黎明の翼
9
昼の暑さにくらべ、夜の帳は、冷気で体を芯から凍えさせてしまうほど冷えていた。
砂のたくわえた温もりは急速に消え、かわりに酷薄な寒気が身をよせてくる。隣の影がぶるりと震え、寝顔が寒さのために白くなっていた。
そっと抱き寄せると、自分の体が暖かくなるのにあわせて、赤味を差しはじめた。
腕のなかにすっぽりと収まった小さな体は、甘えるようにすり寄ってきて胸に顔を埋める。愛しさがほとばしるように溢れだし、思いきり抱き締めたい衝動に駆られてしまった。だが思いのまま抱きしめたら、きっと潰してしまうにちがいない。その思いを忍び、腕の儚さにじっと自分をこらえる。
寝息が穏やかになった。幸福感で胸が一杯になった。
ナージュはその温もりを腕に抱えて頬をよせた。柔らかい髪が月光に照りはえ黄金に光って、さざめく波のように美しく映し出される。
「セ……っ!」
名を呼ぼうとして、腕の幸せな膨らみが忽然と消えしまった。空虚な闇がいきなり広がった。取り返しのつかない消失感が怒涛のように押しよせ、体がひしゃがれてねじ切れそうに痛む。
半狂乱でそれを捜し、いたるところを駆け巡った。砂漠の大地も、水の枯れたオアシスも風化した廃墟も、思いつく限りを走り回った。
だが見つからなかった。どうしても捜しだせない。
足の裏が焼けついた。すり切れて血が流れた。それでもいない。いないのだ――。
「どこだ!どこにいるセ……」
ナージュは飛び起きた。肩で息をつき、流れる汗を腕でぬぐった。わからない。いったい自分は誰を捜していたのか。
誰を――どちらの名を呼ぼうとしていたのか。
――ナージュ……。
首にまわされるシアの柔らかな手。谷を渡る春の風のような甘いささやき声。黒い絹糸の髪が長く頬をくすぐり、こぼれんばかりの笑顔をむける。
見つめてくるうっとりとしたように濡れた瞳は、まるで抱きしめるられているように心地よく、慈しみの炎が体を心地よく火照らせた。その笑みは、彼と目があったときだけ、照れたようにはにかみ、嬉しくてたまらないように輝くのだ。
輝くようなその笑顔が、いつのまにか霞んでしまい、かわりに、不安げに潤んだ紫紺の瞳で一杯になっていった。目に焼きついて、いつまでたっても離れない。
幼くて、小さな顔だった。
後ろをついてまわり、どこかへ行こうとするたびに脅えた目をしてじっと見上げた。
どんなに冷たくあしらっても、決して目を逸らさず常にまっすぐに見つめてきた。
こちらの戸惑いにも気づかず、真っ白な心で向かってきて、悲しみも苦しみも全部一緒に受けとめてくれていた気がする。
それがどんなにナージュの心を軽くしていただろう。
『ナージュに置いてゆかれるような気がしたんだ』
主人だといって偉ぶることはなかった。貴族どものようゆに無意味に膝をつかせたり、機械だと罵ることもなかった。
そうすることは簡単だった。セイのことだけを守り、もっと優しくしろ、心を自分で一杯にしろと命令しさえすれば、ナージュに逆らうことはできないのだ。
なのに、ただの一度も言いはしなかった。
微笑んだこともない彼に、それはまるで機械であることを忘れさせるほど、セイは控え目で、無心に心の底から信じきった笑みだけを与え続けてくれただけだ。
わからなかった。どうしてそこまでの信頼をむけるのか。どうしてそれがこんなにも心を揺さぶるのか。
だからいっそう心を乱した。それを悟られまいと表情を硬くした。
ナージュはもう、己が捜しているものが何なのか、どちらが心を占めていたのか、とっくにわからなくなっていたのだ。
最初、それはずっとシアだと思いこんでいた。けっして戻ることのない永遠に失われた命。清らかな詩を歌いつづける、竜の歌姫でもあった美しい女性。
だがにナージュが今、いつも思い浮かべてしまうのはあの子供だった。
自分をむりやり目覚めさせた有翼天人。
友達になりたいと言った。ナージュは機械じゃないと、主人はいやだと泣きながら耳玉をはずしてしまった。そんなことをされたのは初めてだった。混乱して、どうすればいいのかわからなかった。
本当に、ナージュの力を全部引き出しさえすれば、町の一つや二つはすぐにでも手に入れることはできた。自分だけふんぞりかえって、五竜を集めさせることも可能であった。なのにそんなことは微塵も思わないばかりか、勝手に自己修復をする程度のケガですら、セイは泣きながら手当をする。
『ごめんね、ごめんねナージュ。傷つけてばかりだね』
『ナージュといるとボク、安心するんだ』
『ねえ、ナージュ、ボクとナージュの心臓の音って、どうしていつも重なるの?この音聞いてると、とっても落ち着いてくるよ。なんでだろうねぇ』
凍てつく砂漠の夜には、必ずセイを腕に抱いて眠った。体温を保つためもあるが、外敵から身を守るためにそうしたのだ。
何夜もそうやって眠った。眠るたびに胸に耳を当ててセイは不思議がった。
別に不思議なことでもなんでもない。耳玉をいただいた守護機が、主人と同じ心拍数であることなど当り前のことだったのだ。常に主人がどこに存在し、どういう状況であるか守護機にわかる状態しておくためだからだ。
同時に刻む鼓動が溶け合い、二人の体はひとつになって眠っていた。過ぎる風が遠く聞こえるほどに、二人けの世界に抱きしめられていた。いつまでもそうしていたいという感情は、セイのものなのか自分のものなのか、わからなかった。
ずっともう、自分でも恨んでいると思っていた。
人間だと錯覚させるほど精密に造り、そのために人を愛してしまい、また愛する人をそれがゆえに、殺してしまわねばならなくなったのだ。
有機発動体である額の玉をみずから壊し、永遠にシアの魂と眠ろうとした。
なのに有翼天人は、いらぬと言って放り出しておきながら、また耳玉を埋め込み、無理やりゆり起こした。目覚めさせた有翼天人には、だが美しい翼もなく、惹きつけるような特有の容姿も備えておらず、出来損ないとも思われるほど、普通の子供でしかなかった。けれど、代わりに彼らにはない、あたたかい心を持っていた。あたたかくて、柔らかくて、純白すぎる優しい想い――。
美しすぎて、憎もうにも憎めなかった。
真っ白く澄んだ心は、惜しみ一つなく、すべてナージュに与えられたのだから。
セイの泣き顔が目の前にひろがった。いかないで、と叫ぶ声が耳について離れなかった。
八つ当りだった。紅竜に指摘された言葉は、すべて真実であり、イラついてたまらなかった。否定することも、受け流すこともできなかったのだ。
「なぜなんだ。耳玉はもうないというのに、なぜ、あいつのことが頭から離れないんだ。なんであいつのことばかり考えてしまうんだ!」
「おまえでもそんな苦しそうな顔をすることがあるんだな、ナージュ。シアを平気で殺した鬼のくせに」
青い夜星のなか、忽然と現れたのは黒竜だった。
砂に膝をついているナージュを、冷徹なまなざしで見下ろし、揶揄するような嘲笑を口元に浮かべている。中空からゆっくりと舞い降りてきた。
「ヴォル!」
「あの坊やも、結局はシアと同じようにたらしこんで、簡単に捨てちまったんだな。ひどい男だ。おまえはとことん利己的なやつだよ。自分の都合が悪くなるとあっさり手放し殺すんだ。あいつもどうせ見殺しにしてきたんだろ?」
ナージュは耐えられなくなり、黒竜から視線をそらした。
「どうやらその様子じゃ当りらしいな。あの坊やも可哀想なもんだぜ。あんなにおまえを慕っていたのに、気の毒だよな。こんな冷血漢とは思いもしなかっただろう。だが、まあいい。俺はただ、おまえが苦しめばいいんだ。嘆き、のたうつ姿が見られれば満足なんだよ」
ヴォルの表情がキッと強張った。
「おまえが消滅するその日まで、決して俺は離れないぞ。シアを殺したことを永遠に思いださせ後悔させてやる。――おまえを解放してなどやらない。殺してなどやらない。機械のおまえの命など、シアが喜ぶはずもないんだ。シアの、レテシアの死を償え。おまえの永遠の命で生きて苦しんで贖え。俺は許さない!」
復讐という憎しみに捕らわれた、哀れな魂がもう一つここにもあった。
ヴォルは悲しみすべてをナージュにぶつけ、苦しみを共有しようとしているように思われた。ナージュはその気持ちがわかるような気がする。
「シアは俺が幸せにしてやるはずだったんだ。シアと俺は愛し合っていた。ずっと一緒に生きてゆこうと誓っていたんだ。それをいきなりおまえが現れシアを奪った。俺から奪い、結局殺してしまったんだ。彼女が幸せになったのなら、俺はまだ諦めもついたのに」
怒りのあまり興奮して息が切れた。えぐり斬るように言った。
「孤独のうちに生きろ。たったひとりで償え。どうせおまえの主人も、セイも今ごろはきっともう――」
ナージュはそのときだけ表情を揺らした。黒竜を見た。
黒竜は意味ありげに微笑んだ。
「おまえの責任だ。見捨てたおまえが殺したんだ」
「セイが!セイがどうかしたのか?!」
「さあな。耳玉のないおまえとは関係のないことだろ。おまえの命はシアだけのものだ。歌姫が死んだ今となっては、竜玉は絶対に成竜にはなれない。ならば、気にかけることもあるまい」
黒竜はあざ笑いながら、風の渦に消えていった。残酷で、悲しみが深く塗り込められたような笑い声だけがのこった。
ナージュは拳を握り締めていた。
「どうすればいいんだ!」
シアを殺した。たしかに自分の血が、彼女の命を奪った。
だが――!
シアは普通の少女だった。
絶世の美女というわけでもなく、どちらかといえば、どこにでもいるような純朴な村の娘だった。裸足で谷の緑のなかを駆けたり、泉に平気で飛び込んで遊んでいた。畑を耕し、水を汲み、薪を割っていた。
「姫」という言葉とはずいぶんかけ離れている暮らしぶりだった。そう、村でごく普通の生活をしていたのだ。
ただ、その歌声だけは、たぐい稀なほど素晴らしいものだった。
世界中の誰もがこの歌声にはかなわないだろう。聞いたことがある者なら、みな一様に口をそろえて言う。
谷にこだまする歌声は、聞く者の魂を洗いあげ、憎しみも悲しみも浄化せずにはいなかった。根源を新しく再生するかのような霊力があり、魂に編み込まれていく。
彼女が歌うと、必ず竜の羽音がきこえた。
泉の水が虹を架け、やわらかい風が谷を流れはじめる。
最初に砂漠で砂に埋もれていたナージュを助けたのは彼女だった。
記憶をすべて失い、額の玉がくだけてほとんど機能停止に落ち込んでいたナージュをシアがみつけ、どうにか村に連れ戻った。
誰とも知らぬままにナージュを寝ずに介抱をしてくれた。眠り続ける男に、日がな一日歌を聞かせてくれた。楽しげに家事をしながら口ずさみ、介抱しながら歌った。
竜をなぐさめるという清澄な歌声は、飽くことなく歌い奏でられ、ナージュの心身を癒していった。玉は、一年の歳月をかけて半分まで再生した。歌声だけで玉が修復するとはありえないはずなのに。
竜すら魅きつける声には、なにかしらの魔力があったのかもしれない。もしかしたら、シアには有翼族の血が混じっていたのか。
だが、それは奇跡に近いことだけは確かだった。
「ナージュ、見て!向こう塚でワスクの葉をみつけたわ」
シアが息を弾ませ駆けもどって来た。
「ハコヤナギの下にたくさんあったの。このあいだの薬売りが言ってたのよ、ワスクの葉は、物忘れの病いによく効くんだって」
「わざわざその薬草を採りに向う塚まで行ったのか?」
エプロンに抱えきれないほど摘んでいる葉をみて、ナージュが怖い顔をした。
厳しく言うのも無理はない。向こう塚は、底無し沼の森を越えてゆかねばならない危険な場所なのだ。シアはしまったと小さく舌を出して笑った。
「沼のある森には近づくなって言っておいただろう。繁みに魔獣が隠れているかもしれないんだぞ」
「大丈夫よ。わたし勘はいい方だもん」
シアは怒られているのも気にせず、あっけらかんとして言い返した。
いつも、シアは笑っていた。どんなことがあっても微笑みが消えなかった。
口数の少なく無愛想なナージュさえ、彼女は恐れることがなく、平気で話をし接してきた。豊かに表情をあらわし、こちらまでつられて、つい怒ったり笑ったりしてしまうほどだ。
言いだしたら決して引かない頑固さと、男まさりの気の強さがある一面、そうかと思えば料理や薬酒づくりが好きだったり、刺繍が得意な、女性らしい繊細な顔ものぞかせる。
そんな彼女もまた、実は砂漠で拾われた孤児だった。
家族を野盗に殺され、たったひとりになったのを村人に救われたのだ。
よく笑いよく歌う。村の人気者だった。そんな影をまったくのぞかせなかった。
ナージュにしても、シアがいたからこそ受け入れてもらえたようなものだ。得体の知れない男など、普通なら気味悪がられ、排除されても仕方ないところなのに、誰もそんなそぶりをみせない。
黙したままの無愛想なナージュに、村人は気軽に話しかけきた。彼女の笑顔が、すべてを帳消しにしてくれていた。彼女の存在こそが世に並びなき歌姫だったのだ。
竜に愛され、竜をなぐさめる癒しの歌い手。
そんな彼女にナージュが惹かれるてゆくのは、そう時間がかからぬことだった。
ナージュは自分でも驚くほど変わっていった。ほんのわずかだが医術の心得があったため、いつのまにか医者先生といわれ、村人が慕ってくるようにまでなっていた。腕っぷしの良さに、用心棒としても敬われていた。
「私ね、不思議なんだけど、どうしてもナージュの歌だけがわからないのよ」
「俺の歌?」
薬草を摘むのを手伝っていたシアが、拗ねたように口を曲げて言った。カゴはすでに半分埋まっている。
「そう、どんな人間にでもね、その人だけの歌があるはずなの。魂の歌っていうのかしら、血のなかに流れる熱いものがあって、いつでも私には聞こえてくるの。その人の歌を唱うことで、心のなかの本質を理解できるし、活力を呼び戻したり、元気づけ慰めることができるの」
それはシアだけに与えられた能力である。彼女の本能は、個人のDNA記号を詩として読みとり、歌い上げることができた。歪みを矯正し病もケガも癒してしまうのだ。
「でもあなたの歌だけはわからないままだわ」
ナージュは草を摘む手をとめてシアを見た。シアはすこし寂しそうに微笑み返した。
「あなたの魂は半分に欠けたように痛んでいる。とても傷ついていて迷子になったような心細さがあるわ。それがわかるのに、あなたの歌を唱ってあげたいのに、どうしてかしらね、あなたの歌だけがどうしてもみつからないのよ」
「シア……」
「あなたが好きよナージュ。大好きだわ」
シアのしっとりとした唇が触れてきた。抱き締められ、ふんわりしたぬくもりに心の痛みが止まったように感じた。
こんなに幸せでいいのかと、ナージュは恐ろしくなった。渇えが潤いに変わっていくように、なにもかもが満たされてゆく。
シアが愛しかった。愛しいという気持ちが、隠すことができない溢れ、流れるほど愛しさが日に日にましていった。
ナージュとシアのことはすぐに村に知れた。
シアに求婚していたヴォルは激怒したが、それでもヴォルさえも許さずにはいられなかった。二人の結びつきは深く、誰の目にもそれは見てとれた。
村人はまたシアを愛してもいた。彼女の幸せを願っていた。
ヴォルもまた、幼いころからシアだけを見つめ、守ってきた者だった。同じ孤児として助けあって生きてきたのだ。けれど彼もまた、シアの幸せを願っていた一人でもあった。ナージュを認めようと努力したし、すでにその腕にも一目を置いていた。
日々はそのまま幸せに過ぎようとした。
だが、それはどうしてなのか、長くは許されなかった。
谷を流れる川がとうとう干上がってしまい、湧きだす泉水が枯れ、作物がわずかほども採れなくなってしまった。
シアの歌声にさえ、竜は姿を現わそうとせず、激しい旱魃が襲った。
竜の死が迫っていたのだ。時間の契約をはたさず、世代を交代する時がきていた。
だが、村にはすでに『昔』を語る者がいなくなっており、『智慧』を継承する者もなく絶えて久しかった。
見る者がいればその異変をすぐに解いたであろう。
だが村人は、直面した飢えと渇きによって、狂と怒りに、簡単に侵されてしまった。
怒りはまずシアにぶつけられた。シアの歌が濁ったせいだと誰かが言った。
彼女が――竜の歌姫が人間に恋をしたからであり、竜がその穢れに怒ったのだと罵った。
村人たちはナージュを呪った。手の平を返したようにきつくシアとナージュに当たった。
だが、世界を治める主たる竜が、どうして愛を否定しようか。
そういって、どんなにシアが説いても村人はきく耳をもたなかった。枯れ果てた作物と、干上がった川にすくみあがり、意固地になって心を閉じていたのだ。
ナージュは旅にでた。竜を捜す旅だった。
真実を語る者がいない今、竜を探しだし、水を取り戻さなければならない。村とシアをを救わねばならない。シアへの誤解をとけるのは、自分しかいないのだ。
シアはナージュについてゆくといって食いさがった。どんなに駄目だと怒っても意志を曲げなかった。
「たしかに私には闘うための力はないけど、歌うことができるわ。わたしが歌わなきゃ竜は応えてくれないじゃない」
言いつづけるシアにとうとう根負けし、ナージュはシアをつれて旅に出た。
旅はけして楽ではなかったが、二人の絆をこれ以上にないほど結びつけていった。
広大な砂漠をぬけ、竜の眠るという太古の森へさしかかった。
森には呪術の臭いがわきたっていた。すべて枯木だった。千年の樹齢を越えた神木が、無惨にすべて黒くすすけ、死んでいた。
そのとき、声が呼び止めた。
「珍しいな。主人を持たず単独で行動する守護機がいるとは。おまえ、従う相手を間違えてはいないか」
大木の上からだった。赤く燃えたつ髪だけが、陽光の逆行をうけて眩しくすけていた。女のようであった。
「誰だおまえは?!」
「おやおや隣にいるのは竜の歌姫かい。わざわざこんなところまで来たのか。竜が死んだことも知らずにねぇ、可哀想に」
「竜が死んだですって!!」
シアが思わず叫んでいた。
「そう。竜は時代の過渡期をむかえ、死んだのだ。次世代の竜王が現れるまで、時は混沌を迎えるだろう。この病んだ時代がこんなに早く竜を殺してしまった。人間は今しばらく己を省みなければならん。せいぜい苦しめ、人間ども」
皮肉めいた笑いが響く。女は言った。
「歌姫よ、まさかおまえがここへ来るとは思わなかったな。しかも有翼天人の守護機を連れて来るとはな。だが、おまえは竜王が死するときまで歌い続けてくれた。よく仕えてくれた褒美に宝珠をやろう。竜の力が込められている水の宝珠だ。しばらくは水に困らぬだろうからな」
透明な水晶にも似た珠を放り投げた。
ナージュは中空でそれを受けとめると、シアにそれを手渡した。
「守護機よ、己を誤解するな。おまえはおまえの役割がある。所詮、機械は機械だ」
「守護機とは俺のことか?なぜ俺が機械なんだ。――おまえは何者だ」
「わたし?ああ、わたしは竜の血のものだ。どうやらわからぬようだな、わたしの言葉の意味が。記憶を隠しているのか?――まあそれも仕方なかろう。せいぜい己の愚かさを悔やまぬようにするがいい」
冷たい嘲笑を残し、女は消えてしまった。
ナージュのなかに、なぜか女の言葉が重くのしかかった。うっそりと影を落した。
そのときはまだ、まさかそれが本当のことだったとは信じられなかったのだ。ただの、質の悪い皮肉だと思っていた。
だがそれは真実だった。あの赤い影はたぶん、紅竜だったかのだろう。冷たい視線はかわらずそのままだった。
シアとナージュは竜の珠を手にすると、できるだけ急いで村に帰った。
渇きから解放されて喜ぶ村人のことを思うと、足がひとりでに速くなった。
今は少し狂っているだけで、本当は心根の優しい人たちなのだ。やっと思いで谷に帰りついたとき、二人は目のまえの惨状に、我を忘れて立ちつくしてしまった。
「これは……なにがあったんだ!」
焼き崩れた家々、荒らされた畑、折られた木々。炭と化している家や神殿からは、白い煙がぼんやりあがり、何もかもを燃やし尽くしてしまった後だと語っていた。
殺されて解体された家畜の群れ。そして累々と積み上げられた村人たちの死体――。
子供も大人も女も男も、かまわず斬り裂かれ、死んでいた。まるでゴミか何かのように、なんの慈悲もなく無惨に打ち捨てられていた。わずかに生き残った者たちも息も絶えだえに虚ろに生を閉じようとしているではないか。
「いったい何があったんだ!」
ナージュは少年の亡骸を腕にだきあげた。胸を患い苦しんでいたのが、ようやく走れるようになったと嬉しげに語っていたのは、つい先日のことだった。
なのに、もう二度と走ることもなく、短い生涯を閉じてしまった。
「ヴォル!」
死体の下敷になっていたヴォルをみつけた。引っ張り出した。口の端から血を流しぐったりしていたが、呼び声にわずかに眉をよせ、反応をみせる。
「ヴォル、ヴォル大丈夫か??!いったい何があったんだ。俺たちのいない間に何が起こったんだ!」
「……ああ、ナージュ……魔法使い…だ。強大な力を持った…魔女が、きた。……みんな殺された、みんな、あの女が殺し……」
「こんな小さな村に魔女が?!なぜ!」
「シアを…竜の歌姫を捜し……――頼む、シアを守っ!」
ヴォルがはげしく吐血した。そのまま息が止まった。
耐え切れぬ、つんざくばかりのシアの叫びが谷を切り裂いた。
絶叫が風に渦を巻き、渇いた谷を切りつけるように駆け抜けていった。
「嘘よ、嘘だわ!!」
シアは激情に駆られたように悲鳴をあげた。切り裂かんばかりに歌いだした。
心の底からほとばしった悲しみにあふれ、刃物のように鋭く切り裂かんばかりに響きわたった。血を流す彼女の胸のうちを歌うように、聞いているだけで胸が押し潰されるようだ。
どれほどの時間が過ぎたのだろうか。
だがナージュには彼女の歌を止めることはできなかった。こんなに命が流れたのだ。ナージュだとて我慢できない。
手のなかの水珠が割れた。歌に共鳴して風に流れて散っていった。
ナージュは我にかえった。うめき声を聞いたのだ。子供がピクピクと頬を動かした。息を吹替えしていた。確かにさっきまでは、こと切れていたはずであったのに。
どうしたことか、村人たちがどんどんと息を吹き返しはじめたではないか。
子供から大人へと生命を取り戻し、目をあけてゆく。
「まだだ、まだ助かるぞ!」
ナージュは必死で村人を手当しつづけた。
無我夢中でかけまわった。自分が倒れる寸前まで治療しつづけ、そしてふと気づくと、先ほどまで傍らにいたシアの姿がどこにもいない。
嫌な予感がした。
「シア!?」
シアは崖の先で、倒れこんでいた。土気色の顔をしていた。抱き上げた彼女は、力のすべて使い果たしように弱りきり、あまりに軽かった。ぐったりしていた。
自分の命を削って歌に注ぎこんでいたのだ。なんということだろう、彼女は黄泉にまだ逝きついてない命を、己の命で蘇生していたのだ。
「なんて無茶をしたんだシア!」
「ナージュ……わたし…」
「なぜこんな無茶をする。どうしてだっ!」
「止められなかったの。みんなが消えるなんて……わたし……ナージュ、どうしてもわたし……」
「わかってる、ああわかるよ、おまえのことだもの。いつも無茶ばっかりして、自分に無理をして、いつも俺を驚かせるんだ」
ナージュはシアを抱き締めた。すでに冷たなっていた。生命の炎が消えかけている。
「シア……おまえがいなくなったら、俺どうすればいいんだ。あ、あんまり無茶するな。おまえが死んだら……俺は、俺は――っ!」
シアは子供をあやすように微笑んだ。優しくこぼれるような笑みを浮かべた目尻から、涙が頬につたった。
「ごめんね、ナージュ。でも、後悔してないの。わたしの命でみんなが助かるんなら、それで十分……。ねえナージュ、お願い、血を、ちょうだい。あなたの血を、わたしに教えて。――あなたの歌だけ、まだ歌えていない……こんなに大好きなのに…歌をうたいたいのに、歌えて、ない。……ナージュ、血を私にちょうだい。最後には、あなたの歌を歌って…死にたい……」
「なにを言ってるんだ!死なすわけないだろ。俺が死なせないよ。ぜったい助ける!」
シアはほんの少しだが笑い、首を横に振った。
「わかってるの……わたしの命だもの。ねえ、ナージュ…お願いよ」
ナージュは唇を噛んだ。堪えきれないように顔を歪めうつむいた。
シアの視線を感じ、悲しみに押し流されそうになるのを必死でこらえる。
シアが苦しげに息を漏らした。
目の前には、もう避けられないほどに死が近づいていた。シアのいう通り、生命の根源へ帰る時が近づいているのがナージュにもわかった。
「シア――!おまえの望むままに」
熱い思い。
溶けて流れてしまいそうな思いをこめ、ナージュは唇を噛みきるとシアに口移した。シアの青紫の唇が赤くなり、紅を塗ったように色づく。安堵の笑みに和らいでゆく。
「ナージュ…ああ、わかるわ。やっと、わかる。あなたが、こんな人だったなんて。……優しいのね。なんて愛情の深い人なの。そう、そうなの……ならわたしは――」
ふっと笑った。目をつぶった。
「あなたは、もっと大きな使命がある人だったのね。もっともっと大切な心の深い人と繋がっているんだわ。だからあなたはこんなにも大きくて、こんなにも優し――」
シアは微かな声で歌いだした。
聞いたことのない静かな音色だった。優しく泣きたいほどにあたたかくて、悲しさに胸が震える。包み込むような旋律だった。愛しさばかりで一杯になるた子守歌のようだ。最後に送られたのは、シアの愛だった。
ほっそりした体が大きくしなった。苦しそうに顔をしかめた。
ナージュの驚きの前で、シアは口から黒い血を吐いた。吐きながら、彼女の魂は消えて逝ってしまった。
「シア……っ!!」
どんなに呼んでももう彼女はもう返ってはこない。遠くへ旅だってしまった。
ナージュは、シアの口から伝う血を指でぬぐった。かすかに油じみた臭いがした。
「この、黒い血は――?」
わけのわからない恐怖が走った。みぞおちが殴りつけられたようにキリキリした。
――おまえは、機械……。
女の声がいきなり耳を刺した。まさか、本当に?
いきなり頬を張られるように殴られ、後ろに吹っ飛んだ。
ヴォルだった。息を吹替えし治療を受けたばかりの彼が、まだ弱っている体でそこに立っていた。憎しみに形相がかわり、泣きださんばかりに双眸が呪いにみちている。
「おまえのせいだ!おまえが殺したんだ!」
「お……俺は…」
「思いだしたぞ、俺は自分がなんであったかを思い出した。死の淵までいってようやくな。シアが蘇生してくれたおかげで、おまえが何であるかも、俺にはわかった!」
「俺が……」
ナージュもまた、思いだしていた。自分が何であったかを。
そうだ機械だったのだ。有翼天人に造られた守護機だ!あの女の言葉は嘘ではない。
「おまえの血がシアを殺したんだ。機械人形の血が、シアを死に追いやったんだ」
人ではなかった。
偽りのモノだった。人工的に造られた赤い体液は、血ではない。
それは人にとっての猛毒にもなる、エネルギーの固まりなのだ。ヴォルの中から、それがはっきりとした形をとる。憎しみに染まった魂とともに、形成されてゆく。
「黒い、竜――ヴォルが、黒竜だと?!」
「許さない。俺は許さないぞ。おまえを呪ってやる。必ず地獄の底へ引きずりおとしてやる。機械のくせにシアを殺したおまえを――っ!」
ナージュはヴォルの言葉を最後まで聞かず、狂ったように叫んでいた。
叫びは谷に吸いこまれていった。
額の玉がふたたび砕けた。シアのうえに光って落ちていった。
そしてそれから―― 一人でナージュはシアを谷の大地に埋葬すると、みずからもまた、谷のなかへとはいり眠りについてしまったのだ。
他の誰でもない、ナージュ自身が、彼女の命を断ったのだ。
「黒竜の言う通り、俺は、俺の血は……」
後悔しても返らない。シアが望んだとはいえ、弱った体にはどれほど衝撃をもたらす凄まじいエネルギーだっただろうか。
後悔に目がかすむ。
――ナージュたすけて!
ナージュは落雷にあったような衝撃を受けた。セイの、叫び声が全身を貫いた。
砂漠で、もう幾たびその声を聞いたかわからなかった。耳を塞いでも聞こえてしまう。助けを求めるセイの声が呪縛と化して、ナージュにつきまとっているかのような気がする。
ポウッと目の前に、光の玉があらわれた。ゆっくりと、だがどんどん数を増し、周囲にひろがっていった。
はじめ、ナージュは星が空から落ちてきたのかと思った。光は、夜光虫だった。
夜空の星にもっとも近い生き物といわれている。
光の綺麗さに見入ってしまった。夜光虫は明滅をくりかえし、たった一日で命を終らせてしまう儚い生き物だ。生命の光を、たったひと時のあいだに精一杯輝かせる。夜空に舞う砂漠の星と呼ばれる虫は、ナージュの荒れ狂った思いを鎮めてくれた。
「……シア」
立ちつくし、夜光虫と、星を見た。
「俺はこれからどうすればいいんだ。どうしたらいいんだ」
――でも、本当のあなたは知っているわ。自分がすべきことも、したいこともね。
夜光虫からシアの声が流れ聞こえてきたようだった。
「でも……、俺はおまえのことを殺してしまった……」
――それは違うわ。ではナージュ、あなたは、後悔しているの?わたしのことを、わたしに命の歌をくれたことを、悔やんでいる?
「シア……」
――わたしは後悔していない。とても嬉しかったわ。最後に大好きなあなたの歌がうたえて、満足だった。だからもういいの、なにも後悔することなんてない……。
光が大きくなった。砂漠が一面、黄金に輝いた。
――思いだして、わたしの最後の歌を。あなたの歌を。後悔しないで。精一杯生きて。あなたに逢えて幸せだったのだから。
「―――っっ!!」
ナージュの声にならない叫びが砂漠に響き渡った。まっすぐにセイへと向かった。
夜光虫の淡い光にセイの泣き顔が浮かびあがった。不安げでよりどころのない、心細げな声がもれ聞こえてくる。
『ボクはどうしたらいいの、何をすればいいの。誰かボクのことを教えてよ。どうやったらみんなが助かるのか、何をすることを望んでいるか――お願い、だれか教えて。苦しいよ。もう、苦しい……たすけて…』
「セイ!」
ナージュはすべきことをやっと取り戻していた。精気がみなぎるように戻ってきた。瞳のうつろな色が消え、燃えるような漆黒の瞳がひかりをます。
翼を広げた。空へ飛び立った。
セイを求め、セイのそばへ戻るために
自分に助けをもとめる悲鳴のような叫びをたどり、勢いよく羽ばたいた。
それを見上げていた紅竜が飽きれたように漏らした。
「まったく世話の焼けるロボットだ。主人が主人なら、機械も機械。――人間臭すぎる」
群がる夜光虫のなかでまた、ため息をついたのだった。