輝く大海の波に乗って

1

 肌に心地よくさわる海風が吹いていた。
 シュロは大きく背伸びをした。
 「うーん、いい天気。旅には最高の日だね、ラキ」
 明るくさわやかに言うのに、肩の上にとまっているラキはどんより暗い顔をして耳もとですすり泣いていた。
 「ねえ、ラキいいかげん泣きやんでよ」
 「だってあんまりじゃないですかぁ。本来なら、あなたはこんな下々の者が暮らす下町になんて、まったくご縁のない方なんですよ。それをこんなわずかばかりの路銀と軽装で……」
 さめざめ泣くラキに、シュロはまたかとため息をついた。
 「イシュティ様がおいたわしすぎます。王城で政務を執ってしかるべきなのに、こんなこぎたない格好で追い出されるなんて」
 「もう、追い出されたんじゃないっていってるだろう。ほら泣きやんで。すごくいい風じゃないか。なんだかワクワクしてくるね、いいことが起こりそうでさ」
 「イシュティ様……」
 「ちがうよ、ラキ。僕はイシュティじゃなくって『シュロ』だよ。間違えないでおくれ」
 ラキは小さくて真っ白いフワフワの毛を波だたせると、いじけたように言った。
 「シュロだなんて。イシュティ様はすこしいい加減すぎます。そんな適当な名前をおつけになって」
 情けないと横目で見る。
 城を出てすぐ、水をもらいに立ち寄った民家で見た、うちわ型の葉をもつ木の名前だった。
 偶然、老婆がその葉で庭を掃いていたのをみて、いたく感動してしまい、自分につけたのだ。 
 「だってすごいじゃないか。木の葉が掃除道具になったり日除けになったりするだよ。世界には僕の知らない事がまだまだいっぱいあるんだなあってすごく感心しちゃったよ。僕はむしろ城から出してもらって感謝しているんだ。だってこんな風に、自由に外を歩けるなんて思ってもみなかったもの」
 ほんとうに嬉しそうに笑い、自由を満喫するようにのびのびと背を伸ばした。だがラキの顔はしぶい。
 「だからっていってもイシュティ―― いえ、シュロ様は、ちょっと世間を知らなすぎます。さっきもくだらない人形を買わされちゃったし。どうするんです、そんな気味の悪いモノ」
 「だ、だって。旅の門出にぜったい幸福をもたらすって言うからさ」
 シュロはバツの悪そうな顔をした。
 ポケットからのぞいているのは、禿げ頭の、舌をベロリと出した老人の人形だった。きっと古代神のうちの誰かなのだろうが、変な顔すぎてよくわからない。
 その不気味な人形を後生大事にもっているシュロに、ラキは行く先での苦労を思ったのか、深々とため息をついた。
 「だって、お守りになるかなって思ったんだ。……僕はさ、このとおりなんにも知らないから、きっとラキにいっぱい迷惑かけちゃうだろ。だからせめてお守りでもあればなぁって」
 「シュロ様――」
 ラキはシュロの神妙な顔をみると、じわりと大きな黒い目を潤ませていた。
 シュロは紫色の美しい瞳を笑みにほそめると、片手に乗りそうなほど小さなラキに手をあて頬を寄せる。
 慣れたはずのラキですらボウッとなる。
 シュロは王家特有の紫の瞳と、素晴らしく美しい青銀の髪をもっていた。
 そのなやましいような優麗な顔で微笑まれたらどんな宮廷の美女であっても色褪せてしまう。
 よくみればとりつくしまもないような鋭利な美貌をしていた。だがそれは陽気な笑みによってうち消され、むしろ育ちのよさそうな人懐っこさを感じさせている。
 髪を背で束ね、旅の軽装をしてはいたが、どこか街の人間にはない異質な空気をもってしまうのはしかたがないことだろう。
 「僕はねラキ、君がついてきてくれたことが本当に嬉しかったんだ。感謝しているよ」
 真正面からみるシュロの笑顔に、フワフワした純白の毛の先までが見事に真っ赤になった。
 ラキは、稀獣とよばれる花に寄生する妖魔の一種だった。
 その姿は子猫に似てはいるが、それよりはもうすこし丸みを帯びていて、綿毛にちかい感じがする。
 稀獣は危害を加えないかぎりはめったに攻撃してこないが、捕らえられる確率はほぼ数億分の一だと推測されている。
 「ボ、ボクはその――えっと、シュロ様にお連れいただいただけで本当に幸せで――」
 酔っぱらったように目がうろうろしている。
 シュロの長い前髪が風になびいた。片目は閉じられたままだった。その美しい相貌の惜しむらくは右の瞳がけっして開かれないことだ。
 「僕はイシュラリオンの――王のクローンだからね。多分、王が目覚めるまでには殺されるだろうと思っていたんだ。だからさ、こうして生きていて、しかもラキと一緒に旅ができるなんて奇跡としか思えないんだよ。すごく幸せなんだ」
 地上すべてを支配するといわれているイシュラリオン王は、天と交信できる絶対者だといわれていた。
 その命は永遠であり、神の秘技をしる、唯一の者であると畏れられていた。
 その偉大なる王が治めているのが首都ヴァン・カディフであり、肥沃な土地と豊かな漁場をもつ交易都市は、綿密な都市計画のもとに築かれた、宗教と文化の中心センターとして最も繁栄していた。
 地方の都市もまた、王の管理下にありはしたが、それぞれに芸術や科学、学問等に力を注がれた活気に満ちた自由都市でもあった。
 だがここ近年、その不老不死であるイシュラリオンの身体の一部が狂いを生じはじめていた。
 終わりなき悠久の時間が、少しずつ疲労と虚無とを静かに蓄積させていったのだ。
 そんな王の身体をしばらく休めるため、一般には極秘として、イシュラリオンのクローンが造られることになった。
 クローン再生にあたっては、王の右腕といわれ親友でもあった科学者、ユルバンスの手によって行われた。
 ユルバンスはイシュラリオンの記憶をクローンに注入し、つい先日までシュロは自分が王だということを疑うこともなく政務をこなしてきたのだ。王の目覚めはまだ数年先だとされていたが、シュロの存在を王に気取られることなく抹消するために、役割を終えてしまったのだ。
 だがもう、今のシュロに、王であったころのはっきりした記憶はない。特殊能力とともに機密事項もまた封印されてしまったのだ。
 「これからは自由だよ、イシュティ。いや、もう君はイシュラリオンでも王家の人間でもない。ただの一般民だ。そう、生きてほしい」
 「――僕は、本当に生きていていいのかいユール」
 そう問うシュロを、ユールはまじまじと見つめた。シュロはにっこり笑った。
 「きみに迷惑がかからないといいんだけどな」
 そう言ったときの、ユールの驚いたような、あの顔が忘れられない。
 親友であり、天才的な頭脳をもつユルバンスは、誰からも一目おかれる存在だった。
 見た目はまるで幼い子供だった。
 いたいけな、ともいえるその姿からはとても推測できないが、彼もまたイシュラリオンと同じだけの年月をともに過ごしてきているのだ。王の影と言われる最重要人物でもあった。
 その全身――脳以外は、そのすべてが精巧な造り物であった。だがそれでも、時折みせる瞳の冷たさを除いて、誰もそれとは気づかない。
 ユールは、不老不死となり、たった一人で生きなければならない親友のために、自分自身の体を、自らの意志で機械と化したのだった。
 そして永遠の追従と忠誠を誓っている。
 その思いがどんなに深いかは、ユールの心も身をもって知るシュロには、誰より理解できた。だから自分を生かしてくれるという決定が、不思議でならなかった。
 自分はただ休息のための時間つなぎなのだ。
 だがユールはシュロの命を奪わなかった。
 代わりに、シュロの記憶の一部と王の能力を右目に封印した。
 殺されても仕方がないと思っていた。
 王の秘密どころかその尊い血を、クローンといえど自分は持っている。絶対に殺されなければならない存在だ。
 だからシュロはいまこうして呼吸をしていられることが不思議だった。自由がたまらなく楽しい。ラキといられることがしごく嬉しい。
 街はさらににぎやかさを増していた。
 人通りの多さにも驚かされるが、並ぶ店々にも目を見張ってしまう。
 道の両側には大きな鉄の鍋を天井から吊した金物屋に、ビーズをちりばめたバックや高級そうな黒光りする女性物の靴を並べた革屋。
 金銀宝石などの加工に没頭している宝石細工師の座る工房の向こうには、目のいたいほど鮮やかなピーマンや真っ赤に熟れたスイカを売っている商人が行き来している。
 どれも王宮ほど繊細でも精密でもないが、生き生きとして輝いている。シュロは目を大きくして物珍しげに見回していた。
 「シュロ様、田舎者まるだしですよ。もうちょっと落ち着いて下さいよ」
 ラキが恥ずかしそうに言った。
 豪華といえど、陰気くさい宮殿から出たことのないシュロには、見るものすべてが初めてなのだ。田舎に住んでいたのとたいして変わりがない。
 「すごいなあ。みんな活気があってさあ」
 「兄さんどこから来たんだい。このへん不案内なら、俺がいい宿屋を紹介するよ」
 声をかけてきたのは、十二、三才ぐらいの少年だった。すすけて汚れた顔をしているが、どこか抜け目ない瞳をしている。
 「ああ、どうもご親切にありがとう。でももうすこし歩くつもりだから」
 シュロは生真面目に頭を下げて断った。少年は多少面食らったようだがすかさず言う。
 「じゃあさ、面白い店を教えてやるよ。荷物もってやるから出しなよ兄さん」
 「もってもらうほどの荷物じゃ――」
 「渡してはいけませんシュロ様!その少年は――」
 「え、なにラキ?」
 意識をラキに向けた瞬間、あっという間に少年はシュロの手から小さな袋をひったくり、人波に消えてしまった。
 どうすることもなくボウッとしていたシュロが言った。
 「……消えちゃったね」
 脳天気に笑った。
 「シュロ様――!!」
 ラキが真っ赤になって怒鳴った。
 耳もとで大きな声を出されシュロは思わずよたついている。
 「消えちゃった、じゃないでしょう!どうするんです。全財産ですよ全財産!あの袋の中に入っていたのはこれからの路銀の全財産なんですよ!あれは泥棒なんです――っ!!」
 「え、そうなの?」
 あっさりと答えるシュロに、ラキはさらに怒りを爆発させた。
 「文無しでこれからどうするんです!あなたって人は言ってるそばから!ああ、これで終わりだ。きっとこのまま飲まず食わずで飢えて死んじゃうんだ。乞食のようにボロボロになっちゃうんだ。ボクがついていながらこんなことになるなんて。ユール様申し訳ございません。あれほど頼まれたのにボクはあぁぁっ」
 「な、泣かないでよラキ。お金ならさ、ちょっとはまだ持ってるんだよ、ほら」
 シュロは懐から小さめの財布を取り出し見せた。ラキはそれを奪うようにして取り上げると、即座に財布の中味を調べだした。
 「それくらいあれば、今日は泊まれる?」
 ちらりとラキをのぞきみし、厳しい顔をされてやっと不安顔になった。
 「たりない?……やっぱりダメ?」
 ラキはキッとシュロをにらむと、財布を首から吊下げた。
 「わずかですけど、まあ当面はどうにかなるでしょう。あなたにしては、あっただけでも奇跡というものです。これからはボクが財布を管理します。いいですね、シュロ様」
 鬼気せまるラキに頷くしかない。
 「ま、まかせるよ」
 シュロはだが、財布とさほど大きさの変わらないラキに、怒られるかなと思いながら、機嫌をうかがいつつ声をかけた。
 「でもさラキ、それじゃあ首の骨が折れちゃうんじゃないかなぁ」
 「いいえ、治療費の方が、財布を盗られるよりはずっと安いです」
  「……はい、すいません」
 きっぱりと言われると、申しひらきもない。
 以降、財布の管理はラキがするようになった。
 とはいうものの、やはりラキの小さな首には、財布は大きすぎていた。財布はしかたなくシュロの懐にもどることになるのだが、もちろん、服にしっかりと結びつけられていたことは言うまでもない。
 「だいたいこんな大きな街の子供ほど容易ならざる存在なんです。まったくあなたは疑うことを知らないというか抜けているというか」
 「……まだ言うんだから」
 「何ですか、シュロ様?」
 冷たく目を向けられ、シュロはガクリとうなだれた。
 広場の噴水で水を飲み、ベンチにこしをかけていた。
 古代神たちの主神と、その王妃のレリーフがほどこされている、王立図書館の前には、たくさんの人が憩いのんびりしていた。
 トウモロコシの屋台が店をだし、いい匂いをさせている。そこへ年上の姉に連れられて七、八才の少年がやってきた。
 二人はボサボサの髪に日焼けして茶色にちかい肌を肩からだしている。ずるがしこそうなスラム特有の顔でニッと笑う。
 屋台の親父は二人を見ると露骨に嫌そうな顔をした。だがいちおうは客なので何も言わず目をくばりながら焼いていている。
 姉のほうが屋台の上のトウモロコシに手をのばした。一瞬、持って逃げるのかとおもったがそうではない。
 包もうとした親父に、少女は「やっぱりこっちがいい」と別の方をにぎった。
 それを包もうとするとやっぱりこっちだと言い、さらに同じことを何度か繰り返し、見る間にトウモロコシはアカと汚れで真っ黒くなっていった。
 ようやく商品がキズ物にされていることに気づいた主人は慌てだし、さらに握ろうとする少女にたまらず、汚れた数本のトウモロコシを差しだし、あっちにいけと追い払った。
 とうの少女は戦利品をかかえ、ありがとうもいわないで悠々と歩き去っていったのだ。
 そこへいつの間に消えていたのか、弟が現れた。手にはトマトが握られている。たぶん同じ手口で果物屋から手にいれたのだろう。
 二人は待っていた男にそれを渡すと、三人はそのまま消えてしまった。
 それを見ていたシュロは思わず拍手をしそうになっていた。
 「すごいねラキ。トウモロコシ屋のおじさんには悪いけど、見事な手腕だ」
 「なにを感心しているんですか。ただのずるがしこい子供に、うわまえをはねる父親じゃないですか。シュロ様ったらへんなものに感心しないでくださいよ。ねえ、それよりそろそろご飯でも食べに行きませんか。お腹ペコペコです」
 「ああそうだね。ごめんねラキ」
 「言っておきますけど大衆食堂ですよ。お口に合わないかもしれませんが今日から粗食でいきます」
 「食べれられるんだったら僕はなんでもいいよ」
 苦笑しながら立ち上がった。
 太陽はいつのまにか西に傾きはじめていた。




 シュロたちはにぎやかな歌声と嬌声のあがる店に引き込まれるように入っていった。
 中はむっとする熱気があった。煙草の煙と酒のにおいに充満している。
 舞台では女が歌っている。それをうっとりと聞き入る集団のよこでは男たちが賭事に興じている。
 女を必死で口説く者がいたり、自慢話やグチに忙しい者がいたりと、みなそれぞれだ。
 ときに起こる派手なケンカも賑やかしのひとつにすぎない。
 シュロは興味深くそれらを見ていた。なんという騒ぎなのだろうか。年がら年中、祭が行われているみたいだ。
 ラキはまわりのいざこざに巻き込まれまいと注意深くうかがいながら、それでもメニューだけはしっかりと見定め、シュロに口をはさませず年増の胸のでかい女に注文していた。
 ラキはいちおう少年の姿をしていた。
 彼の種は、たいていはどんな形にでも変身できる。よほどの目効きか、霊感の持ち主でなければとうてい見抜かれる心配はない。
 こんなところで稀獣だと知られたら、売り飛ばされるのが落ちだ。――もっとも人間でも、その心配はあるのだが。
 「よう姉ちゃん、いい尻だねえ。俺のテーブルで一緒に飲もうぜ」
 「もうエッチね。だめよ、今はお仕事中なの、また今度おごってちょうだいよね」
 酒を運ぶ女は、尻を撫でた髭づらの男に愛相をしてあしらう。シュロはどうしてあんなに肌をやけに露出しているのかを疑問に思いながら、運ばれたパンと肉入りスープを頬張っていた。
 「これおいしいね。なに入ってんだろう、アチチッ」
 「なにって、こんな安物のスープ、本当においしいんですか?」
 「美味しいよ。いつも試食済みの、冷めたい食事しか食べたことないからね。あったかいだけでもおいしいよ」
 「うまそうじゃのう。わしもなんぞ食いたいのう」
 みるとテーブルの横に、禿頭のてっぺんに一つまみの毛を残した老人が立っていた。
 よだれを垂らさんばかりの容貌はどことなく愛嬌があって、シュロはにこりと笑みを浮かべた。
 「お腹がすいているんですか、おじいさん」
 「さっきカードですっからかんにスられてしもうたんじゃ。……腹がすいたのう」
 賭に負けて身ぐるみはがされたのか、裸に近い格好をして物欲しげにシュロたちのテーブルを見ている。かなり酒臭い。
 「こ、このスープでも食べますか」
 「シュロ様だめですよ!」
 シュロが差し出すのと同時だった。
 老人はだが、それよりはやくひったくるようにしてスープを食べてしまっていた。すでにパンにまで手を出している。
 ギョッとして見ている二人にかまわず、おかわりまで注文し、あまつさえ酒まで頼もうとしていた。
 「ちょっとじいさんストップ!ず、ずうずうしいにもほどがあるよ。ビタ一文だって、ボクたちは払いませからね」
 ラキが怒りに毛――髪を逆立て言った。
 老人は哀れを誘うようにチロリと見あげた。目に涙まで溜めている。手を組んで祈るような姿がまたみるからに嘘くさい。
 「昨日からなんも食べとらんのじゃ。優しい若人じゃと思うて、ありがたく感謝しておったのに。そんな冷たいことをいわんでも、のう」
 のう、と言ってシュロを見る。老人にしなを造られても気色悪いだけだ。
 「食べ物にまで窮する人間が賭なんかするか!僕たちだって裕福じゃないんだ」
 「だってさ、金は一回飯を食ったらしまいじゃろ?それならいっちょ増やしたれぃ――と思うてな」
 そして大負け。カカカッと悪びれず笑った。
 「まあまあラキ、いいじゃないか。お年寄りは大切にしなきゃいけないしね。いままで一生懸命働いてきてくれた人がいるからこそ、カディフの街が潤っていられるんだよ」
 「偉い!あんた若いのにいいことをいう!」
 運ばれてきた大きなジョッキの酒を一気に半分ほど飲み、クーとうなった。
 「気に入ったぞ。どんどん飲め。わしはオルフじゃ」
 「僕はシュロです、こっちはラキ」
 「シュロ様、こんなやくざなおやじに同情するなんて禁物です。つけあがるだけです。こら、また勝手に注文するなオヤジ」
 「まあいいじゃないかラキ」
 「ヒョウ、いいねえ。顔が綺麗なばかりじゃなくってきっぷまでいい。しびれるね、この女殺し。うりうり」
 ひじでシュロを突く。
 ラキが爆発した。
 「なんてことをするんだジジイ。シュロ様はおまえなんかが手を触れられる方じゃ――」
 「ラ、ラキ。ラキほら落ち着いて。あんまり興奮すると解けちゃうよ」
 変身が、とこっそり言う。
 見ると金色の髪に白いものがピョンと跳ねだしていた。
 「だって、ボクたちだってそんなお金もちじゃないのに――」
 ブツブツいうラキをしりめに、シュロはオルフに引っ張られ酒を飲まされていた。
 「ほお、それで金を盗まれたのか。よし、それならわしにまかしてみい。倍にしてやる」
 オルフは言ったが早いか、シュロを賭の環にひっぱりこんでいった。
 「あの、僕はその――」
 「駄目です。いけません!いけません!」
 止めようとするラキより早く、いい鴨だとばかりに体格のいい男がシュロの肩に気安く手をかけてきた。見るからに腕力がありそうだ。肩から肉が盛り上がっている。
 「ちょっとばかりゲームをするつもりで楽しんでいきなよ兄さん。なあに簡単なもんだ」
 「はじめてなもので、なにぶん」
 「大丈夫だって。うまくいきゃあ、人の食い残しの冷めたスープばかりじゃなくって、毎日あったかいうめえもんが食えるんだぜ」
 先ほどからシュロとラキの会話を盗み聞いていたらしく、すっかり二人が貧乏なのだと誤解している。
 「そうじゃそうじゃ。男は度胸、女は愛嬌。うまくいけば万倍の長者様じゃ」
 男たちに尻込みしているラキに、しばらく考えていたシュロは振り向きにっこり笑った。
 「やってみるよ、ラキ。僕のせいで貧乏になっちゃったんだからね。取り返さなきゃ」
 「シュロ様そんなっ!ああ、イジメすぎちゃったんだ、どうしよう。明日から野宿だぁ」
 「大丈夫じゃ、大丈夫じゃわしがついとる」
 カカッと笑うオルフに、おまえのせいだと睨んだラキはハッと目を大きくした。
 「ああ思いだしたぞその顔!あの不吉な人形にそっくりなんじゃないか」
 シュロが買わされた幸福の人形に、その顔はそっくりだったのだ。
 「だから見た瞬間にいやな感じがしたんだ」
 ラキはがっくりと肩を落とすと、諦めたようにシュロについて賭の環の中に入っていった。
 ゲームの内容は簡単だった。
 台の上にある、円形の数字の盤のうえに球を二回ふり、奇数になるか偶数になるかを当てるのだ。
 そしてその合計の数字を当てた場合については十倍の賭金になる。
 シュロはしばらく見ていた。そしておもむろにテーブルにつくと、賭けはじめた。
 隣でおろおろしているラキとちがい、威勢のいいオルフの声に合わせて気持ちのいいほどあっさりと賭けていった。
 「うひょう。また当たっちゃったよこの人」
 小踊りしているオルフとは反対に、鴨だとばかりに声をかけた男は苦い顔になっている。
 「なんだってこんなにつえぇんだ、ちくしょうめが」
 一人でどんどん勝っていくシュロは、ついには十倍賭けまで当ててしまった。
 「すごいシュロ様。まさかあなたにこんな才能が隠れていたなんて」
 ラキがやっぱり王様だったんだ、と言わんばかりに両手を合わせてシュロを拝んでいる。
 シュロはいたずらっぽく片目をつぶった。
 「これってとどのつまりは確率の問題だろ。落ち着いて考えてみれば解けなくはないんだよ。なんたって僕のそばにはいつもあのユールがいたんだよ。これくらいの計算式ならね」
 天才と呼ばれ、それに恥じぬだけの才能を示し続けているユルバンス博士がいたのだ。
 『イシュティ、僕が科学を愛しているのはね、科学は一種の魔術だからなんだよ。時空も物質も、エネルギーですら、単純で美しい幾何学に変えられる。複雑でうつろいやすいこの世のすべてを、一行の方程式に凝縮できるんだ。僕はその最高の魔術師でいたいんだ。それが僕の野望かな』
 そう言っていたユールの笑みがなつかしく思い出される。
 シュロは数十分で周囲の男たちの財布を空にしてしまっていた。そしてついには誰も勝負をいどまなくなってしまっていた。
 「あれ、もう終わりなんですか」
 「もう誰もあんたと賭をするものはいないってさ色男の兄さん。あんたってほんと、強いんだねえ」
 深紅の口紅をぬった女が艶然と笑い、となりに座った。肉付きのいい体から甘い香水の匂いがする。なかなかのいい女だ。この酒場で会った女たちの中では一番だろう。
 「でもね兄さん。一人で勝ちすぎるってのも、あんまりよくないもんだよ。覚えといで。店を出たらようく注意するんだよ」
 忠告じみた台詞を熱い息でみみうちする。
 「それが意味するわけは?」
 聞き返し、女の目を見つめるシュロとのあいだに、ラキがいきなり割って入ってきた。
 先ほどまで喜びにオルフと手をとって踊っていたのに、刹那的な速さだった。
 「駄目です駄目です駄目です。シュロ様に触っちゃ駄目です」
 「ラキ、なに、失礼だよ」
 「シュロ様は黙っていて下さい。すぐに騙されてお金を盗まれるんだから」
 「あらかわいいナイトねえ。ふうん、この人ってそんなに信じやすいタチなの、へえ」
 流し目でシュロの澄んだ紫の瞳をみつめた。およそ酒場の隈雑さに似合わない彼の美しさに、女はあらためて目をみはった。
 「いい男だとは思ってたけど、こんな綺麗な人間がいるなんて……。あんたよっぽど気をつけないとヤバいわよ。さっき賭に誘ってきたやつなんて本当は――」
 「シュロ様に触らないでください。駄目ったら駄目なんです!」
 女は妨害にも負けずシュロの頬にキスした。
 「キャア、なにを――!」
 「あら焼きもち坊や?かわいいわねえ」
 「うほう、ねえちゃんいいおケツじゃのう」
 オルフがいつの間にか尻に顔をすりよせていた。大きな破裂音とともにモミジ型の跡を顔にもらって床に沈没した。
 「ほんっとにすけべジジイなんだから!油断も隙もありゃしない。――でも、あんたさ、ほんとうに気をつけなさいよ」
 「どうもご親切にありがとう。せっかくの忠告です。心しておきます」
 優雅に頭をさげられ、指にくちづけられた女はポーとなった。心なしか視線が熱くなった。
 「あたしはいつだっていい男の味方なのよ」
 「ありがとう」
 ラキは、周囲の殺気だった様子にかなりヤバイものを感じはじめた。
 慌ててお金を払うとシュロの手を引っ張り、表にとび出た。
 「どうしたんだよラキ。そんなに慌ててさ」
 「中にいた男たちの殺気に気づかなかったんですかぁ。鈍いんだから。あのひと、きっとここらへんのマドンナみたいな存在ですよ」
 「マドンナ?」
 「女王様みたいなもんです。あなたが手にキスをするもんだから、一瞬にして空気が凍ったじゃありませんか。長居してたら絶対殺されちゃいます」
 「そうなんだ。そういえば入ったときには舞台で歌っていたよね、彼女。へえ、人気者だったんだねえ」
 かわらず脳天気な返事にラキは息をつく。
 「もういいです、シュロ様」
 「おおーい、待ってくれー」
 背後から声がした。振り返るとものすごい勢いで追いかけてくる影がある。オルフだ。
 「急にわしをおいて行くとはひどいのう」
 追いついたと思うと息もつかず、手を差しだす。
 「な、なんだよこの手は」
 ラキが不審そうにたずねる。オルフは当然とばかりに言った。
 「わしの取り分じゃ。わしが賭けのコーチをしてやったから勝てたんじゃぞ。分け前があって当然だろうが」
 「ああなるほど。それもそうですね。すいません、ついうっかりしていました」
 なんの疑問もなくシュロは財布から金を出そうとする。ラキがその手をハシッと止める。
 「なにが分け前だよ。このじじいってば、ただそばで騒いでただけじゃないか。お金だってもともと僕たちのだし」
 「まあまあラキいいじゃないか。オルフが誘ってくれたからこそ、盗られた八割方が戻ってきたんだからさ」
 シュロはにっこり笑うと、手を出して待つオルフにかなり多目の金額を渡してやった。
 金を握ると礼を言うのもそこそこに、店に戻っていくのを見送った。老人とは思えない素早さに、しばらく呆れていた。
 「ま、まあ厄介払いができたと思えばこのさい――と言ってもシュロ様、あんなジジイにむざむざとたかられるなんて金輪際ごめんですからね」
 ラキはぶつぶつ言いながら、元の姿に戻ると肩のうえにとび乗った。
 「ごめんよ、ラキ。でもどこかしら憎めないかんじのご老人だったよね」
 「そうですか?」
 ラキは口を尖らせ首をひねったが、それ以上はなにも言わなかった。
 ラキは小言をいいながらも、そんな人の良すぎるシュロだからこそ、また好きでもあったのだ。
 ともすれば殺伐とした冷たい王宮のなかで、シュロの笑い声がいつも空気をやわらげていた。なごやかな雰囲気をつくり冗談を解さないような大臣たちでさえ時には笑いをこぼしていた。
 魔獣の一種であるラキの命を救ってくれたのもシュロであった。こうしてまるで友達のようにそばにいることを許してくれている。
 ラキはシュロのその人のよさと優しさがあればこそ、ずっと守ろうと決意したのだ。
 「ここらで泊まろうと思っていたんだけど、あのひとの話じゃちょっとやばいみたいだね」
 「そうですね、せっかくだからもうちょっと先に行ってみますか」
 「そうだ海!ねえ海の近くに行こうよ。港ってあまり見たことないんだ。船が見たいよ」
 シュロははしゃいだように言った。
 「海、ですか?」
 「海の見える宿に泊まろうよラキ、ねえ?」
 海はここからさほど遠くはない。子供のように喜んでいるシュロにラキは逆らえない。
 「ほーう、海がそんなに見たいのか。いい宿を紹介してやってもいいぜ」
 シュロより顔二つばかり大きい体躯がヌウッと二人の目の前をさえぎった。見れば、酒場にいた賭に誘ってきた男だ。
 「あれ、さっきの小僧がいねえじゃねえか。声はしてたのにどこ行ったんだ」
 ラキは口をつぐんだ。この手の男に正体を知られるのは、あまり具合いがよくない。
 「ちょっとね、使いにいってもらったんだよ」
 「ふん、まあよけい好都合ってとこか」
 一人ごちる男を、シュロがじっと見つめている。男はバツわるそうに咳払いをした。
 「海の見える宿なら知ってるぜ。なんなら船に乗せてもらえるように頼んでもいいしな」
 「本当ですか!でもさっき知り合ったばかりなのに、そんなご親切にしてもらうなんて」
 「なあにこれも何かの縁てもんさ。俺はロフってんだ。この辺りじゃわりと顔でよ」
 「あ、僕はシュロといいます。すいません不慣れなもので。助かります」
 「荷物もってやるよ。よこしな」
 ロフと名乗った大男はひょいとシュロの荷物を持った。
 「ああ、どうもすいません」
 「――シュロ様!ぜんぜん学習能力がついてない!」
 小声でラキが言うのに、シュロは何のことかもわからず嬉しそうな笑顔である。
 「でもよ、シュロさん、あんたやっぱり一人勝ちはよくないぜ」
 ロフが何気なく険をふくませて言った。
 「あ、やっぱりそうなんですか。さっき女の人にもそう言われました」
 「マリエラのことか」
 「マリエラさんっていうんですか。きれいな方ですねえ」
 ふっとロフの目が厳しくなる。その様子にきづいたのか、ラキだけが肩の上で汗をかく。
 「あいつはこの辺でも一番人気の歌姫さ。まあ、誰にでも気のあるそぶりするから、あんたもその気にならねえほうがいいぞ」
 「その気ってなんの気ですか?」
 まったくわかっていないシュロにロフは短く舌うちをする。
 しばらく行くと潮の匂いが強くなってきた。
 ロフは大きな船の着いている波止場ではない、どこか安っぽい船ばかり着いている方へ向かった。
 それでもシュロは近くでこんなにたくさんの船を見たことがなかったので、めずらしげにあたりを見回しついてゆく。
 「ねえねえ、あれは何の船?鉄鋼を運んでいるのかなあ。これはどこからきたの。イドリスってかいてるけど、南の水上都市のことかなあ」
 「いいからこっちにこいって」
 子供の世話をするように、男はシュロの手を引っ張った。強引で、どこかしら腕を握る手がつよくて痛い。
 「ねえロフ、どこへ行くんだい」
 「てめえは黙ってりゃいいんだ。無駄口たたくな」
 「へ?」
 シュロはいきなり突き飛ばされた。と、思うと錠のかけられる音が重々しく鳴る。鉄格子のある部屋の中だ。
 「え、あの、これは――?」
 ロフの歪んだ表情はもう消えることはなかった。いまいましげに言葉を吐こうとしたところへ、奥の扉が開き髭面の男が出てきた。
 「よおロフ、今日はいいのを連れてきたか」
 モシャモシャした髭のなかから黄色い歯がのぞいた。
 「ああ、見てみろよ。上物だぜ」
 あごでシュロを指す。男のいかめしい顔が、シュロを見て、ニヤリと緩んだ。
 「なるほど、こりゃあすげえ上物だ。どこでこんなのみつけてきやがったんだ」
 「なあに、姫の酒場でおいたしたんでな、ちょっと勉強してもらおうと思ってさ」
 「ほお。ところで後ろがヤバくねえ奴なんだろうなあ。こないだみてえなのは御免だぜ」
 「大丈夫、大丈夫。ここらへんは初めてだって言ってたし金も持ってねえ、いかさま師だ」
 ロフはチラリとシュロを見た。まだ状況の把握できないシュロは人のいい笑みを浮かべて黙って二人の話を聞いている。
 「で、ちったぁはずんでくれるんだろうな」
 「もちろんだ。これだけの極上品ならよ、トルヴァドウールの都なら、あっという間に売れちまわあ。ババアが目の色かえるぞ」
 「あんなメス豚連中に、一年も()られたらそれこそ骨と皮さ。この世とおさらばだぜ」
 「言えてるな、そりゃあ」
 髭面の男とロフは下品な笑みに顔をくしゃくしゃにしながら、扉の向こうに消えていった。シュロはしばらく考えてから口をひらいた。
 「……ねえ、ラキこれってさ」
 「う、売られたに決まってるでしょう!」
 ラキが怒りを押さえきれず叫んだ。
 「あ、やっぱりそう思う?」
 「な、なにをのんきな顔をしてるんです」
 シュロがなるほどと手を叩く。
 「ああ、このことだったんだ。マリエラが忠告してくれていたことってさ」
 「シュロさまぁ――本当にわかってんですか。僕たち売られちゃうんですよ。色ボケたババァたちにいいようにされて飽きたらポイッですよ。シュロ様なんて体力ないからすぐに病気になって、使い道がなくなっちゃうんだ。ご飯も食べさせてもらえず、医者にもかかれずついには骨と皮と筋になって道端のゴミになるんだぁ。ああ、もうこれで終わりだ、おしまいなんだ」
 ラキは萎びたように力をおとし、わんわん泣きだした。シュロはラキの頭を撫でながら、優しい声で言った。
 「大丈夫さラキ。どうにかなるって。いざとなったらラキだけでも逃げればいいからさ」
 「なに言ってるんですか。ボクが御主人様を捨てて逃げるような薄情なやつだとでも思ってるんですか。こんな誠心誠意つくしてるっていうのに、なんて嘆かわしい」
 さらに泣き声が大きくなるのにシュロはたまりかねて耳を塞ぐ。
 「ごめんごめん。ラキ、あんまり大きな声で泣いてちゃバレちゃうよ」
 言っているうちに、また扉が開かれ、なかからロフと男が出てきた。
 シュロはラキの口を手で覆った。
 「なんだこいつ、泣いてんのかよ」
 ロフが呆れたように鼻で笑った。
 「は、はあまあ」
 シュロは愛想笑いをする。
 「まあせいぜいババアにご奉仕して長生きするんだな。悪く思うなよ。世の中そう甘くねえっていう、これもひとつの経験だ」
 「恐れ入ります」
 シュロが真面目に返事をするのに顔をしかめ、それを見ていた男が大笑いした。
 「いやいや、どうして肝の座った男じゃないか。人を食ってやがる」
 ロフは訳がわかっていないシュロに、バツが悪そうに舌打ちをすると、足早に出ていった。
 「兄ちゃん、わしらもこれでおまんま食べてんだ。悪く思うなよ」
 「あなたは人を売るのが商売なんですか」
 「そうよ。人を欲しがる奴はごまんといるし、誰にもいらないって言われている奴もまた、死ぬほどいるのさ。その均衡を俺らが保ってやってるんだ。労働が欲しい現場、男が欲しいマダム、花嫁を手にいれたいエロジジイ。赤ん坊がいるってやつもいるし。人それぞれさ」
 「……いらないって、言われてる人がいるんですか?」
 「まあな。おっと、もうこんな時間か。そろそろ出航だ。人数もだいたい揃ったようだし、おとなしくしてろよ」
 男は夕暮れにひびく汽笛を聞きながら、樽のようにごつい腰をあげた。シュロはだまって男を見ていた。



 
 陸地はもうかなり遠くへと消え去っていた。
シュロたちは船上で穏やかな波に揺られていた。どこを見てもあるのは一面の海原ばかりである。
 船はあまり大きくなかった。漁船を装っているせいか、ゆっくりと巡航している。
 シュロたちは船底に閉じ込められていた。
 ほかに五人ほどの男たちがすでに乗せられていた。聞けば、だまされたり借金の肩代りに売られたり、知らない間に連れてこられていたりと、みな似たりよったりだった。
 船長の話によると、今回は南方の都トルヴァドゥールのご婦人方のために集められてきたらしい。かなり見目のいい男前がそろっている。
 「こんなまぬけはシュロ様だけだと思っていましたけど、他にもいるもんですねえ」
 「まぬけって……ひどいなあラキは」
 「そうじゃありませんか。ああ、きっとこの不幸は、あの不吉な人形を買ったときから始まっていたにちがいないんだ」
 「またそれを言う。で、でも、ヴァドゥールにタダで行けると思ったらさ、いいじゃないか。あそこにも一度行ってみたかったんだよね」
 「行った後どうするんです。売られちゃうだけですよ」
 「ま、まあそのことについては、時間はたっぷりあるんだからゆっくり考えようよ」
 ごろりと横になるシュロに、ラキはこれみよがしにため息をついてみせた。
 「そう言ってもう二日もたつんですよ。何の案も浮かばないじゃないですか」
 「五日はかかるっていってたから、あと三日はあるよ」
 「なげかわしい。ほんっとになげかわしい。偉大なるあのイシュラリオン王の名が泣きますよ。あのころのあなたは、僕からみても立派で威厳にみちていたのに。そばにいられるだけでボクはすごく誇りに思っていたんですよ」
 「それについては過去のことだし、僕にはその記憶――大切な王家の秘密やら、能力やらはもうないんだしね。別人と思えばなんでもないさ」
 「何でもできる方なのに。もう何にもできないなんてお可哀そうすぎる。右目さえ開けばこんな――」
 おんおん泣くラキの頭を撫でてやった。優しく甘いまなざしは少しもかわっていない。
 「僕にはラキがいる。もうこれ以上欲しいものなんてなにもないんだよ。権力も才能もなにもない僕であっても、ラキは着いてきてくれた。それだけで充分さ。右目なんてなくったって、僕たちはなんでもできるんだよ」
 「シュロ様……」
 涙をぬぐいながらラキは恨めしそうに見た。
 「そんなこと言っても、この状態じゃないですか」
 シュロはごまかすように笑い頭をかいた。




 船が大きく傾いた。
 それから、三日目の真昼のことだった。
 海が荒れているわけでもないのに、船が不必要に揺れている。
 なかですることもなくゴロ寝していた男たちは起きあがっていた。が、逆に大きく揺れるのに合わせ、いっせいに尻もちをついた。
 「どうしたんだろうね」
 何やら外が騒がしいようだった。
 ラキと顔を見合わせ、シュロは彫像のような相貌を引き締める。緊張をはらんだ紫の瞳は女でなくともクラリときそうだ。
 扉が乱暴に破られた。
 ヌウッと現れたのは海焼けで真っ黒い肌をしたいかめしい男たちだった。筋肉が肩から盛り上がっている
 「ああァ?なんだぁ、野郎ばっかじゃねえか」
 頭を赤いスカーフでくるんだ男が、いかにもつまらないとばかりに肩をおとして言った。やけに高い鼻からいくと西方系の人間か。
 後ろからべつの太った巨体の男が顔を出した。
 「うおっ、本当だぜ。キャプテンの言ったとおりやっぱり人買い船だったようだな。――けどついてねえよなぁ。やっとかわい子ちゃんに会えると思ったのによお、チェッ」
 「まあ労働力ぐらいにはなるさ。一応連れてくか」
 あきらかに失望の色を隠せない様子で男たちが話していた。いくら見目がよくても、野郎では色気も楽しみもない。
 ズカズカと入り込むと、無抵抗のシュロたちを縛りはじめた。
 「シュ、シュロ様この人たちなんなんですか?」
 「どうも救いの神、って感じじゃあなさそうだね」
 「ボクたち、どうなるんでしょう」
 「それこそ神のみぞ知るってやつかな」
 「おいそこ!」
 シュロは赤いスカーフの男に指さされた。
 「何くっちゃべってやがんだ気味わりぃ」
 「あ、いえ別に。独り言ですので気にしないでください」
 「あ〜?独り言だと?ずいぶん余裕だな」
 シュロはふところにラキを押し込めるとニパッと笑った。ものおじしない人なつこい笑みに、男は心なしかぎょっとして赤らんだ。
「ま、まあいい。さっさと行け」
 シュロは大人しく男たちに連れられ船外に出た。
 三日ぶりの太陽はまぶしく、心地よい風が頬をなぶっていく。
 深く息を吸い込むと身がシャキッとする。
 夕暮れの澄み切った大気が茜色から紫紺に変わるのを水平線にみつめた。金銀赤、碧玉と色の表情をいつまでもかえ続ける海はまぶしい。
 船のうえの喧噪がどこか遠くに聞こえた。
 横着けしてあった大きな戦艦のような船の大きさに、シュロは思わず息をのんでいた。
 船体も帆もなにもかもが、港にあったどの船とも比べものにならないほど素晴らしい。
 海の色に近い銀と紺色をしている。保護色もかねているのだろうが、どこか毅然としていて、乗るものの誇りが伝わってくるようだ。
 シュロはため息をついた。
 「いい船だね。これは、生きてる船だ」
 「あったりまえでい。俺らの命だからな」
 横でシュロのため息を聞いていた男が自慢げにいった。鼻をなでる顔がどこか嬉しそうだ。
 「海賊にとっての船っていやあ、船長ともども船員の命なんだからな。このフラム号は俺たちの誇りさ」
 「うん、わかるよ。だってこの船って――」
 「おいそこ、なにぐずぐずしてるんだ。さっさとしろ」
 船の上からすごみのきいた怒鳴り声がした。
 赤銅色の肌をしたいかめしい顔つきをした中年の男だ。
 そのとなりに、まだ年若く見えるが、威風堂々した男が立っている。スラリとした長身で、遠目ながらかなりハンサムだ。
 「あの若いひとが船長?」
 「おう。いい男だろ。女が離さねえんだぜ。凄腕のキャプテン、サライとはあの人のことさ。あの人に着いていってるかぎり、オレたちは幸運の女神に愛されてるのさ」
 男の話を片耳に聞きながら、シュロは船上のサライと見つめあっていた。
 シュロと同じくらいか、少し年上ほどの年齢にみえるが、彼のまわりだけ空気がひきしまり稟として見える。
 海賊だというが、理知的な瞳は研ぎ澄まされている。髪も目も黒くて、海の男らしく肌も浅黒い。シュロとは対象的にうつる。
 シュロはにこりと笑った。サライは眉をひそめてから、ふっと目をそらした。
 「おーい、荷物を運んだか。出航するぞぉ」
 叫び声がした。船はシュロを乗せるとそのまま、快調に進みだした。
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