黎明の翼

8

 
 モーナの第一印象は、乳母というよりは姉といった感じであった。
 まだまだ若く、気品のある美しい女性なのだ。
 「まあ、新しいお友達ですの?ゼダ様がまた造ってくださいましたのね。よろしかったですわね」
 彼女の品のよい笑い顔につられ、セイもにっこり笑ってしまった。だが内心は激しく焦っていた。どう誤魔化してよいものだろうか。
 だが彼女も、どうやらアシュナと同じく、あまり疑念をもたない種類の人間らしくそれ以上のことは聞いてはこなかった。守護機のシェンが警戒しないかぎり、彼女にはなんの不服もないのだ。もっとも、アシュナの嬉しそうにまとわりつく様子をみていれば、喜びこそすれ、文句を言うことなど思いつかないだろう。
 「アシュナ様お昼寝の時間でございますよ。さあベッドへいらしてくださいまし」
 「まだ眠くないよモーナ。セイとまだもっと話がしたいんだ」
 「もう先ほどから、ずっとセイに引っ付いてばっかりですわよ。セイだって疲れてしまいます。少しは解放してさしあげないと、ねえ?」
 「えっ、あのボクは……」
 「ほらモーナ、セイは大丈夫だって言ってるじゃないか」
 「いいえ、なりません。さあお昼寝です」
 モーナは柔和な顔をしていながら、躾けや習慣、学習すべき点だけは譲らないようであり、きっぱりと首をふった。
 けっきょくアシュナは迫力負けして、仕方なさそうにベッドへ入ったのだった。
 「セイ、ねえ眠るまで何か話をして」
 伸ばしてきた手をセイは握った。アシュナの頼りきった安心している顔を見ていると、セイでさえどうにかしてやりたいと思ってしまう。今までにない気持ちである。
 寂しさなど感じないほどそばに居てやりたかった。望むことを叶えてやりたい。
 大きな城で何不自由なく暮らし、あらゆるものを手にしているようなのに、本当は大切なものは何一つ持っていない。そんな孤独をアシュナからは感じてしまうのだ。
 それを知るものだけが分かちあう、哀れみだったのかもしれない。
 寝入ってしまったアシュナの顔を見ながら、セイは頬かかっていた金の髪をかきあげてやった。
 「この方がこんなに嬉しそうにされているなんて、とても珍しいことですわ」
 「……そうなんですか?」
 「ええ、シェンのとき以来です。まして初めてできた人間のお友達ですものね。よほどお喜びになられたんでしょうね。アシュナ様がこんなに甘えて我儘を言うのを、わたくし聞いたことありませんわ。ずっと側にいるわたくしにでさえいつも自分を抑えられていて、そればかりか何かあると困るからと、ずっと我慢しておいでですのよ」
 だれにも心の内を伝えることもできず、この城の中に閉じ込められている。
 「アシュナ様は、心根がまこと優しくていらっしゃいます。兄上様がどんなに意地悪をされても、決して悪くおっしゃられず、告げ口もまったくなさりません。かえって庇っておられるほどですしね」
 モーナはアシュナの布団をかけなおしてやりながらふわりと笑った。
 「でもずっと寂しい思いをされておりましたわ。ねえセイ、どんな魔法を使ったのかしらね。アシュナ様のお心を、これほど捕らえてしまうなんて不思議」
 「ううん、不思議なのはボクのほうだよ。なんでにこんなに信頼して親しくしてくれるのかなってね。……どうしてお兄さんたちは、あんなにアシュナに意地悪なの?」
 「それは――王が、アシュナ様をだれより溺愛してらっしゃるからですわ。このシェンにしても、幻想獣のなかで一番いい卵から造り、与えて下さったのです。ことに王の血を引いてらっしゃる実子のエドリ様には、我慢できないものがあるのでございましょうね」
 「でもそんなの、アシュナのせいじゃないのに」
 「それは、セイ、ここで生きてゆかねばならぬ者にしか分からぬことです。ここでの事は、すべて王の一言で決まってしまいます。王の好き嫌いのみで左右されるのですわ。だから実子のエドリ様だとて王は平気で廃することもある、ということですわ」
 「自分の血のつながった息子でさえ?!」
 「息子と申しましてもあの方は、腹違いとはいえ姉君との呪われた――」
 モーナはハッとして口をつぐんだ。言いすぎたことに慌てるように青くなって手で口をおさえる。
 「呪われた?」
 「いいえ、いいえ、わたくしはなにも申しておりませぬ。わたくしはなにも――。ど、どうぞ誰にも言わないでくださいまし。わたくしが申したことはお忘れになって――どうぞ誰にもっ!」
 「モーナ、モーナ落ち着いて、だいじょうぶボクは誰にも言わないよ。誰にもなにも言わないから、ねえ?」
 いきなり興奮してガタガタと震えだしたモーナにビックリしながらも、セイがなだめるように言った。モーナはその言葉にほうとして息をつきやっと落ち着いたのか、体から力をぬいた。そうして、やっと取り乱したことを恥じるように頬を赤らめた。
 セイの紫紺のけぶる瞳をじっとみかえす。
 「……あなたは、ずいぶんとここの方たちとは違ってらっしゃいますわね。そばにいると、なんだかとても心が安らぐようですわ」
 ふうぅっと白い頬を微笑みにゆるめた。
 「わたくしも本当のところ、いまだここの空気には馴染めておりませんの。男爵家の娘として、宮勤めを始めてからかなり久しいというのに、いつも外へ出たいと思ってしまう。乳母として無理だとわかっていても、まだ。……あれから一度も家へは帰らせてもらえてないのですもの、すっかり外の世界を忘れてしまいましたわ」
 諦めたように溜息をつき、窓の外を見た。
 モーナは気分をかえるように、お茶の支度をはじめた。
 「セイ、お菓子を召しあがれ」
 「うん。ありがとう」
 紅茶を丁寧にカップへ注ぎ入れた。白磁に金の縁取りのある高価そうな器だった。
 「ここはベール王と、大魔法使いのゼダ様の思いのままの世界です。彼らの言いつけに逆らえる者など誰もおりません。王妃様が亡くなられるまでは、まだそのようなことはありませんでしたのに。百と七十五年の間にすっかり何もかもが変わってしまいましたわ」
 「王妃様はそんな昔に死んでしまっていたの?なら王はそれからずっと、亡き王妃様の影だけを求めているの?」
 「そのようですわね。わたくしもまだ幼かったので、よくは知らないのですが、王妃様はどこかの小部族の姫君だったいうことです。それを一目惚れした王が、メリジューヌ様を手に入れるためだけに、その部族を全滅させてしまわれたと聞いておりますわ。王妃様はそれはまことにお美しい方ではございましたけれど、わたくしは一度たりともお笑いになった姿を見たことはございません。いつもひっそりとなさって、悲しそうに伏し目がちに、外ばかりご覧になっていらっしゃいました」
 「幸せじゃ、なかったんだ」
 セイがつぶやくように言うのに、モーナは白い顎をコクリとさせ、返事をした。
 「それも仕方がないことですわ。ご両親や部族の民のすべてを殺されてしまい、無理やりに連れてこられたのですもの。心は簡単には開かないでしょう。それでも王はできる限りのことをして王妃様を喜ばせようとしていらっしゃいました。もう端で見ているわたくしたちのほうが気の毒なぐらいに」
 「でも、そんなのってなんだか変だよ」
 傷つけ奪い、心を凍らせてしまってから、次に開いてみせろという。
 なぜそうまでして手に入れねばならなかったのか。どうしてそんな残虐なことをしてから、償おうとするのか。セイにはわからなかった。
 好きになるということは、愛する人の幸せを願うことではないのだろうか。その人が一番幸せになることをするのが最善の方法ではないのか。
 なら、王はメリジューヌのなにを欲しかったのだろう。
 モーナが言った。
 「それだけが愛の形じゃないのですよ、セイ。自らを滅ぼすような恋もある。燃え尽きるような、相手を滅ぼしてでも、手に入れなければおさまらないような、そんな情動がね、人間にはあるものなの。子供のあなたにはまだわからないかも知れないでしょうけど、いろんな形がね」
 「……モーナも、そうなの?」
 「えっ?」
 セイに問われ、モーナは驚いたようにセイをみた。あまりにも真剣にいう彼女の心のなかにも、そんな、深い恋情の歴史があるのだろうか。
 「わ、わたくしは別に……。まあ、いやだ。つい、おしゃべりが過ぎてしまいましたわね。なんだかこんな風にしゃべるのが久しぶりなものですから、余計なことばかり言ってしまいますわ。どうぞセイわたくしが話した事は忘れてくださいましね」
 「わかってるよ、モーナ」
 「あらセイ、お茶をもう一杯いかが」
 「うんありがとう。とってもおいしいね、このお茶」
 二人はおだやかに笑いあった。セイはこの人の静かな笑い顔が好きだった。きっと彼女のなかにも、大きな傷があるのだろう。
 扉がするりと開かれた。
 まったく無音のまま、いきなり美女が目の前に立っていた。
 黒と紫の大魔法使いのケープに身を包んでおり、手にはアメジストのついた黄金の杖をもっていた。豪華な裾の長い衣装を身にまとい、指には大きすぎるダイヤの指輪がいくつも光っていた。気位の高そうな、いかにも傲慢そうな顔をした女の顔だった。
 幾人もの神官たちが、ザッと不気味な音をたて、彼女に続いて入ってきた。廊下には多く少年兵が控えているのが見えている。
 モーナの顔が蒼白になった。慌てて頭を低く垂れた。
 「こ、これは大魔法使いゼダ様、よ、ようこそおいでくださいました。あの、せっかくのおいでですが、アシュナ様はただいまお昼寝中でございまして――」
 「いや、用はアシュナ様にではない」
 ずっしりと年輪のいった声がした。彼女の容貌はおよそ似つかわしくない。
 だが彼女の実年齢が、本当は数えるのさえ恐ろしくなるほどの齢を重ねていることを思えば、その容姿のほうが異様なのである。
 まったく若き日からその相貌は、衰えもなく損なわれもしていないようだ。
 豊かな黄金の髪に、皺ひとつない肌。ただ青い瞳だけは隠しようもなく、老獪で狡猾そうな嫌忌さを放っている。
 「ふむ、やはりここであったようじゃの。ここが波動率の変動が一番高い。わしの魔術を今まで狂わせておったのは、ここから放たれておった気じゃ」
 「わ、わたくしはなにも……」
 モーナは気弱そうにガタガタ震えている。今にもショックで倒れてしまいそうだ。
 ゼダはそんなモーナなど気にすることもなく、真正面からセイを見おろしていた。
 いきなりクワッと目を剥き出すと、セイはその凶悪な目に絡め取られたかのように体が動かなくなってしまった。
 すさまじい眼力だった。あっさりと彼女の手中へと落ちたのがわかった。この魔法使いの妖力なら、視線で相手を射殺すことなど容易なことであろう。
 「何奴じゃ。なぜここへおる」
 「えっ?あの、ゼダ様がお造りになったのではないのですか?アシュナ様がお連れになったので……その、守護機の方もべつだん異常がございませんでしたので、てっきりわたくしは」
 「守護機が動かぬと?」
 唇を突きだし、ふんと一息吐いた。乱暴に、筋ばった手でセイの顔をつかんだ。
 蛇に睨まれたように動けなくなっているセイに顔をよせ、サークレットをのぞき込んだ。顔色をにわかに変えた。
 「これは――っ!ふむ、おまえは一体何者じゃ。この玉を身につけているということは、よもや普通の人間ではあらぬであろう!」
 ゼダはセイの瞳をのぞきこむと、途端に忌ま忌ましげに口をゆがめ眉をつりあげた。
 みるみるこめかみに血管が浮きあがり、美女のみせる憤怒のさまは、悪夢さながら臓に悪い。気が遠くなってくるようだ。
 「この色、この玉………似ておる、確かにやつに似ておるぞ。まだまだ成長途中のようじゃが、その瞳の色だけは、よもや決して忘れぬわ。おお!まさか生き残っておったとは、なんたることじゃ。きさまどうやって、どのようにして身を潜めておった!」
 セイは肩に食いこむ指に小さくうめいた。
 「確かに滅ぼしたはずじゃ。わしが自らこの手で根こそぎ殺したのじゃぞ!」
 「ゼ、ゼダ様?」
 取り乱したような振る舞いのゼダがみせる恐ろしい顔つきに、モーナだけでなく神官たちも青ざめたじろいでいた。
 ゼダは声をかけられ、我に返ったようにセイをつき放した。
 「こやつを連れてゆけ。城の波動を乱す輩をほってはおけぬ。――モーナっ!」
 「は、はい」
 「このような輩をアシュナ様のおそばへ近づけるとは何事じゃ。もしものことがあれば、王はそなたを許さぬぞ」
 「は、はい。申し訳ございません。アシュナ様には、心してお仕え申し上げます」
 低く頭を下げて震えている。
 セイは有無をいわせず少年たちにひったてられ、連れてゆかれた。必死にモーナを振り返り、そして扉の奥のアシュナに目をむけた。
 「モーナ、ごめん。アシュナに――!」
 セイは腹を殴られグラリと足元が揺れた。
 担がれるようにして、そのまま連れて行かれたのだった。


 セイは椅子に座らされ、後ろ手にきつく縛られていた。
 十二の扉の館と呼ばれている、魔法使いの塔へ連れてこられていた。
 そこはおもに、神官や魔法使いたちが魔術や研究を行っていたため、めったに一般人の侵入は許されていない、禁断の建物であった。
 その最高位の魔術師であるゼダの塔は、容易に入ることは出来ないが、連れ込まれて無事出てきた者はいないと言われていた。部屋はかなり高いところにあるらしく、アシュナの部屋の空気と違い、肺が爛れるような濁りを感じていた。
 ゼダは顔を歪めたまま、セイを乱暴に調べまわしていた。
 「フン、やはり本物か。まさかとは思うておったが、有翼天人がこうもやすやすと生き残っておったとはの。やつらの科学力を甘ぅ見すぎとったわい」
 美しいはずの顔なのに、なぜか今はひどくおぞましい影ばかりが目立っている。
 「貴様のことはとうに知っておったぞ。サフラ=バルトの焼けた城跡から、有翼人の痕跡が出たと聞いての、魔術で色々と検証させておったからの。もしやと思うたが、こうして実際に生き残っておるのを見るまではとても信じられなんだが、やはり油断できぬ種族であったわい。あらためて思い知らされたわ」
 黄金の杖をセイに突きつけ、新しい獲物を喜ぶように喉をゆらした。
 「だが、ふむ、随分と出来が損のうておるようじゃのう。いかに優秀な種族とはいえども、この程度が限度というところか」
 「な、なんでおまえはそんなに有翼人を嫌ってるんだ。有翼人がおまえに何をしたというんだよ」
 「うるさいわ小童(こわっぱ)!生意気な口をきくでない。わしはな、おまえらが心底嫌いなのじゃ。悲願を達成するには、おまえらの存在はどうしても邪魔じゃ。昔から何度も何度も邪魔ばかりしおってからに。おまえらはいつだって鼻高く、わしらを嘲笑い、見下してきたではないか。忘れたか、にっくき宿敵よ!」
 空気が歪むかというような呪いに満ちた声だった。
 女の顔が、時々ひどく醜い老人に重なって見える気がした。いったい何才なのだろうか。一般人の寿命で、せいぜい二百か、それ以上いっても二百を二十年もすぎる者はめったにいない。
 今のベール王はすでに三百をこえ、三百と三十に届く年齢のはずなのだったが、それでも、年よりも見目のほうがずいぶんと若すぎるように思われる。
 たしかに、歴代の王たちはそれぞれに、かなりの長寿であった。だがこの女性はそれをさらに遥か超えていることははっきりしている。何代かの王に仕えているはずだ。
 セイは、部屋のなかに奇妙な道具が積まれているのに気がついていた。
 ユニコーンに連れられて通ったときに見た、あのおぞましい死体が積まれた部屋にあった機械と同じような感じがした。
 ブクブクと泡をたてた液が、折れ曲がったガラスの管を流れている。どこから引かれてきているかわからないくらい長い、別の管と交差して混じりあい、黄色い液体が合成されている。一滴ず落ちてビーカーの中へゆっくり溜まり、濃さを増していた。美しいまでの琥珀色になるほど精製されているのだ。
 セイはゾクリと身を縮ませた。棚の中には、数えられないほどの標本があった。
 アルコール漬けにされた、どれもが異種生物かと思われるようなものがぎっしり並べられているのだ。人とも怪物ともつかない奇妙で呪われた姿ばかりで、中には胎児らしきものが、臍の緒をつけたまま飾られていた。顔が半分くずれ、脳が飛び出している女のようなものもあった。
 ゼダの不吉にきしんだ笑みは、憑かれた狂乱者そのものであった。一体ここで何が行われているのだろうか。
 「竜玉を額に戴く者よ、美しき有翼天人、わしはおまえを殺すことなど、雑作もないことじゃ。だがの、せっかくの贈物じゃ。おまえにはせいぜい役に立ってもらうことにしようかのう」
 セイは怯えた色が浮かべてはいたが、強い目をゼダにむけた。
 「守護機をもたぬ不完全な有翼人など、恐るるにたらぬ存在よ。我らを滅ぼしたそのほとんどは、やつらの守護機であったのだからのう。その命綱すらもたぬ未熟な有翼人など、赤子の手をひねるにもおよばぬわ。まこと竜玉に選ばれた者とは思えぬ、未完成品であったことよ」
 ゼダが底意地悪そうに声を高くあげ笑った。
 セイは図星をさされたた痛みをこらえるように唇をかんだ。
 「おまえのクローンをいくつか造って、異種交配させてみるのも面白かろう。それで有翼人狩りするのも一興じゃ。剥製か人形でも造れば、世の俗物どもに、さぞや高値で売れるわ。キマイラと有翼族のDNAを交配させてみようか。どのような生き物になるかは楽しみじゃ。ほれ、そこのモノとはどうじゃ」
 指さしたその先をみて、セイは悲鳴を飲み込んだだ。いつのまにか、近くまで這って来ていた。
 半面半魚の緑色の生き物は、下半身が蛇のようにぬめり、床にネバネバとあとを引いている。腰から上は内臓がまるで透けて見えていた。
 ゼダはそれをいとしそうに撫でると、いきなり杖で頭蓋骨を粉々に砕いた。青い血が飛び散り、セイの顔にはねた。セイは悲鳴をあげることもできず、気が遠くなった。
 倒れかけたセイの髪を引っ張り、あおむけさせた。
 「じゃが、まずは竜を育ててもらおうぞ。竜玉が成竜となったあかつきには、何でも願いが叶うというではないか。それからでもおまえを殺すのは遅くないわ」
 顔を近づけられセイはヒッと低く漏らした。ゼダの顔がドロリ溶けだしていたのだ。
 「チッ、もう崩れてきおったわ」
 ゼダは顔の肉をはぎとった。肉を投げ捨てると、その下からは神経と筋肉の浮き出た顔面が化物のように剥き出された。眼球そのものの丸い目がぎらりと睨む。
 「まったく保ちが悪うてかなわん。近ごろの子供ときたら質が悪いのばかりじゃ。まあこの環境では、それも仕方なかろう。子供はやはり天然産がよいのう」
 セイは息を詰まらせようやく目をそむけた。
 ずぶりという鈍い音がして、何時の間にか連れて来られていた少年が床に倒れる。胸にゼダの手が差し込まれており、ふき出す血にもかまわず心臓を掴み出した。心臓がピクピクしながら手ひらに乗っている。
 セイは耐えきれず、今度こそ高く悲鳴をあげた。焼けついたように喉が痛み、血がにじんだ。倒れたその少年の顔は、牢で一緒だったあの少年のものだったのだ。
 ゼダは琥珀色の液体をそれへかかけた。手の中で揉み合わせると、どろどろになったそれを顔になすりつけた。
 「天然でも育ちすぎはよくないのう」
 ゼダの顔が元に戻った。耐えがたい恐怖。耐えがたい嫌悪。
 ニヤリとするゼダが、再び近づいてくるのに、セイは必死で助けを呼んでいた。
 「ナージュ!ナージュナージュ!ナージュ助けて――!!」
 ゼダの血濡れた手がセイにのびた。手が頬に触れたとき、セイは気を失っていた。


 咀嚼する音でセイは目が覚ました。低くゴリゴリと鳴っていた。それはあまりにもしつこくて、たまらぬ不快さで視線を向けるのがためらわれる。
 鉛のように重い体を動かした。見た瞬間、セイはやはり後悔した。
 目の前で、白く色の抜けたような少年が、猿人のようにしゃがみこんで食べていたのは、肉片がついた人骨だったのだ。
 耳障りな音をさせしゃぶりついていた。いつまでも歯をたて骨までけずりとるようにしても、まだやめない。
 それが顔をあげた。にやりと笑った。頬についている人肉をぺろりと舌で舐めとると、這いよってきた。セイは逃げようとした。縛られてはいなかったが、体に力がまったく入らない。
 それがぞろりと床を擦ってやってきた。黒目がちの双眸が赤子のように無邪気に笑っている。
 「いやだっ!ナージュ助けて――!」
 だがその声は発せられなかった。恐怖に体が硬直したままだった。
 食べられるかもしれないという恐怖は、かつて味わったことのない未會有のものである。
 「ネルサ王子。それは食べ物ではありませんぞ」
 蛙が引き攣ったような笑いがした。ゼダだった。セイが気絶しているあいだに、第三王子のネルサがやってきていたらしい。
 滅多に誰も部屋へ入れようとしないゼダだったが、なぜか白痴の食人鬼であるネルサだけは別なようだった。動物を飼うように、彼にだけは部屋での自由を許していた。
 ネルサは不意にセイのことを忘れたのか、そこに座りこんだ。
 誰のものだろうか、もぎ取られた腕がころがっている。それに手をのばすと、またかじりつき、中指を噛みきってしまう。
 骨をはむ音に生理的な嫌悪感が、背筋を凍りつかせずにはいなかった。
 セイは震えていた。ゼダがネルサの頭をなでていた。
 扉を叩く音がした。
 セイはビクッとしてそっちをみた。次はどんなバケモノが入ってくるのかわからないではないか。遠慮がちな、男のおびえたように申し伝える声がした。
 「あのゼダ様、お忙しいところ申し訳ございませんが、お、お話があると申されて――」
 ゼダはみなまで言わせず、キリッと目尻をあげた。いくら外見の美しさを装っても、セイにはもはや仮面を被った醜い悪魔にしか見えない。表面をどうとり繕おうと、本性は隠せれない。楽しみを奪われた狂女は不機嫌そうに扉をあけた。
 「なに用じゃ。誰も取り継ぐなと申しておろうが」
 「は、はい。――ですがあの、王が」
 「王?王がどうされたのじゃ」
 黒服を着た青年が言葉を続けるまもなく、肩を押しわけベール王が入ってきた。
 ゼダをみるなり掴みかからん勢いで唾を飛ばしがなりたてた。
 「割れてしもうたのじゃ!玉が割れてしもうた!メリジューヌが消えてしもうた。ゼダ、どうにかせよ。メリジューヌがいない、はようなんとかいたすのじゃ!」
 火を吹きそうな必死の形相だった。子供が壊れた玩具を直せといって迫っているそのままである。王の気の違っているような褐色の目は白い膜に覆われていた。狂気と日常の境目がなくなっているかのようだ。
 銀に似た白い髪がかかる頬の肉はたるみ、年齢からは考えられないような稚拙な感情が剥きされていた。とても一国の王だとは思えない。微塵の威厳さえもない。
 差し出すれていた卵形の灰色の石は、中央からパックリと二つに割れていた。
 「ゼダ!余のメリジューヌをなんとかせい」
 ゼダは一瞬さげすんだように顔をしかめたが、すぐにニッコリと赤い唇を吊上げた。
 「ベール王、そう取り乱されますな。ゼダの手にかかれば、かようなものすぐに直してさしあげましょうぞ」
 ゼダはベールの手から石をつまみあげると、また、あの琥珀色の液体をかけた。
 石は白い煙を吐きだし、心臓が動き始めるように低く鼓動すると、パッと虹色にもどる。まるで手品のようだ。
 「おお、おお!」
 ベールは奪うように石を手にとりもどすと、狂喜して頬に当てた。
 戻るやいなや、夢み石は、メリジューヌの姿を、等身大にそこに写しだしていた。
 それはただの幻影だけではなかった。驚いたことに動いているのだ。
 肖像画のような寂しげな表情ではなく、梢を渡る風のように生き生きとしており、夢を追いかけてやまない少女の笑顔さえ、その幻影はもっていた。あの絵のなかの寂しい女性の姿は、どこにもない。
 「なんて……きれいな人なんだ」
 セイは今までの恐怖を忘れてぽつりともらした。ベール王こそはうっとりと口を開いたまま見つめていた。
 少女の幻はなにかを熱く見つめていた。その顔にははっきりとした意志があり、誰もが見惚れずにはいられないつややかな熱が秘められ、豊かな表情をもっていた。
 セイは、まさか伝説の美姫といわれた王妃の素顔が、こんなにも素朴で純粋なものだとは思ってもみなかった。けれどその純朴な美しさを知る者は、彼女の滅ぼされた一族以外には多くはいない。
 メリジューヌは頬を赤らめ視線をあげた。傍らに人影があった。翼がかすかにのぞいていた。
 その刹那にみえた顔は、背の高い柔和で物静かな雰囲気をもった青年のものだった。メリジューヌに負けぬくらいに美しい。神聖な霊力が感じられる。
 ――セイレーク・・・。
 甘いつぶやきだった。その途端、ベール王の形相がひきつれたように歪んだ。
 怒りの朱に目が血ばしった。
 「なぜこの男は消えぬのじゃ。メリジューヌの笑みの先には、なぜいつもこの男の影があるのじゃ!これをさっさと消さぬか、ゼダ!なぜ何度いっても消さぬのじゃ!」
 「それは仕方がないことでございますよ王。夢み石とは、もともと残留思念を寄せ集めて編んだ結晶でございますれば、王妃様の思念の奥深くには、いつもこの男のことが刻みつけられております。ゆえに王妃を見たくば、これはどうにもなりませぬ。それほど深くこの男のことを思うておりましたのでございましょうなあ」
 ゼダが意地悪く唇をつりあげる。王の顔がみるみるドス黒くかわった。
 メリジューヌの幻影はますます輝くように美しくなっていった。誰もが言葉なくみつめた。影だけにしか向けられなかった笑顔がこちらをふり向いた。
 王の怒りに醜くくもった顔が呆然とする。はじめて笑みを向けられたのだ。
 だが、メリジューヌの影はベールを通りこしていた。セイを見つめていた。包み込む純白の笑みがセイのなかへ吸い込まれる。
 ――セイ……。
 セイはふわりとした芳香に抱かれたたような気がした。胸が甘くうずいた。
 「そ、そやつは何者じゃ!わ、わしにさえ、一度たりともそのような笑みをみせなんだのに、メリジューヌが、わしのメリジューヌが……!」
 呪うような嫉妬の形相で叫んでいた。怒りの熱にメリジューヌの幻影がかき消える。
 セイは一人その場に残されたように、殺気に身を硬くした。睨みすえているベールの頬がヒクリと動く。
 「こ、この顔っ!」
 震える手がセイの顔に触れようとして、思わず目をつぶった。
 キャハハというガラスを引っかいたような笑い声がした。
 「とっとう、とう――これっ」
 ネルサが頭蓋骨を持ち上げ、ベールに見せるように差しだしていた。
 涎が垂れ、顎から下はズルズルしている。しまりのない笑みでベールに抱きつこうとして、ベールは忌々しそうに蹴飛ばした。
 ギャッと短く声があがった。腹立たしげに舌打ちをした。
 「チッ、こんな出来損ないを」
 ベールは何度もネルサを蹴りあげた。ヒーヒーいいながら身を小さくして、ネルサは大人しく蹴られていた。息が荒くなるまで何度も何度もベールは繰り返し、ついにネルサの顔が青く膨れ上がって痙攣し、血の泡を吐くまでやめなかった。
 「ひ、ひどい」
 セイは目をつぶった。なんて残酷なやつらばかりのだ。
 「このようなものがメリジューヌの遺伝子に近いだとは許せれん!まったく許せんわ!白痴の異常者がそうなどと、メリジューヌを侮辱しておる」
 息を荒げたまま、今度はゼダに喰ってかかった。
 「ゼダ!かような遺伝子配合をしおって。二度とこのような化物を作らば許さぬぞ」
 「承知いたしております。我もそのようになるとは思いもしませなんだ。平にお許しを」
 ゼダは顔色も変えず口だけそういった。ネルサをみる目は、実験材料にむける冷たい視線だった。
 「ええい、イライラさせる。こいつをつまみ出せ!」
 ベールはがなりたて、ネルサを運び出させた。
 「まったくどやつもこやつも、メリジューヌの名を汚す駄作ばかりじゃ。ネルサは白痴でヨギはいまいましい豚じゃ。凶暴で食べることにしか執着しておらん。――おお、だがアシュナはよい、アシュナは美しい。あれだけがわしの子じゃ、可愛い宝じゃ。そうじゃ、まことあれはよい子よ。なぜならメリジューヌに一番似ておる。アシュナがおればわしの望みは叶えられる。アシュナはわしのものじゃ」
 ベールの顔は、だが息子を可愛がる親のものではけっしてなかった。
 歪んでいた。どこか異常だった。それは大切な美術品を愛するコレクターのみせる、狂気の愛情ではなかっただろうか。
 「エドリは……エドリは、あなたの実の息子ではないの」
 セイは長子のエドリのことをふと思い出した。彼もまた、寂しそうな顔をしていた。冷たい表情はしていたが、それは孤独のみせる翳でしかない。
 ベールはセイの顔を見て、ひくりと鼻に皺をよせた。
 「ふん、たかが血の繋がりがあるというだけのことよ。そのようなものなぞ、何の役にたとうか。あの女など一時の気の迷い。あまり生意気を言うので、懲らしめたまでじゃ。わしにはアシュナだけじゃ。メリジューヌに似た者だけがわしの子なのじゃ」
 セイはベールの執着の根深さにゾッとする。
 「ゼダよ、この、生意気な口をきく子供は何者じゃ?わしはこの目の色を知っておるぞ。たまらぬ不快さじゃ」
 「王よ、新しき実験の材料にございます」
 「こやつをわしによこせ。この顔が気に入らぬ。たまらぬほどに気に食わぬ。癇に触るのじゃ。あやつに似ておるこの顔を、めちゃくちゃに引き裂いてなぶり殺してやりたい。あの男、メリジューヌをたぶらかした、あのにっくき翼の王の代わりにのう!」
 憎しみは、本能によってセイの出生のなにかを嗅ぎつけてしまったようだった。
 「早まってはなりませぬぞ。それは世界を手にいれるための貴重な宝石でござまです。いましばらくお待ちあれ。アカパーナの門を完成させたあかつきには、必ずや王にさしあげましょうゆえ」
 「おお、アカパーナの門か。門はいつ完成するのじゃ。まだ足りぬか。足りぬならもっと子供を狩ってこさすぞ。生産工場を増してもよい。それとも穴からの――」
 「充分足りております。どうぞそちらの件については我にお任せくださいませ。必ず王妃と、伝説の黄金都市は復活させてみせますゆえ」
 「おお、わが王妃と黄金都市の復活じゃ!!」
 ベールが夢見るように言った。
 セイが思わず目を瞠っていた。だが魔法使いはセイにはまったく構わず、ベールに丸薬をさしだした。
 「王、お薬の時間でございますぞ」
 「そうであったな、忘れるところであったわ」
 ベールは手にとると、妖しげな丸薬と琥珀色の液体をいっきに喉へと流し込んだ。
 短く震え、顔のたるみが目にみえるほど消えてゆく。緩んでいた顔に精気が戻った。
 「うむ、気分がよくなった。そなたの薬はいつもよう効くわ」
 「ありがとうございます。どうぞお薬だけはお忘れなきように」
 「おお、そうじゃ思い出した。アシュナに薬をつくってくれ。目の色がどうも違うのじゃ。メリジューヌと同じ色にする薬を飲ませるのじゃ」
 「御心のままに」
 何を言い出すのだろうかとセイは唖然としてベールを見ていた。
 ベールはゼダの快諾に、しごく満足すると、石を大事そうに手にして出ていった。
 ゼダは顔色を失ったセイを面白がるように見下ろした。
 「お、おまえたちは一体―― 一体何をしているんだ。この城になにを隠しいてる」
 「すべては、我の悲願を達成するための礎じゃ。王もこの城も、そのためのほんの一部にしかすぎぬ。おまえと同じコマにすぎぬ」
 せせら笑った。セイは、ゼダのなかに潜んでいる真実の姿を暴こうとするかのように目を大きくして睨んだ。そこに横たわっているのは、暗黒の世界がゆっくりとこの世界を蝕んでいっている、この世界そのものような姿であった。


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