輝く大海の波に乗って

6



 「ウオーい、まってくれぇ――」
 森の中をひたすら急いでいたシュロたちを追ってくるのはオルフの姿だった。
 真っ黒い闇夜のなかに奇妙な叫び声だけがむなしくこだまする。
 「わしを置いていかんでくれい、薄情なやつらじゃのう」
 追いついたオルフをみて、てきめんラキが嫌な顔をする。
 「なんでついて来るんだよ!」
 「冷たいぞ。わしだって仲間じゃろうが」
 いつから仲間になったのだろう。だがオルフは全然めげず、しまったと手を叩いた。
 「いやあ、あんまり急いだもんで、大切な酒を忘れてきてしもうた。ちょっと引き帰さんか?」
 「冗談!」
 三人がいっせいに怒鳴った。
 村人たちの包囲するあの争乱のなかを、やっとの思いでシュロたちは突破してきたのだ。
 ラキいわく、だてに王様家業をしていたわけではない、ということだった。それでもシュロのはたらきは奇跡に近い。
 皆の前に立ちはだかったシュロは、人をひれ伏さずにはいない明達な怒号で村中の人たちの狂気をいっきに消し去ってしまった。
 いつになく聞いたことのない重々しい声音でしゃべる彼には、ラキですら仰天してしまったほどだ。
 それでも武器を振りかざしてくる男たちに、わずかな仕草で対応すると、彼らはあっけなく床に転がった。あとは疾風のごとく逃げたのである。
 「しかし森ん中というのは真っ暗じゃのう。わしゃ鳥目じゃからなんにもみえんわ」
 新月の闇夜なのに星もでていない。そうでなくともおい繁った木々に空を覆われている。
 「ラキ、ゴムの木がどこかにないか探してよ」
 「ゴムですか?それならその木ですよ」
 二、三歩いった先にある木を示した。
 シュロは軽くナイフで傷をつけ、にじみでたヤニを布に染み込ませる。
 「何をしてるの、シュロ様」
 セアラがのぞき込んだ。振り向いたシュロと、思わぬほど顔が接近していたのに、セアラはみるみる赤くなる。
 「やーい、見ィーちゃった。二人ともあやしいんだあ」
 オルフがはやすのに、さらにセアラが首まで真っ赤になる。
 なのにシュロは何のことかわらず疑問符を浮かべたまま布に火をつけた。
 「ヤニってよく燃えるんだよ。ゴムの木は、涙を流す木とも言われるほど樹液を出すんだよ」
 「よく知っていますねシュロ様」
 セアラがうっとりと炎を持つ手をながめて言う。
 そのそばからラキが尋ねる。
 「道はあってるんですか?暗闇の中やみくもに走っちゃったようですけど」
 「大丈夫だよ、間違いない。だって、さっきからエリが先導してくれているもの。なに変な顔して。あれ?もしかしてラキたちには見えていないのエリの姿が?」
 シュロはラキと頭上の中空を見交わす。
 「エリって誰?」
 言ったのはファナーだった。
 ファナーはシュロにつめよると、厳しい顔で問いただす。
 「だれよその女。どこにいるの?何者?」
 「え、あの――エ、エリは僕の養い子だよ。森で拾った白い石の巫女姫だったんだ」
 多少たじろぎながらいう。
 シュロは笑った。手を伸ばし、まるでそこに誰か漂っているように優しく触れる。
 実際、シュロの目にはエリの幼くてはかない、優麗すぎる姿が映っているのだ。
 「エリちゃんがそこに……?」
 「養い子って、ねえ、なんでその子がそこにいるのよ。どこ?生きてるんじゃないの?」
 その問いには答えず、みえない幻に愛しそうに手を伸ばす。
 シュロは淋しそうに微笑んでいた。




 焚火をかこみ寝ている彼らから、シュロはそっと起き上がると、足音を忍ばせて離れていった。
 あれからしばらく行った先の、湖のほとりで野営をすることにしたのだ。慣れない山旅の疲れからか、早々にみな眠り込んでしまっていた。
 シュロは少しはなれた湖面のすぐそばの丸太にすわった。
 ゆったりとたゆたう水に月が映っていた。夜の冷えた清浄な空気に上限の月の光が反射して金の粉を散らしている。
 「なんであなたが王の刺客に襲われるの?」
 ファナーが背後に立っていた。
 「ファナーか、きみも眼がさめたのかい」
 「あなたが起きた気配でね、目がさめたわ。ねえ、答えて。どういう関係が王とあるの?」
 シュロは口元を優しくゆるめると、切なそうに湖をみつめた。
 清閑な沈黙が漂っていた。
 「僕にはよくわかっている。なぜ命を狙われるのかもね。僕は、本当は死すべきはずの存在なんだよ」
 「どうしてあなたが死ななければならないの。それと王とは何の関係があるの」
 「僕はねファナー、この身体は、イシュラリオンのクローンなんだ。王が休息する間のためだけに作られた、ほんの代役にすぎなかったんだ」
 さすがのファナーもその言葉には息を飲んだ。
 話が突飛すぎてにわかには信じられない。
 特にファナーのように、辺境の閉じられた世界に棲む者になど、王というものは星の瞬きほどかすかな存在でしかないのだ。しかも相手はあの、不老不死の王イシュラリオンだという。
 「まさか、冗談でしょう――?」
 言いかけて、死の谷に花を咲かせたあの神の御業をおもいだした。口を閉ざず。
 胸にしまっておいた押し花に、思わず手を当てている。
 「その、たかだかクローンにすぎない僕が、イシュラリオンの大切な者を殺してしまったんだ。エリと、そして王妃の……」
 そう望んだ訳ではなかったのだが。
 「王妃とエリって――エリってさっき言ってた養い子のことでしょ?どうしてその子が王の大切な人間なの。それを殺しただなんて」
 人の心をしり、誰より命を愛しんでいる。そんなシュロのような優しい人間がまさか考えられない。
 養っていた子供ならなおさら可愛いだろう。まして自分の妻までも。
 月光に写しだされたシュロには表情がなかった。
 いつも笑顔で隠されてわからなかったが、こうして見る美貌は無機質で冷たい。
 「僕こそが、死すべきものだったんだ。クローンなら殺されても誰も悲しまなかったのに、エリはそんな僕を庇って死んだんでしまった。もっと早くユールのコンピューターをのぞいていれば、自分がクローンだと知ってさえいれば、どんなことがあってもエリにそんなことはさせなかったのに」
 彼の中にひそんでいたのは深い後悔と悲しみ。
 「どうして死んでもいいなんて言うの。あなたがクローンだとしても悲しむ人はいるはずよ」
 言葉をかえそうとしたシュロの顔がギクリとこわばった。ファナーは背後をきびしく見まわした。
 「どうしたの、なにかいるの?!」
 「誰かが、見ている――」
 シュロは自分の鳥肌がたった腕をつかんだ。風ひとつなく凪いでいる森の木々に不気味な静けさが立ちこめている。
 「その右目って、開かないようにされているわけじゃなかったのね」
「……」
 「なんで開けないの?それだけの力があれば何だって出来るじゃない。王と同等の能力があるなら、いっそのこと王なんて殺っちゃえばいいんじゃない。シュロが王様になって、そしたらおびえることも――」
 「ファナーっ!……僕はね、そんなことを望んでいるんじゃないんだ。もともとこの力は僕のものではないし、王という役割であったからこそ、神の許容内で行使できた。こんな右目、力と一緒に潰してしまってもよかったんだよ。だけど親友が僕を信頼してくれて残してくれた。もう、二度と使わないよ」
 ファナーはやっとその時、シュロがどういう思いでその右目を使ってくれたのかを知り、ブルリと震えた。
 「だって、シュロが死んでもいいなんて言うんだもん。あたしには生きろっていったくせに、自分はそんなこと言うなんて卑怯よ」
 ファナーはいつのまにかシュロの腕にすりよっていた。唇を舐め、艶めかしく横目で見視線をさぐりながらシュロの首に腕をまわす。
 「そんな大切な約束のある力をあたしのために使ってくれたのねシュロ。嬉しいわ。ねえ、あたしあなたのこと前から本当は――」
 「いつから知っていたんだ、シュロ」
 「え?」
 いきなり声をかけられ顔を上げる。
 立ち上がったシュロにバランスを崩してファナーは草のうえに倒れた。
 「いたあっ!」
 「ユール!どうしてここへ」
 「いつからクローンだって知っていたんだシュロ。いつ、僕のコンピューターとアクセスしたのか?」
 ユールは青ざめていた。月の射光が子供にはあまりにも不似合いな表情を照らしあげた。
 「もう昔のことだよ、ユール」
 「いつからなんだイシュティ!」
 笑っていたシュロは、その名を呼ばれ真顔でユールを見返した。
 拳をふるわせ睨むようにみつめる親友に、シュロは軽く息をついた。
 「エリが死んでから、すぐだよ。もしかしてエリのクローンができないかと思ってね」
 「そのときから?じゃあエリの秘密も?」
 シュロはコクリとうなずく。
 「クローンはあきらめたんだよ。それにエリも、そんなこと望まないだろうからね」
 笑うシュロの穏やかさは、なにもかもを知りつくしてしまった聡明さのためなのか。
 「ではきみは知っていて?僕がきみを消してしまうかもしれないと知っていたのに、僕と……」
 「ユールが一番苦しんでいたんだろう?わかっているよ。僕はきみが大好きだったし、いまでも好きだ。すべてはイシュラリオンのために――そう、僕のためにしてくれたことだからね」
 ユールは唇をかみこらえるように口をつぐんでいた。が、ふと表情をかえ詰めよった。
 「シュロ、どうして右目を使ったんだ」
 「えっ?」
 「あれほど使うなって言ったじゃないか。どうしていまごろ」
 気迫のこもった声はどこか震えていた。
 「――僕はきみを殺せない。それが僕の罪だからだ。そして……同じように僕はイシュティを止められないんだ」
 「ユール、なにを言ってるんだ、どうしたんだ」
 「イシュティが目覚めた。彼はきみの存在を――エリのことも王妃のことも知ってしまった。だからきみの命を狙って……」
 やけに冷たい風が森を渡っていった。ユールの言葉は闇にのみこまれていった。



 
 城の地下室にあるメインコンンピューターが自動的に作動していた。
 この世で最も『重要な人物』の眠りを管理していたはずのそれが、いきなり高速回転を始めたのだ。
 真っ黒な部屋にあざやかな電光が走はしる。
 室内は最先端の技術を駆使した、完璧な防御プログラムにより監守されていた。
 そればかりか眼に見えない守護呪力線がはりめぐらされている。最高魔術師集団である白い石の塔の術師によるものだ。
 だがそれはまるで誰かの意志によって稼働し始めたように、計算をはじめた。ユールの管理下にあるコンピューターがいったいだれの許可のもとに動きはじめたのだろうか。
 イシュラリオンの目がカッと見開かれた。
 バイオアクターの溶液が発泡し、こめかみに張りつけてあった記憶注入チップが弾け飛んだ。
蓋が押あげられる。
 ゆっくりと彼は起きあがった。
 目覚めたばかりの彼の形相は、まさに怒りに我を忘れているようだった。美しいばかりに壮絶ですらある。
 水の跡をつけながらまっすぐ隣の部屋に向かってあるいた。
 そこにあったはずの棺が粉々に砕かれ、眠っているはずのつれあい、王妃(エーリリテ)の姿がないのを事実として確認すると、彼は闇に向かって咆哮した。
 地下からわきあがる野獣の叫びは城中に響きわたっていった。
 イシュラリオンはそのままユールのメインコンピューターに向かった。
 しばらくモニターの情報を読んでいたかと思うと、ギリッと殺意のこもった眼尻を上げた。
 自分と同じ能力がもう一つ存在し、さらにそれがこの世界のどこかで、たったいま使われたことを知ったのだ。
 彼の超常の力によって世界の均衡が一部はじけた。調和が乱れはじめてゆく。
 背後に忍び寄っていた黒影が大きく膨れあがり今にも飲み込もうとしているのが見えたのだった。




 「僕の命を、イシュラリオンが……?」
 シュロは目を伏せたまま何も言わなかった。
 命を狙ってくるイシュラリオンの気持ちが、なぜか痛いほどわかってしまうのだ。
 自分でもいやになるほど、彼のこころを理解しえてしまう。同一人物なのだから、仕方ないことなのだが。
 「ねえ、ちょっとぉ、あたしには全然わかんないんだけど。どうして王がシュロの命狙ってんのよ。そのエリって子、王の何なの?」
 珍しく大人しくして聞いていたファナーが、我慢の限界が切れたとばかりに口をひらいた。
 「もうちょっと分かるように説明してよ」
 「エリはね、ただの子供じゃないんだ」
 ユールが言った。
 「エリは白い石の巫女だ」
 「さっきも聞いたわ、それ」
 「白い石の巫女とは、この国の祭礼や祭祀をつかさどる聖職集団の長だ。そして、裏世界の魔界との通路を管理するための、聖なる白い石をあつかえる唯一の者でもある。最高位の巫女のことだ」
 シュロが懐かしそうにいった。
 「でもよく笑い、よく泣きよく怒る。そんなどこにでもいる普通の女の子だったんだよ。森に捨てられていたのをラキが見つけたてね」
 そしてシュロに拾われエリと名づけられた。少女は病気をすることもなく元気にすくすくと育っていった。
 明るい笑みと楽しげな歌声は、政務で多忙なシュロの心をいつも潤わせなぐさめてくれた。
 ドジでおっちょこちょいで、でもとても一生懸命な子だった。彼女の笑い声が聞こえない日はなく、みなの人気者だった。
 『イシュティ様だめですよ、そんなつまらない考え方をしては。もっと前向きに生きなきゃ損よ。つらいことと楽しいことなら、絶対楽しいことの方が得ですもの。楽しいことを増やすように考えましょう』
 『考えてばかりいてもなんにも解決しないでしょ。王妃様は戻ってこないけれど、いま生きていてあなたのおそばにいる人たちは、みんなイシュティ様の笑顔が大好きよ。少なくとも私とラキの二人は特別幸せになれるわ』
 優しく抱きしめてくれた。いつもひだまりの匂いがして、明るいほうへと引っ張りだしてくれた。
 エリはシュロの癒しだった。
 そしてその彼女の能力が、塔の長たちの占術によって本物だと判明し、長く不在だった白い石の巫女に就いてしまったが、それだとて何ひとつ彼女を変えなかった。
 『イシュティ様、さっき白い石の塔に連れて行ってもらったのよ。見て、ほら小さな石をもらったわ。聖なる白い石の子供石なんですって。すごく綺麗に光るのよ』
 そう言って喜び、シュロの片腕へと成長していった。黒い瞳の美しい少女だった。
 こちらがドギマギするほど何もかもを見通しているような、眼で生きているみたいな神秘的なところをもっていた。
 世界の均衡がやっと正常に活動し始めたやさき、エリは死んでしまった。
 それも忍び込んだ刺客からシュロをかばうことによって。
 「イシュティ様、もっともっと、自分を愛してね――私の命のぶんまで、前を向いて……楽しく生きてくれなきゃ……駄目ですよ……」
 最後まで、そう言いながら笑って逝った。
 「そして、僕がよけた刺客の一振りが、王妃(エーリリテ)の棺を砕いてしまったんだ。一緒に、エリと永久に、僕の前から消えてしまった」
 「それでイシュラリオン王が怒っているっていうの?」
 「そう、でもそれだけじゃなかったんだ。エリは本当はエーリリテの――」
 シュロは言葉を切った。
 顔をまっすぐあげ、表情をなくしたユールたちに笑いかけた。
 春風のようだった。
 「エリが死んでからしばらくしてだけどね、思い出したんだ。彼女はよくこう言っていたよ。悲運や逆境や不幸な出来事は、いつかは必ず経験するもので、それが人によって早いか遅いかはわからないけれど、でもいつまでもくよくよして不運を呪ったり恨んだりしても仕方がないんだって。起こってしまったことは元には戻らない。そこからさらに良い方へ向かう道を捜すだけだって。もしそのとき道がみつからなくてもきっとそのうち見えてくる。だからね、僕はエリのくれた命を、エリの望むとおり後悔しないよう生きてみるって決めたんだ」
 「後悔、しない生き方……」
 ファナーが噛みしめるように言った。
 「ねえ、ところでそのエリって子を殺した刺客って、何者だったの?」
 ファナーがなにげなく聞いた。
 答えたのはユールだった。
 「魔界側からの差し向けられた者だ」
 「魔界から?!なんでそんなこと!」
 魔物といえど、人世界の王を狙うほど、均衡は崩されていないはずだ。
 太古の盟約により、どちらかがどちらかの世界に干渉することはかたく禁止されている。
 人界の王の命は、魔界の王の命と等しいエネルギーを秘めているのだから。
 「でも事実だ。そのためにより不均衡が大きくなり、魔界との調和が狂いだした。今では地殻変動が激しすぎて危険な状態だ」
 ファナーはそんな話をもう聞いていない。
 「じゃあシュロ、あなた魔を憎んでいないの?」
 「僕は、人も魔もかわりはないのだと信じている。そうだろ、ファナー」
 シュロは迷いもなく言った。
ファナーは懸命にうなずいていた。このわずかな信頼だけが、二つの世界をつないでいるかのように思われた。




 イシュラリオンのとつぜんの復活は、城中を騒然とさせていた。
 眠りにつく以前のまま、なんら変わりないイシュラリオンに、みなタジタジしている。冷淡で氷のように冴え澄ました雰囲気は、近寄り難く声もかけられない。
 シュロがクローンだったと知らない者たちにとって、豹変した王の様子に激しく戸惑っていた。
 驚きをかくせずオロオロするばかりで、どう対処していいのかわからないふうである。
 ファナーやラキならば、数分たがわず同じ姿のイシュラリオンであっても、すぐに見分けがつくだろう。それほどの差が二人にはある。
 イシュラリオンは宮殿の奥間にある、王だけにしか立ち入ることを許されない至聖の祈祷の間にきていた。
 宇宙との交信をし、彼の体を媒体として、高次の波動をこの世界と連結し、地磁気を正常に活性化させるための部屋だった。
 古代の神々の像が奉られていたそこに入ると、やっとイシュラリオンは体の力を抜き座り込んだ。像をみながら、はじめて子供のように顔を歪めた。
 「エーリリテ、どうして……」
 イシュラリオンはしばらく動かなかった。
 「……すべては私のせいなのか。私が無理やり妻にしたからこうなったのか。石の巫女だったきみをむりやり妻にして、あげく殺してしまった。そのことをずっと悔いていた。いつかきみが、復活するのではと信じていた。――たとえクローンでもいい、そう思っていたのに……。なのにそのきみがもういない。砕けて散ってしまったなんて信じられない……たとえ眠っているだけでも、きみがいてくれたからこそ私はここまで生きてこられたというのに」
 顔を手でおおい膝をついた。
 「ではなぜおまえは祈らない。神は、偉大な力をもつおまえの願いをなぜ叶えてはくれぬのだ」
 「誰だ!」
 一人だと思っていたイシュラリオンは、声の主に怒号をはりあげた。彼の殺気にも臆しもせず、影はヌッと伸びると古代神の像ほどになった。
 「おまえは心に大きな毒をもっている」
 「なにやつだ!どうしてこの部屋にいる!」
 「わしはおまえの嘆く心にうたれてやってきたのだ、地上の王よ。天地の理をしり、万物を容易に操るといわれるおまえが、なぜそれほど嘆く。おまえの声は魔界を貫き通すぞ」
 「魔界――?!きさま使い魔(ファミリア)か?」
 「わしの言うとおりにすれば、この世に望めぬことはなにもないぞ。願いはかならず叶えられる」
 「きさまなどの虚言に私が惑わされるとでも思うか!散れ、魔性のものよ!」
 「信じる信じないは勝手だ。だがおまえの神は、おまえの望みをけっして叶えはせぬ。王妃の復活も、おまえのクローンの死も、おまえの心の底からの願いは、清浄無垢な神の力で叶わぬぞ」
 「そ、それは――」
 「わかっているはずだ。答えは出ている」
 「やめろ!虚言でわたしを惑わすな」
 「王よ、なにを脅えることがある。ただおまえがそれをわしに願うかどうかではないか」
 不気味な影はイシュラリオンに手を伸ばした。
 イシュラリオンは動けなかった。甘い、毒を含んだ誘惑をこばむ言葉がみつけられない。
 影が体を包むのに、ただ押し黙り目をつぶり、身をかたくしていたのだった。




 「ホッホッーい!町じゃ酒じゃ女じゃー!」
 オルフは久しぶりに大きな町に着いたと、小踊りをはじめてはしゃぎまくっていた。
 「酒がないとどうも調子が悪ぅてのう。やっぱり人生は命の水じゃ、妙薬じゃ」
 「それって狂い水っていうんじゃないの?」
 ファナーが不機嫌にいった。
 「ねえシュロ、あたしお腹すいたわ。なんかとびきり旨いものでも食べようよ」
 ずっと木ノ実や携帯食であきあきしているらしい。
 「そうだね、じゃあ何を食べる?」
 「あ、高いものはダメですからね」
 すかさずラキが言った。
 やはり金銭面にはシビアだ。
 気を抜くとすぐに金銭感覚が甘くなっていけない。人数が増えたぶんだけしっかり締めとかなければ、後になって泣くことになってしまう。
 ラキとファナーがにらみあった。喧嘩がまた始まりそうになるのをシュロがなだめる。
 どうも二人は相性が悪いらしい。
 シュロたちは美味しそうな匂いに誘われて店へ入った。
 かなり盛況らしく、なかはほぼ満席だ。注文をききにきた娘にシュロは何がおすすめか尋ね、ラキの了承を得て注文をした。
 「久しぶりだね、こんなにぎやかなとこ」
 シュロがきょろきょろしながら嬉しそうに言った。ラキは冷静に、
 「そうでしょうとも。なにせすぐに人買いにつかまって海賊船に乗るハメになっちゃったんですから」
 「海賊船?そんなもんに乗ったの、シュロ」
 ファナーがすり寄るようにして聞いてくる。
 よこでは、オルフがいつ注文したのか、すでに酒をあおっていた。
 「クーウ、たまらんのう酒じゃ酒じゃ」
 「いつの間に!そのお金、自分で払ってよね、オルフ」
 ラキがキィとなって言った。かなり大きな声を出しても周囲の騒がしさにはかなわない。
 「おいよ、そういえばラーダ島が海に沈んだんだって話だぜ」
 「ええっ?!あのガゼ湾沖にあった小島か?ほんとうかよ」
 隣にいた二人連れの男の声が耳に入った。
 「漁師のバジェットが波に飲まれる瞬間を見たそうだ」
 「そういやぁ、このところよく地震やら何やらがおこってるからなあ。でもまさかあんな大きな島が沈むとはね」
 「聞いた話だとさ、なんか、王がヘンになっちまったせいらしいぞ」
 シュロは思わずふいむいた。だが周りの声が騒々しすぎて、あとの話は聞こえてこない。
 「イシュラリオンの様子が変?なんで……」
 シュロは腕を組み黙りこんだ。
 もしや魔界との制御が上手くいってないのだろうか。スリープから目覚めるときに不備なことでも起きたのか。
 いや、あのユールがついていながらそんなことは考えられない。
 運ばれてきた食事に手をつけてないシュロにファナーが心配して声をかけた。
 「どうしたのよ難しい顔をして。早く食べないと冷めちゃうわよ」
 「あ、ああそうだね」
 シュロは生返事をしてボソボソ食べだした。
 店を出てからもずっと考え込んでいたシュロに、ファナーは強引に顔を手ではさむと自分の顔の方へ近づけた。ムッと膨れていた。
 「何つまらなそうに考え込んでのよ。食事にもあまり手をつけてなかったみたいだし」
 「どうかしちゃったんですかシュロ様」
 「いい女がおって、きっと眼が眩んだんじゃぞい」
 オルフがニンマリして答えるのに、ファナーがほんとキッと目をむいた。シュロの陶器のようなほっぺたをつねりあげる。
 「シュロ!あたしという女がいるくせに」
 「ち、ちがうよ。あいたたっ、放してよっ」
 シュロは赤くなった頬をさすり、すっとんきょうな回答に困ったな、という顔をした。
 ファナーとラキがまた言い合いをはじめているのを観戦していた。ここまでくると二人のいいレクリエーションなのかもしれない。
 女の子がドンッとぶつかった。チラリとみた女の子の緑色の眼が光に膨らんだ。光彩が縦長になる。
 『ぼんやりしてると、魂もってちゃうわよ、きれいなお兄さん』
 「え……?」
 シュロは目を向けた。クスクス笑いながら駆けていく。少女のエナジーのなかには、たしかに魂の核が見えない。
 鼓動が大きくなった。
 改めて周りを見回すとチラチラと少女と同じような者がひそんでいるではないか。だが、街のなかにすっかり溶けこんでいて、誰にも違和感を与えない。
 「まさか、魔が――?」
 シュロはファナーを見た。彼女の半分は魔だが、魂の核はしっかりある。だがよく見れば、彼女の放っているエナジーは、大きくはなってきてはいないだろうか。
 考えてみればセアラが最近あまり出てきていないような気がする。
 「まさかこれも磁気の狂いのせい?」
 魔がこんなに混同しているというのに、イシュラリオンもユールも気づいていないというのか。信じられない。
 「古代神との契約はどうなっているんだ。いくらイシュラリオンの波動が乱れてるっていっても、これほど魔があふれているなんて異常だ」
 「古代神の連中は、どうやら何者かによって封ぜられ、北の果てで眠っとると聞いとるがの」
 「オルフ?」
 「男と女の約束のように契約なんぞは脆いもんじゃよ。世界の法則はあってなきがごとしじゃ」
 ケケッと笑い、酒を旨そうに流し込む。
 「どうしてそんなことを知っているんだい」
 聞こうとしたシュロの手をだれかが握った。いきなり肉付きのいい胸に押し当てられギョッとする。
 「兄さんどうだい。あたし今晩あいてんだけどさあ。いい男だから安くしとくよ」
 真っ赤な唇を突き出す。見れば娼婦だ。
 白粉をはたきすぎているせいか香料が鼻につく。
 「いやだぁ、あんたってなんてきれいな菫色の瞳をしてるのぉ。ねえねえあたしのベッドで休んでいきなさいよぉ。疲れた顔してるじゃないさ」
 「ちょっとそこのブス、あたしのシュロに気安く触るんじゃないわよ」
 ファナーが見るなり、音速の早さで女の手をはぎとった。
 「なんだいおまえ!あたしはこの人と交渉してるのよ、商売の邪魔しないどくれよ」
 「ブスをブスって言って何が悪いのさ。そのアバタ顔であたしより綺麗だって言うつもりかい」
 フフンと小馬鹿にしたように鼻で笑い、自分の美しさを誇示するように腰に手を当てた。その目つきに、女がキイッとうなった。
 「な、なによ、あんたいい根性してるじゃない。同業者のくせに商売の邪魔する気なの」
 「だれが同業者よ!あたしは魔族の――」
 シュロはファナーの口を慌てて押さえた。
 「ご、ごめんね。せっかく声かけてくれて悪いんだけど、まだ陽も高いし、それほどしんどくはないから、休憩は今度お願いするよ、ご親切にありがとう」
 やっぱりよくわかっていないシュロの答えに、女がキョトンとする。どこまで本気でいっているかわからない。
 女は大きな声で笑った。
 「やだ、なにこの人すごく可愛い!本気で気に入っちゃったわ。ねえべつにお金なんていらないからさあ、あたしを助けると思って来てよ。寂しくって一人で寝てられないのよ」
 「でも、寂しいのは、あなただけではないはずだと思うよ」
 もがくファナーをよそにすり寄ってきた女は、シュロの笑顔に茫然と立ちすくんだ。
 「……わりと鋭いこと言うのね」
 そのまま女をおいて、店をでた。
 シュロにファナーがおいついてきて、言った。
 「ねえ、なにが、シュロを寂しくさせているの?」
 さっきの言葉が頭からはなれなかったのだ。
 シュロはなぞめいた笑みを見せただけだった。
 寂しさは、そう、きっと誰の中にも存在している。
 ただ、それを口にするかどうかだけの違いで、けっきょくは自分で折り合いをつけるしかない。本当の寂しさは、だれにも癒されることがないからだ。
 ファナーはあれからも、まだまだいい寄ってくる女たちを、いいかげんシュロから追い払うのをあきらめてしまっていた。
 声がかかる多さに、うんざりしていたのだ。
 「あんたって、なんでそんなに人を呼び寄せるの」
 花に群がる蜂か蝶か。
 だがシュロに声をかけるのは、男も女もなく、子供から年寄までも幅がひろい。
 露店のなかを歩いて暮らせば、きっと食べ物には困らないだろう。お金がなくても生きていけるというのはこういう人間のことだ。
 その理由はそれもシュロを見ていればすぐに気づいた。
 彼自身がそのことを楽しんでいるからだ。声をかけられるとそれは嬉しそうに答えている。一生懸命応対し、誠実な言葉をかえしている。
 呆れたようにみているファナーとラキはおこぼれの果物をかじり、のんびり後をついていった。
 「あーあ、シュロ様子供みたい。リボンまでもらっちゃって。もう髪に結ばなくても……しかも縦結び」
 店番をしている幼い姉妹らしき少女にかこまれ、淡いピンクのリボンを前髪につけられていた。かわりに銀の髪数本ひっこぬかれるのにも笑って我慢している。娘たちは髪をもって喜んでいた。
 リボンをつけたまま礼をいうシュロの姿は、どうしてもその景色に混じりこまない透明さを持っている。けれどだれも嫌がらないのは、その笑みひとつで相手の心を惹きつけ捕らえてしまうからだ。
 魔に憑かれている親父や少女であっても、それを知っていても、対応はかわらなかった。
 「シュロってすっごくヘンだわ。王様だったんでしょ。なのにぜんぜん威張ってないし、偉そうでもないし」
 「僕はね脳を三回もいじられたんだ。記憶を何度も注入されたり、除去されたり、封印されたりね。きっとそれで変になったんだよ。――もう、イシュラリオンと一緒じゃないんだ」
 「……ねえ、魔をもう憎んでないって本当?あなたを襲ったり、苦しめたりしたんでしょ?」
 「僕はね、かれらが僕を襲った理由を、まだ知らないんだ。ファナーだって心にたくさんのことを持っているからこそ、苦しんだり悲しんだりするだろ。きっとその同じもので楽しむこともできるんだ。心に形はない、だから持ち方ひとつでそれは良くも悪くもなる。世界には陰陽の地磁気があり、魔界と人間界がバランスをとっている。本当に悪いことっていうのは、多分ないんじゃないかな」
 「シュロ様って、時々へんにまともなことを言うんですよね。それぐらい金銭感覚もあればいいのに」
 シュロはうっと言葉に詰まった。
 「それにしても魔界の者が多すぎるみたいねこの町は。バランス、とてもよくない」
 なにごとも過ぎることはよくない。必ずどこかに歪がくるのだ。
 「とりあえずどこかに宿をとっちゃいましょう。久しぶりにベッドで寝たいです」
 ラキが言った。
 



 シュロたちはサガンの町を抜け、エルテモ山脈のふもと越えて、またイドリスのウィラートのところへいったん戻ることにした。
 彼なら情報量も多いし、もしかしたらイシュラリオンのことについて何か知っているかもしれないからだ。
 昼過ぎに出発した。
 早朝には、もう出ているはずだったのだが、オルフが酒を買うと言ってダダをこね、どうこうしているうちにあっというまに昼になっていたのだ。
 シュロたちはにぎやかしい露天の通りを抜けながら、食糧を買い足していった。
 「これくらいで充分ですかね。シュロ様がいると安くなって大助かりです」
 ラキはたいへん満足しているようだった。
 「よかった、僕にも使い道があって。でもみんな親切でたすかるねえラキ」
 「なによシュロったら!あんなブス女にまで愛想しちゃったりしてさ!」
 ファナーはいくぶん不機嫌だったが、何人かの男を引っかけては、自分はなにやらこまごまと買わせていたことは、すっかり棚にあげている。
 腰の曲がった老婆がいた。
 楽しそうに店先を歩いて回っていた。だが奇天烈な格好で、まるで年若い女の子のようなフワフワのスカートをはき、お化粧を塗りたくっている。
 痴呆なのだろうか。うっとりと装飾品をみていた。
 きれいな色のブローチにネックレス、手の込んだ細工の髪留めを見ている。そばでは店の主人はうさん臭そうにしていたが、あまりにも楽しそうなのでそのままにしていたようだった。
 老婆はシュロと目が合うと恥ずかしそうに目をふせた。不気味だが、彼女の精神年齢からすれば、年頃の少女らしい仕草だった。
 シュロは微笑むと、髪につけられていたリボンを外した。老婆の手に持たせた。
 歩きだしたシュロに、ラキが尋ねた。
 「ねえシュロ様。なんでリボンをあげたんですか」
 「さあね。でもなんだか彼女にはリボンが必要なような気がしたんだ」
 「そんなもんなんですかねえ」
 「そんなものかもしれないわね」
 ファナーにしては珍しく素直に返事をした。
 「でもシュロ、あたしにくれればいいのに」
 ラキは、ファナーのきれいな青いイヤリングをみて、小声でボソリと言う。
 「別の男にそのイヤリング買ってもらってたじゃないか」
 「あら、だって私に似合うでしょ。欲しいなって言ったら向こうが勝手にくれたのよ。ねえオルフ」
 「おお似合うにあう」
 オルフはその手で、ついでにファナーに酒を買ってもらったのだ。逆うはずがない。
 旅は、順調に始まったかにみえていた。
 



 ラキの目が赤く光った。
 「シュロ様あぶない!」
 体がブワッと広がりシュロを覆った。
 飛来してきた矢を受け止めはじく。
 心臓の真上だ。
 ファナーの髪が逆立った。
 男たちは覆面をしていた。木陰や木の上、岩間からヌウッとあらわれた。
 五人いる男たちの胸には、やはり王家の紋が刻まれている。
 何度目の刺客かわからなかった。
 シュロは日増しにふえてくる彼らの襲撃に、内心ひどく戸惑っていた。
 人数ばかりでなく、あろうことか刺客の中には、魔界の波動をもつ者が確実に多くなってきているのだ。
 それは心身ともに強健であるはずの彼らでさえ、魔に犯されつつあるということだ。たぶん冷静な判断力を奪わているにちがいない。目に光がまったくない。
 「城でなにが起こっているんだろう」
 攻撃をかわしながらシュロはつぶやいた。
 王として一通りの武術の訓練はしていたので、腕前はいいのだが、長く使用していなかったせいかかなりサビついている。避けるのが精一杯になっている。
 その点、それを補って余りあるのがラキとファナーである。
 ラキはシュロの背丈の倍ほど伸びると、俊敏に男を捕らえ締めあげていく。動けないほどに精気を吸い取るのだ。
 日頃、シュロのもとに居るのでひそめてはいるが、彼の本性もまた、魔なのである。
 王としてのシュロを長く守っていただけあって、かなりの能力を備えている。
 ファナーもまた強かった。
 セアラの聖性ですら押さえきれなかった魔力は並でない。
 不思議なことに、あれだけ嫌っていた祖父シナックの呪文を、彼女は体は知らぬまに覚えていた。
 呪文と魔力で、男たちの片腕ぐらいなんなく折ってみせる。シュロが止めなければいく人かは殺されているところだろう。獲物をしとめる彼女の目は、輝いていた。
 刺客は現れるときと同様、一瞬にしていつも消えた。ユールのコンピューターによる相転移なのか。時空を行き来しているらしい。
 「物足りないわよね、あんな弱いんじゃ。城にはいい人材いないの?」
 「そんなことないよ。彼らは精鋭部隊だ」
 「ファナーの力が増しとんでないかい」
 オルフが岩に乗って酒をあおぎ、最後の一滴を舌でおしそうに舐めると、ポイッと瓶を放り投げた。
 「あたしの力が増してる?」
 思い当たる節があるのかムッと口を閉ざす。
 ラキがシュロの肩に乗って神妙に言った。
 「そういえば、ボクもなんだか体中の力がやけに漲ってきてるような……」
 「セアラの出て来る回数が減っとるしのう」
 オルフが言うのに、ファナーは言い訳する。
 「だって、ほら旅なんて言ったらさ、あの聖女ぶったセアラじゃ、役に立たないじゃない。あたしのほうが適役よ」
 だがファナーとセアラでは、現在の時点ではファナーの力のほうが強くなっていることは隠せない。
 セアラはシナックの死以来、眠ることが多くなっていた。それでも魔術師の呪文を知っていたのは、きっとセアラの記憶に違いない。
 こんなところで、シナックは二人を守っているのだ。
 「あんまり深く考えることはないよファナー。セアラだってわかってると思うし」
 「そうよ。だってあたしがシュロを守ってるんだからさ」
 「どうもお世話になります。ラキもね」
 シュロは頭を優雅にさげた。
 傾斜の多い山道は、旅人の姿もすくなかった。
 シュロたちは近道だと教えられてこの順路をとったのだが、だれもその道筋がひどく険しいとか、魔物が顔を出すことがあるとは教えてくれなかった。
 さっきも牛ほどもあるナメクジのような怪物がヌッと現れ、角を出しながら草を食べている隣を通りすぎた。
 背中に葉緑素を持ち、自分で光合成をしているくせに、食物で栄養もとるので巨大化するらしい。
 シュロは空を見あげた。
 夕刻が近づいている空の蒼さは格別だった。目が、染み入るように痛んで涙が出てくる。
 まだ汚れもなく、人工灯の明りにもおかされていない澄んだ空気でみる空の色は、シュロには宝物をみつけたのと同じだけの価値があった。
 「空って真っ青なんだね」
 「なに驚いてるのよ、当り前じゃない」
 ファナーが馬鹿にしたようにいう。
 「そう、当り前なんだ。でも空ってどうして青いんだろうね。――もしかして、宇宙が青いからかなあって」
 「シュロって子供みたいなことを言うのね」
 ファナーが少しあきれたように笑うと、シュロの真正面に寄ってきた。なに、と言って首をかたむけたシュロに、キスをする。
 ファナーはだがすぐに飛びあがった。
 「なにするのよ、この魔物!」
 「不埒な行いをしようとするからだ!」
 ラキが腕にかみついていた。
 シュロは二人の言い争いに、仲がいいといって笑うだけだった。
 彼はまた空を見あげていた。
 精霊たちが飛んでいるのが見えた。フィーネたちだ。
 フィーネは虹色の羽根をはばたかせ風に漂っていた。空の青にとけ込んで普通の視覚ではわからない。彼女たちはしきりに何か言っていた。西南の方向を指している。
 「なに?何を言ってるんだい」
 必死だが、声が聞こえてこない。まるで空気のバリアーに遮られているみたいに。
 「たすけて――?そう言ってるのか?」
 「シュロったら、なにボ――としてんのよ」
 ファナーが腕をひっぱった。
 「ああ、いや、なんでもないよ」
 「シュロ様ぁ、オルフじいさんこんなところで寝ちゃってますよ」
 ラキがオルフのツルツルの額をすべり、鼻毛をひっぱった。シュロはしかたないとばかりにオルフを抱きおこした。
 「……しかたないね。ここで野営をするか」




 滝の音のきこえる、大きな岩屋のしたで休んでいた。
 薪を拾うついでに、白樺の根元に生えているキノコを切り取ってきて、スープに入れて煮ている。旅の携帯食は乾物ばかりでは味気がないので、ひと手間くわえるのだ。新鮮な野菜は彼らにとってはご馳走になる。
 煮炊きできる木ノ実や果実に、シュロはなぜか詳しかった。
 エリが好きだったのでよく一緒に採取したり食べていたのだ。あとでユールにみつかってよく怒られていたのだが。
 「シュロって料理がうまいわよねえ。いい旦那になれるわ。ああよかった」
 ファナーが水で戻した携帯パンをスープに浸して食べていた。
 「なんでファナーがいいんだよ。だいたいシュロ様に料理させて、ホントに女なのか」
 「あら、あたしの料理が食べたい。いいのよ、別にあたしは」
 皆がギクッと言葉に詰まる。もうあんな目に合うのはたくさんだ。
 「シュロ様、こっちのキノコはどうして食べなかったんです」
 「ああ、こっちのは薬草にしようと思ってね。抗生物質なんかを含んでいるから、消毒とか熱さましに効くんだ」
 「そうなんだ、へえ」
 ファナーがシュロの背中に胸を押し当てて肩口からのぞきこんだ。髪に唇をおしあてる。
 「こらっ、離れろ!」
 ラキが叫ぶのに、ファナーはフッとなにか妖しげに笑い、素直に手を離した。チラリと舌で唇をなめた。




 夜も更け、火を落してすでに寝静まっていた。
 岩向こうにシュロが丸まっている。
 ファナーはそっと彼の背後に忍びよると白い手をシュロの肩にかけた。首筋に手をあて鎖骨を指でなどってゆく。
 正面に覆いかぶさると、服のなかに手を忍ばせた。男にしては滑らかすぎる肌をなで、顔をよせてそのままキスをする。
 異変に気づいたのかさすがのシュロも目を覚ました。
 大アップのファナーに硬直する。声を出そうにも唇で塞がれ動きもとれない。
 アタフタともがき、ようやくファナーが離れたが、そのままシュロは服を剥がれていった。
 「ファ、ファナー?!な、に、してるの?」
 「フフッ、やあねえシュロ。この状況ですることといえば一つ」
 「え、ああ、もしかして寒かったのかい?言ってくれれば服ぐらい貸してあげたのにって、ちょ、くすぐったいからやめてよ」
 「意地悪ねえ。男と女がこういう状態でするとしたら、セックスしかないでしょう」
 「はあっ?!」
 「ねえシュロ、あたしのこと嫌い?あたしは抱きたくないぐらい嫌な女?ねえ答えて」
 頬をよせ、首筋に柔らかい唇で刻印をおす。
 鳥肌をたてながらシュロはファナーをようやく引きはなす。ようやくその意味がわかった。
 「ファナーごめん、僕は悪いけど生殖機能を停止させているんだ。子供は作れないんだよ」
 「こ、子供?!」
 ファナーがすっとんきょうな声をあげた。
 慌てて自分の口を押さえる。
 「子供が欲しいんだろファナー?でも僕は王のクローンとしての責任があるから子供は造れないんだよ。期待に添えなくてごめんね」
 「や、やあねえ。セックスなんて楽しむためにするんじゃない。大丈夫。あたしにまかせときなさいよ、満足させたげるから」
 ファナーは笑い、さらにシュロの髪に顔を埋めてみみたぶを噛む。
 「わあ、ファナー!」
 焦るシュロに、ファナーが乗り上げた。
 「シュロったら可愛いんだからもう」
 向こうの岩場では、もがくラキをおさえオルフが覗き見していた。かなり嬉しそうだ。
 「は、離せ!シュロ様がファナーの毒牙に!」
 「いいって、いいって。これからがお楽しみなんじゃわい」
 一方的にせまりまくるファナーのファイトに陰ながら声援を送っている。
 ファナーがチロリと岩場の方に視線を送った。
 かと思うと、小石が降ってきた。
 「ちょっとあんたたち。出歯亀する気」
 「いやいや、気にせず続けてくだされ」
 「こらファナーおまえシュロ様に何してんだ!離れろ悪魔!」
 ラキが真っ赤になってわめいた。
 「なにしてって、やあねえ。愛の営みに決まってるじゃない。ねえシュロ」
 「いや、あの僕はそんなつもは――」
 「シュロ様は嫌がってるじゃないか!」
 「あのね、こんな男は、一回押し倒せばこっちのもんなのよ。ハハン、あんた焼いてるんでしょ」
 「な、なんで僕が!」
 「稀獣なんていっても性別ないしねえ。悔しかったら女の格好して迫ってみなさいよ」
 「な、な、なんてことを!」
 「ちょっと二人ともやめなさい――ファナーねえいいかげん胸の上からどいてよ。苦しいからね」
 押し戻され、せっかくなのにとファナーはふくれて不機嫌になる。
 「これからだったのにぃ。ねえシュロ、どうしてあたしじゃ駄目なの?こないだからずっと誘ってんのにちっとも乗ってくれないじゃないの」
 「そんなことないよ。ファナーはいい子だし大好きだよ」
 「じゃあ抱いてよ」
 「だ、だ、抱くなんて――」
 ラキの声が裏返っている。
 「あたしが処女じゃないから?汚れてるからダメなの?あたしって汚い?」
 「違うよファナー、きみは汚くなんてないよ。ただ、僕はダメだって言っただろう」
 「どうせあたしなんか男を山ほどダメにしてきた魔物ですよぉ。あーあ、あたし処女だったらよかったなあ。そしたらシュロと――」
 「ファナー、僕はそんなことを言っているんじゃないんだよ。体なんか関係ないんだ。どんな純血の処女よりも、心の強く美しいひとのほうがずっと素晴らしいと思っている」
 「……あたしは?」
 ファナーは不安そうにシュロに聞く。否定されたら復活できない。
 「もちろん」
 そううなずくのに、満面の笑みに変わった。
 「なんじゃいもう終わりか。存外につまらんのう。チューぐらいはしたんかお二人さん」
 カッとシュロが赤くなり、ファナーの張り手の音が、オルフからいせいよく夜空に響きわたった。


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