黎明の翼

3

 
  どのくらい眠ったのだろうか、ふとセイは目がパチリとあいてしまった。
 突然眠りから追い出されてしまったのだ。
 入口からもれる黄金の光が、一直線にセイの顔にのびていた。
 まぶしそうに目を細めながら差しこむ方向に目をやる。光が眼のなかに飛びこんだ。
 なぜかとたんに懐かしさがこみあげてきて、不意に涙が零れそうになってしまった。
 自分ではない誰か別の意識が、胸の中に混じりこんできたみたいだった。
 懐かしさ悲しさが一緒になったこれは、いったい誰のものだろう。
 あたりをみまわすと、ロトとラードはすぐ横で息を殺すように眠っていた。剣を抱えたレイズが入口で仮眠している。
 セイは誘われるように、そっと外に這いだした。
 日はだい傾き、空の色が夜へむけて濃さを増してきていた。突風が砂をともない、体のそばを通りぬけていく。
 青く透けた輝く球体が、そこに浮かんでいるでいた。セイのそばでのフワフワよってくると、薄く明滅しはじめる。
 「この光――」
 レイズと会う直前にみた、あの、青い光だった。いつからいたのだろうか。
 あのときと同じ、なんともいえないもどかしいような感覚が甦えってきた。狂おしいような切なさと悲しみに発光しながら、セイによりそい、まとわりついてくる。
 セイはその光を知っていような気がした。耳玉が燃えて熱くなった。
 「おいで、ここにおいでよ」
 セイはそれに手を差しだした。それが腕の中に素直におさまると、そっと抱いた。
 青い球体は吸い込まれるようにして、そのままセイの中に消えてしまった。
 パァッと一瞬、胸が青く光った。
 セイは小さく呻いて砂の上にのめった。心臓を鷲掴みにするような激痛だったのだ。
 脂汗がこめかみに伝いおちた。息がまったくできない。
 その痛みは、肉体ではなく精神によるものだった。心が貫かれ、崩壊しそうにならんばかりの狂気が頭のなかではじる、神経を灼き焦がされてゆく気がする。
 そして、遠くに聞こえてきたのは、つんざくような悲鳴と、絶望の嗚咽だった。
 「――うそだ。違う!」
 セイはその声に同調するように叫んでいた。
 目の前に浮かびあがった映像に、おもわず吐き気がした。
 それは自分の腕の肉を乱暴にはぎとっており、肉のなくなったそこ現れているのは、骨ではなく、なんともおぞましい機械の電気配線だった。
 ショートしているのか電光の火花を散らしていた。金属片に反射してはねあがる。
 だが機械にしてはまりに激烈な痛みだった。本当に腕を切られ、肉をそがれた人間しか感じられない、身そのもの痛みなだった。
 「ちがうっ、機械なんかじゃない!ぜったい違う!ボクはモノじゃない、人間だ!!」
 もはや何が夢で、なにが現実で、どこまでが本当なのか、セイにはわからなくなってきていた。
 いまにも発狂するようにセイはわめきながら、さらに真実をたしかめようと、腕の肉を切り裂いてゆく。
 耐えられないような熾烈な痛み。血が残酷に飛び散り、額が赤くそまる。この痛みが嘘だなんて信じられない。自分が機械なんかであるはずがないではないか。
 人間だ、人間なんだ!そう叫ばずにはいられなかった。そうではければ、この張り裂けんばかりの悲しみはいったい何なのだ。
 この痛みと苦しみに、なんの意味があるだろう。機械がなぜ痛みや悲しみを感じる必要がある。
 腕に突きたてたナイフの切っ先が、ガリッと何かに当った。硬質の鋼によく似た音だった。ゾッとする。
 だが肉をさらにえぐり開いた。血の溜りのむこうに見えるのは、銀色をした――
 足を切り開いた。胸を切り開いた。
 痛みはどれもまごうことなく真実なのに、すべては同じモノだった。
 この体は本当に、機械なのか。誰かに作られた物なのか。胸にある銀の精密な機械版から、赤い導線が突き出てきた。そこにあるのは心臓ではなく、それはただの……。
 恐怖。狂気。絶望。憎悪。
 恐怖、狂気――憎悪! 憎悪! 憎悪!
 心の奥の何かが壊れてゆく音がした。大切なそれが砂粒よりも細かくなりこなごなに崩れ、涙に混じって落ちてゆく。
 誰が造ったのだ。どうして始めから、おまえは機械だと言ってはくれなかったのだ。
 そうすればこんなことにはならなかった。こんな思いは味あわなくてもすんだ。
 足元の砂が赤く染まっていった。とめどなく流れるいつわりの血を吸い、赤い苦渋の海がただ広がってゆくのみ。
 鳥の羽音が耳もとをかすめた。セイは涙にぬれる目を、ようやく開いた。
 「夢、だったの……?」
 それでも、おそるおそる腕に目をやる。つるりとしたそのままだ。
 足も胸も、みじんの傷さえない。足元の砂の一粒さえ血を吸ってない。
 「ああ…夢……。――夢で、よか…っ」
 声が震えた。冷たい汗が頬をつたうのを腕でぬぐいあげる。
 今のは本当に夢だったのか。なんという悪夢なのだろうか。生々しくて、狂おしいほどの絶望と憎悪のあの感情は、とても夢の紡いだ造り物だとは思えない。
 ――もしかして、誰かのみた夢?
 かつて誰かが味わった苦しみが、ゆくべき先を失って彷徨っているのだろうか。それをセイが知らずに取り込んでしまったのかもしれない。
 だが、なぜこんなに胸に残るのだろう。切なくてたまらない。
 「セイ、起きてたのか?――そろそろ出発するぞ。遊んでないで早く馬に乗れ」
 背後から聞こえたレイズの声に、セイは現実へとやっと戻る心地がした。
 涙をぬぐい、慌ててかけよりレイズにすがりついた。
 「レイズっ!」
 「お、おい、どうしたんだセイ。これから出発するんだぞ。そんなにしがみつくな。なんだ、別に置いて行きゃしないって、早く馬に乗れよ」
 頭を優しく撫でられても、そのまま小刻みに震えいる。セイの背をレイズは何度かさすってくれた。セイが甘えているのだろうと思ったのか小さく苦笑している。
 セイはレイズの手の強さと温かさに、これが現実なのだと何度も言いきかせていた。紫紺の瞳がうるんで今にも涙を落しそうになるのをどうにか飲みこんだ。
 レイズはそんなセイに気づかないまま、ナギの馬に乗せた。
 一行はそのまま出発した。


 旅人は、夜にさしかかる前の、ほんのひとときを急ぐものだ。
 最も歩みを進めやすい時間帯はわずかであり、すぐに急速な冷えがやってきて、馬の歩みがのろくなる。
 そうして何日も旅路を進めていた。
 ナギはセイに聞こえるか聞こえないかのかすかな声で歌ってくれていた。あれからどうしても沈みがちになり怯えをみせるセイに何かを感じ取っていたのであろう。
 背にあたる柔らかい温もりと優しい歌声が、セイから強張りをほぐし、ゆったりとした落ち着きを取り戻させてくれる。
 空気が冷たくなった。
 夕暮れの赤色が濃くなり、地平に太陽が大きくひろがり沈みかけたそのとき、ナギの黄金の双眸に光がスイッと横切っていった。
 「レイズあれ!」
 指さす先の丘陵のくぼみへ、小さな白いかたまりが見えた。
 瞳を凝らしていると、時折それがモゾモゾと動くのがわかる。
 視力のいいロトが駆けだそうとするのに、レイズが手で制止した。
 ゆっくりとまわりを警戒しながら、音をたてずに自分の馬だけを近づけていった。
 そうっと細心の注意をはらい、それに手をかける。
 「――人だ」
 レイズは確信したようにその白いかたまりを抱きあげた。白い布がめくれ、黒い髪がのぞいた。ロトたちもいっせいに緊張をとき、そのまま馬で近づいていった。
 ナギはひらりと馬から飛び降りると、レイズの腕のなかの子供の顔をのぞきこんだ。
 「子供だわ。どうしたのかしらこんな所で」
 まだ十二、三才ぐらいの子供だった。今にも途切れそうな息を肩で苦しげについていた。ケガはどこにもなさそうだが、顔が紙のように白い。衰弱が激しそうだ。
 レイズは腰の水袋を取りだすと少年の口につけた。少年はコクリと喉を動かす。吸引力が弱いのか、口のはしから水がこぼれ落ちていった。
 白いフードを脱がすと、幼い顔がむき出しになった。首にほんのりと獣相が浮かんでいる。青い鱗だ。
 「幻獣族だ」
 ロトがやっぱり、というように言った。ラードが首をかしげた。
 「けどこんな所に子供が一人でいるなんて、もしかして獣人狩りでもあったのかな」
 「他にもまだ誰かいるかもしれないぞ。レイズ、見てきた方がいいか?」
 「いや、まて」
 レイズがとめた。少年がふるえる目蓋をあけたのだ。淡い光彩は視点があっていない。頬をかるく叩くと、何度か瞬きをした。
 「おい、しっかりしろ、どうした?」
 「アッ――」
 少年はレイズをみると、いきなり脅えたように体をバタつかせ、とっさに逃げようと砂の上にころげおちた。砂を這い上がった。
 「安心しろ、俺たちは仲間だ」
 ロトが少年の肩に手をかけた。
 少年はビクッとしたが、ロトをみあげると、震える口をようやく開く。
 「なか、ま?」
 「ああ、仲間だ。俺たちも幻獣族だ」
 ロトがうなずき、落着かせるように優しく微笑む。
 死の砂漠と知りながら、傷ついた体でようやく逃げて来たのだ。
 できるだけ脅えさせないように、いたわるようにそっと抱きよせようとした。
 少年の顔がふうっと変わった。レイズは見逃さなかった。
 「よせロト!離れろ!」
 叫び声が終わらぬうちに、とロトの首がゴロリころがった。
 手をさしのべた姿のままの胴体から鮮血が吹き上がった。
 砂煙が一斉にたち昇った。どこに潜んでいたのか、いつのまにかまわりを取り囲むようにして現れたのは大勢の子供たちである。
 どの子供もみな、あまりにも静かな顔つきをしており、まるで死んでいるかのような精気のない眼をしていた。幼い手に剣をふりかざし、ゼンマイ仕掛けの人形のようにさえみえてくる。
 背筋が冷たくなるような光景だった。
 大の大人の兵士にとりかこまれるより、幼いだけにずっと恐ろしい。
 セイはなにが起こったのかまだ理解しかねていた。足元に転がってきたロトの首をぼんやり見つめている。とても現実のこととは思えず、思考が、ついてゆかない。
 首を切った少年は平然としたまま、無表情に血のついたナイフを舐めた。
 獲物を追いつめた冷酷な狩人の顔だ。
 ラードが我に返り、怒りに雄叫びををあげた。
 「くそぉぉ、てめぇらっ!!」
 スラリとした長剣を腰から抜く、少年に切りかかっていった。人間の動きにくらべたら数十倍は上まわるラードのスピードですら、少年はいとも簡単にかわしていった。
 まるで次に出される動きを見透かしているかのように、攻撃をすべてきれいに避けてゆく。
 ごくあっさりと少年のナイフがラードのわき腹をえぐった。息一つ乱していない。
 少年は倒れるラードに馬乗りになると心臓をかきだした。手の中でビクビクと跳ねていた。そのときになって、はじめてナギの悲鳴があがった。セイも目を覚ます。
 レイズはそのままナギとセイを抱えると、後ろに飛び退いた。
 いままで立っていたそこには、銀の糸のようなものが交差していた。絡み合い、冷たい金属音がすると、ザッと砂をえぐって四散してゆく。跳躍力の高い獣人を捕まえるための専用具だ。
 攻撃は途切れることなく繰りかえされた。砂の窪みに落ちるまでつづいた。
 レイズはギリッと歯をかみしめ、犬歯を凶暴にのぞかせた。ナギとセイを抱えたままの手が、怒りにかすかに震えている。
 「ちくしょう、やつら獣人狩りの尖兵だ。あの武器は間違いない。まさかこんな子供とは――!くそうっ俺としたことがやられたっ!」
 姿こそは子供だが、尋常ではない手練をもつ禍々しい殺人集団だった。幾つもの村々を襲い、人々を殺し、還付なきまでに壊滅させてゆくという、恐ろしい部隊だった。
 話には聞いていたが、よもやその冷酷な死神が、こんな年端もいかない子供だとは思いもしなかったのだ。
 「レイズ、ロトが、ラードが――レイズ……ああっ!!」
 レイズの腕に抱えられたままのナギが錯乱しかかったように叫んでいた。、まわりの機械のような子供たちを見てガクガクと震えている。
 「落ち着けナギ、落ち着くんだ」
 「嘘だわ、こんな子供がこんなことするなんてっ――嘘よ!」
 嘘だと言いたい。いや、嘘であってほしい。
 セイはただ茫然としたままナギの声を聞き、ただ少年達の顔をみまわしていた。
 彼にはまだ死ということの実感を受け入れられなかった。だって本当についさっきまで、なにかと世話をやき、ナギとレイズをからかっていたのだ。
 ロトの生首が、まるで造り物のように寂しく砂の上にたたずんでいた。その眼は大きく見開かれ、己の死さえわかっていない。ラードの切り裂かれた体はまだ生きているように痙攣しており、ヒクついて苦しみ喘いでいるかに見える。
 セイはロトとラードの顔を見つめた。彼らもセイを見つめていた。
 時がとまったように凍りついた。思考が、うまく働かない。
 死神の顔をした子供たちは、徐々に円をすぼめてきた。その顔はどれものっぺりとして無表情だった。異様に冷たい瞳の色が、どこかポッカリとあいた穴のようで、死の薄闇を引き連れたまま、じりじりと詰め寄ってくる。
 ナイフを舐めていた少年の頬がピクリとすると、それが合図なのか、子供たちはいっせいに襲いかかってきた。
 レイズはナギとセイを後ろ手に庇い、目にもとまらぬ速さで攻撃をかわしてゆき、剣を受けとめる。少年たちの剣の圧力強まってゆき、刃こぼれを起こした剣先が、セイの頬をかすめていった。
 「ナギ、その穴に隠れろ!」
 「レイズ――」
 セイはナギに抱えられ砂の上に押しつけられた。穴にはいるとナギが被さってきた。
 砂が上からさらさらと落ちてくる。どんどん覆われてゆく。
 剣の触れあう硬質な音だけがしばらく続いていたが、しだいに小さくなり、ナギの震えと鼓動の音がだけ大きく聞こえてきた。張り裂けんばかりの心臓が、まるで今にも胸から飛び出してきそうである。
 どれくらいそうしていただろうか、ふいに全身へ痛みが走った。
 「ナギ――!!」
 レイズの叫び声がした。
 暗闇に聞こえたその声は、まるで断末の祈りの声のように哀しかった。
 「レイズ!」
 ナギはもがくように必死で穴から這いだしたていった。セイもそれに続いた。
 胸に剣をいく本も突きたてられた、レイズの姿が目に飛び込んだ。
 少年たちに囲まれて、立ったまま、すでにこと切れていた。
 「レイズ!レイズレイズ――っ!!」
 駆けよるナギたちを少年らが乱暴に抑えつけた。気が狂ったようなナギの声がいく度もこだました。
 レイズのまわりには幾十をこえる少年たちの死体が折り重なっていた。少年達は仲間の死さえ無感動なようすで、そ知らぬ顔をして、無造作に踏みつけ越えてゆく。
 ただ暴れ狂うナギを冷然と見ているだけだった。
 セイは自分の心臓の音だけ耳に一杯になり、なにも聞こえなくなった。彼らが何をしているのか、何をしようとしているのかさえもわからない。
 いきなり首筋に鋭い痛みが走った。砂に押さえられていた。
「やめてっ、痛いっ――!」
 乱暴な手が額の竜玉に触れた。凄まじい力で剥ぎ取ろうとしていた。それは少年の手ではない。怪力の大男のような荒々しい力だ。
 額を引裂きそうな力が何度もくわえられ、肉をえぐられているような痛みにセイは何度も悲鳴をあげた。気が遠くなりそうだ。
 取り囲んでいるどの眼もどの顔も、蝋人形のように冷たくて、死を司る魔物のようだった。
 白い意識のなか、誰かが耳の玉に触った。砕かれるような痛みがセイの全てを奪い、気を失ってしまった。


 ひどく冷たい手だった。セイの頬に触れていた。
 うっすらと開けた視界には、ぼんやりとナギが映っていた。
 幽鬼のように青ざめており、まるで別人かと思ってしまうぐらい酷くやつれていた。目が落ち窪んだままギラギラしており、信じられないほどの面変わりをしている。
 「ナギ……」
 ナギの名前を呼んで、ズキッと頭が痛むのがわかった。レイズの最後が生々しく頭に甦った。
 痛みも忘れて飛び起き、まわりをみる。だがレイズはやはりいない。
 ついさきほどまで一緒にいた温もりがない。そんなこと信じられない。
 だって、あのレイズなのである。あまりに現実ばなれしていて、気分がひどく悪い物語のようにしか感じられない。
 ロトもラードも一緒になってさっきのは悪い冗談だったと笑いながら出てきそうだ。
 耳鳴りがしてきた。頭を押さえうずくまった。なにか大事なものが砕けて消えてしまったような気がする。身体が震え、セイは思わず吐きそうになってしまった。
 首に冷たい手が当たった。熱をもった体にはずいぶんと心地がいい。だがそれはナギの、悲しみに冷えた手であった。
 「ここは……どこ?」
 吐き気をこらえナギにたずねた。地下の冷たい空気に声がひびいた。
 「貴族の城よ」
 「貴族?」
 「そう。レイズを殺したやつらの――獣族狩りをしているやつらの、人間の城よ」
 薄闇にもわかるほどナギの黄金の目は冴えざえと冷たく光った。憎しみの光である
 「貴族どもはね、私たち獣人を狩ることを純粋な娯楽として楽しんでいるのよ。罪もない獣人を狩っては、殺した数を競っている。あいつらはみん悪魔の手先よ!楽しみのためだけに私達を――私のレイズを……っ!!!」
 怒りに息が詰まったかのように唇をかんだ。憎悪に燃えたナギの言葉は、激しすぎる感情のたかまりになって喉を焼いていた。
 「やつらはゲームを楽しんでいる。私兵を飼いならし、動物を狩るように私たちを狩っている。殺してるんだわ!」
 煮え滾るような怒りは、だが行き場所がなく、彼女はかたく握ったこぶしで地面を何度も叩いていた。皮膚がやぶれ、血が流れるさえかまわない。
 セイにはナギが慟哭しているようにみえた。痛みに全身でのたうっている。
 「ナギ……」
 「子供を使うなんて卑怯だわ!なんて畜生なやつらだ、くそったれめ!子供がこんなにいなくなっているのに、あんな幼い子たちを操って人殺しにするなんて。あいつら絶対許さない!絶対殺してやるっ!」
 セイはかける言葉をさがそうと口を開きかけた。
 ぐらりと世界がゆれた。硝子を引っかくような硬質の耳鳴りがして脳を掻き混ぜた。
 額の竜玉にそっと触れてみた。
 かなり熱くなっていた。あまりに乱暴に扱われたので竜玉が傷んだのかもしれない。
もしかして壊れたのかもしれないと、ビクビクしながらゆっくり触っていくと、サークレットを縁どっている銀細工に、わずかだがヒビがはいっているのが感じられた。
 そこに触れると疼痛がする。セイはいつのまにかサークレットとシンクロしていた。
 あまりの気分の悪さにセイは耐えられなくなり膝をついた。うずくまった。
 体を抱くように縮こまり、がたがたと震えだしてしまう。
 「セイ?」
 ナギは怒りをとめ、目の前で起こりはじめたそれに、目を瞠っていた。
 セイは発光するように薄く色づくと、まるで魔法にでもかけられたかのように、みるみるうちに成長していくではないか。
 五才くらいの幼げな子供の姿から、十二、三才ほどの少年の姿へとかわっていった。
 竜玉もまた鼓動を打っているように波立ち、サークレットもそれに合わせるように形を変えてゆく。珠が少し大きくなった。
 「セイっ?!」
 息を長く吐きだすと、セイは目をあけた。
 まるで脱皮をしたかのように、手足がすんなり伸びていた。ひからびたような浅黒い皮膚はすべて脱げおち、白く滑らかになって艶をおびている。赤褐色だったごわごわの髪が、亜麻色に変わり、柔らかくウエーブして頬にかかっている。
 額の竜玉までもが、緑青から透明にちかい藍色に変色していた。
 セイの紫紺の瞳だけが、以前の原型をとどめているだけで、それがなければセイだとわからないであろう。
 「セイ……あ、あんた……」
 ナギは見たこともない異物でも見るような顔つきをしていた。
 セイはまだ自分に起こった変化を把握できないままだった。ただ疲れたようにぼんやりとして、熱にうかされた息を吐いている。
 ナギが震える手でそっとセイの頬にふれた。普通の子供とかわらない柔らかさと体温があった。
 急激に変身した疲れからか、眠そうにしながらも、なんの疑問もなくセイはその手に頬をよせ、ホッとしたように微笑んだ。
 ガシャンッという鍵の開けられる音がした。二人ははっとしてそちらを見た。
 官吏の男が乱暴に入ってきた。凶悪な顔つきで二人を見下ろしている。
 その場の神秘的な空気が一変し、なんともいわれぬ緊張にこわばった。
 「きさまら出ろ!城主様がお呼びだぞ」
 セイはやっと、そこが動物でも繋がれていそうな、暗くて汚い檻の中だと気がついた。いや彼らは、セイとナギをまったくの動物として扱っているのである。
 乱暴に腕をつかまれた。容赦なく縛られると、そのままひっぱり出された。
 ナギが牙を剥いていたが、男達はものとせず、ますます荒く乱暴に追い立てるけだった。腕を縛られ、無理やり歩かされる途中、いくつもの部屋の前をすぎていった。
 一つだけ戸が開いている。それに思わず目をうばわれた。
 目に飛び込んできた光景は、あまりのおぞましかった。胃液が口に上ってくる。
 食べているのだ。少年たちが、人のカタチをした死肉をむさぼっている。
 セイを襲っただろう少年たちもそこにいた。夢中でソレを喰っていた。たぶん獣人と思われる死体が、山のように折り重なっており、それを剣で切り刻みながら、心臓をわし掴んで懸命に口に運び、咀嚼している。
 辺り一面が、飛散った臓腑で赤黒くなっていた。血の海である。だが誰も気にしていない。
 大勢の少年達が、たいして広くもない一室に閉じ込められていた。その部屋の中にはレイズやロトを殺した者たちの顔もあった。セイは震える手でナギの服を握る。ナギもまた青ざめた顔をさらに色をなくし、セイの手をきつく握った。
 男に先をせかされるまで棒立ちになっていた。怖くて口が開けない。
 二人は大きな部屋に連れてゆかれた。
 入るなり、セイはさらに目を大きくしてそれに見入った。
 玉座にふんぞり返り、みるからに偉そうにしていたその男ではなくて、彼の頭上に飾られている剥製の姿にだ。
 男はいかにもそれが自慢らしく、セイとナギの視線に満足したように、にやけた口元を細い舌で舐めた。ハ虫類的で、嫌悪感をもよおす好色な笑みに、胸が悪くなる。
 それは有翼人の女性だった。
 純白の翼を痛々しいほどに広げられ、大理石の壁掛けに据えつけられていた。
 この世の造形とは思われぬほど優麗な裸体であり、数分なく計算されつくしたような曲線に、震えくるような秀麗な顔がついている。まるで生きており、今にも動きだしそうな迫力をもっていた。リアルさが半端ではない。
 それから噴き出す霊気で、部屋全体の色が失われるほどに冷えていた。だが男たちは誰一人気づいていない。
 美しすぎていた。あまりに恐ろしかった。
 有翼の女性は、こんな屈辱的な仕打ちにあってさえ誇り高くみえた。男たちの愚かさを嘲笑しているようではないか。
 セイは信じられなかった。この美しい人を剥製にして飾ってしまうこの男の神経を。神聖なるものへの敬意を、まったく持ち合わせていないその無頼さを。
 城主であるサフラ=バルトは、いたく満足した様子で二人をしげしげと見ていた。
 この剥製を見た誰もがするその表情を、彼は悪趣味にも、何より楽しみにしていたのだった。
 「わたしの自慢の作品だ。どうだね、美しいだろう。これほどのコレクションを持つ者は他におらぬぞ。みな欲しがって困るっておるのだよ」
 ねばりつくような好色な声でホホホッと笑った。よくみると、部屋一面には、いろんな獣人たちの剥製が並んでいた。どれもがみな、美しい若者ばかりであり、生命の最期の悲哀をリアルに表現しながら、永遠に魂を封じ込められている。
 動かぬはずの彼らの表情が、恨めしそうに訴えかけてくるようで、セイはゾッとした。じっと見ていると気が狂いそうになる。
 隣にいるナギが、彼らと同じ表情をしていた。
 「まだこのような若い獣人どもが隠れておったとはの、嬉しいことよ。どれほど狩ってもいっこうに減らぬとは、やはり下等な生き物は生存能力が高いとみゆるわ。私のコレクションが増えて増えて困るぞのう、ガートや」
 「まことで御座います、ご主人様」
 神経質そうな細身の城主のサフラ=バルトの横には、恰幅のよい白髪の老大臣がいた。彼は肯定の返事をもとめられると、即座に主人の欲っするままに頷いていた。
 サフラ=バルトは舐めるようにナギをじっとりと見ていた。
 「多少の質の低下は否めぬが、まあこれぐらいなら私のコレクションに加えてやってもよい品じゃ。おまえは何の族なのじゃ、娘よ」
 近づきコレクションの分類をするかのように、ナギの喉を扇でもたげた。
 ナギは燃える目をしてサフラ=バルトを睨みつけた。喰いつかんばかりに唸り牙をのぞかせる。
 「わたしに触れるな!この恥知らずが!」
 「う〜む、この怒り方は、猫系かのう」
 扇をむねの膨らみに伝いおろすのに、ナギは目をむいて唾をはきかけた。
 控えていた側近の男たちによってナギはいきなり頭を殴られ、床にのめりこんだ。男は怒りに唸るナギの髪をひっぱると、強引に長い髪から獣毛を掻きだしてみせた。
 「たぶんこの毛だと、狼だと思いますが」
 「放せ、バカ野郎!触るなっ!」
 暴れるナギにかまわずその毛を数本引き抜いた。ナギが悲鳴をあげる。あまりに乱暴な扱いに、セイが暴れながら叫ぶ。
 「ナギにひどいことするな、やめろ!」
 男は飛びかかろうとするセイにかまわず、あっさりと首根っ子を掴みあげると、猫の子ようにぶらさげた。力も体格もあまりにも違いすぎた。
 サフラ=バルトは絹のレースのハンカチをひろげると、不快そうに顔を何度もぬぐった。冷たく言った。
 「犬狼族の女か。まあ、拾いものというところだな。狼の血が強そうであるのぅ。ふうむ、ということはあの辺りにはまだ隠れ里があるということかの」
 ねっとりと言う。
 「なるほどなるほど、それはいかんな。わたしは王より直々にこの地の管轄を任されておる身じゃ。ねこそぎ狩りつくしてしまわねば、王に申し訳がたたぬというものよ。のう獣人どもよ、そうは思わぬか」
 からかうような口調だが、あきらかに脅している。
 「このろくでなしめ!おまえのような悪魔は呪われて死ぬがいい!――いいや、わたしがおまえを八つ裂きにしてやる。絶対に殺してやる。我らが流した血の涙を、そのブタのような醜い身に味わうがいい。永業の炎で苦しみ、のたうちながら地獄に堕ちろ。かならず殺してやる――この悪魔め!」
 「なんとまあ下品な娘よ。やはり早めに剥製にするがよいわ。聞いてはおられぬぞ」
 サフラ=バルトがあきれたように扇をふる。
 「小娘、そなたのその無礼な言葉の数々をすぐに悔いるがいい。その活きのいい舌を引き抜いてくれよう」
 「きさまこそ、犬狼族の恐ろしさを思い知れ。我の呪いは必ずおまえを引き裂く!」
 「まったく生きのよいことじゃ。だがそなたはわたしの与える真の幸せを知らぬゆえに、そのような暴言を吐くのじゃ。考えてもみよ、そなたはその若い美しい姿のまま、老いさらばえることもなく永遠に生きられるのであるぞ」
 わたしのこの城で、と淫靡に笑った。
 「なにが幸せだ!これのどこが生きているんだ。意味もなく無為にただ死骸を辱めているだけじゃないか!」
 「ふうむ。これ、そこの者。ちょっと娘の服を剥いでみよ。狼の肌質がどんな状態かを確かめておきたい。それによって薬を考えねばならぬからな」
 「はっ、放せバカ!やだ、わたしに触るな、やめろっ!」
 めちゃくちゃに暴れて抵抗するナギに、男はたいして煩うこともなく、テキパキと慣れた動作で服を剥ぎ、破っていった。あっというまに服がただの布切れになり床にちった。
 ビロードのような小麦色の肌が露になった。はだけられた胸元には、こぶりだが形よい双丘があらわれる。羞恥のために、ナギの全身が淡く花のように色づいてゆく。
 「ほほぉ、これは生娘じゃな。これは生娘の肌の色じゃわい」
 サフラは好色な目をさらに下品に歪め、興奮したように鼻息を荒くした。男の手がナギの下半身の衣服にのびた。ナギは数人に拘束されて動くこともできない。
 「やめろっ、ナギをはなせ!」
 セイがかわりに激しくもがいた。だが、男の手は容赦なくナギの服をひきやぶった。
 ナギの固くつむった瞳から、涙がこぼれる。
 セイはカッとして、白い光が激情のように全身からわきあがった。
 掴んでいた男がうめき、電気にでも触れたみたいに驚き、手を離はなした。
 セイは夢中で飛びだしていた。ナギを辱めている男に全身で体当りをくらわすと、ぐらついて倒れる。ナギが間髪いれず男の股間に蹴りを入れた。
 グシャリと悲惨な音がした。男はそのまま白目をむき泡を吹いて倒れる。
 セイはナギをかばうように立ちはだかった。
 その横でセイを掴み抑えていた男がのたうちまわっていた。手が焼け焦げたように黒く炭化しており、痛みにうめいているのだ。
 「は、早く取り押さえんか!何をしておるこの馬鹿者どもが!」
 サフラ=バルトが眉間に筋をたてて怒鳴った。楽しく獲物をいたぶる時間が一変している。
 その叫びに、部屋の外にかまえていた側近たちが、息を吹き返したように慌しく中へ入ってきた。転がっている仲間たちの様子に、セイたちをひどく警戒しながらも、剣をギラつかせながら、ゆっくりと詰めよってくる。
 「さっさと捕まえい!このような子供をなぜ連れてきた。こんなモノわしのコレクションにもならぬぞ、さっさと殺してしまえ!」
 ヒステリックな声は裏返り、セイを忌々しげに睨んでいた。ナギをいたぶって楽しむことしか頭になかったサフラ=バルトには、意に沿わぬ出来事が起きると自制がきかなくなる。ヒステリックにわめく声が神経を逆なでさせた。
 「サフラ様少し落ち着きなさいませ。こんな子供などどうということはありませぬ」
 いままで控えていたガートが、やっと口を開き主をいさめた。
 「この子供を連れてこさせたのは私でございますよ。この者がつけているサークレットが、何やらおかしいと小耳にはさみましたのでね。――ようく見ますれば、なんとも珍しい色をしておりますし、どこかいわく有るらしく、官吏のいうことには、あの子供の額から離れないらしいのです。それにここに――」
 と耳たぶをさした。
 「――どうやら耳玉があるようす。もしかしたら、有翼人ではと……」
 「なにを馬鹿なことを!このような醜い子供が有翼人なわけがないではないか。笑わすでないわ。有翼人とは、幻獣族のなかでも格段に美しき種族じゃ。それをこんな汚い餓鬼が、冗談もたいがいにいたせ」
 眉根をよせたサフラ=バルトは、嘲けるように言い放つ。
 「ですが耳玉をもつ種族となると、他に何がおりましょう。有翼族以外ありませぬ」
 「本当に耳玉があったのか?」
 セイたちは彼らの会話を聞いているひまもなく暴れていたが、武器ももたぬ二人では、必死で抵抗するもあっけなく、つめよってきた男たちに、その場に押さえつけられてしまっていた。
 サフラ=バルトはガートのいうことの真偽を確かめるように、押さえつけられたセイのもとに歩みをよせた。先ほどのことが頭にあるのか、おそるおそる、まるで嫌なものにでも触るように扇で耳たぶをひっくり返し、コリッと押した。
 セイの首筋に鳥肌が大きく走った。たまらない嫌悪感だ。
 「なんじゃ、欠けておるではないか。こんな出来そこないの耳玉など見たことがないわ。これは紛い者じゃ。半翼人か、でなければただの混血じゃ。お前の見間違いよ」
 値打がないとばかりに忌々しげに叩いた。セイはうめき背をのけぞらせた。耳から血が流れる。
 サフラ=バルトの背後から、セイを食い入るように見つめていたガートが、今度は自ら詰めより、臭い息を吐きかけしげしげと上から下まで何度も目をやる。
 「これは、この少年の顔、この額飾り……」
 「どうしたのじゃ、ガート」
 ガートはいきなり兵を怒鳴りつけた。
 「おい、先ほど牢で見た少年と違うではないか!あの少年はどこじゃ、さっさと連れて参れ!」
 セイを連れてきた官吏の一人が、その剣幕にとびあがった。なんと説明しようか口ごもっている。
 「い、いいえ、あの牢には、たしかにこの少年しかおりませんでした。他にはいかなる生き物もなく、一歩も外には出してはいないはずでして――」
 「だがあきらかに違う者ではないか。もっと色の黒い、汚い子供だったはずだぞ。いや――姿はまあいい。だがこのサークレットの石と形は確かに先ほどまでとは違っておる」
 あれだけ印象的な物だったのだ。見間違うはずがない。そう怒るのに、官吏の男は訳がわからないとばかりに目を白黒させていた。
 「ガートよ、そなたの勘違いではないかの。玉など光の当り具合いで、どうとでも見える。さすがのそなたも年には勝てぬようじゃな。今年で百才と二十月になるのではなかったか」
 そう言われ、ガートはなにか言いたげであったが、むっつりとおし黙った。官吏の男をギロリと睨んだ。
 セイはまだ気づいていない。竜玉が、サークレットが変化していることに。
 心配そうに見つめるナギの目に、自分の姿をみようとして、護衛の男に強く押さえつけられた。
 「まあよい。そんなことよりそろそろ時間じゃ。のう、みなで見物せぬか。続きはその後じゃ」
 サフラ=バルトは扇であおぎながらさっさとバルコニーへ出ていった。
 ガートはまだセイを訝しげにみつめていたが、納得しないまま主についていった。
 開け放った窓から、鼻をつく異臭が風にのって吹きこんできた。神経を引っかくような苦しげな声と、泣きわめくような絶叫が空気を切りさくように上がっている。
 サフラ=バルトが階下をみてほくそえんでいた。
 セイとナギは背を押され、転がるようにバルコニーに出た。
 窓の下は、楕円形の広場になっていた。中央には、縄で縛られた者たちが五、六人ずつ並ばされており、それを少年兵たちが無表情に小突き、前に進ませる。
 前には剣を構えている別の兵がまっていた。サフラ=バルトが唇をペロリとなめた。
 「よおく見ておれよ。わたしの何よりの楽しみにしておる時間じゃからのう。この声を聞くと気分が晴れ晴れとしてくるわ」
 並ばされた者達が何か叫んでいた。前に進むのを拒むと、兵士たちが容赦なく足で蹴りあげている。その中には年寄りの顔も、まだ青年になりきらない少年の顔もある。
 幻獣人たちだった。セイたちとおなじように捕らえられ、連れてこられたのだ。
 サフラ=バルトが手をあげた。
 ふり下ろすと同時に、一番前の男の首が跳ねあがった。
 それを合図にリズムよく次々に飛び、血が鉄砲水のように噴き上がった。
 耳を塞ぎたくなるような悲鳴がした。阿鼻叫喚の地獄絵巻である。
 二階にまでたちこめていたのは、この血の臭いだったのだ。
 「次は二列目じゃ。今度はいっぺんにいくかのう」
 扇で合図する。次の二列の首がいっせいに落ちた。
 「やめてっ、ひどい、ひどすぎるっ!」
 ナギはたまりかねて叫んだ。
 「あんた人の命をなんだと思ってるのよ!なに考えてるの。それでも血が通っているの!?」
 サフラ=バルトを睨みつける目が切れあがり、殺気でナギの髪が波打っている。
 だがサフラ=バルトは笑っていた。それすらも楽しいとばかりに平然としており、また手を振り下ろした。さらに別の列の首がはねられ、転がってゆく。
 それで終わりはしなかった。悪夢のように、それは何度も繰り返されていった。
 喜悦に濡れたサフラ=バルトの横顔が、セイの目には、しだいに皮がめくれて黒く醜い悪魔へと変貌していくように見えていた。いや、本当が悪魔なのかもしれない。
 目をつぶっていても悲鳴が鼓膜にはりつき離れなかった。、竜玉が燃えそうに熱く煮え滾っていた。
  「もっと殺せぃ、おお、もっとじゃもっと!」
 嬉々として興奮し、手をたたいていた。はしゃぐ姿はあまりにも残酷すぎる。
 「こんなことって、ひどい……酷すぎる……」
 セイはやっとそれだけをつぶやいく。
 残忍さ極まる行為に身をふるわせ、目の前の死の乱舞をどうすることもできない、無力感に背中が冷たくなっていった。心がつぶされてゆくようだ。
 ナギが低くうめくように呪いの言葉を吐いた。
 「――許さないわ。おまえを決して許さない。レイズを殺した仇としてだけではなく、我ら幻獣族の憎むべき敵だっ」
 愛する者と仲間たちの死が、少女のなかの獣の血を呼び起こしたのか、小さな全身から得体のしれぬ強い気が湧き立ち流れはじめていた。
 目の奥が黄金に光りさざめいている。
 「まだ懲りずに生意気なことを言うか。たかが獣人の分際で、一人前な口をきくでないわ」
 サフラ=バルトの頭上には、もはやはっきりと歪んだ想念が黒く蠢いているのがセイには見えた。ナギのむきだしの白い胸に目をやり、いやらしい笑みを浮かべ赤い舌をチロリとだした。
 「おい、この娘を黙らせよ」
 その一言で、ナギを押さえていた男が動いた。いきなり強引に床に押し倒すと、のしかかってゆく。
 死にものぐるいで暴れるのに刺激されてか、男はしだいに興奮して息が荒くなり、残りの服を乱暴に破りはいでゆく。
 犯しはじめたのだ。サフラ=バルトが命じたままに。
 「やだ、触るな!放してよ、やめて――!!」
 セイにはまだ何が始まったのかわからなかった。だがナギに振りそそいでいるその暴力が、女性を辱めるもっとも残虐であり、根源を恥ずかしめ、穢すおぞましい行為だと本能的に感じていた。
 ただナギを助けようともがいた。普通の乱暴ではない。自分が犯されているようないやな感触が襲ってきて肌が粟立つ。
 「レイズ助けて!いや――」
 「ナギっ!」
 ナギの中の大切なものが壊されかけている。目の前で起こっている光景に息がとmりそうになる。
 「やめろ、やめろよ、ナギ――っ!」
 切り裂かれるナギの下半身に、男のそそりたった恐ろしいものが、深々と打ち込まれていった。ナギの体が痙攣し、赤い血が太股から床へと流れた。
 見開かれた黄色い瞳から涙がつたい、だくだくと零れてゆく。男のはげしい行為はそれで止まず、いや、それよりもいっそう激しくなり、肉の裂ける音がした。
 ナギの心音が、緩やかに小さくなってゆくのが、セイには聞こえた。
 肌の色が失われ、死人のそれに近づいている。
 何が起きているのかわからないままに、セイはあらんかぎりの声をふりしぼり絶叫していた。
 無力と、はなんという苦しみなのだろうか。何もできないということは、なんという屈辱なのか。力がない憤りを、はじめて身を引き裂かれる思いで知らされた。いっそ残酷ですらある。
 助けられない、だれも、無力な自分では、だれ一人だって助けられない。
 「ナギィィ――!」
 数え切れないほど叫んでいた声が枯れた。
 サフラの凶悪な愉悦にみちた笑い声だけが耳に凍るように障った。
 ナギが傷つけられれば傷つけられるほど、セイが叫び苦しめば苦しむほど、彼は楽しくてたまらない。
 ナギの動きがピタリと止まった。
 だらりと腕がたれ、そのまま動かなくなってしまった。
 「わたしは死に逝く者の涙が好きじゃ。どんな愚かな輩でも死だけは美しいからの」
 「――ちきしょう、ちきしょうっ!!」
 セイはその名を喉がきれるほどに叫び呼んでいた。
「――レイズ助けてよ!ナギを助けてよレイズっ!」
 ナギの最愛の人であり、獣人の里の守護剣士だった男。
 彼らの仲間が――ナギがこんなにも苦しめられているのだ。どうして助けにきてくれない。
 鼓膜をつきやぶるような雷鳴が響きわたった。
 セイの体から火花が高くふきあがっていた。青い膜のようなものが体を包んだかと思うと、まわりの男たちが一斉に衝撃によって吹き飛ばされ壁にのめりこんでいた。
 ナギのうえに乗っていた男が紙のように転がり、熱に焼け爛れたように、みるみる骨だけになっていった。
 セイはサフラ=バルトをあらんかぎりの憎しみをこめて睨みつけた。熱が男のほほを赤く焼いた。
 「ヒッ……ヒィィ――」
 化物でも見るように頬をおさえ尻もちをついた。
 逃れようとして怖気づき、後ろに這っていく。服にひっかかり転ぶすがたは惨めな芋虫のようだった。
 セイがそっとナギの体にふれた。瞬間、彼女の目がカッと見開らかれた。
 その両の目は鮮血のように赤く染まり、もはや人の心をなくしたただの獣だった。一度息を止めた彼女の体は、完全なる先祖がえりを起こしている。
 ナギは低く唸り、牙が大きくのぞいていた。気高い狼そのものだ。
 四つ這いになったまま、目にとまらぬ素早で飛びかかっていた。太ももの血がとびちった。主を守るように囲んでいた男達の首根がかき切られ、脇に倒れていった。すべて一刹那のことだった。
 「ナギ……」
 ナギの足は血で真赤だった。たぶん内臓の奥の奥までも傷つけられ、辱められていたのだろう。怒りに燃える双眸は、ただ一人を狙っている。彼女の眼にはそれ以外なにも映っていなかった。
 サフラ=バルトは情けなく失禁していた。
 老大臣のガートが支えるようにして手を貸し、後ろに引きずっていた。
 だがガートもまた、凄まじいナギの様子にガクガクと震えて足がもつれ、一緒にうしろに倒れた。
 「だ、だれか――だれかきて――」
 悲鳴すら意気地なく裏返っていた。
 ナギは確実にサフラに牙をむけた。決して許しはしない。殺気に髪が逆立てているように見える。
 いつのまにか背後のカーテンが燃えていた。
 セイから散った火花が、引火していたのだろう。見ればあちこちに火の手があがっている。
 ナギが飛びかかる寸前、ヒュンという音がして、数本の矢が彼女の体を貫いていた。
 「――グゥゥッ!」
 「ナギ!」
 主の悲鳴に反応して駆けつけた、あの少年兵たちが放ったものだった。
 こんなときまで彼らは無表情である。
 セイはナギにとびすがった。矢は正確に心臓を射抜いており、拍動は完全に止まっていた。なんという皮肉だろう。その姿は、まるでレイズの最後と同じではないか。
 ナギは言葉を失った。青いモヤが大きくうずまいた。
 サフラ=バルトとガートは抱えられるようにして、すでに少年達の後ろへ逃げ込んでいた。命拾いをしたように肩で息をついている。
 「だから犬狼族には気をつけなさいませと忠告したでしょう、サフラ様。この手の種族には、我々の想像もできぬことが起こりうるのですぞ」
 「ガ、ガート、わかった。わかったから、早く火を消してくれ。早く早く火を消さねば、わたしの城が――コレクションたちが燃えてしまうではないか!」
 セイの怒りに共鳴したかのように、炎がいちだんと大きく舞いあがっていた。
 ナギを抱いたままサフラ=バルトをねめつけるセイの姿が、一瞬、大人のように見えた。
 「わ、わかった、わかりましたぞ!こやつが誰に似ているか!あの男です。あの、有翼天人の王――翼の王セイレーク……!」
 ガートの叫びがかすれた。
 「まさかっ!こ、こんな子供など、似ても似つかぬわ。それに、有翼族は残らず滅ぼしたはずじゃ。ベール王みずから、そううかがったのじゃ。だいいち王妃メリジューヌ様の――」
 刃に射抜かれていたナギの目がカッと開かれた。跳ね上がったかと思うと、サフラ=バルトの首にくらいついていた。あまりの速さで目にはいらなかった。
 悲鳴をあげる城主の骨がくだける音がした。そのまま直角に顔がかたむいた。
 もう二度と、ナギもサフラ=バルトもピクリとも動かなかった。
 炎が大きく天井に走り上がった。津波のように何もかもを飲み込んでいった。
 残ったガートも、俊敏な少年達ですら、まるで意識のある炎に絡めとられるように包み込まれていく。何もかもが燃え、炎に消えてゆく。
 「……ナギ……レイズ……」
 セイはやっと気がついた。炎のなかにレイズのすがたが浮かんでいることに。
 レイズの魂が、そこに立っていたのだ。
 ロトが、ラードが、殺されていったおびただしい獣人たち気配が、炎にわきあがる部屋のなかで、セイにははっきりと感じられていた。
 焼かれることによってやっと魂が解放され、清められてゆく。憎しみも悲しみも消し去り、すべての根源へと、彼らは帰ってゆくことができるのだ。
 セイは、自分が赤い光に照らされているのがわかった。まわりに広がる紅蓮の炎から、自分だけが守られていた。
 赤い光は剥製から放たれたものだった。
 サフラの玉座に飾られた有翼人の瞳から、セイにまっすぐそそがれている。
 導かれるようにセイは彼女の前に立った。ふわりと白いものが浮きあがった。
 有翼人の幻影である。
 息が止まるほどに美しかった。剥製など比べるべくもなもない。これが有翼人の本当に姿なのか。セイは赤い光のなかへ包みこまれていった。
 『セイ――わたしはあなたが来るのを、ずっと待っていました』
 有翼人の女性がセイに語りかけてきた。
 「ボクのことを、知ってるの?!」
 『セイ、これは約束だったのです』
 女性はやっと願いが叶えられるかのように、ふうっと目を細めた。胸に染み入るようだった。
 「いつかあなたがここへ来ることは、すでに決まっていました。わたしは、あの方の言葉を伝えるためにずっとこうしてあなたを待っていたのです。我々の希望は、あなたに託されたのですからね、セイ』
 彼女から泉のように深い澄んだ思念が溢れてきた。抱きしめられているようだった。
 『セイ、あなたは竜の卵を孵すために選ばれた、ただ一人の有翼人――いいえ、有翼天人なのですよ。世界を支える竜王を孵化させることができ、また成竜となせるのは有翼天人のなかでも王家の者のみ。そしていま現存する有翼天人はあなただけです。あなたが、最後の一人なのです』
 「最後の、一人?」
 その言葉に思わず震えあがった。自分より他の一族のものは、ではいないのか。
 『あなたはまずこの砂漠の南にある、ガルダイアの谷へ行かねばなりません。竜の歌姫がいたと言われるそこにこそ、あなたを守護し助けてくれるただ一人の者――守護機『ナージュ』がいます。あなたは守護機に自分の魂を込めるのです』
 「守護機に、魂を、込める?」
 『そう。有翼天人には、個々人に、それぞれに自分を守護する機械人が定められています。あなたは自分の機械人である、守護機を目覚めさせ、五色の竜を捜しだして、その力を竜玉へ合わせなければなりません。でなければ竜は……』
 「ま、待ってよ!ボクに――ボクに竜を孵すなんてそんなことが出来るわけないじゃないか。だって、なんの力ももってないんだよ。何もできなかったんだよ」
 誰も助けられなかった。目の前で苦しむナギも、レイズも、ロトもラードも、だれも救えなかった。多くの仲間たちの死が、セイをよりいっそう無力感に苛んでいる。
 『セイ、それでもあなた以外もはや誰もいないのです。あなただけなのです』
 なんて重い言葉。孤独な痛み。
 『だからこそあなたにはナージュがどうしても必要なのです。守護機がなければ竜は孵えらない。なぜならもはや彼以外に、竜の歌姫の音を覚えているものはないのです。あなたの守護機のみが、あなたに卵を孵えらせることができるのです』
 有翼人の幻影は、不安そうに見あげるセイに微笑んだ。それはとても寂しそうな顔だった。
 『この世界は磁場の歪みに狂っています。歴史を語る者が消え去ってしまったために、竜の歌姫は殺されてしまいました。そして彼は――守護機は――』
 幻影がゆらめいた。時間がないように慌てて言葉をついだ。
 『あなたの耳玉を、守護機の額に埋め込むのです。そうすればあなたを主人と認め、あなたを守るようセットされて……はず――』
 赤い光が薄まった。燃えあがる炎の熱がセイの肌に近づいた。
 『セイ……セレ…ン……。頼みます…竜を……我らが、未来を……』
 声が消えるのと同時に、幻影も消え去ってしまった。
 赤い光がなくなり、セイは燃えさかる炎のなかで、有翼人の剥製が焼けて落ちるのをただ見ていた。
 セイはグッと拳に力をこめた。走りだした。
 背後の炎が猛りあがり、広間の天井が落ちる音がした。彼女はやっと役目を終えて帰ることができたのだ。そのためのずっとあの辱めの中で待っていてくれたのだ。
 セイはその思いを強く胸に受け止めていた。
 竜を孵えさなければならない。どんなことがあっても竜を孵えし、世界を滅亡の危機から救わなくてはいけない。けっして滅ぼすわけにはいかないのだ。
 こんな所で死ぬことは、だから絶対に許されない。
 セイはほとんど勘だけを頼りに、追ってくる炎を避けるようにして駆けぬけていった。自分の中の何かが目覚めたかのように、やけに体が軽かった。
 途中、大勢の少年兵たちが、せまい部屋に押し込められたまま、炎に灼かれているのをみた。彼らは逃げ出すでもなく、眉ひとつ動かさず、最後まで人形のようにいぶされるまま死してんでいく。
 セイはそれに不自然さを感じずにはいられなかったが、もう、何にもかまっている時間はなかった。長い廊下を全力で走っていった。ただひたすらに、自分を信じて。
 そしてそこに飛び込んだ。

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