黎明の翼

7

 
 セイは馬車の荷台でゆられながら、ぼんやりとしていた。
 彼らは始終無表情だった。けして感情を荒立てることもないかわりに、笑みひとつ浮かべない。仲間の誰かと話すこともなく、ただむっつりとして、自分の仕事だけにしか関心がなさそうにみえた。セイは自分をとらえ、こうして引き連れていっている少年たちが、自分とたいして違わない年齢だろうということはわかっていた。
 セイは一人ではなかった。多くの子供たちが集められていた。大半は少年だった。
 あれから砂漠に戻ったセイは、わずかも進まないうちに捕まってしまった。子供を狩っている兵たちが隠れていたのだ。
 檻のついた馬車には、目的地の王都へ近づくにつれて、どんどん子供のかずが増えていった。十人に一人くらいは女の子も混じっていたが、彼女たちはセイたちとは分けられ、それっきり顔を合わすことはなかった。
 子供が子供を狩るということがセイはとても不思議だった。それよりもっと不思議だったのは、親が金に困って子供を売りにきたり、人買いの大人がだましてまで子供を連れて来ることだった。中には乱暴されぐったりしている者もいる。
 セイはどうすることもできず、他の少年たちと同じように、ただ馬に揺られていた。
 ナージュと別れてからは、しばらくのあいだ、負の海にたたずんでいた。
 もしかしたら帰ってきてくれるかも知れないとも思ったが、それはあまりにも虚しい願いであり、叶いそうもない夢だった。
 わかっていたのだ。いつかこうなるのだと。いつか、不安は現実のものとなり、セイからナージュを連れ去ってしまった。でも、それはどうすることもできなかった。
 これからどこへ行けばいいのか、何をすればいいのかわからない。もう誰も教えてくれない。
 しかも五色の竜のうち、蒼竜はすでに死んでいた。
 力の欠けた状態のままで竜玉を成長させるには、セイもまだ不完全すぎる。有翼形さえ――羽さえない身では、なすべきことは、もはやないかのように思われた。
 蒼竜が消え、地上から水が消えた。砂漠化がすすみ幻獣族がいなくなった。
 そしてナージュもまた、いない。
 ぼんやり歩き出した。気がついたときには見慣れた砂の平原にいた。
 いつもずっと誰かに助けられたて、やっと、ここまで進んできていた。
 それは小鳥だったりレイズだったり、何度も危険にあっては、そのたびにごとに助けられ、温もりをそばに感じていた。だが、やっとみつけた何より大切なひとは、もういない。けっして帰ってはこないし、それ以上の人が現れることもない。
 セイはどうしてこんなに空虚な気持ちになるのかわからなかった。
 脱力して思考が空転するばかりで、ナージュと出会ってからのことしか思い出せなかった。それほどナージュに頼りきってしまっている自分を知り、さらに淋しさがつのった。身全霊と言えるほどの信頼が、どうして、あれほど自分を嫌っているとわかっている相手へと向かってしまうのか、わからない。けれどそれを押し止どめることはできなかった。受け止められないと知っていてさえだ。
 それでもセイはナージュに心を奪われた。きっと最初に耳玉を入れたとき、一緒に心までも入れてしまったのかもしれない。玉を取り戻したからといって、だが魔法はそう簡単には解けそうになかった。
 セイは馬車から夕日を無気力に見ていた。
 「ボクは、どうなるんだろう」
 それでもセイは、なんとかエル・ウッドの街まででも帰ろうと気を取り直したときだった。彼らの罠に捕らえられてしまったのだ。
 檻の中の少年たちはだれもしゃべることさえしなかった。
 みな、これから起こることへの恐怖にすくみ、力なくうなだれている。セイは何気なくみていたのだが、護衛の少年の頬がピクピクと何度もはねているのに気がついていた。頬の筋肉が無意味に硬直するのを、手で何度もおさえつけている。
 彼の目は活力を失い、どこか腐りかけた魚の目に似ている。
 突然、その少年の馬がいなないた。苛立ったように前足をあげ少年兵を振り落とした。頭を不快そうに押さえていた少年が宙に放り出され、砂に顔を埋めた。
 そのままいきなり、恐怖の形相をしてつんざくような悲鳴をあげ転げまわった。
 「ヒィ――」
 何に怯えているのか、頭をかきむしりのたうちだした。見えない怪物にでも襲われているように黄色い泡が口から飛びちる。狂気に支配されたまま、檻に向かって突進し、声をかけるひまもなく檻の鋼鉄がねじ曲げられた。
 檻の口が開いた。中にいた子供たちは片隅に身をよせ震えている。外には野獣のような顔をした少年が立ちはだかり、いまにも襲い掛からんばかりである。
 襲ってくるはずの少年は、なぜかそのまま倒れた。
 苦しげにもがき空に向かって手を伸ばした。
 求めている。なにかの恐怖から逃れようと助けを求めているのだ。
 セイはためらいもなく檻から飛び出していた。我知らず彼の手を握っていた。少年の手が痛いほどすがりつき、セイの手が白くなる。その目には涙が盛りあがっていた。
 「母さ――」
 「ああっ!」
 セイはおもわず叫んだ。
 少年の目から安堵の涙が流れるのと同時に、首が胴体からすべり落ちた。
 セイは声をのみこみ、刀をふりおろした馬上の少年を見上げた。血のついた剣をかかげ、鉄面のように冷然としている。
 「なんてことを――」
 セイの手は、まだ彼に握りしめられたままだった。
 どうしてこうもあっさり、彼らは眉ひとつ動かさず仲間まで殺してしまうのか。
 セイは別の少年兵になぐられて檻に連れもどされた。ひどく頭痛がして、それからは王都、イデルの王城につくまでの数日間は、起きあがることもできなかった。


 王都イデルは、北のアトラス山脈から流れる二つの川、チグリスとユーフラテに挟まれるうに形成されていた。恵まれた地形の、豊かな都であった。
 その街並みで、とくに特徴的なのは、中央にそびえる、尖塔形の城であった。
 天を突くように高くそびえ、都のどこからでも目に入った。まさに王の権威を象徴するべくして作られたような建物である。
 城はすべてが白一色で統一されていて、優美で女性的ともいえる曲線で構成されていた。なにもかもが純白であり、細部にわたるまで贅沢のかぎりをつくしている。
 白大理石の柱に象牙の彫像、白磁の器。白布に覆われたソファーに、白い絨毯。
 そこだけが白く、この世の世界とはかけはなれ、天上界にいるようであり、そのすべてが、今は亡き王妃のために造られたものであると、誰もが知っていた。
 だが、偉大な建造物の影には、かならず多くの労力と金が隠されている。贅を凝らし造られたもの全ては、多大な課税と、過激なまでの徴収にあえぐ、市民の苦しみの源でしかなかった。建設にともなう事故と死もまた、すべて民からの供物である。
 王の統治がはじまって三百年近くたった。今でも、彼は妻を愛しているという。
 この壮大な白亜宮を本当に、たった一人のためにだけに建ててしまったのだ。
 伝説の美姫とうたわれた、いまは亡きメリジューヌ王妃に捧げる、最高級の比類なき美に飾られた棺なのである。セイたちはその白亜の宮殿へ、正門ではなく、忍び込むようにして裏門から運ばれた。建物に入るとすぐに、頭から黒いマスクをかぶった男たちにとり囲まれ、有無をいわせず連てゆかれた。
 男たちはまるで果物でも選別するようにセイたちをより分けていったのた。整然とした手つきが機会的で、こういった行為が行われてから久しいことを物語っている。
 セイの前にも男が立った。顎をもたげられ横を向かされた。それから乱暴に払われ、思わずよろける。
 「ずいぶん痩せてるな。レベル三というとこか。ん?ずいぶんかわったサークレットをしているな」
 マスクからのぞいた目だけが、妄執か何かに取りつかれたように爛々としていた。
 触れられた部分から冷気がひろがり、感覚がなくなっていくようであった。
 この男たちといるなら、まだ少年兵の方がましであるような気がしてきた。人を人とも思っていない、傲慢で情緒の欠如した態度には、我慢ならない。
 「おまえはあっちだ」
 わきにいた大男が、セイの背を荷物のように押した。そちらの列には別の男がまっていて、手に注射器をにぎり待ちかまえている。そこで誰もが逆らえない力でねじ伏せられ、有無をいわさず血を抜かれている。もちろんセイも例外ではなかった。
 だがそれだけでは終らなかった。琥珀色の液体が今度は身体に注入されているのだ。
 セイはえもしれぬ恐怖感におそわれ、自分でも信じられないほど暴れていた。
 「放せ!ヤダ、やめろ!やめろよっ!」
 抵抗は、抵抗というほどの効果もあげず、男にヒョイと封じこめられた。
 容赦なく琥珀色の液体が腕の中へ吸い込まれていた。不気味な液体がなくなるのをじっとみつめていた。
 思ったほどの衝撃はない。いったいこれは何なのか。
 セイは拍子抜けして、他の少年たちと同じように連れてゆかれた。薄ぐらい檻つきの部屋へ一人だけほうりこまれた。床に転がりながら、クラクラする頭をさすって起きあがる。そこにはどうやら先客がいたようだった。
 「よお新入り、生きてるか」
 目の前で人影が手をあげた。セイは目がくらんでいてよく見えなかった。
 「あなたは誰……?ほかには、ここ誰もいないの?」
 「さっき連れてかれたところだよ。何時間かごとに数人づつ連れてかれてるからな」
 「なんで連れていかれなかったの?」
 「さあな。どうやら俺は年をくいすぎているらしい。使い道がないんだろう。必要なのは小さな子供ばかりだ。ここへはもう七日ほどいるよ」
 彼は退屈そうに腕を頭でくみ、壁にもたれかかっていた。どこか投げやりな感じがした。視界がだんだん色をとりもどしてくるのにあわせ、ものがはっきり見え出した。彼をよく見ると、どうやらセイよりずいぶん年が上のようだ。
 「二日ほど前に連れてこられたヤツらはそのまま護送されてったけど、その後どうなったか俺も知らねえなぁ」
 「そんなに子供ばっかりをどうするの?兵士にでもする気かな。訓練したりして」
 恐ろしい技をもつ少年兵たちのことを思い出す。
 だがあっけなく否定された。
 「バーカ。そんだけなら別に子供に執着する理由ねえじゃんよ。あれくらい強くなるためには、相当訓練つまなきゃ無理だよ。だいたいあいつら異常だよ。感情ってもんがぜんぜんねえんだもんな。まったく小さな子供だと思ったらやられたぜ」
 彼もどうやらその少年兵たちに捕まったらしい。
 「感情がないって……」
 馬に乗っている、まったくの無表情な少年たちの顔が思い起こされた。
 「ないな。俺は、一度もやつらの表情が動くのを見たことがねぇ。反抗はもちろん、殴られても痛そうな顔するわけじゃねえし、ただむっつりとしてるだけだ。そんな子供なんざ、いるわけねぇだろ」
 確かにそうだ。セイですら、その不自然さには気味悪さを覚えている。
 「な、なんでだろうね」
 「俺が知るわきゃねえだろう。けどさあ、親父殺されてからこのかた、ずっと奴らのこと憎んできたけどさ、ここへ来てからはなんとなく、あいつらに同情したりしてんだよなあ。本当はなにか、憎むものが違ってんのかなぁってさ」
 彼はため息をついた。こんな所で、こんなことを言っていてもしょうがないと、ひとりごちた。
 セイは彼の声を聞きながら、体がだるくなってくるのがわかった。先ほどからいやに熱くなってきている。さっき注射された琥珀色の液体を思いおこされ、嫌な感触にブルリと身を震わせる。
 「ね、ねえ、ここへくる前に変なもの注射されたんだけど、あれって何か知ってる?」
 「さあ……でも俺は何ともなかったぞ。んっ?おまえ、どうかしたのか」
 言い終わらぬうちにセイは床につっぷしていた。
 「おい、どうした?!」
 彼がなにか言っているのかはわかったが、体が燃えるようで、声が聞きとりにくい。
 身体を支えている中心が溶けてゆくように、全身の感覚がきえてゆき、自分が自分でいられないようなゾワリとしたもの体を覆う。心臓の音だけがやけに耳についた。
 ――どうしたんだろう、ボク……ああ、……ナージュ…助けて……。
 セイの体が痙攣をはじめた。
 「おいっ?!」
 体が薄く点灯をはじめた。呼吸を乱しながらも、どうにか立ちあがったセイの姿が、淡い光に包まれていた。だんだん輪郭が淡くなってゆく。
 見ていた少年は息を飲みこんだ。思い過ごしにしては、光をまとうセイの姿が、あまりにも美しく変わりすぎていた。長い睫が震えその清麗さに目を奪われる。
 セイはそのまま導かれるように、鉄格子をすり抜けた。
 光を放ち、幻影が、物体を通り抜けるような滑らかさで、空気の粒子をかきわけてゆく。足が空に浮いているではないか。
 少年は鉄格子にすがりつき、夢でも見ているようにセイの姿をくいいるように見ていた。声も出ないふうである。
 セイは廊下をわたり、中庭に出てしいた。中庭というよりは小さな丘みたいな場所であった。かなり広いように思われる。そこは『生贄の広場』と呼ばれる、王の特別の庭であり、中央には異質なほど大きな門がたてられている。
 なぜこんな所に、門なのだろう。
 鉄とも銅ともつかぬ色合いをして、ひどく強硬そうだが、まるでヘドロでも塗込めているかのような気色悪さがあった。白の王宮において、それは滑稽でそぐわないばかりでなく、不吉で不愉快な感情を与えずにはおかない。
 セイは気づいたときには体が動かなくなっていた。目がそれから離せない。もちろんまぶたを閉じることもできない。
 冷たい汗が背中を流れた。こめかみが痛くなった。見つめすぎたのだろうか。
 足が前に引き寄せられた。我知らず前進をしていった。そのとき、クイッと服の袖を引っ張るものがあった。
 ぺろりといきなり頬をなめた。セイの耳にながくて柔らかい顔がおしあたる。
 おぞましい呪縛が解かれた。セイはその優雅な美しい馬の顔に見とれてしまった。
 「ユ、ユニコーン――?まさか、まだこの世に存在していたの?!」
 甘えるように擦り寄ってくるのに、ほうっと息をはき、足から力がぬけるのに思わず抱きついていた。
 天地の均衡が崩れはじめて、一番に消えたのはユニコーンたちである、幻想動物たちだった。もともと数は少なかったのだが、汚染された環境に順応できず、消滅の道をたどるしかなかった種のひとつである。それと同時に、人々のなからも夢が消え、存在自体が遠い神話となりつつあった幻の生き物であった。
 「ユニコーン、どこから来たの?もしかしてボクを助けてくれたの?」
 ユニコーンはセイの言っていることがわかるのか、黒いつややかな目でじっと見ていた。若草色の野原を思い出させる、明るい色調の瞳をしていた。
 優美な白い馬体。額から突き出た乳白色の角がなんともキレイである。
 セイはまるで旧知の友にあったように心が凪いでいった。古代幻想獣の不可思議さは、癒しの魔術ともいえる安堵感を与えることでもある。
 セイはユニコーンの背に乗るよう促された。壊しはしないかと心配するように、それでもそうっとまたがった。
 たてがみが絹糸のように柔らかく、どんな極上の絨毯よりも肌にやさしい。ユニコーンはまるでセイを待っていたみたいに歩みをすすめた。
 さらに不思議なことには、ユニコーンに乗ったセイを、城内を警護している誰一人として見とがめる者はいなかった。まるで見えてないかのようである。いや、実際に見えていないのかもしれない。
 純白の幻想動物にのった淡く発光するセイ。もしそんな不思議な光景をみたならば、誰だって目をむけずにはいないだろう。横をすぎてゆくのにも気づかず、黒マスクの男たちのまったく警戒心のない話し声が聞こえてきた。
 「もうそろそろゼダ様に言って、薬を造ってもらわなきゃいけないな。次の組にはきっと足りなくなるぞ」
 「そうだな。早くいわないと怒られてしまう。あれは特殊な魔術でしか造れないんで、面倒なんだそうだ」
 「ヨルガ神官に言ったほうがいいな。ゼダ様は、王のわがままで忙しいからな」
 王、という名にセイはぴくりと反応してしまった。かすかに青ざめる。幻獣族を狩っていた張本人なのである。
 ユニコーンはセイに視線をむけた。まるで信用しろといっているような、落着いた顔をしていた。セイがそっとうなずくと、安心したようにまっすぐ走り出す
 柔らかな背はほとんど揺れなかった。地をすべるようになめらかな足取り。美しい幻獣の温もりに守られているような安心感がした。セイは自分がどうしてこんな所で、ユニコーンの背に揺られているのかと、ふいに奇妙な気分がしてきた。
 そういえば、昔だれかが言っていたような気がする。聖なる幻獣は、相手の心を映しだす鏡のような存在なのだと。それが誰だったかまでは、思い出せない。
 「おまえ、ボクをどこへ連れて行こうとしているの?」
 ユニコーンは、城の一角にある塔に入っていった。いつまで登り続けるのかというほど、果てしなく階段をあがり、どのくらいまで上にきたのだろうか、セイは頭上から風が吹きこんでいるのに気がついた。
 その風は上にゆくにつれて強まり、どこか違和感さえ感じてくる。ほんのり光っていたセイの輝きが薄まった。ユニコーンは階段のおどり場でとまった。
 正面の壁のなかには、頭蓋骨がおいてある。――水晶だ。
 それは本物であるかのようにリアルにつくられた頭蓋骨像で、つるりとした表面がセイの微光に反射して気味悪くうかびあがっていた。
 階上から人影が降りてくるような足音がした。蝶が薄闇に舞うように、ひらひらとした薄く白いドレスがみえる。
 セイはこんどこそ見つかるのではと思わず息をとめたが、それはあっさり過ぎていった。その姿をみたとき、思わずユニコーンにすがりついて、青ざめた。
 それもそのはずである。顔がなかったのだから。
 皮膚が灼きただれ、かろうじて口と鼻の穴だけが開いていた。もちろん唇もない。
 唾液が光る糸を引いて喉にこぼれ落ちていた。わずかに漏れる息のなかに、歌のような声を聞いた。
 「脂がね、欲しいんだって。脂が足りないの。あの子お腹すいたっていってるのよ。脂がいるのよ」
 ゾクッとする霊気が漂っていた。セイは通り過ぎた彼女をビクビクしながら目でおうが、すでに闇にとけこんでいた。空気が冷えて、不快な臭いだけが後にのこっている。ネバネバと音をたてそうな強烈な悪臭だ。
 セイはこの臭いをどこかで嗅いだ覚えがあった。これは、そう、たしかあの負の海で出会った、黒い怪物のものと同じものではなかっただろうか。
 セイはなにかのいやな符合に鳥肌がたった。ぞろり、と何かが動いた。
 ビクッとして上空に目をやった。それは止まった。
 ユニコーンが短く鳴いた。波打つような音がして、そのまま圧迫感が消えていく。
 ほっとしているセイをユニコーンは降ろした。とつぜん、壁に吸い込まれるようにして消えてゆくではないか。セイはこんなところに置いてゆかれたらたまらないと、慌ててあとを追った。髑髏が飾られている壁に、穴のような入り口が開いていたのだ。
 それは向こう側にあった部屋へと通じていた。階段側からはまったく見えないように仕掛をほどこされている。一種の抜け穴なのかもしれない。
 「ま、待ってどこいくの」
 細い通路を、セイは小走りにおいかけた。
 途中、ひどい悪臭に鼻と口をおさえた。さっきと同じ種類の臭いだったが、それよりずっとひどく、十倍ぐらいに濃縮しているような強烈な刺激があった。
 廊下のようなところから、眼下に部屋がのぞき見ることができた。
 ゾッとするような光景だった。死体が山のように積みあげられていたのだ。
 驚くほどの数であり、無造作に投げ捨てられている。そのどれもが、素っ裸の子供ではないか。セイは思わずその場にしゃがみこみ、我慢しきれず吐いていた。空腹だったため、胃液だけが流れ、口とノドを焼いた。
 ――残酷すぎる。あまりに、ひどい。
 死体の横には、セイに注射をうったのと同じ、黒マスクをかぶった男たちがいた。
 白衣を着て、何かわからない複雑そうな配線の機械をいじっていた。
 黄色い液体が、いくつかの機械を通して流れていた。ぽたりぽたりと一滴づつ試験管の中へと吸い込まれていっている。呪われた悪魔の音だ。
 「誰だそこにいるのは!」
 セイは身をすくめた。背後に気配を感じた。
 「いやに大きなオーラをしておるようじゃな。このような所へ何やつじゃ。魔法使いか?術師でもあるまいに」
 静かな物言いだったが、首が締めつけられるような邪悪さで金縛られてゆくような気がした。きっとそれに捕まったら最後だ。この世の姿ではかえれないのだと本能で直感してしまう。
 身をすくめたセイをユニコーンが鼻で押した。ぐらついて、脇におかれてあった曇った鏡に倒れかかった。ドサッと転がった。
 白い床のうえだった。なんとそこは明るい広間のような所ではないか。
 大きなバルコニーから吹く風にレースのカーテンが揺れてはためいていた。
 「なっ、なにここは――?!」
 見回すと、先ほどとはまったくちがう、清潔できれいな部屋だった。
 天井に届くかのような大きな鏡のまえに座りこんでいる自分がいるはずだった。
 セイは声にならない悲鳴をあげた。自分が映っていなかったのだ。ユニコーンの姿だけがそこにいて、自分の姿がどこにもない存在していない。セイは自分を包む燐光が弱くなったのを感じた。
 それに比例して、鏡にぼんやりと浮かびあがってくるのがわかった。わけがわからず手の光りを見つめる。この光はなんなのだろう。
 誰かが入って来るのがわかった。扉の閉まる音がした。セイはユニコーンの陰に隠れようとした。だが先ほどとは違い、ユニコーンはまっすぐ走ると入ってきた少年に鼻を寄せていった。甘い笑い声をたてて少年が笑っている。ずいぶん中性的な容貌だ。
 物腰も笑い声もやわらかすぎるので性別がつきにくいが、表情の幼さに隠れることのない美しさをもち、どこか張りのような凛としたものが感じられる。
 身なり良さから、貴族の少年だとすぐにわかった。
 少年はセイの視線に気がついてビクリとした。いるはずのないものが部屋にいるのだから仕方がない。誰かを呼ばれ、今度こそ連れてゆかれたらおしまいだ。
 悲鳴をあげられるかと思いセイは身を強張らせた。
 だが、少年は気の弱そうな淡い青い瞳で、小首をわずかに傾けただけだった。
 「あなた誰?なんでボクの部屋にいるの」
 大きな広間だと思ったが、どうやらここは少年の部屋のようだった。贅沢で重厚そうな家具ばかりであり、幼い少年にはおよそ似つかわしくない。
 セイはなんて言おうかと迷った。ユニコーンに連れられ、そこの鏡からここに来ました、なんて言っても、とうてい信じてもらえる話ではない。だいたいなんで自分がここにいるの、セイでさえわからないのだから。
 不安げな少年の顔のよこに、いたずらっぽいユニコーンの表情をみつけた。
 セイはなぜか緊張が解けてきた。少年から邪悪なものはいっさい感じられなかった。
 それどころか、いままで会った中で、一番の無垢で清浄な波動を感じる。
 セイは口元がほころんできた。少年もまた、セイの笑顔に、わずかだが警戒心を和ませたようだった。恐る恐るユニコーンから離れると、繊細であどけない顔を傾け、じっとセイを見つめる。ため息のような声で言った。
 「あなた、なんで光ってるの?本当に人間?ボク、光る人間なんて初めてみたよ」
 セイにうっとりと見とれていた。少年の背をユニコーンが背で柔らかく前に押しだすと、セイの目の前まで歩みよってきた。漏れでたような感嘆がきこえた。
 「なんて綺麗なの、あなた」
 「え?!」
 セイは耳を疑った。思いがけない言葉だった。
 ユニコーンが小さく喉を鳴らし、セイにすりよりってくる。ほほにキスをした。
 少年はその様子に目を丸くして、嬉しそうな笑い顔をつくった。
 「すごいや!シェンと友達になったんだね、あなた」
 「あ、あのボクは……?」
 「どうやったの?シェンはボク以外には懐かないように操作してるんだよ。ゼダがそう言ってたもの。ねえ、どうやって仲良くなったの?やっぱりあなたは天使様?それとも魔法使い?」
 いきなりみせる全幅の信頼に、セイはとまどっていた。少年は期待に胸をふくらませるように、嬉しそうに顔をよせてくる。そっと、触れるか触れないかの辺りにまで手をのばすと、おずおずとセイの光に手のひらを透かしていた。
 「あなたは誰なの、何でここに来たの」
 「ボクは、あの、別に……」
 セイは自分の立場を思いだした。冷汗が伝う。不振に思われ大声をだされたら終わりだ。だが少年の瞳はまったくといっていいほど、セイを疑う気配はなかった。好奇心に満ちているだけだ。セイは困ったような顔をして、そっと少年の柔らかな髪を撫でた。キレイな金髪だった。
 「あ、あの、ユニコーンがね――シェンが、ボクをここまで連れてきてくれたんだ。だからボクにもよくわかんないんだ。何でここに来たのか、どうすればいいのか」
 口に出すと、なんとも嘘くさく聞こえてしまう。
 「シェンがボクのところへ連れてきてくれたの?ああっ、じゃあボクの友達だね。シェンが友達を連れてきてくれたんだ!」
 「は、はぁ?」
 「ボクね、ボクずっと友達が欲しかったんだ。ずっとシェンにお願いしてたんだよ。だって兄様たちはボクを嫌って遊んでくれないし、女官たちもマーレ以外は誰も言うことをきいてくれないんだもん。だからすごく寂しかったんだ。すごいや、シェンが友達連れてきてくれたんだね。ずっと待ってたんだよ。あなたが来てくれたんだね」
 弾むような声をして笑った。花がほころぶようだった。怪しみの感情のひとかけらもない。
 「あなたとても優しそうな目をしてるね。シェンみたいだ」
 穢れをしらぬ純粋さであろうか。この目に見つめられたら、きっと嘘などつき通せないきがしてくる。
 「あの、でもボクは――」
 「シェンの選んだ人なら間違いないよ。シェンはボクの守護機なんだ。ボクに害のある人は絶対に寄せつけないように設定されてるんだよ。ふふっ、嬉しいなあ」
 手をにぎり、ひっぱるように跳ねた。
 「守護機?守護機ってシェンは――?」
 「ああ、知らないんだね。シェンはね、ゼダがボクのために造った幻想獣なんだよ。人工的に孵化させて、ボクだけを守るようにDNAを操作してあるんだって。だからボク以外に懐かないらしいんだ。でもあなたはきっと特別なんだね」
 少年は鼻をすりあわせてシェンの長い顔に抱きついた。シェンが気持ちよさそうにうっとりとしていた。
 「シェンは守護機だけど、ボクにとっては、誰より大切な友達なんだ。一番、大好きなんだ」
 「守護機を、好き……?」
 セイはたまらずつんと鼻が痛くなった。胸が痛んだ。それはナージュがセイに落とした痛みの影だった。
 彼の無表情な瞳の裏には、いつも孤独と寂しさが秘められていた。ぶっきらぼうだったけれど、隠された優しさにいつも守られていた。とても心地がよかった。
 好きで大好きで――誰よりも愛しく思える存在だったのに、でも、もう彼には二度と会えない。何かをしてもらうばかりで、まだ何も返していないのに。
 ただ自分の思惑だけで、無理やりに目覚めさせ、けっきょくは癒えてない傷口をただ広げてしまっただけで終わらせてしまった。彼に嫌われたくなかった。傷つけたくなかった。いや、本当は彼が傷つけられるのを見て、自分の心がもっと傷つくのが怖かったのだ。
 だから耳玉をはずした。もっとひどく傷ついてしまうまえに、ナージュから逃げだした。玉をはずした瞬間から、いままで力ずくで彼をつなぎ止めていた罰をくらってしまった。弱虫だった報いを受けたのだ。
 いなくなるということが、これほどつらいことだとは思わなかったから。
 もう――決して、あの満ちたりた時は帰ってこない。涙が零れおちた。
 「ねえ、どうして泣くの。なにかつらいことがあったの?」
 顔をおおって泣きだしたセイに、少年がそっと声をひそめ、優しく声をかけた。
 肩にかかる髪をなで、小さな手が背をトントンとたたいく。少年はセイがおさまるまで、ずっと側にいてくれた。優しい子と思った。誰かの優しさは、なんでこんなに傷ついた心には染みこむのだろう。セイは涙を腕で何度かぬぐった。
 「大切な人が――ボクを守ってくれていた人がね、いなくなったんだ。ボクが傷つけてしまったから」
 少年はセイの目の中をのぞきこむようにして、胸に手をそっ当ててきた。
 「じゃあ、ここがずっと痛かったんだね。かわいそうに。ボクも、よくわからないけど、そういうことが時々あるんだ。そんなときはいつもシェンにそばに居てもらうよ。だけどあなたにはいなくなってしまったから、かわりにボクがいてあげるね」
 人の温もりがこんな魔法をもっていたのだと、セイは改めて気づいた。ナージュとは違う心音だけれど、けれどやっぱり彼と砂漠で眠った日々を思い起こさせて、涙をにじませる。
 「……ありがとう。でも、もう大丈夫だよ。ごめんね急にさ。ボクはセイっていうんだ。君は?」
 「アシュナ。ベール王の第四王子、アシュナだよ。あ、この子はシェンっていうの。大魔法使いゼダが造ってくれたんだよ」
 本当に仲がよさそうにアシュナはシェンにじゃれついている。
 セイはそれを冷たい思いで見ていた。悪い予感が的中した。確かにこんな豪奢な部屋に、しかも守護機までもっている人間なんてそうはいないだろう。もしやと思ったが、まさか本当にアシュナがベール王の息子だったとは。少しのあいだ話が途切れた。
 「ベ、ベール王が、お父さんなの?」
 「うん」
 明瞭な返事。
 「そっか。いや……あの、王にこんな小さな子供がいたなんて、聞いてなかったからさ、ちょっと驚いちゃった」
 「そうだろうね。父様とボクは直接に血のつながりはないからね」
 「ええっ?!だって、そんなこと――」
 そんな重大なことをサラリと言っていいのか。なんと答えるべきなのだろうか。
 「ゼダがね、ボクを選んだんだって」
 「ゼ、ゼダって、魔法使いの?」
 「うん。イデルのゼダっていったら有名なんでしょ?乳母がそういってたよ。父様の片腕で、歴代の王に仕えてきたんだって。占術や祭事をしたり、研究なんかもいろいろしてて、薬も作ってるんだ。でも本当のところは、何をしてるのか、ボクもよく知らないんだけどね」
 「じゃあ、なんでその人が君を……?」
 シェンの耳がぴんっと立った。
 女官たちの硬質な靴の音がかすかにきこえた。この部屋にまっすぐむかっている。
 「あっ……」
 セイは顔をこわばらせた。アシュナはその無垢な心から、突然あらわれたセイでさえ、あっさり信じてくれた。でも、大人はそうはいかない。セイなどただの不審者だ。事実、セイは牢から逃げだして来ているし。
 アシュナはセイの様子に気づくと、手をにぎり、奥の部屋へとつれていった。
 つきあたりの重々しい扉をひらき中に入る。セイに唇に指をあててみせ、そのまま音をたてずに扉を閉じてしまった
 「アシュナ様。アシュナ様?薬のお時間でございますよ。どちらにいらっしゃいますの」
 同時に、アシュナの部屋の扉のひらき、少し声高の女性の声がした。アシュナは名前をよばれるのもかまわず、セイの手をひいたまま、つぎの扉をくぐっていく。そのまま、いくつかの部屋を抜けていった。
 アシュナは自分の部屋が遠くなると、はしゃいだように笑いだした。きっと秘密のいたずらをしているようで楽しいのだろう。セイもつられて笑いながら走っていた。
 「ねえアシュナ。薬の時間だって言ってたけどいいの?」
 「うん。だって別に飲まくってもどうってことないんだもん。あの薬、嫌いなんだ」
 階段を降りると、人気のない廊下にでた。変わらず白く荘厳な造りではあるが、人気がないと、やけに冷え冷えとして、拒絶的な感じをさせる。
 壁正面にかかってある大きな絵にセイは目を奪われた。美しい女性の肖像画だった。
 それはまるで、深海から生まれ出でるたばかりの真珠を思わせた。暗闇に浮かぶたったひとつの光のように神秘的で、麗然としている顔がいっそ怖いくらいに美しい。神秘的で、どことなく有翼人種特有の硬質さがあった。
 白い珊瑚の髪飾りに、純白の瀟洒なレースの服をきており、青い宝玉のネックレスをしている。宝石だけはなんと本物が埋め込まれていた。
 微笑んでいるのに、そこにはなぜか寂しさが浮きたっている。
 「なんて、綺麗なひとなの?」
 羽さえあれば有翼天人と間違えそうである。
 「ね?なんとなくセイに似てるでしょ。顔立ちっていうか、なんだかこう雰囲気が似てる気がするよ」
 「まさか!ボクなんかより、アシュナの方がずっと似てるんじゃないの。目元のあたりとか口元とかさ。でも、ねえこのひとは誰なの?」
 「メリジューヌ王妃だよ」
 「メリジューヌ?!じゃあ君の、お母さん?」
 アシュナは、だが首を横にふっていた。
 「違うよ。たしかにボクはメリジューヌ王妃に非常に似た遺伝情報を、多くは持っているけど、直接のつながりはないんだ」
 セイは言っていることがよくわからないと眉をすこし寄せた。
 だってアシュナはこんなにメリジューヌ王妃によく似ているではないか。
 それにしても、どうしてアシュナはそんなことまで知っているのだろうか。
 こんなことを知りすぎるのは、子供にはあまりにも残酷な気がする。
 「父様はね、メリジューヌ様を今でもすごく愛しているんだ。まったく忘れられないくらいにね。だからボクは、ゼダに選ばれて連れてこられたんだ。似てる者として、子を名乗ることを許されているんだよ。父様はいつも『夢み石』をもち歩いていて、メリジューヌ様の幻影を見てるんだ。少しでもメリジューヌ様の血に近い者を側におきたいんだよ」
 それは恐怖とさえいえる執念であろう。一切の他人の中から、たった一人に近い人間を捜すという、その気の遠くなるような行為を彼は行っている。あまりの凄さまじさに身の毛がよだつ。いったいどれだけの人間を調べたのか。どうやってそれらのことを行ったのか、想像さえもつかない。
 ――もしかして連れてこられた子供たちっていうのは、そのため?
 セイはふと浮かんだ考えに、だがすぐゾッとした。少年たちの死体を思い出してしまったのだ。では連れてこられた少年の末は――。
 「セイはお父様とお母様のこと覚えてる?」
 「な、なに、急に」
 「ボクね、ずっとここで乳母と守護機に育てられたから、お母様のこと何も知らないんだ。そのことを考えるたびに、どんな人だったんだろうって想像してるんだけど、どうしても思い浮かばないんだ。ボクとメリジューヌ様のDNAが近いってことは、母様もメリジューヌ様みたいに綺麗で優しそうな人だったのかなぁ、なんてね。どんな声して、どんな風に呼びかけるんだろう。ねえ、セイみたいにいい匂いするのかな」
 そっと抱きついてきた。遠い目をして言うアシュナの言葉は、セイを愕然とさせていた。なんということか。セイもまた、親というものの存在を、いままで意識したことがなかったのだ。
 こうして生まれてきているのだから両親がいておかしくない。なのに、それら一片の記憶すらない。自分がどこからきたのか。本当は誰なのか。それを求める感情はどこへいったのか。
 なにも出てこなかった。それ以上を考えると空恐ろしくなる。すなわちそれは、自分はどこから来て、どこへ行くのかという、究極の問へいきつくからだ。
 セイは答えられなかった。
 「セイ?」
 「ごめん、それは、ボクにも答えられないんだ。……アシュナ、ねえ、君はずっとここで育てられたんだよね。赤ちゃんのときに連れてこられたの?」
 「知らないよ。気がついたらもうここにいたんだ。モーナがいてシェンもいて――。そういえば、だれもボクの赤ちゃんの時の話はしないなあ。なんでかな?あっ、けど誤解しないでね。べつにここに不満があるわけじゃないんだよ。モーナもシェンも優しいし大好きなんだ。父様も優しいし、兄さんたちも……」
 ふっと口を閉ざした。が、すぐに笑った。
 「ねえ庭に出ようよ。花が咲いているんだよ、知ってた?」
 「花?本当にあるの?」
 「うん。シェンが採ってきてくれたのを、ボクが植えて育ててたんだ」
 砂漠のなかで見ることのできる植物は、たいてい限られていた。
 『花』という言葉が砂漠において意味するのは、石が風化してできた砂の結晶でしかない。生きて咲いている花を見るのはセイもは始めてだった。
 「でも庭って、その――門が、その、あるんじゃないのかい」
 「ああ、アカパーナの門のことだね。違うよ。庭っていっても、生贄の広場じゃなくって、ボクの宮殿の庭さ。アカパーナの門はボクも嫌いなんだ。なんか気持ち悪いんだもん。父様は大切にしているみたいだけどね」
 「王があんなものを?何でだろう、あんな場所に門を作るなんて変な気がするけど」
 セイはあの門を思いだし、身震いをつくと、アシュナについて庭にでていった。
 たしかに驚いた。こんなに多くの緑を見たことがなかった。
 豊富な水を与えられ、目に痛いような濃い緑の青が、生き生きとして葉をひろげている。若葉を芽吹いた木がすくすくと枝をのばし、芝に影を落としている。
 どれ一つとして同じ緑の色をもった植物はなく、表情豊かに咲いている。
 「地上に、まだこんなところがあったんだ」
 セイは空気を思いきり吸った。緑の匂いが肺をみたした。
 クッとセイの様子がかわった。まるで仮面をかぶっているかのような、別人の顔。
 『知っている――そう私は、知っている』
 それは、セイの声ではなかった。
 『まだ砂が、地上の浄化をはじめる以前は、緑が地上を覆いつくしていた。生命は等しくこの地上に生き、獣と人は住処を分けあっていた。湿った風は大地に恵みを与え、土の匂いは芳しく、陽の輝きは生命を愛していた』
 「セイ……?」
 声が発せられると、瞬きをするまもなく、全身の淡い光が大きく膨らみ、それが辺りに伝わっていった。植物までが光を帯てゆく。
 『海の青はつきることなく広がり、太空の青と海の青は混じりあい、果てしなく美しかった。――世界は、美しかったのだ。青の魔法で染められて輝く、青く美しい球体は、魔法使いがいなくなったいま、海も空も、人の心までも灰色にくすみ、消えそうになってしまった……・聖なる青い光を取り戻すためには、それを……』
 「セイ、どうしちゃったの?!セイ聞こえてる?」
 「あっ……えっと…アシュナ?」
 アシュナにすがりつくように揺さぶられ、セイの顔つきがもどった。
 セイの発光が弱くしぼんだ。
 「ああ、アシュナどうかしたの」
 「どうかしたのって、セイ、いま――」
 アシュナは、セイの紫紺の瞳にみつめられ、なぜか口ごもってしまった。さっきのあれは、何だったのだろうか。先ほどのセイの様子を何と言えばいいのかわからない。
 「何してるんだアシュナ――誰を連れているんだ!」
 廊下からわめくような声がした。アシュナはギョッとして、声の主へ顔をむけた。
 「ヨ、ヨギ兄さん」
 次兄のヨギだった。色の白い小太りの男だった。
 顔立ちはたしかに整ってはいるが、余分な肉がその美しさを半減させていた。締まりのない肉は脂肪ばかりであろうか。
 「なにをしてる!このグズのウスノロ!毎日毎日そんなとろこにへばりつきやがって。ほんと女々しいやつだな、出来損ないめ」
 ヨギはいかにも怠惰そうに体をもてあまして、陰険そうな目つきをしていた。
 彼もまたDNAが近いだけの兄弟である。
 そのわりには、気質がアシュナとは違いすぎているようだ。顔も似ていないのだが、アシュナと似ていない、というよりも肖像画のメリジューヌと似ていないといったほうが、より近いだろう。
 ヨギはセイの姿が視界にはいったとたん、よけい意地悪な顔つきになった。
 「おい、またおまえ、父様にねだって新しいヤツもらったのか?!くそう、ミソっかすのくせに、甘えるのだけは一人前なんだな」
 「あっ、あのこの人は――」
 「父上のお気に入りだからって、いい気になるなよ」
 「そんな、お気に入りだなんて」
 「うるさい!勝手なことばかりしやがってたら痛い目にあわせてやるんだからな。俺はおまえのすることは、なんでも気に障るんだ。おまえが嫌いでしょうがないんだよ、このウスノロ」
 ヨギの肩のうえに乗っていた双頭の鷲が、耳障りにしわがれた声で鳴いた。
 「あの鳥は?」
 セイが小声でたずねた。あれも幻獣の一種だろう。
 「兄さんの守護機だよ。守護機は兄弟でみんな違っているんだ。一番上のエドリ兄さんは麒麟で、二番目のヨギ兄さんは双頭の鷹。三番目のウーナ兄さんは鳳凰。そしてボクがユニコーンなんだ」
 「なにそっちでグチグチ言ってやがる!」
 ヒステリックな叫びにアシュナが飛びあがった。ヨギはずかずか近寄るといきなり掴みかかり、アシュナの襟首をもちあげた。運動などしたこのない、白い肉が醜くたわんだ手だ。
 引き上げられた服からアシュナの背中がのぞいた。青黒いあざがいくつかみえた。
 「やめなよ。手を離して。アシュナは何にもしてないじゃないか」
 「うるさい!ペットが俺に刃向かう気か」
 止めようとしたセイに歯を剥き出すと、ヨギは今度はセイの髪を引っ張りあげた。
 「い、痛いよ。ちょっと放してよ。なにすんだ、痛いってば」
 「兄さんやめてよ!」
 「人形のくせに大きな口叩くからだ。ああ?おまえはなんで光ってるんだ?」
 セイは背中を蹴られ、膝を折った。
 「めずらしい目の色だな。おいアシュナ、これ気に入ったから俺が貰うぞ」
 「待ってよ。セイは――だめだよ兄さん、やめてよ」
 気の弱そうに、それでも必死ですがるアシュナは興奮して真っ赤になっていた。言い返すのは初めてなのだろう。
 シェンがヨギの服を引っ張った。尖った角が凶悪に光り、彼にむけられていた。喉に一直線である。
 シェンの様子にヨギの肩のうえの鷹が鋭く鳴くが、一歩もひかない。ヨギが手を放すのまで、じっと静かに睨んでいた。
 「チッ、守護機のくせに生意気な。俺に少しでも傷がついたら解体だ、いいんだな」
 「駄目だよ!それだけはやめて」
 「そういえば、俺のリュートの弦が切れたんだよな。おまえのユニコーンのしっぽの毛をよこせよ。そしたら考えてもいいぞ」
 「こないだもそう言っていっぱい取ったばっかりじゃぁないか!」
 よくみると、たてがみの一部が根元からすっぽりと切り取られている。白い毛に隠されていたが、あちこちに治りかけの傷があった。
 「なんだぁ、文句あるのか」
 「いいかげんにしとけ、ヨギ」
 腕をふりあげたヨギの顔が、その声にひきつった。なにか文句をいいたげに、廊下の青年に顔をむけた。
 結局、口元を醜く歪ませはしたが、ヨギは不自然にみえるほど機械的に手をおろした。アシュナを腹だたしげに一瞥しただけで、逃げるように足早に立ち去って行った。
 「エドリ兄さん!」
 嬉しそうに呼びかけたアシュナに、エドリは鋭利な視線をなげかけた。
 プライドの高そうな、勝気な顎をそびえさせ、銀色の瞳がよけい冷然とみせている。その容貌は王妃の面影がないというよりは、まったく別の美しさがあるといえる。
 とりつく隙もなく、そしらぬ顔で去っていった。麒麟が主人と同じようにすまして通りすぎてゆく。
 「あれが、長子エドリ……?」
 アシュナはガッカリしたようにうつむいた。
 「エドリ兄さんは、ボクとあんまり口を聞いてくれないんだ。ううん、ほとんどは話をしたこともないんだよ」
 「兄弟なのにどうしてだろうね。でもいじめたりはしないんだろ?なんだかあの人も全然、王妃様に似てないね」
 「うん。エドリ兄さんだけは父様と本当に血がつながっているんだ。だからボクなんか相手にしてくれないんだよ」
 「王の実子?じゃあ、メリジューヌ王妃との――?」
 知ってか知らずか、それへの答えなかった。
 アシュナはシェンに抱きついて長い毛に顔を伏せてしまった。
 あまりしゃべりたくないらしい。長い首をまわし、シェンは主人の背中をトントンと鼻でたたく。まるで、アシュナが最初に、セイにしてくれたみたいに。
 しばらくするとまた何事もなかったように顔を上げ明るく顔をほころばせてみせた。
 「ごめんねセイ。兄さんたちも、今日は特別機嫌がよくなかったみたいだ。いつもはそんなことないんだよ」
 「アシュナ……」
 「セイ、こっちに来て。あの木の下にボクが植えた火花草があるんだ。すっごくキレイな花が咲くんだよ。ガルダイアの谷から取り寄せたんだから。昨日蕾をつけてたから、もう咲くかもしれないよ。ボクの顔より大きな赤い花なんだよ」
 アシュナは花壇まで駆けていった。
 花壇を見るなり、そのまま茫然とたちつくしていた。絶句してしまった。
 咲いているはずの花は一輪もなかった。土がひっくり返され、むちゃくちゃに荒されていた。掘り出された球根にはかじったような歯形まであった。
 「ひどい……」
 アシュナは一言そういうとへたりこんだ。
 数少ない球根を植え、何度も水をやった。草をぬき、肥料をやり、それでもいくつも枯れさせて、失敗に失敗を重ねて、ようやく花をつけたのだ。それも最初五十株あったうちのたったの五株だけだった。
 「アシュナ」
 呼びかけるセイの前で、アシュナはおさえきれなくなったのか、ぽろぽろと水色の瞳から涙をこぼした。いくら水が豊富とはいえ、汚れた空気と土で、貧弱な球根から芽を出すのに、どれだけ苦労したか思いしれない。
 セイは土に膝をつけてしゃがんだ。無惨に欠けた球根に手をのばした。
 額の竜玉から、光が強く発せられた。セイの全身の発光が竜玉に吸い込まれていく。
 その光は球根へと注がれ、花壇へと溢れてゆき、しだいに小波のように波打っていたかと思うと、みるみるうちに、喰いあらされた球根たちから芽がふきだした。葉をつけ、蕾をふくらませはじめてゆく。
 アシュナは信じられないと目を精一杯開いてみていた。笑顔がうかび、セイに飛びついた。アシュナの思いが緑竜へ通じたのだろうか。
 セイは自分でも驚いていた。ただ球根に手をのばしただけなのに。
 アシュナはそれを花壇に植えた。土をかけおえるといっせいに花が開いた。芳香がひろがり鼻腔を柔らかくくすぐった。
 「すごい!すごいすごいすごい!セイすごいや、ほんとに魔法使いだったんだね。花を咲かせるなんてすごいよ!緑の魔法使いなんだね、セイ」
 セイの体から光は失われていた。光っていたあいだじゅう大人びた様子だったのが、すっきりといつもの子供の顔に戻っていた。
 アシュナは再びビックリしていたが、すぐに幼くなったセイに、こんどは親しみこめて抱きついた。
 「セイ、不思議なセイ。ボク、セイと友達になれてよかった。本当によかった」
 アシュナはセイの頬にキスをした。柔らかい唇にびっくりして、どうしていいかわからず赤くなり戸惑った。アシュナといると不思議な感じがする。
 本当はセイの竜玉の力がしたのであって、自分の力なのではない。そう言いたかったのだが、あまり喜ぶので、なんとなく言いそびれてしまった。
 アシュナはセイを放そうとせず、ずっと抱き締めていた。
 「ア、アシュナ……」
 「セイ、セイ。ずっとそばにいてね。どこへも行かないでボクの傍にずっといてね」
 「アシュナ、でもボクは――」
 セイはどう答えていいのかわからず、返事が返せない。
 これからのことなど、なに一つセイにはわかっていないのだ。
 ただ純真な瞳で見つめられると言葉を失ってしまうほかない。
 「アシュナ様、アシュナ様、どこです――」
 乳母の声がとうとう庭にまで響いてきた。返事をする代わりに、シェンが高く稲鳴いていた。


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