輝く大海の波に乗って

5



 とぼとぼと歩いているシュロの姿をみつけたのはラキだった。
 あわてて跳ね寄ってきた。
 「シュロ様どこへ行っちゃってたんですか?薬をもって帰ったらいなくなってるんですもの。ずいぶん捜しましたよ」
 「ああ、ごめんよ。ちょっと泉にまでいってたんだ」
 「髪を洗ったんですか?あん、もう全身がビショビショじゃないですか。子供みたいなんだからぁ」
 「そんな気分だったんだよ」
 どことなくはかなげに笑うシュロの肩に、ラキは乗った。
 「冷たいですねえシュロ様のほっぺた。そうそう、薬を届けたあの子の母親、なんだかぽわんとしてましたよ。まるでネジが切れちゃったみたいに。ねえ何があったんですか」
 ラキは手に持っていたものを広げてみせた。
 それは小さな布を縫いあわせて作ったハンカチだった。両面に花の模様がある。ずいぶんこまかに糸をかがったきれいなものだった。
 「これを帰りぎわにくれたんです」
 「へえ、よくできてるね。ずいぶん時間かかってそうな図柄だ。これは手間の結晶だね」
 「だからです。よけいに不気味なんですよ」
 文句のひとつでも言われるだろうと構えていたラキは、たぶんひきつった顔でこれを受け取ったのだろう。
 「そうそう、いそぎで薬を作ってくれたシナックにもお礼いわなくっちゃね」
 思いだしたようにいうと、シュロたちは家に戻っていった。
 「シナックさっきはありがとう。急なのに無理いって作ってもらっちゃって――」
 ノックをして戸を開ける。
 シュロは暖炉のまえで倒れ込んでいるシナックにおどろき、慌ててかけよった。
 「シナック!どうしたのしっかりして?!」
 「……あ、ああ」
 肩で大きく息をしている。顔がひどい土気色だ。
 立ち上がれそうもないシナックを抱えるとベッドに横たわらせた。見た目よりずっと軽い。
 「いつからこんなことに?」
 「そう、気にすることもないさ。……わしも年だからな。迎えがきてもおかしくはなかろう」
 「なに言っているんだよ。そんな気弱なことを。薬はどこなの、なにか調合しようか?」
 シュロがいうのに、ラキがそばで泣きそうな顔でつぶやいた。
 「さっきまで元気だったのに。ボクが早く早くってせかしたから」
 シナックは首をふった。
 すでに悟りきった表情だった。同情も憐憫も受けつけていない。
 「わしも魔術師のはしくれだ。自分の寿命ぐらいわかるさ。それに、惜しむほどの年齢でもない」
 「だってシナック」
 シュロの言葉を、かすかな首の振りだけで押さえた。
 「もう充分すぎるほどわしは生きてきた。生きることに未練はない。魔族との戦いで毒におかされた身体も、かなり前から石化しはじめておったしな」
 負傷した傷口から入った毒素が、人間の細胞組織をジワジワと硬直させてゆくのだ。治療の方法はない。
 「このことをセアラやファナーは?」
 シナックは、いや、と小さく言った。二人にはかわらぬ頑健な魔術師のままの姿しかみせていないのだ。
 「……至高の紫だな」
 シュロの瞳をまじまじと見つめて言った。
 「その紫は、真に高貴な者しかもちえない知慧の輝きがある。そんな目をした者はいまだかつて見たことがない。……大いなる慈悲があんたの中には秘められている。人の枠を越えた神の領域だ――」
 ふっと目を閉じた。
 「はじめて見たとき、わしはあんたを人ではないと思った。われわれとは違うなにかを、その閉じられた眼から感じていた」
 「僕は……」
 「どうか、セアラを頼む。ファナーを、二人をどうかよろしく頼む。あの子らには可哀想なことをした。あの時はそれしか方法はなかったのだ。魔は悪いばかりではない。ファナーを受け入れる巫女は、ほんらい――」
 ゴフッと咳をした。血が、口をおさえた指のあいだから流れてシーツに広がった。
 シナックは血のついた手でシュロの腕を握った。アザがつくほど強い力だ。
 「あんたしかおらんのだ。どうか頼む」
 「でも僕は、なにも特別な力なんて――」
 シナックの咳がひどくなった。あえぎだすのに薬をとろうと慌てた。
 だがその手はシュロを決して離そうとはしなかった。




 ファナーはもう、三日も帰ってこなかった。
 あまり症状のよくならないシナックに、シュロはついにいてもたってもいられなくなって、捜しに出かけていた。
 町までくると、酒場で愉快そうに酒を飲んでいるオルフを見つけた。
 シナックの家の酒をすべて飲みたおすと、それっきり姿をくらませていたのだ。
 あれほど嫌われていたよそ者だったくせに、すっかりその場に馴染んでいる。おどろいたことに賭の手ほどきまでしているではないか。
 「オルフ、ねえセアラ見なかったかい?」
 葡萄のビンをかたむけているオルフは、かんぺきに酔っぱらっている赤い顔をシュロにむけた。
 「よお、おっひっさっしぶぅり。んん?ずいぶんしけた顔しおって。若いんじゃぞ、もっと明るく生きにゃあなあ」
 酒臭い息で豪快にわらった。
 「僕たちはおまえみたいな脳天気じゃないんだ。もう、臭い息を吹きかけないでよ!」
 ラキがキイッと牙を出す。もちろんオルフは愉快そうにまた酒をあおる。
 「オルフ、ねえセアラが帰ってこないんだ。どこにいるか知らないかい」
 「セアラ?ああ、ファナーなら見たぞい」
 「おなじじゃないのそれって!」
 とラキ。
 「それはどこで見たの?」
 「うーんとうーん……あ、山でじゃ」
 「山?」
 「二股にわかれた川の、上流へむかっとったかのう。逢引かとおもうて後をしばらくつけてみたが、なあんもない石ばっかりの山じゃったぞい」
 オルフが不思議そうに眉をもちあげる。
 まわりの人間の顔色がかわった。
 「死の谷だ」
 誰かが言った。
 シュロはそれだけでわかってしまった。
 魔族が棲んでいた谷だ。枯れてしまった故郷へとむかったのだ。
 シュロはろくな返答をしないオルフをせっつきながら、どうにか言葉の端々から谷の場所を聞き出そうと必死になった。
 その間に、大ジョッキの酒を、四杯も注文させられていたのだった。





 ラキはその谷をみるなり、あきれたように言った。
 「ほんっ、とに荒れ地だけですねえ」
 「なにも残ってないんだね、ここには」
 過去も、思い出も、記憶も。すべては無となりはて、赤い不毛の地へと帰していた。
 旅人を迷い込ませるウッソウとした森林のなかに、そこだけがすっぽりと切り取られたようであった。
 不自然なまでの乾いた空間には、よけいに、かつてそこで行われた戦いの激しさを思いしのばせてしまう。
 村人たちの禁忌の土地だった。
 「この地をみる彼女の思いはどんなだろう」
 シュロは生物のいとなみを拒絶した土をすくいあげた。風に黄色いほこりが吹き散ってゆく。
 草一本、生物のほんの一息さえもない。
 もし自分の生まれた土地がこんな風に渇れ、家族や友が死に絶えてしまったらどんな気持ちがするであろうか。
 二度と笑いかけてくれる者もおらず、自分の過去を知るたった一人さえいないのだ。
 ましてやファナーは慣れぬ土地で、周囲の人間から憎まれ続けている。
 「こんな土地に、花なんかみつけられっこないですよ」
 ラキが絶望にちかい口調でいった。
 あたりをみまわし肩から飛びおりた。
 花を悲痛なおももちで手折ってみせたファナーのために、シュロはどうしてもこの土地で、彼女に花をさがしてやりたかった。そのためにやってきたのだ。
 「この土地がもつ歴史がどんなものかは知らないけど、でもこうまでしなきゃ人間は生き残れなかったのかな。一緒に生きる道は、本当になかったんだろうか。――胸が、痛くなってくるよ」
 はるか昔に、世界を二分する大きな戦争があったことは知っている。
 魔と人間がたがい、憎しみあい、地上を征服しあおうと戦いを繰りかえしていた。
 長いながい戦いのあと、世界は破滅寸前となり、別々の世界に別れてしまったといわれている。
 その名残は、ただの神話としてだけでなく、いまだ生々しくのこっている。
 現にシュロは、過去城で襲われた。
 そして、大切な者の命を奪われてしまったのだから。
 だがそれですべての魔の存在を憎むという理由にはならなかった。彼らも生きていて、心魂を持つ者たちだということも、また知っていたからだ。
 「シュロ様は、どうして魔を憎んでいないんですか?」
 ラキもそのことを思い出していたのだろう。不安げに聞く。
 彼もまた魔の側の生き物なのだ。
 「なんで? 憎んでなんかいないよ。だってエリがそんなこと望むとは思わないもの。そんな片寄った思考や生き方では、人生が半分になってしまうだろ」
 ラキの心の内をしってか、あかるく笑ってみせる。
 「それにすべてを正しいものと、正しくないものに分別してしまうなんて、すごくもったいないよ。骨や筋ばかり大切にして、脂肪を無駄なところだと切り取ってしまうのと同じさ。脂肪のところにこそ、旨味があるんだからね」
 「無駄はないってことですか」
 「この世に存在するということは、それだけで何かの意味をなしているんだ。だから生まれてきたものに、何ひとつだって優劣はないんだよ」
 谷を切りつける刃物のような風が吹いてすぎた。シュロの長い髪を束ねていた紐がほどけて飛んでいった。
 「花をさがそうよ。きっとあるよ。だってここはファナーの心の世界だもの」
 ラキがシュロの瞳をじっとみつめる。
 「シナックが生きているうちに、本当の心を伝えてあげたいじゃないか」
 あるさきっと。そう気軽にいうシュロに、ラキはわざと大げさに息をついてみせた。
 「なんでこんな面倒なことばっかりしたがるんでしょうかねぇ、シュロ様は。得なことなんて何もないのに。だってあのファナーですよ」
 だが口の半分も態度にはあらわれていない。
 「あのファナーが花を欲しがるなんて思いもしなかったですね。女っていうのはほんとに不可思議な生き物です」
 「ほんとだ。けれどだからこそ、大切にしなきゃならないんだよ。男とはちがう繊細さとか、かよわさがあるんだから」
 「かよわい?ファナーが?」
 ファナーだけではない。オルフを追いかけてきた太ったパン屋のおかみさんにしても、怒鳴りまくっていた病気の子の母親にしても、そんな言葉に相応しい女性がいただろうか。
 「本気で思ってるんですか?」
 「なにを?」
 その顔に疑問の余地はない。
 「まあ、そりゃあなたがそう思うのなら僕は別に……」
 ブツブツいいながら、ラキはシュロにともなって花をさがしだした。
 そうしてほぼ半日以上のあいだ、遮るもののない太陽光線の下で、二人は地面に張りついていた。
 それもあるはずのない、架空の物を求めてだ。
 もちろん彼らにもわかっていた。
 「シュロ様、もういいかげん諦めませんか?それに、もしどうしても必要なら右目を開けば簡単に――」
 「ラキっ」
 言葉をさえぎる言葉のつよさに、ラキはビクッとした。
 冗談だとはわかっていたが、シュロは諭すようにいった。
 「ファナーが僕らに望んでいるものは、ほんとうはきっと花じゃないんだよ」
 「花じゃないって……じゃあなんですか?」
 「たしかにラキのいう通り、この右目をひらけば花なんて簡単に手に入るよ。でもそんなものを彼女は欲しがっているんじゃないんだ。それはね、きっと『捜す』という行為なんだよ。本気であると信じ、採ってきてあげたいと、願い捜しつづける思いなんだ」
 ラキは難しそうに顔をしかめただけだった。
 「ごめんねラキ。いつも迷惑かけちゃって。僕のわがままに巻き込んでばかりだね」
 「えっ?いえ、そんなこと!ちっとも迷惑じゃありません。こんなことどうってことないですから――」
 「自分が自分でいられる場所がないと息がつまるんだよ。存在に気づいてくれる人がいない中で生きるのはつらくてたまらないんだ」
 王として、イシュラリオンとして君臨していたあの日々がかすかに思い出されてしまう。
 加工された記憶を注入されたシュロは、コールドスリープにつく以前の自分の状況を、なにも知ってはいなかった。
 目に映った家臣や侍女たちは、なぜかくも恐縮し、卑屈な様子で王に接してくるのか。なぜ、腫れ物にさわるように怯え、遠巻きにして近づいてこないのか。
 イシュラリオンがどんなに荒れて、人々に八つ当たっていたのか想像はつかないが、だが、周囲に与えていた負の感情の強さによって、きっと恐るべき怪物としてしか、みられなくなっていたのだ。
 そうとは知らないシュロは、だから彼らと打ち解けていくあいだに、どれほど苦労をしたか。
 理由も正確にはわからぬままに、なかなか心をみせない臣下と時間を重ねて、ようやく彼らの本当の感情をとり戻していったのだ。軽口さえをたたき合えるまでになっていた。
 その間、どれほど精神に負担がかかっていたかしれない。
 それでも違わず信じていてくれたユールが側にいたからこそ耐えられたのだ。昔のように明るく楽しい日々をやっと呼びもどした。
 だが、それもまた違っていた。
 自分は、そこにいるべき人物ではなかった。イシュラリオンではなかったのだ。
 存在する場所は、すでに城にはない。
 不完全な記憶と能力しかもたないいまのシュロには、帰る場所も、友人たちもいなくなってしまった。
 そのかわり得たものもまた、あった。
 それは入れられるはずのなかった、狂っていたころの自分の記憶だった。
 コンピューターの誤作動によって注入されたのだ。殺されるはずだったかわりに、右目に封印をされたときのことである。ユールもたぶん、このことは知らない。
 そして、わかったのだ。
 狂うほどの愛情の意味と、周囲を脅えさせた悲しみを。声なき号泣が世界を狂わせるほどに響いていたその理由を。
 だから味方のいない場所に暮らす寂しさを、シュロはよくわかっていた。ファナーの寂しさは、シュロのなかの寂しさと呼応してしまうのかもしれない。




 それからというもの、シュロはずっとそこで捜し続けていた。
 三日目の朝には、雨がポツリポツリと降りはじめていた。
 昼までには、たたきつけるような豪雨となり、水を吸収しない土地に雨が表面をすべるだけで、すぐに大水となり荒々しく地面をけずりとってしまっていた。こんなところでは植物が生えるどころか、命さえ育ちはしないだろう。
 「ねえシュロ様、ちょっと岩陰で休みましょうよ。こんな状態じゃ見つかりっこないですよ。ボクが覆いになってかぶさりますから休憩してください。ほら、こんなに冷えきってるじゃないですか」
 ラキは押し込まれていた懐から顔をだした。肩に乗った。
 「大丈夫さ。ラキこそ風邪を引いたら大変だよ。どこかへ避難しておくかい?」
 「嫌ですよ。シュロ様が休まないのに僕だけなんて」
 上流から流れてきた石英の破片がシュロの手のさきを弾いた。血が雨にあらわれ手首のほうへ滴っていく。
 「シュロ様指が!」
 力仕事もしたことのないようなシュロの美しい指先に、赤い傷口がひらいていた。
 石をひっくりかえしたり、種をさがそうと掘り起こしたりしてかなり痛んでいる。
 ドジだねと照れ笑いしながら、指を服でふいていたシュロの前に、ファナーが立っていた。
 「あんた馬鹿じゃないの?なにこんなところで三日間も這いつくばってんのよ。花なんてないのわかってるじゃないのさ」
 「そうだねファナー。でも、もしかしたらあるかもしれないだろう?」
 「ないわよ!みただけで十分わかるわよ!」
 「でも、僕はきみに何もしてあげられないもの。かけてあげる言葉も資格もないだろ。けどこうして花を捜すことはできる。ほんのわずかな確率でも、あるならそれを捜す方がいいじゃないか」
 「あ、あんなの一時の感情じゃない!」
 「あの時のきみの言葉は、本気だったよ。だから僕は本気で捜してあげたいと思ったんだ。きみが気にすることはないよ。僕が勝手にしているんだからね」
 「あたしは魔物よ。セアラの体を半分奪った略奪者なのよ。なのにセアラといい、あんたといい、信じられないくらい大馬鹿者だわ!」
 一度でも、芯から魔術におかされた土地は、死霊の跋扈する不毛の地と化してしまうのだ。
 相当の術者であっても浄化は至難のわざであり、気を抜くと、己のほうが死の闇にとりこまれ、命を奪われてしまう。だからこそ誰も手をださないのだ。
 「きみは略奪者じゃないよ。だって考えてみてよ。もし本当にきみがいらないのなら、シナックはきみを殺していたはずだよ。いくらセアラの命を助けたいといっても、魔術師の名をもつ者ならば、そんな私情に溺れたりはしない。それはシナックと戦い、そして一緒に暮らしているきみが一番よく知っていることだろう?ねえ、どうしてシナックはきみをセアラの中に残したんだろうね」
 「あたしを、残す?」
 ファナーは動揺を隠しきれず、うろたえた。
 だがすぐに怒りを面にだすとねめつけた。
 「またあたしを惑わす気ね!あんたの言葉はいつもあたしを混乱させる。胸が苦しなっってくるのよ。あたしに何の魔術をかけたのよ?! 」
 ラキが答えた。
 「それはファナーが、シュロ様の言葉にふくまれた真実に、心で気づきはじめているからだよ。心の声を素直に認めたら、もっと楽になれるんだよ」
 「うるさい!人間に身を売った裏切りものがあたしに意見なんてするな!あたしには聞こえるんだ。この土地で苦しむ同胞の叫び声が、嘆きが。その苦しみがなくならないかぎり、あたしは人間を憎む。シナックをセアラを殺すんだ!」
 シュロは自分の指先から流れつづける血が、まるでファナーの涙のようだと思った。
 ハンカチをとりだした。
 ファナーを罵った母親がくれたものだ。いくつもの布切れからつくられたそれはシュロの血を吸い、紅に染まっていった。
 右目をスウッとひらいた。
 濃い、魂を奪われるような神秘にみちた紫の瞳があらわれた。
 もはや人間の目ではない。
 神界に属する者の力強い息吹を感じさせる。
 うっすらと微笑んでだ。魔界の暗闇にすら、一条の光を差し込んでいる慈愛の笑みだ。
 布が細かくちぎれて舞い上がった。
 雨と一緒にふりそそぎ、それと同時に、荒涼とした台地は、緑の野へと姿を変えていくではないか。
 「これは、なんの魔法――?! 」
 「ファナーは、白い花が好きなんだよね」
 「えっ?!……なんで、それを」
 一面にさざめくような香華が広がっていった。
 咲き乱れた花々はみな白い色をしていた。
 シュロは右目をとじた。
 放たれていた光も消え、神の創造力はふたたび眠りについていた。
 「これが、シュロの力――?」
 ファナーは呆然としたままつぶやいた。しばらく立ちすくんでいた。
 求めていた大地の姿がそこにはあった。もう一度、どれほどこの故郷が見たかったかしれない。
 ないはずの花を求めつづけ、とうとう手にいれたてしまった。たどりついた。
 ファナーははじめて、泣いていた。
 しばらく泣いていたかと思うと、いきなりシュロに抱きつき、くちづけた。あたたかい唇だった。
 「なんでここまでしてくれるの?」
 シュロはこまったように笑った。その顔は悲しそうにもみえた。
 「シュ、シュロ様どうして?僕の冗談にだって怒るほど、絶対に右目の力は使わないって約束されていたんでしょ。なんでこんなことをしちゃったの?――本当に?」
 ラキは固まって、ひどくショックを受けていた。それから毛を逆立て泣きそうな声で抗議していた。
 「ファナーの傷んだ心はね、この花を見るまでは癒されることはなかったからだよ」
 「だってこの力は――」
 ブルリとラキは震えた。
 封印をされていたせいか、シュロの力は以前より増している気がする。
 ファナーはシュロの指から流れる血を舐めると、スカートの布を裂き、巻きつけていた。
 「おまえみたいな男、はじめてだ。あたしに何も求めず、こんなものをくれるなんて……」
 ファナーはじっとシュロを見つめていた。もう一度右の目が見たいというような熱い視線だった。
 「シュロは一度も、あたしにセアラと統合しろとは言わなかったわよね。どうしてなの?あたしは邪魔じゃないの?いらなくはないの?」
 瞳が熱っぽく潤む。
 「ねえ、不思議なひと。ほんとに不思議。あたしがこんな穏やかな気持ちになるなんて信じられない」
 シュロは言った。
 「一つの身体に二人いたっていいじゃないか。どちらかを消すなんてもったいないよ。だってこんなに素敵なのにさ。大好きだよ、二人ともがね」
 ファナーなのかセアラなのかわからなかった。二人の鼓動が跳ねる音がした。
 「……それ、本当?」
 シュロに腕をまわしてみつめるファナーに、ラキはようやく気づき叫ん。
 「ダメダメダメダメ!シュロ様はおまえのような女なんか全然だめだ。離れろよ!」
 「何ようるさいわね。あんたこそ年がら年中ベタベタしてんじゃないわよ」
 「ベタベタなんかしてない!僕はお守りしてるんだ!」
 「よく言うわ役たたずのくせに――」
 「なんだと!」
 「ちょっと二人ともやめてよ。せっかくこんな綺麗な花が咲いているのに。すこしぐらいのんびりしようよ。疲れちゃったよね」
 「疲れた?!」
 ラキとファナーが同時に言った。
 顔を見合わせると、シュロにすがりついた。
 「シュロ様どこが悪いんです?お腹ですか?頭ですか?」
 「どこ、どこが痛いの?さすったげようか」
 対抗意識をたぎらせた二人がにじり寄る。
 シュロはストップをかけた。
 「待ってよ。誰も痛いなんて言ってないじゃないか。ラキ、頭が悪いってなんだよ。ファナーも体をさすってもらう必要ないから」
 「男の体なんてあたしのほうがよく知ってるわよ。遠慮しなくても、この世のものともおもえない快楽を味あわせてあげるわよ」
 舌舐めずりすりよる。ラキがわめいく。
 「げ、下品なことをいうな!シュロ様になんてことを言うんだ!」
 「うるさいわねえ魔獣のくせに。悔しかったらあたしぐらいの胸になってみなさいよ」
 「む、胸って、それはセアラの体じゃないか!」
 「馬鹿ね。セアラん時なんてあたしの半分もないわよ。あたしのは妖力でほらこの通り」
 腕で胸を押しだした。豊満さを強調する。
 「こらこら二人とも、なに遊んでいるんだよ」
 ラキが目を三角にして抗議した。
 「シュロ様!なにをのんきなことを言ってるんです!この女はあなたを狙って――」
 シュロは言い終わらぬうちに、とっさにラキとファナーをかかえて横に跳ねていた。
 銀の残像が尾をひらめかせ、白い花がいくつもはね上がっている
 「だれだ!」
 シュロのさけびに、銀の仮面をつけた男が三人あらわれた。つけた鎧より固そうな筋肉が隆々としている。
 いままでそんな気配はまったく感じなかった。いきなり斬りつけてくるとは。だが彼らははっきりとシュロを狙っていた。
 「誰だおまえたちは?!」
 その間もシュロは必死で攻撃をかわしていた。ラキが腕のなかで目を回している。鼻先を何回も寸前で横切っているのだ。
 シュロは土の塊を蹴りあげた。砕け散り、相手の眼をくらませているわずかのあいだに、岩影に飛び込む。
 「シュ、シュロ様この人たちは――」
 ラキが唾を飲み込んだ。
 「この腕章からいくと、王の直属の兵士たちみたいだね」
 シュロは以外にも冷静にあっさりと言った。
 つい先日までこの服を着た者たちに守られていたのだ。どれくらい凄腕であるということは、認識ずみであるくらいに、親しい。
 「な、なんでそんな人たちがボクたちを狙うんです?シュロ様、なんかやつらすごく怒っているみたいですよ」
 「ほんとだね」
 シュロはまいったなぁ、とのんびりと答える。
 ファナーにいたっては何が起こっているのかも、まったくわかっていない風だった。
 いきなり襲われているわりには、シュロにせっぱ詰まった危機感がない。逃げ回っているだけで一向に応戦しようともしない。
 「やっぱり、こんなおノンキな人が自分と同じなんて、イシュラリオン様、怒ったんじゃないですか」
 「ひどいなあ、ラキは。あれ、でもまだ彼は眠っているんじゃないのかな?もう起きたんだろうか。でも、そんなに僕はいやかなぁ」
 「あんたたちっ!こんな時になに漫才してんのよ!」
 ファナーは我慢の限界が切れたとばかりに勢いよく立ちあがった。
 剣をふり降ろす男たちに、止めるまもなく毅然とむかっていく。
 足元の棒切れをひらうと、正面からその剣を受け止めた。ふきとばしてしまう。
 男たちの動きがピタリと止まった。
 「漫才なんしてないよ、ファナー」
 しごく大真面目なのに、と続ける。
 「でも王の直属の兵士なんでしょこいつら。何でシュロが襲われるのよ。あんたたち何をしたのか正直に白状なさい!」
 怒鳴るファナーに、シュロたちはわからないと素直に首をふる。
 男たちは果敢に立ちむかって来るファナーに何を感じたのか、いきなり消え失せてしまった。
 あっけにとられたまま三人は顔を見合わせた。
 「何だったの、いまの。ホントに、何をしたのよシュロ?」
 シュロは答えようがなかった。ただ、難しい顔をして、首をかしげただけだった。
 



 シナックの家は、村人に取り囲まれて騒然としていた。
 誰もかれもが、みな、何かにとり憑かれたように凶暴な顔つきになっている。手に手にそれぞれクワや、棒、鉄の刀まで握りしめているではないか。
 シナックが死に逝き、埋葬をおえたその日の晩のことだった。
 セアラが家にもどってから二日目の夜、シナックはしずかに息をひきとった。
 あまりに急な死であったため、動転してセアラはほとんど自失してかけていた。
 もしシュロとラキがいなかったら、きっと彼女は自殺を決意したかだろう。そう思わせるぐらいに取り乱し、見ていてもかわいそうだった。
 シナックは病状をまったく隠していたために、なんら心の準備すらしていなかった。たった一人の係累であったシナックの存在に、セアラはたよりきっていたのだ。
 十七才の少女が、これからのことを考えると気が遠くなる気持ちもわかる。
 背負わされた運命の重荷もすこし身に勝ちすぎている。
 だが、その悲しみにひたるまもなかった。
 狂気にとり憑かれた集団が押し寄せたのだった。
 「シナックが死んだってのに、あんな魔女を野放しにしとく馬鹿はいねえぞ」
 「不安の種は一粒でも残しとくな。一緒に葬ってやるのがせめてもの情ってもんだ」
 息があらく責めよる彼らの様子は、とうてい話しあいで解決するようには思えなかった。
 シュロは意を決意すると、まっすぐ、力強く手をさしだした。
 「セアラ、ファナー行こう!僕たちと一緒に」
 「シュ、シュロ様、でもどこへ――」
 「わからない。でも外の世界にはもっときみに相応しいところがあるはずだ。もっと自由に生きていいはずだ」
 シナックが言っていたのはきっとこのことだったのだ。腕をかたく握って離さなかったあの痛みが甦える。
 「でも私は……。村の人たちにこんなにまで憎まれている私なんかがそんなこと――」
 生きている価値はない。セアラはつぶやく。
 「なにバカなこと言ってるんだ!」
 『そうよ、バカいわないでよ!』
 ファナーの声が体の内から聞こえてきた。
 『こんな偏狭な狂心者たちに殺されるのなんて、真っ平ごめんよ。そんなのただの犬死じゃない。あたしたちにはもっと新しい、もっと楽しい未来が待ってるはず。命の無駄使いはやめてよ』
 「そうさ。シナックはきみに生きて欲しいと願っていたんだ。きみにはもっと幸せになる権利があるんだよ」
 「いこうよセアラ」と、ラキ。
 『手をとりなさい!』と、ファナー。
 「さあ行こう」
 シュロのはっきりとした声に、セアラはビクッとした。
 反射的に手をのばし、シュロはその手をしっかりと握ったのだった。
 

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