 「……それが私たちの星の役割だったんだって、思ってる」
 そう思わなくては耐えられない。その誇り高い顔がそう語っていた。苦しみさえ、自分たちの役割なのだというプライドにかえて生きてきたのだから。
 「けどさすがに、ここまで狂ってしまうとは思わなかったわ。黒いこの森が、何もかもを奪い殺しだすなんて」
 黙って聞いていたシンがきいた。
 「では初めから、こんな風な森じゃなかったんだな。あんたたちも地上で暮らしていたんだ」
 「そうよ。今でも必要最低限のものは取りに出るわよ。けどそれも命がけだけどね。あの魔獣が出るようになってはさらに厳重な警戒が必要になったわ」
 アシャは重くため息をついた。シンが少し怪訝そうにきいた。
 「魔獣は最初からいたんじゃないのか?」
 「あんなものいなかったわ。いきなり現れだして――。ああ、とりあえず水でももってくるわね。本当に少しやすんで」
 ナギの顔色がかなり悪いことに気づいたらしく、アシャは気づかってすぐに部屋を出て行った。
 光ゴケの薄暗い空間が、ゆっくりと静かに二人のうえに舞いおりてきた。
 そっとナギの頬にかかる髪をはらいのけた。
 「ナギ、どこか苦しいところはあるか?痛くはないか?」
 シンはベッドの縁に腰をかけた。よこたわる小さな顔のそばにそっと手をついて顔をのぞきこむ。
 やっと落着いてナギの顔を見ることができたのだ。どれほど狂おしく捜し求めたかわからないというような、切ない顔をしている。
 ナギは淡く浮きあがる灯火のように笑ってみせると、首をふった。
 「だいじょうぶだよ。シンが来てくれたから――」
 ナギは両手をあげてシンの首に手をまきつけた。
 シンはナギに体重をかけないように気づかいながら優しく抱いた。
 「シン、ありがとう、いつも助けに来てくれて。こんな所にまで、ぼくのために……」
 「おまえの行くところならどこへだってゆくさ。絶対に助けるよ」
 「シン」
 抱きしめられた体から、合わされた額から、シンの高波動のエネルギーがナギのなかに心地よく注ぎこまれてくる。窮乏していた全身のエネルギーの密度が高められ、あふれんばかりに一杯に満たされてゆく。
 「ああ……シン……」
 シンのエネルギーは色を増し、力を濃くますます強くしているようだった。あまりに膨大な波動は、ソメイの腕のなかで感じていた宇宙のようである。
 いろんなものが二人にみえていた。
 はるか彼方の約束に地であったり、過去に見たふたりの秘密の風景であったり、ナギにしかない記憶とシンにしかない記憶が二人のなかで混じりあってゆく。
 「……そうか、聖母たちもおまえを守ってくれていたんだな。だからここまでエネルギーが保てていたんだ」
 「うん。それにシンのエネルギーも一緒だったよ。ぼくの命はみんなが守ってくれていたんだ」
 そう、そしてソメイのエネルギーと一緒に。
 「――シン?亜希ちゃんは!?」
 ナギが目をあけた。
 「今のは何?!」
 頭をよぎった映像に、ナギの瞳が凍りついた。シンをかばっていた亜希の背は、真赤だった気がする。
 シンはしまったというような顔をした。気を許しすぎてしまった。感受性の強いナギがそれをかいまみてしまっても仕方がない。
 しばらく言葉を捜すように沈黙していたが、シンはつらそうに言葉をつむいだ。
 「亜希は……死んだよ。おれを庇って……。政府の特殊工作員に連れて行かれようとして争っていたときに、銃で撃たれたんだ」
 隠していてもどうしようがない。シンは素直にそう語る。
 「そんな……っ。聖母たちみんなが、亜希ちゃんを守るために一生懸命に――」
 シンは悔しそうにまぶたを閉じた。まるで心の痛みをどうにかこらえようとするかのように、ナギの頬に頬をすりよせてきた。
 ナギはシンの頭をなでた。子供にするように、何度もやさしくやさしく。
 「……でも、亜希ちゃん、笑っていたね。最後の笑みが、とてもきれいだ。シンの腕で満足していたんだね、彼女はすごく」
 その笑顔だけで、亜希の想いがわかってしまう。シンの心を癒すように心を一つにしてゆく。
 「ナギ、おまえ右目が――?」
 シンが驚くように言いかけたとき、ガタンッと扉が開く音がして、つづいて何かが砕ける音がした。
 「亜希が、死んだ――?! 」
 水を持ってきたらしい女の手から盆が落ちてコップが割れていた。
 二人はその顔をみて声をあげた。
 「万理っ!」
 「万理さん?!」
 ナギがさらわれたとき、先に異形の男たちによって連れ去られていった万理の姿であった。
 まさかこんなところで彼女に会おうとは。
 二人は驚きの声をあげる。
 彼女は、黒樹界の鬼に、贄としてさらわれていたのである。
 「亜希が、亜希が死んだなんて、そんなこと――っ!」
 たまらぬように叫ぶと、ペタンと膝をついた。
 シンがナギのそばからはなれ、万理のそばに膝をよせた。すまなそうに顔をうなだれる。
 「すまない、おれのせいだ。おれが亜希を守りきれなかったからだ」
 「政府の特殊工作員て――なぜ?なんで亜希がそんなものに?!」
 「――あれから、たくさんのことがあったんだよ。あんたがいなくなってから、亜希にも、おれたちにもたくさんのことが」
 ナギもまた、いつのまにか万理のそばまできていた。身をよせて、脱力した万理の手をそっととりあげ握っていた。
 「万理さん、こんな所に連れ去られていたんだね。よく、今まで生きていたね……つらかったのに、よく頑張っていたね」
 その言葉に、万理のなかのあらゆるものが堰を切ったようにあふれ出し、ワッと声をだして泣きだした。ナギにだきついていった。とっさに背後でシンがささえる。
 「本当に、よく耐えたね」
 ナギの言葉に、さらに万理はナギにしがみつきながら、まるで止まりがつかないかのようにずっと泣き続けた。
 まるでこれが夢でもあろうとも、その光を二度と離さないとばかりに、強く抱きしめすがりついていた。
 シンはその二人をそっとささえながら、鎮痛な面持ちをしてみつめていた。
 言葉は、発せられなかった。




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