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天上の樹

6



 ハープの音が木の葉のさざめきのように流れていた。
 そのとなりで、朽葉の膝にもたれるようにしてナギが耳をそばだてている。
 「リリス様がいらっしゃっているそうですね」
 ハープの音がとまった。朽葉が笑うように言った。
 「ぼくはあの方には嫌われているから……。姿を見せない方がいいと思ってね」
 ナギは吐息をつき、小さな尖ったあごを腕において、なぜかしらといいたげに、水晶をみつめた。
 「ぼくがソメイ様に人界へ送り返してもらったのを、リリス様はきっと見ていらしたんだね」
 なんの輝きをもたない未熟な子供に、偉大な兄がその力を使ってまで、シールドを掛けて守ろうとしたことが、彼女はそんなに気にくわなかったのだろうか。
 いや、ちがう。彼女のなかにある憎しみはそれだけだとは思われない。
 憎しみは憎悪となって美しい月の女神を急き立てている。
 「そのご様子だと、天樹になられたことも、お気に召していないようですわね」
 「そうなんだ。ひどく怖い目をして睨まれちゃった」
 ただの樹としてソメイの側にいることも気にくわないが、天樹となり、さらに美しく高貴になって、うかつに手が出せなくなってしまったことにも憤っている。
 彼女がナギの命を欲していることは承知していた。だがそれが何に起因しているのかは、わからない。それだけに不安だ。
 「もとは、あの方もお優しい方でいらしたのに。月があのような状態になられてからは、まるで人が違ったようになられてしまいました」
 「月は、どうなったの?」
 黒衣の神秘的な瞳をもつ占者に、甘えるように寄り添いみあげる。
 ナギはあれから、朽葉のもとをたびたび訪れるようになっていた。
 彼女のもつ独特の雰囲気が好きだった。
 けして求めも押しつけもしない、虚空のような心は、人々には恐ろしく感じるかもしれないが、かえってナギには心地いい。
 そこにあるだけでナギに介入してこない、シンに近い存在なのだ。
 彼女は控えめながらも、ナギの問いかける疑問にはいつも答えをくれた。
 適切な助言は、星が告げる未来であり、彼女はそれもまた、ただ語るだけでしかない。
 「月は太陽をうつし、生命をはぐくむ地球のまわりを、守るようにめぐっています。夜の母である月の女神は、地球の女神ガイア様のはぐくむ命を慈しみ、成長を影から助けてまいりました」
 「ガイア様?」
 「ソメイ様の妹君で、リリス様の姉上にあたられる方です。あなたがたヒトが棲んでいる、あの緑と水の美しい生命の星をつかさどる女神でした」
 その名は、人界にいたときも聞いたことはあった。
 けれどそれは物語のなかの名前であり、ほんとうに地球が生命体であって、神によって守られていたのだとは知らない。
 「リリス様も、もとは人と密接なつながりをもち、生命を見守っておられました。なぜなら人の血液と生命の源である海は、彼女が司るものだからです。けれど、あるとき、人間は己の愚かさゆえに、ソメイ様を怒らせてしまったことがあったのです。かの君の怒りは強大かつ破壊にみちております、四千世界を滅亡させることなぞ造作もありません。その力によって、伊邪那美の剣が壊れてしまったのです」
 「伊邪那美の剣て、なんなのそれ?」
 朽葉は水晶をのぞきこんでいた顔をあげた。
 瞳孔が細くなっている。過去の記憶を読んでいたためだ。
 「あの、物静かで人の心をふかく理解される方が、それほどのお怒りを示されることは稀なことでした。人は慢心におぼれ、驕りたかぶりソメイ様のおこころを傷つけてしまったのです。そのときの感情の爆発で、伊邪那美の剣を――太陽を維持していた力の均衡を破壊してしまったのです」
 「太陽を維持って、剣が太陽を維持しているの?」
 「はい。天界と人界で一対をなすよう、創造神は太陽をお造りになられました。それを維持装置として伊邪那美の剣を地球に、伊邪那岐の剣を天界にお置きになり、その運営を他者の手に委ねられたのです。かつての太陽は白く銀色にかがやき、生命を害する力は微塵もありませんでした。それを浴びるだけで、人々は力を得、生命活動を営んでいたのです」
 けれど今ある天界の太陽は、ぼやけたように白け、人界の太陽は赤く黒くなった。
 「人界側の剣が粉々にくだけたとき、天界の伊邪那岐も共鳴したのか、消えてしまいました。それにより太陽が消失してしまい、霊的なエネルギーが落ち、天界のみならず、すべての者のレベルが下がり退化してしまったのです」
 心の飢えあるものを魔物へと変化させ、肉体の飢えが魑魅魍魎へといざない、地界へ堕とされてしまった。
 「――では、すべては人間の…罪だと?」
 だから樹が必要になった。
 だから人が狩られ、連れ去られた。
 「ソメイ様は、妹君でいらっしゃるガイア様を、たいそう愛しんでおられました。生命を生む唯一の星として、その女神の子にも等しい人間に心を砕き、慈悲をかけておられたのです。けれど裏切りの子らは、必ず破滅へとむかい、どんなに導こうとしても、かならず呪われた文明を築き、自らを消滅させてしまいます。――それでも、ソメイ様はガイア様のたっての願いにより、裏切りの子らのために、消えた太陽のかわりとして、新しい擬似太陽を、お造りくださったのです」
 彼は創造神でもないのに、太陽をも造ってしまったのだ。
 「それだけの力は、充分におもちです。かの御方は、父神の創造神オーム様よりもずっと強い力を有しておられます。一方で、オーム様のほうは、ご自分の剣があっさり砕かれたことにショックをうけ、怒りとともに千引きの岩の向こうへ隠れてしまわれました。あの方はこの世の一切に興味を失われてしまったのです」
 ソメイのその肩に、全てのことがのしかかっている。
 最後の創造の神として、逃げることも出来ず、たったひとりで世界のすべてを導き担っているのだ。
 「人の子はまた、擬似太陽のもとで、新しい文明を築きました。ですが、やはり同じ道をあゆむだけで終わってしまいました。ガイアは嘆き悲しみ、絶望のあまり人の子を、自らとともに葬り去ろうとなさったのです」
 「まさか――」
 「ですがガイア様は、一人の少女の願いにより、深い眠りにつきました。太陽の消失で大きな傷をうけたうえ、人間による汚染で、消滅寸前でした。破壊された地球の再生のためです。そしてまた、リリス様もおおきな打撃を受けておられたのです」
 そうして考えてみれば、もしかしてリリスこそが、一番はげしい衝撃を受けたのかもしれない。
 月は陽光を受けて輝く天球である。
 地球でさえ眠りにつくほどの痛手をうけたというのに、太陽が消えてしまったとなると月はどうやって光を得るというのだ。
 「太陽の消滅で月は破壊され、荒れ果ててしまいました。ガイア様も癒しの眠りにはいってしまわれ、また、助けあってきた双子の妹君はいなくなってしまわれました。リリス様は、たったお一人で、苦しみに取り残されてしまわれたのです」
 ナギはきっと、リリスの憎しみを、愚かな人間そのものとして、受け止めなければならないのだろう。
 なぜかそれは義務であるかのようにさえ思えてくる。
 人々の欲望には限りがなく、何度でも崖から落ち、終末をむかえようとも気づかない。 
 リリスは、人により、地の底へたたきおとされた。
 「人は、いままた同じ所へ向かおうとしているの?」
 ナギは不安にかられて問いかけた。
 もしやシンに集まる闇の者たちが、その一番はじめの兆候なのではないかと思ってしまった。
 天界の樹は増えつづけ、人界から人がいなくなっているというのに、誰も気づこうとしない。いなくなる人々の存在に疑問さえもたなくなっている。
 狂っていると思った。
 それこそ、人の心が腐り狂っているのだ。
 思わず朽葉のローブをにぎり、ビクッとして手を離してしまった。
 足だとおもったそれは、岩のような硬さであった。それはとても生命の通っているものとは思われなかった。
 恐る恐る見上げるナギに、朽葉は微笑んでいた。  
 「――ごめん」
 「いいのです」
 彼女は黒く垂れたローブの裾をたくって見せる。 
 「こ、これはっ?!」
 「ご覧のとおり、わたくしの足は石でございます。もちろん、もとは人の子のものでございましたが」
 ナギは聞くことをためらった。どうしてそんなことになったのだろう。
 人の傷にはむやみに触れてはいけないものがある。
 「わたくしは、かつて滅び去った愚かな文明の子のひとりなのです」
 ナギの心を察したのか、朽葉はローブをもとにもどしながら語りだした。
 「わたくしたちはソメイ様を嘆かせました。神の深い慈愛もりかいせず、心を病ませた罪業者として、もっとも穢れた者が堕ちるという幽界の地におりました。業火の炎によって、気の遠くなるほどの歳月灼かれ続けていたわたくしを、ソメイ様は(ゆる)し、救ってくださったのです」
 ソメイの名を口にするとき朽葉はいつも憧崇敬の念にみちていた。
 畏れ敬い、そして己の罪業悔いるような深い祈りが込められている。
 「ソメイ様のご温情により、わたくしは命を救われました。ですが、リリス様の怒りは、冷めやらず、わたくしの下半身を石となして、永遠に罪を悔いるようにと、されたのです」
 「でも、だってソメイ様は許して下さったのでしょう?なのにそんな……」
 「たぶん、リリス様は聡いお方です。わたくしの気持ちに気づかれていらっしゃったのでしょう。身のほど知らずにも、このように汚れたこの身でありながら、わたくしはあの尊いお方に思いを寄せてしまったのです」
 罪を告白している贖罪者のようにもみえた。
 「それももう過去の話でございます。女としての劣情をかき消すためにも、ましてわが一族が犯した罪をつぐない、地上にうまれた者の嘆きの結晶として、この足を頂いているのです」
 「朽葉・・・・」
 「わたくしの一族は、ソメイ様の最愛の方を殺したのです。(みささぎ)様を――」
 言葉を失ったナギは、そのまま朽葉の館を後にしていた。
 つらそうな彼女の顔をみていられなかった。
 いや本当は、ミササギの名前をききつづけることに、ミササギとソメイの名前を連ねて聞くことに、まだ耐えられそうになかったのだ。
 ナギは逃げてきた。
 ソメイのミササギへの思いを聞くのが怖い。
 延々とひろがる庭をゆっくりと歩いていた。
 ほっと、胸の奥にたまったやりきれないような重苦しさをはきだした。
 ふと周囲をみまわした。
 見たことがないほど大木たちがうっそうとしている。どうやら気づかぬうちに、かなり深いところまで踏み込んでしまったらしい。
 庭というより、森といったほうがよいほど広大な敷地だ。どこまで続いているのかわからないが、こんな奥の果てに来るのははじめてだった。
 背の高い木々のめぐらす帳がとぎれた。
 そのとたん、肌がむき出された壁のような岩棚がそびえているのが目にとびこんできた。
 今までの緑につつまれた様相とガラリと変わってしまい、どこか荒涼とした印象をうける。
 目の前に杜のようなものがあるのが見えた。
 その手前に女性の彫像がたてられている。
 なぜか恐怖に張りついたような顔している。見事としかいえない生き生きとした表情は、凄みがあってまるでいまにも動きそうだ。
 空気がキンッと研ぎ澄まされるように冷めたかった。
 何気なく岩棚をあおぎみたナギは、それが一枚の大きな岩であったことに気がついた。
 祠のような前に人影がみえる。
 まだ像なのかと思っていたが、かすかに動いている。
 「こんな所にだれかいるの?」
 うっすらとモヤがかかりはじめた。
 ナギはそのまま近づいていった。
 翼がしっとりと露をふくみ、発光しはじめる。
 その繊細な燐光に気づいた男が、太い筋肉質の首をこちらにむけた。
 ナギがビクッとした。
 男はいかめしい顔を、なぜか懐かしそうにゆるめた。光る翼を、目を細めてみている。
 間近でみると、男はいかめしい槍を手に持っていた。戦士そのもののような屈強な体躯をしている。
 彼の瞳が、静穏で理性的でなかったならば、地界から這いあがってきた魔族かと思ってしまっただろう。
 男は控えめな口調で重々しく云った。
 「あなたのような高貴な方が、なぜここのような場所にいらっしゃったのですか?」
 「あ、あの、よくわからないうちに来てしまったのですが、ここ、どこなんですか?まだあまり慣れてなくて……ごめんなさい」
 「あやまる必要はございません。ここは黄泉比良坂です。四界をつなぐ次元の切れ目です」
 「次元の切れ目?」
 古びた祠のむこうに、洞窟の入口のような穴があるのが見えた。
 御幣(ごへい)で結界を張っているが、強力な磁力を感じる。あちら側とこちら側をへだてている、宇宙の穴のようだ。
 「天界、地界、人界、そして幽界へとぬけることのできる次元の門です。また、この岩は、創造神オーム様のお隠れになった千引きの岩でございます」
 「じゃあ創造神オームがこの向こうに?」
 継ぎ目のない岩のあまりの巨大さに圧倒されて、ふらっと足元がゆれた。
 男がナギを、横からそっとささえてくれた。
 「ここは、あなたのような方がおみえになる所ではありません。いろいろな気が混じりひしめきあっています。体にさわらぬうちにお帰りなさい」
 四枚の羽根の華麗さに魅入られたのか、うわごとのように云った。天樹をみるのははじめてなのだ。
 男は手からナギの体の温もりを離した。どこか切なげだった。
 「あの、あなたはここでなにをしているのですか?」
 「わたしは番人です」
 「番人?」
 そういわれてから、朽葉に聞いた話をおもいだした。
 時空の狭間にはそこを管理している番人がいるのだと。
 そのものは天界の血をもちながら、神のさだめし掟をやぶり、低級なる地界の者を許可なく通してしまった。
 そのために、永遠に時空を管理するよう封印されてしまったのだと。
 引き上げようとした地界の者とは、たしか彼の恋人であったはずではなかったか。
 「あの、羽根を――」
 ナギはたった一人でいつまでも、ここにたたずみ続けなければならない番人に、羽根を抜きとると渡した。
 胸がいたんだ。
 自分でも、それが何の意味があったのかはわからない。ただ、わずかでも慰めになればと願ってしまった。
 番人は驚いたようにナギをみた。
 しばらく、羽根を受け取ることもできずにいた。
 まさか天樹が、自らの羽根を手折り与えてくれるだろうとは思わなかったのだろう。
 羽根を折るときの痛みは、たとえそれがいかに上級のものであっても、自分の指を折るようなものだと知っていた。
 羽根を手に立ち尽くしている男をあとに、ナギは時空の門まで歩いていった。
 そこを通れば、シンのもとに帰れる。
 ――ううん、帰れない。こんな姿ではもう……。
 樹となり翼がはえている。なにより、もう、この体は以前のナギのものとは違う。
 男と女両性を兼ね備えた不思議な身体は、近頃ではさらに丸みをおび、相貌までもが女性のようにやさしくなってきている。
 ナギは洞窟にひろがる闇の黒さに、レイの獣毛を思い出していた。
 いつでも一番危ないときに助けに来て、自らの死さえいとわずナギを守ってくれた優しいナギの親友。
 「無事でいてほしい。もしきみが生きているなら、会いたいよ、レイ」
 忘れたことはなかった。
 ずっと祈っていた。
 無事でいてほしい。また会いたいと。
 あれからどうなってしまったのだろうか。まさかリリスに殺されたとは思いたくない。
 「どうしてぼくなんかを助けたんだ……」
 声は闇に吸い込まれてきえた。
 そんな価値はなかったのに。
 ナギは闇に吸い込まれそうになる前に、そこをはなれた。
 木々の間を歩きながら、深い森がもつ清涼な空気を吸い、心をしずめた。
 植物が放つエナジーが胸に染みわたってゆき、身体の内部から活性化し力が甦えってくるようだ。
 どこにいても植物たちがナギを癒しエナジーを与えてくれた。
 彼らこそが、命の源であった。ナギにとっては、昔から慰めはげましてくれた母親のような存在だ。
 よく草花と話をした。
 シンの家の庭で、ひっそりと座り、いつまでも彼らと遊んでいた。
 知識も教養もないかわりに、石や花と語れる子供たちがいるという。
 世の中のことを知らず友達がいない寂しい子供だけに、神様が与えてくださったなぐさめかもしれない。
 ナギは来た道を戻り、ふと女の彫像のを見上げた。
 生きた人間をそのまま固まらせたかのようにリアルなそれは、触るだけで指先がピリピリ痺れてくる。
 「おまえもそのようになりたい、ナギ」
 低く殺気のこもった声。
 ナギのうえに影が長く伸びた。
 「リ、リリス様……!」
 白く輝く貴婦人は、あからさまな侮蔑の表情を隠しもせず、厳しい顔で睨んでいた。
 「それはおまえと同じ者よ。卑しくも兄上に懸想した女の成れの果て。わたくしが教えてあげたのよ、身のほど知らずだと」
 リリスは意地悪く笑いうそぶく。
 彼女の兄への執着心は、尋常な範囲をこえているのだ。その憧憬は嫉妬心をよび、ソメイにかかわる全てのものにふりかかった。
 ソメイに憧れる数えきれないほどの女性は、みな怯え、近寄ることもできないのだ。
 「ちょっと見ない間にずいぶん綺麗になったものね、さすが天樹様ね」
 リリスは皮肉を込めて言った。
 「あ、あの……」
 「お兄様はずいぶん優しくしてらっしゃるみたいじゃない。どんな風にして、上手におねだりなさるのかしら、教えてくださらない」
 「そ、そんな別に…」
 「あら、じゃあこのオーラはなんだというの?おまえの周りはお兄様のエネルギーで一杯じゃないの。こんなに守られていながら、まだ言いのがれができるとでも思っているの?」
 「えっ?」
 ナギはなんのことだいうように自分の周囲を見まわした。
 たしかに、それとは気づかないほど微細に、包みこんでいるエネルギーがあることに気づく。ナギを守るように力をそそいでいるのだ。
 リリスは苛立ちをおさえきれず叫ぶ。
 「そのようなこともわからぬ低級な樹の分際で、よくも兄様の寵愛を受けているなんて言えるわ。恥をしりなさい」
 「ぼくは――いえ、わ、わたしは、ソメイ様の寵愛など、受けておりません。だって、あの方の目はだれも見てはいない……」
 パンッと頬をはたかれ、衝撃に草にたおれた。 
 「生意気なことをお言いでないわ!卑称な人間などに何がわかるっていうの。おまえなど、お兄様のそばに置いてもらえるような資格もないのよ。わかったような口をきかないで。その翼も、どうせお兄様が与えたのでしょう」
 驚きみあげるナギの翼をつかんでまた殴った。羽根に強い怒気をあてられて、全身が痺れる。
 それでもソメイはだれも自分の近くに置こうとしないのだ。
 その深淵の瞳はナギなど最初からみはていない。なら、どうすれば近寄ることができる。
 ふらつくナギに容赦なく、彼女は何度も殴りつけた。
 「こんな身体に変化するなんて。お兄様を誘惑したの?お兄様に抱かれたの?この売女め!」
 「や、やめて……うあっ…」
 「よもや、自分がミササギなどと思いあがっているのではないでしょうね。おまえのような下賎な人間が神の気を惹こうなんて、身のほどをしらなすぎるわよ?!」
 頭をかばいながら、ナギは小さくまるまる。  
 そんこと、考えたこともなかった。彼の落胆をみたらどうして考えられようか。
 いや、考えていた。なぜ自分がミササギではなかったのかと。
 悔しくてたまらなかった。
 いつも望んでいた。誰かに必要とされる者となりたいと思っていたのに。
 けれどそのたびに違うと否定されてしまった。みんながいらないといった。 
 だからもう、シンが望んでくれなくなったら、おしまいなのだ。
 「姉上、それぐらいにしておきなさい。本当に壊れてしまいますよ」
 木の影でみていたシュラがとめた。
 姉の逆上をひとしきり観戦しながら、ヒステリーがおさまるのを待っていたのだ。
 「いつまでたっても、ろくなことをしない害虫だわ、人間なんて。お兄様に害をなさぬうちに処分してしまったほうがいいのよ」
 息を整えると、ナギを乱暴に離した。
 うずくまったナギをみるリリスの顔が白く残忍に歪む。
 「この石の像となった女のように、死ぬこともできず野ざらしになって生き続けるのも面白いけれど――」
 「えっ?」
 ナギが顔をあげる。
 「こやつはもっともっと苦しめ、泣き叫び死ぬような苦しみにあわさねば気がおさまらないわ!」
 シュラがリリスのそばに立った。ナギを見おろすシュラの肩にリリスが手をかけた。
 「兄上を惑わし苦しめようとするこの害虫を、殺してちょうだいシュラ」
 「リリス様……」
 「わたくしはこやつが嫌いよ。このひとを馬鹿にしたようにみつめる目が大嫌い。日に日に美しくなっていく美貌も羽根も許せないし、お兄様の寵愛さえわからない愚かさがなにより許せない。――お願い、シュラ。残酷にいたぶり殺して。犯し穢して、切り刻み、細胞の一片も残らぬように殺して。わめきの血の海でのたうちまわらせながら、息の根をとめてちょうだい」
 「フッ、そうだな。これだけの樹なら、さぞかしいたぶりがいがあるだろうけど、両性体ならなおさら楽しみというところだな。どんな悲鳴をあげるんだ、おまえは」
 ギラつく笑みをうかべシュラが歩み寄る。
 ナギは震える手で後ずさる。
 楽しそうにみつめる二人の眼差しの向こうにあるのは、残酷な悪夢。
 「シュラ、さあ早く――」
 リリスの声を合図に、シュラがナギをつかみあげた。
 ナギは必死で逃げようとしながら、その手の邪悪さに切れるような悲鳴をあげた。
 「なにっ?! 」
 ナギを引き寄せたシュラの手が弾かれた。
 うっそうと繁っていた木々たちが、一斉に枝をのばし、ナギの身体に巻きつきからみだした。
 シュラとリリスが唖然としていた。
 手を出すことも出来ずただそれをみているうちに、ナギを巻き取ってしまった。
 あたかもそれは分厚い殻だった。
 シュラたちの邪悪な手から守るようにナギを周囲から遮断している。
 ナギは緑の壁に守られていた。
 そのまま吸い込まれるような深い眠りについていったのだった。


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