黎明の翼

13

 
 ギネヴァの神郷までは、かなりの距離があった。
 ナージュは急いた気持ちをおさえきれず、憲兵隊にみつかることを覚悟で翼をひろげ、大空をきって先をいそいだ。青い月が、砂漠の砂を黄金に波たたせていた。翼の影だけが、白い蒼天の星々をさえぎり闇をさわがせている。
 ナージュは日暮れから、夜のあいだ中、飛行した。翌日、朝日が空を赤らめ始めるころには、倒れこむようにして砂漠に羽根をたたんだ。太陽が空の高みから地平線に落ちるまで泥のように眠り、どうにか次の飛行の鋭気をやしない、また先を急ぐのだ。
 そんな日を何日も繰り返していた。
 そのうちに、ただ行かねばという気持ちだけが頭を占め、最後にはもう自分がどこへ向い、なにをしようとしていたのかさえわからなくなってきていた。
 どうにか目を覚ましたとき、ナージュは頬に草の芽があたっていることに気がついた。慣れた砂の匂いではなく、水の甘さがすぐ近くから鼻をくすぐっている。
 はね起きて周囲をみわたした。
 砂の山かと思っていたのは、頑健な岩だった。岩はその地を囲うようにとりまいており、適度な日陰をつくっている。その中央を大きな川のような溝が貫いている。
 ほんのわずかだったが、中央の一筋に、水がひたひたと流れていた。そのまわりには、緑の草がひっそりと生えていた。今では見られなくなったなつかしい風景に、荒れた心がしずまってくるような気がする。
 冷静になってぐるりと顔をあげた。悠々としていて飲み込まれそうな景観がひろがっていた。そこだけが、太古の時のなかに、そのまま忘れさられたような静けさを保っている。吸い込まれるような清澄さに、ナージュはやっと目的地にたどり着いたことを知った。
 「ここが、ギネヴァの神郷か」
 かつては有翼族の聖地と呼ばれていた、幻の谷だった。
 世界が色を失うまえまでは、地上の天界とさえ呼ばれるほどに美しく、恵まれた緑の霊地であった。種多様な植物は、すべてが薬草となる魔力をそなえ、無心に来るものなら拒まず身を与えてくれた。花のかおりで心をいやしてくれた。
 ナージュは注意深く見まわしながら歩いた。スタートレットの星を一刻もはやく捜しださねばならない。死がセイに追いつくまでに、なんとしても持って帰らねば、ここまで来た意味がない。
 だが見たこともない花を本当に見つけられるのだろうか。不安がよぎった。
 ――セイのことで頭を一杯にしろ。
 賢者の言葉が脳裏によみがえった。ナージュは思わず苦々しい自嘲の笑みがもれる。
 「そんなこと、わざわざ言われなくても考えているさ。いつだって、嫌になるぐらいあいつのことばかり考えているんだからな――」
 なのに、一番大切なときには、きまって何もしてやれない。
 優しくできず、幾度となく傷つけ泣かせてしまったことか。どうしてなのか、いつもセイのまっすぐな視線にたじろぎ、そっけなくなってしまう。あんまりキレイで、不安さえ覚えてしまうのだ。
 本当は、その考えがいつもついてまわっていた。
 「俺は機械なんだ。機械にすぎないんだ。人とは、違うんだ……」
 その事実だけは、どうしても変えようがなく、人間でさえありえない自分がもどかしくて、つらすぎる。
 美しくなってゆくセイにとまどっていた。 女形へと変態したセイは、気安くふれるには、もう可憐で愛しすぎていた。まぶしいほどに美しくて真っ直ぐで、その視線の熱さに、つい機械だということを忘れそうになる。幸せな錯覚をおこしてしまう。
 それが苦痛でありながらも、また、泣きそうなほどの幸福を感じてしまった。
 だが機械にすぎない自分だけは、どうしようもない。それだけは変えられない。
 またシアと同じことを繰り返すだけとわかっていて、どうして愛せよう。しかもセイは主人である。
 「こんなにも、セイのことばかりだなんて」
 ナージュは吐き出すように言った。じりっと石を踏む音がして、その影に気がつく。
 「ずいぶんセイにご執心だな」
 「黒竜!」
 黒竜はナージュを嘲笑った。
 「また、そうやって殺すのか。おまえはシアの命を奪ったんだ。何度言わせる。もうおまえは他の誰も好きになっちゃいけないんだ。おまえが好きになると不幸になるんだ。わかっているんだろ、おまえは呪われた機械だ。セイだってきっとそうなる」
 ナージュのかたく握るこぶしが震えていた。ヴォルは勝ちほこったように笑った。
 「おまえの命は俺のものだ。他のやつを好きになるな。そんな事になるなら俺が殺してやるよ。他人のものになる前に、いま俺が殺してやろうか、ナージュ!」
 「――ヴォル、待ってくれ。いまは駄目だ。俺の命はやれない。どうしてもスタートレットの星を持って帰らなければならないんだ」
 ナージュは必死な面持ちで言った。
 「セイの命が危ないんだ。セイだけは絶対死なせるわけにはいかない」
 「ふん、あいつの命なんて俺には関係ないね。それがなんだっていうんだ。どうせおまえはそうやって命汚く逃げてるだけだろう」
 「違う!セイが死ねば竜だって死ぬんだぞ。世界が滅ぶんだ。おまえだって死んでしまうじゃないか」
 「俺は、シアがいない今となっては、もう生きている意味なんてないんだよ。シアのいない世界なんか興味ない。ナージュ、俺がいま欲しいのは、おまえの命だけさ」
 ナージュはグッとこらえた。
 だが、全身の力をぬくと、生きることを諦めた殉教者のようにうなだれて言った。
 「おまえがそこまで思っているのなら、しょうがないさ。俺の命はくれてやる。――だが、セイに、セイにスタートレットの星だけは持って行ってやってくれ。あいつはシアのこととは全然関係ない。まだまだ大切な役目を負ってるんだ。絶対死なせるわけにはいかない、頼む、黒竜!」
 自分の命より、セイの命を優先させようとする必死なナージュの思いに、黒竜はなぜか怒りを増したように眉を怒らせた。
 「いやだね。セイも世界も俺には関係ないって言ってるだろう。それに蒼竜もいないんだ。世界なんてもうどうにもならない。俺はおまえが死ねばいいだけだ。おまえがそんなに大切に思う人間なんて、みんな消えちまえばいい。おまえが他のことに気を奪われるなんて、そんなことは、許せないんだよっ」
 「黒竜!――ヴォル!」
 ぶつけられる感情の、本当の意味に気づき、ナージュは言葉を失った。
 憎しみに混じる思いが、泣いているようにみえるのは気のせいではない。ナージュはもう、それを振り払うことができなかった。ずっとずっと、憎しみという名でヴォルはすがりついてきていた。こんなにもはっきり、自分だけを求めているのだ。
 渇えていると必死で訴えている。彼は耐えられないほどに飢えている。
 それが、この身ひとつで癒されるなら、それもいいかもしれない。
 「わかったよ。俺がおまえを苦しめているんだな。俺が存在するかぎり、おまえは憎しみに捕らわれて苦しむしかないんだな」
 黒竜と、なぜか苦しむセイの姿が重ってみえた。
 「ならいいさ。殺せ俺を、黒竜」
 迷いはなかった。スッと目をとじた。それが定められた呪文であったかのように、瘴気に淀んでいた空気が、風にきええた。
 黒竜から殺気が消滅してしまった。そっとナージュの肩にヴォルがふれた。
 ためらうように、胸に耳を押し当て、刻む鼓動を聞いていた。
 生きていることを、そうやって確認せねば信じられぬというように。
 ヴォルは泣いていた。涙でずぶ濡れになった顔を彼の胸に埋めて、むせび泣いた。きっと彼も、なんのために泣いているのか、どうして憎んでいたのか、わからなくなっていたのだろう。
 ナージュはそっと肩をだいいた。ビクッとしたが、黒竜は大人しく身をあずけた。
 記憶が蘇る。
 村でよく話をしあったり相談に乗ってもらった。薬草を煎じるのを手伝ったり、薬をわけてもらったり、三人で笑いながらよく食事をした。兄弟のようにさえ思っていた。一人の女性を愛する同士でもあり、それが深い結びつきになっていた。
 黒竜は子供のような顔をして泣いていた。
 「わかってたんだ。わかってたんだ、ナージュが悪いんじゃないって」
 「ヴォル……」
 「ナージュどうしてなんだよ。なんであのとき殺してくれなかったんだ。もう、ずっと寂しかった。あの時シアといっしょに死んでしまいたかった。ナージュが谷で眠ってしまってから死ぬほど寂しくて、お前といっしょに眠ってしまいたかった。もうおいて行かないでくれ、ひとりは寂しくて嫌だ……」
 それが、彼の本心だったのだろう。
 一人眠りについてしまったナージュを、寂しさのあまり憎まなければならないほど、ヴォルはこの手を焦がれていた。シアへつながる、たった一人なのだ。
 「殺してくれ、ナージュの手のなかで死んでしまいたい。おまえが誰かを愛するのを見たくない、他の人のために傷つくのなんて、もう見たくないんだ」
 それはまるで愛の告白のように聞こえた。
 好きだから、もう自分以外誰も見ないでと、愛しているから、側にいてほしいと。
 そうでなければ、いっそ殺して自分も一緒に死んでやる。叶わぬなら、せめてその手で殺して欲しい。生きるか死ぬかしかない、激烈な感情。
 「ヴォル、許してくれ。きっともう、俺はシア以外のだれも愛さないと思っていた。愛するつもりもなかったし、愛そうとも思わなかった。なのに、こんなにも俺は、セイを、セイのことを――」
 「俺たちよりも、シアよりも大事なのか?!」
 ナージュに噛みつた。
 「なんでなんだよ!たかが耳玉じゃないか。そんなの外しちまえばいいさ。おまえは惑わされてるだけだ、そう錯覚してるだけに決まってる!」
 「以前の俺なら、たぶんそうだ、と答えていたよ。でも――」
 ヴォルはナージュの腕をはねつけ、叫んだ。
 「許さない!そんなこと絶対に許さない!」
 「そう、だから殺せ。機械だけど体だけならおまえたちにやれる」
 「そんなのダメだ!」
 「セイが大切なんだ。だれよりも」
 黒竜がかみつくようにキスをした。あふれ落ちる涙がナージュの頬に触れた。
 「ナージュ、好きだったんだずっと」
 抱きついて腕に力を込めた次の瞬間、ヴォルは煙となり、忽然と消えていた。
 「こく、竜――?ヴォル?!」
 「消えたのよ。おまえの中へね」
 紅竜だった。、炎の色をした髪をゆらし、目のまえに艶然として立っていた。
 「紅竜!なぜおまえがここにいるんだ?!」
 「黒竜はね、おまえを愛してたのだよ、ナージュ。シアを母のように慕いながら、おまえに魅かれていたんだ。だからいつも反抗し、気を惹こうとしていた。おまえが自分を忘れてしまわないように、必死でアピールしていたんだ。だれも好きになるなって。好きより強い感情、たとえそれが憎しみであろうと、やつは自分を思っていて欲しかったんだ」
 「でも、ヴォルは――」
 「竜はもともと両性具有なのさ。男にでも女にでも恋をしてしまう。いつの時代もそうだ。黒竜は激しい愛し方しかできない。相手も自分も滅ぼすような、そんな風にしか愛せないやつなんだ」
 紅竜はニッと思惑ありげに笑った。
 「言っておくが、わたしの恋は奪う恋だぞ、ナージュ。それが美しいものならどんな事をしてでも手にいれずにはいない。せいぜい覚悟しとくんだな」
 挑戦的に言ってから、ふと紅竜は、視線をナージュの背後の丘に移した。
 いつのまにか、赤い実をつけた植物がむれをなして生えてきているではないか。
 「みろ、もうスタートレットの星がもう実をつけている。きっと黒竜の心に免じて情けをかけてくれたのだろう。黒竜に感謝すべきだったようだな」
 「紅竜、あんたはなぜ――」
 紅竜はにやりと笑うと、それ以上の質問をゆるさなかった。幻影のように姿を消してしまった。
 ナージュはしばらく谷の風に吹かれていたが、なにかの強い意を決したように唇をつよく結ぶと、手早に実を摘んだ。懐に大事そうにしまうと、彼は迷うことなくまっすぐに、セイへと向かって羽をひろげたのだった。


 精妙にながれる賢者のリュートを、セイは遠くに聞いていた。
 無意識に歌をくちずさみながら、ぼんやりと思い出している。
 『セイよ、人はどうあがいても、罪なくして生きてゆけるものではないのだよ。ただ、それをどう許し、どう許されるかが問題であるだけで、罪はおまえを裁きはしない。おまえのほうが、罪を裁いているのだ』
 賢者はそれだけ云うと、あとはただ黙ってリュートを弾いてくれただけだった。
 罪を裁いているのか、罪に裁かれているのか、もう、それさえもよくわからなかった。ただ死にのぞんでいるような脱力感がどうしても拭えない。
 誰もセイを責めない。誰も、アサキをかえしてはくれない。
 それだけは、わかる。
 窓からのぞく軒先に、小鳥が遊んでいた。仲間と戯れながら、羽をひろげ、毛づくろいをしている。いそがしくさえずる声が楽しげで、まるで明るい窓の外と中とが、まったくかけはなれた別世界のように思われる。
 この部屋のむこうは、なんてまぶしくておだやかな場所にみえてしまうのだろう。
 セイは力の入らない体が重く沈むのを感じていた。このまま闇にとりつかれ、ずっと奥底にまで溺れてしまいそうだ。
 罰を受けなければ、許されない気がする。
 感情がいり乱れて収拾がつかなくなっていった。あらゆる思考がまざりあってセイの視界をふさいでいった。
 涙を流しすぎて、体が乾ききってしまい、このまま分解してしまえばいい。
 堕ちてゆくのだろうか、黒い竜玉を抱いて。
 暗黒の思考に捕らわれそうになったとき、鳥がいちだんと大きく鳴いた。
 セイはハッとして、悪夢の腕から逃れることができた。
 金茶色の小鳥だった。羽と口ばしが金にふちどられている。セイをじっとみつめている紫色の瞳がきれいだった。ふわりと風が髪をゆらせた。銀の耳飾りがゆれる音がした。まるで誰かにくちづけられたように唇が熱くなる。
 ――セイ。
 セイは鳥をみつめた。涙がポタポタと手の甲におちた。
 「……アサ…キ?」
 ――父さんを許してあげてね、セイ。
 「アサキ、アサキっ!」
 ――ボクのことはいいんだよ。もう、ボクのために誰も憎むことなんてないんだ。……セイ、自分をそんなに縛らないで。もう解放してあげてね、おねがい。
 「アサキ、ボクはだって――」
 ――セイきみは優しすぎるんだ。その優しさで自分を深く傷つけてしまってはいけないよ。それは強い武器にもなるけど、自分を傷つける鋭い刃にもなるんだからね。ボクは、きみが傷つくのを見たくないんだ。きみに笑っていてほしいんだ。
 風がセイを抱きしめた。
 ――きみが、好きだったよ。会ったときからずっと、好きだった。
 「アサ、キ……っ」
 視界が涙で見えなくなった。涙が滂沱とこぼれ落ちていた。胸がヒリヒリと灼けつく。アサキの思いが熱く染みこんでくる。
 目のまえの世界は、あまりに美しい陽光にみちていった。
 真っ暗な迷路が終わり、慈しみの手が泣いているセイを優しくつつんでいた。
 「アサキ……」
 セイは目をはっきりとあけた。胸の奥からとめどなく湧きだす光に、静かな、久さかたぶりの安らぎが甦ってきていた。
 ――セイ。
 優しげでそっと気遣うような声。甘いうずくような思いが、炎のごとくの熱情でセイを抱きしめる。セイはその腕に抱かれ、喜びにみちた眠りについていた。


 なにかが見つめているのを感じた。
 そこで待っている。じっと、ただ、ひたすら受け入れてくれるのを待っている。
 セイは心を解放し、やっと解ることができた。それが自分と同じ思いを持つものだということを。燃えたぎるような思いは激しすぎ、狂おしくて、恋というにはあまりに乱暴だった。己を溶かし相手を喰いちぎるほどの一途な熱情を秘めている。
 セイはその思いをとっくに知っていた。そう、自分のものだったから。そして誰にだってひそんでいる粋な思い――黒竜と同じ、思いだ。
 黒竜の心を強く感じていた。受け入れて、やっと本当の顔がみえたような気がした。
 やっと確信できた。
 抱いた思いすべてが、間違いではなかったのだと。
 目を、ゆっくり開けた。ナージュが心配そうにのぞきこんでいた。
 黒い瞳が、なんとも心細そうに歪められていた。
 まったく変わらない、無表情ともいえるナージュのなかには、こんなにも多くの思いが隠され抑えられていたのだ。ただ、それが人よりわかりにくいだけだったのだ。
 気づきもしなかった彼のなかの微妙な変化までもが、今ならとてもよくわかる。
 セイはナージュの首に抱きついた。
 黒竜の残留思念が、一緒にふくれあがってきて、その思いをどうしても止められなかった。言葉が口から溢れでた。
 「ナージュ、好きだよナージュ――大好き」
 「セイ……っ」
 いきなりぶつけられた熱い思いに、ナージュは困惑したように静止していた。
 だが決して否定的ではなく、そうっと、ためらいがちな手が背中にまわされた。
 腕が震えているのは、セイの体を気遣い、力がこもるのを堪えているからだ。
 同じこの鼓動。同じこのぬくもり。いつでもそばにあったのに、どうしてさっきまで忘れていたのだろう。
 「遅くなったセイ。スタートレットの星だ」
 しばらくして、セイが落ち着くのを待ってから、ナージュは懐からそれをとりだした。柔らかくほほえみ、赤い炎ににた実を手にのせる。
 セイはうっとりとそれを見た。懐かしさを呼び起こす、なんともいえない宝玉の光沢をもった赤い実が、艶々と光っている。薄皮の中でエネルギーの焔をあげている。
 自分をみつめているナージュの視線にふと気づいた。
 それから自分のとった行為を思いだし、火がついたように真っ赤になった。
 「あっ、あのナージュ、その……」
 「これを飲め。元気がでるはずだ」
 いまごろ照れはじめ、ひとりで焦っているセイにかまわず、ナージュは水の入ったコップをわたした。有無をいわさずスタートレットの星をセイの口へ転がし入れる。
 セイの喉が嚥下した。
 ナージュはやっと落ち着いたように息をついた。その表情に、セイはそれまでずっと彼が緊張していたのだと気がついた。
 「ゆっくり休めセイ。すぐによくなる」
 「ナージュ、あのっ……こ、ここにいてくれる?」
 痩せて骨ばった手で、服の端をギュッと握っているセイに、ナージュは立ち去ろうとするのをやめた。そのままベッドのかたわらに座る。安心したように笑い、セイは横になった。まぶたをそっと閉じるセイをナージュはしずかに見つめていた。
 「もうどこへもいかないで」
 ナージュが好き。
 つぶやきのように涙がひとすじ流れ、毛布に吸い込まれていった。


 セイがぐっすり眠りこんだのを見計らって、ナージュは賢者の部屋を訪れていた。
 ギュルヴィは思いつめたような顔をして入ってきたナージュに笑いかけると、座るようにとうながした。
 リュートをかき鳴らし、おだやかな口調でナージュをねぎらう。
 「ご苦労だったな、ナージュ。かなり大変だっただろう。だが、わたしも、おまえがあれほど早く実を採ってくるとは思わなかったよ。どうやら想像以上のようだな」
 賢者はどこか嬉しい誤算とでもいうように微笑んだ。
 「少なくとも、あと半月はかかると思っていたよ。むろん、谷への距離のこともあったが、まずスタートレットの星が咲いていないだろうと思っていたのでな」
 着いたときには、たしかに草の姿すらみえなかった。
 「どんな魔法を使ったのだいナージュ。あれは思いの草だ。捜す者の思いが深ければ深いほど、強ければ強いほど、早く花をつけてくれる。だが、これほど早期に手にするものがいるとは思いもしなかったよ。花が咲き実がなるまでに、普通ならば、最低でも十日はかかるのだからね。――おまえは、よほどセイが大事とみえるな」
 だがナージュは沈黙したままだった。
 「どうしてそんな神妙な顔をしているんだ。いつものおまえらしくないな」
 「賢者、俺は……」
 ずっと、思い悩んでいたような、掠れた声だった。
 「……教えてくれ。……俺は、わからない。どうしても、答えが見つからないんだ」
 なかなか言葉が継げられないナージュに、賢者は辛抱づよく待った。
 「賢者よ、――き、機械は、機械は本当に、人を、愛することができるのだろうか。人と同じように、愛する心があるのだろうか」
 絞り出したのは彼の苦しみの真実だった。
 「ナージュ」
 低く落ちついた賢者の声だった。
 「もしおまえが機械だということで悩んでいるとしたら、それは愚かなことだよ。自分で自分を機械という枠組みにはめ込み、みずから心を機械と化しているからだ。可能性を潰してはいけないよ。――ナージュ、未来は常に変わるものなのだ。そしておまえの心も同じだ。そうではないのかな?」
 「俺の、心?」
 「セイはすでにおまえに答えを明かした。あとはおまえがそれを見つけ、答えるだけだ。何を迷うことがある。おまえはとっくに答えを見つけているというのに」
 「でも、俺にはまだ――」
 「おまえの心は蒼く澄んでいるよ。そう、まるでセイの心をそのまま映したようにね。おまえの心は、セイそのものなのだ」
 賢者はナージュの肩の重荷をはらうように叩いた。
 「罪ゆえのコンプレックスというものは、その最も深い部分に、愛があるためだ。愛ゆえに人は過ちをおかし、愛ゆえに惑う。だが癒しの根源もまた、愛にある。いまのセイには誰よりも深い愛が必要だ。自分の闇から抜けでるためには、おまえの心が不可欠なのだ」
 「賢者……」
 「ああ、どうやらセイが呼んでいるみたいだよ。久しぶりにゆっくりと三人でお茶でも飲まぬか、なあナージュよ」
 ギュルヴィはリュートを手に部屋を出ていった。ナージュは彼女の後ろについて、そのままセイの部屋へと入っていった。
 セイは二人をみると驚いたようだったが、すぐに笑顔をむけた。久しぶりにみせる穏やかな笑い顔だった。
 「どうしたの?いま、ちょうど会いたいなぁって思ってたところなんだよ。ギュルヴィの歌が聴きたいってね。すごいなぁ、なんでわかったの」
 「おまえの声が私に届いたからだよ。ずいぶんよい顔色になったな。頬に赤味がさしている」
 「うん。なんだかね、とっても気分がいいんだ。ナージュがあの実を飲ませてくれたからかなぁ」
 セイは思いだしたようにクスリと笑った。
 「あのねギュルヴィ、さっきボク、アサキに会ったんだ。アサキがそこの軒先に、小鳥になって会いにきてくれたんだ」
 「アサキが?」
 「うん」
 セイは透けてしまいそうに澄んだ笑みを浮かべ、視線をむけた。
 「もう憎まないで、って言ったんだ。オルベをもう許してあげて欲しいって。自分を許してあげろって。ボクね、なんだかその声を聞いて、ようやくわかった気がしたよ。愚かなことなんだね、憎むって。ただ自分を貶め、穢してるだけなんだ」
 セイは背に光を受けて、霞んでみえた。まぶしさでいっそう美しく照り輝いている。
 賢者が言った。
 「セイよ、それは大切なことだ。忘れてはならぬぞ。死してなおアサキがおまえに教えてくれたことなのだ。あとはおまえが知るだけだ。おまえはとっくに許されている。オルベを許したように、おまえがおまえ自身を許さなければならないのだよ」
 「ボクが、ボクを?」
 「生命はいつだっておまえを許してくれているではなか。もし不注意で、怪我を負ったとしても、怒ることもなく、それを癒そうとしてくれているだろう」
 セイの手をにぎる。
 「潜在する意識と知慧は、つねに痛みを取り除き、新しい細胞でもって傷を修繕してくれる。おまえがもし間違った物を食べたら、吐くという行為で助けてくれる。生命原理はおまえを許し、生命はなんの恨みもいだかず新しくおまえを創造してくれる。神がおまえを罰しているのではないのだ。おまえが罰しているのだ。自然の力に良いも悪いもない。結果はいつだっておまえの受け取り次第で変えることができるのだ」
 「――ボクは、ずっと許されている?」
 「細胞はすべて十一の月をもって生まれ変わる。精神さえもそうだ。ただいつまでも愚かな過去が、新しく生まれ変わったおまえを捕らえて離さないだけなのだ」
 賢者の言葉には、呪力が込められているようだった。それに呑まれてしてしまう。
 「そう、だったんだ」
 ひとしずく、真珠のような涙がおちた。
 セイはとつぜん額の竜玉を押さえうずくまった。体がきしむかのように痙攣をはじめた。姿が、またゆっくりと変わってゆく。
 変態が始まっていた。セイは肩をふるわせ、のけぞって顔を上げた。
 それはまるで、蝶の羽化を見るようだった。
 思わず二人は見とれていた。白い、ぬけるような美しさ。乳白色の肌にかかるプラチナの長い髪。そして額の竜玉が――。
 「セイ、竜玉が!」
 ナージュが叫んだ。
 「……えっ?」
 「深い紫だ!きれいな濃紫に変色している!」
 セイは竜玉にふれた。
 「本当に――変わったの?」
 賢者が何か言いかけたとき、いきなり激しい揺れがおそった。
 ナージュがセイを抱き、体の下へと敷きこんだ。身を屈めそれをしのぐ。
 ――地震だった。
 しばらくそれは続いた。
 棚から荷がバタバタと落ち、花瓶や食器の割れる音があちこちでしていた。揺れがどうにかおさまると、ギュルヴィは別室にいるはずの養い子の名を呼んでいた。
 「エミイ!エミイ無事か――」
 「ギュルヴィ様、大丈夫ですか?!」
 ほどなくして返事があり、エミイがあわてるようにして姿を現わした。
 「エミイああ、無事か。よかった」
 賢者はほっとしたようにエミイを抱いた。エミイがちょっとくすぐったそうに笑う。
 「はい。ちょうど繕いもののボタンが落ちたところでしたので、そのまま机の下に潜っておりました」
 セイはナージュに抱きかかえられたままそれを見ていた。
 あまりにも自然で心地よすぎて、抱かれているのを忘れていた。まるで二人なのに一人であるかのような感じがする。
 「ああっ……なに、これは、この感触は?!」
 セイの全身に鳥肌がたっていった。
 我慢できない舐めまわされるような不快感がいきなり襲ってきた。身の毛のよだつ悪辣な意志を感じる。竜玉をえぐってくるような痛みに悲鳴をあげ、どこかかに逃げようともがいた。
 「いやだ、来るな!」
 悪霊の行進する轟きがきこえた。
 セイはそのとき見た。あまりにいかがわしく忌避すべき存在たちを。
 「――だめだっ、早く止めないと!」
 「セイどうした?!」
 「とても嫌なものだ。よくない波動を生みだす、忌むべきものが現れてしまった。早く止めないと扉が開いてしまう。この世がだめになる、ああ、早くしないと!」
 ナージュが興奮するセイを抱き押さえた。
 「あぁぁ――っ!」
 「セイしっかりしろ!なにを見ているんだ。それは何だ、どこにある?!」
 賢者がとっさにセイの額に手をかけた。
 「落ち着けセイ。心を閉じろ。でなければまた取り込まれてしまうぞ!」
 セイは身じろぎして息をつめた。糸が切れたように全身の力が抜けた。青ざめ冷えた顔に汗が流れている。
 「賢者、いまセイはなにを――」
 ナージュは言いかけて、ふと眉をしかめた。
 セイを賢者に預けると、迷う間もなく、戸の前にたちはだかり、剣をぬく。
 カタリと音がして、戸はいきなり砕かれた。入って来たいくつかの黒い影が、すべてナージュの剣にはらわれ後方に飛んでいった。
 部屋はすでに取り囲まれていた。
 「王の兵隊か」
 ナージュがつぶやいた。賢者の顔が厳しくなり、なぜと問うように目を細められた。
 緑色の襟章をつけた少年兵たちだった。ピクリともせず死人のようにじっとこちらを伺っていた。不気味な静けさがおりた。いつの間にこんなに近くまで忍び込んでいたのだろうか。さきほどまで気配すらなかったのに。
 賢者が毅然と言いはなった。
 「めずらしい客人たちよ、我が家へ何用かな」
 中央にいた少年が機械的に告げた。
 「ゼダ様より命令だ。その二人を連れて来るようにと。――ただし、命があれば、どのような姿でもかまわぬとのことである」
 抑揚のない声はまるで合成音を聞くようだった。
 王直属の師団。それも精鋭の超エリート部隊だった。
 ナージュが動いた。彼らより先だった。
 その素早さに何人かが倒れた。
 少年たちが散った。仲間の屍をふみ、複雑な攻撃をいっせいに仕掛けてきた。
 空を切る剣が火花をちらし、鞭がうなる。どの兵の少年も俊敏だ。
 ナージュの、人間には及ぶべくもない動きにさえも、まったく引けをとってはいない。それは異様ですらあった。彼の動きは、人間の能力では不可能だったからだ。
 賢者に抱かれたセイとエミイは、身をよせて部屋の片隅にいた。
 ナージュが彼らの動きを一人一人止めていくのを息をひそめ見ているしかない。
 最後の一人が残った。たぶんこの隊のリーダーだろう。
 剣を握りしめたままの腕が壁に飛んでいった。血が噴き出したが少年は眉一つ動かさない。目の前にころがってくる腕に、エミイの悲鳴があがる。
 ほんのわずかに少年を横目でみる。表情がふと大きくゆがむ。
 「兄、さん……?」
 エミイの凍りついた声がした。食い入るように少年を見つめ、もう一度言った。
 「ラセル兄さん?」
 その場の全員の動きがとまった。驚きの目がエミイに向けられた。
 ほんの一刹那だった。その隙を少年だけが、見逃さなかった。セイにむけて剣がふるわれる。ナージュの剣が、わずかだが遅れ、銀色の光が残像をひいてセイの頭上におちた。
 剣はにぶい音をたて、小さな体を貫いた。
 「エミイ――!」
 セイが叫んだ。
 エミイがセイをかばい、かわりに剣を胸で受けていた。
 エミイは、剣のやいばに手をはわせ、少年の手に、震える血濡れた手をかさねた。
 かすかに笑い、口の端から血をはく。
 「ラセルにいさ…ん」
 エミイが前にのめった。ラセルと呼ばれた少年にすがるように肩をつかみ、床に倒れるのと同時に服がやぶれ、少年の青い鱗がかすかにのぞいた。
 「……・おまえは、誰だ?」
 少年はそう一言いうと、そのままネジの切れた人形のように、また彼の動きもとまった。エミイから飛び散った血が頬にたれ、涙のように見えていた。
 「エミ、イ?」
 少年がぎこちなく呼んだ。
 足元にたおれたエミイをじっと見ていた。手をかけようとして途中でとまった。
 それ以上なんの動きも起きない。手がときどきヒクついているより他は、彼が生きているかどうかさえわからない。みなが固唾を飲んで見守っていた。
 「エミイ……」
 ラセルがつぶやいた。だが、それっきりだった。
 セイがエミイと少年の傍らに膝をついた。そっと二人に触れる。まだ温かい。
 だが、ラセルも心臓もエミイの心臓も、すでに止まってしまっていた。
 「なんで、こんな・・・・」
 セイの紫紺の瞳から涙があふれた。二人のうえにほろほろと注がれた。
 ナージュは剣をおさめた。
 「この二人はどうしたのだ賢者」
 ギュルヴィは声をかけられ、ようやく呪縛から解き放されたように動いた。白い肌が、さらに白くなり透けてゆくようだった。
 「エミイは――エミイはわたしが獣人狩りの兵たちから、命からがら連れだしてきた子供だった」
 銀の瞳が、けぶる睫のしたに隠され、表情が見えなくなった。
 「兄と一緒だったのだと、あとで聞いた。だがわたしはエミイを連れて逃げるだけで精一杯だったし、すでに連れ去られた後のことで、どうすることもできなかったのだ。……それが、まさかそれがこんな形で出会おうとは、なんと、運命は皮肉なのか」
 賢者はそっとエミイのまぶたを閉じさせた。
 それから少年の頬をなで、彼の目もまた閉じさせた。
 「彼らは悲しむという行為がもてない。感情の表出を禁じられているのだ。押し込められることに耐えきれなくなった感情によって、脳の神経が激しく混乱し、回路が焼き切れてしまったのだろう」
 そして、命の火まで消えてしまった。その手は悲しみと怒りに震えていた。くやしそうに口をキュッときつく結んだ。そんな感情をあらわした彼女の姿ははじめてみる。
 「ここにいる少年たちみながそうだ。王宮に連れ去られ、幼いうちに記憶を抜かれて過去を抹消されてしまう。筋肉の増強を薬によって起こされ、偽の記憶をあたえられる。そして死の軍団へと造りかえられてしまうのだ」
 「ギュルヴィ……?」
 セイはビックリして彼女をみた。
 「王は狂っている。悪魔へ魂を売ってしまった。ゼダの甘言にあやつられ禁忌を犯した。すでにやつは狂っていたのだ。あの時にやつを殺してさえおけばこんな――!」
 賢者はおえきれぬように、憤怒の情をほとばしらせた。
 「やつは人間の人工製造を夢みていた。孵卵器をつくり、多くの貴族の女性をだまし子宮を摘出させては、卵子を培養していたのだ。そしてついには古代魔術にまで手を伸ばした」
 とうとう最後には、人造人間をつくりだしたのだ。遺伝子を操作し、目的にあう生物をつくるためにだけ、生命を次々に生みだした。
 さらにいらぬとなれば即座に処分し、命を辱めもてあそんだ。
 「やつらは悪魔だ!人の皮を被ったエゴイズムのかたまりだ!」
 セイもナージュも、怒りに燃えたギュルヴィを言葉なく見つめていた。
 彼女はエミイと少年を抱いた。長い髪が顔を隠し、その表情はわからなかったが、怒りと悲しみにひしがれていることだけはわかった。
 ナージュが静かに尋ねた。
 「賢者よ、あなたはいったい何者なのだ。それだけの機密をにぎり、王の内情までも知っているあなたは、いったい」
 「わたしか……?わたしは」
 ギュルヴィがゆっくり顔をあげた。痛ましいまでに憔悴した表情だった。
 「わたしは王の――」
 赤い朱の線が視界を横切った。ギュルヴィのまえに立っていた。
 セイが叫ぶ。
 「シェン!なんでおまえがここへ?!」
 セイにすがるように一歩ひずめを進め、高く吠えたのは、アシュナのユニコーンである。純白だったはずの毛が深紅にそまり、ゆらりとした。シェンはその場へ崩れるように膝をついたのだった。


 イデルの都に火の雨が降りだしたのはもう、三日もまえのことだった。
 なんの前触れもなくそれは起こった。休眠していたはずのアトラス山が、突然、噴火をはじめたのだ。
 激しいゆれが大地をおそった。火の柱がたちあがり、噴煙を撒き散らした。
 突然すぎる火山の乱舞は、まるで人間の愚行に怒った、死の神のようだった。
 街のあらゆるところが燃えていた。だが、住人にはどこにも逃げる場所がなかった。
 皮肉なことにも、災害はそれだけではおさまらなかった。
 地震の衝撃でユーフラテの河に津波がおき、近隣の家々や畑を飲みこんでいった。氾濫した水のなかで、死と苦痛のうめきが、悪夢のように人々にまいおりた。
 そんな中でただひとつ無事であったのは、白晢の王宮だけだった。王宮は、だが、人々が逃げ込むには、あまりにもひどい気配に包まれていた。どこよりも邪悪な霊気に沸きたっているではないか。
 常人には耐えられない、禍つ悪魔の吐息は、足を踏み入れたとたん、そこが人間の世界ではないことを告げる。死が待っているのだとはっきり物語っている。
 そこに踏み込むぐらいならば、人々にとっては死と隣合りあわせの街にいるほうがましだと思わせた。アカパーナの門と呼ばれる黒い邪気を全身にはらんだ門が一段と大きくそびえており、街のどこからでも見えるほどになっていた。
 生贄を欲する暗黒の入口は、急速な成長をみせている。
 成長――。
 そう、成長としかいいようのない肥大のしかただった。日増しに巨大化している。
 臓腑をえぐる邪悪さには、気の弱い者ならば一目で発狂するかもしれない。
 「ゼダよ、もうそろそろのようじゃのう。時は近い、アカパーナの門も、日ごと艶をおびてくるわ」
 ベール王はこけた頬に、目だけを異様な光に爛々とさせていた。
 「さようでございますとも。この門の完成の暁には、王妃様と、完全なる黄金都市の復活が待っておりまする。王の望みすべては思いのままですぞ」
 「うむ、復活じゃ。メリジューヌが帰ってくるぞ、やっと我が元へ」
 ベールはズルリと口から涎を垂らした。横には見るからに白痴としれる三人の子供が並んでいた。いつもベールはいく人かの子供をひき連れている。
 野放図に口をあけている一人を抱きあげた。
 「喜べ。王妃が帰るのじゃ。ようやく手元に帰ってくるのじゃぞ。さあ何をして遊ぼうかのう」
 ウキウキと相談でもするように顔を寄せる。子供はあらぬ方を向き聞いてもいない。
 「うむ、そうじゃ。まず一番に目をくり抜いてしまおう。わしを決して見なんだ綺麗で小憎たらしいあの両の目をくり抜くのじゃ。さすればわしだけでなく誰も見れぬ」
 てらいもなく恐ろしげなことを言い始める。
 「次に逃げ出さぬように足も切断してしまおうかの。ああいやいや、筋を切る方がよいな。ずっと側から離れられぬようにしてやるぞ。ふむ、いっそ脳をとったがよいかもしれぬな。わしだけしか分からぬようにして、暗い部屋に閉じ込めて永遠に飼い殺しにするのじゃ」
 自分の思いついた案が、これ以上ない名案のように激しくしゃくりあげて笑った。
 「――苦しめばよい、うんと苦しめばよい。わしだけの人形となって苦しめ!」
 ふいに呻くような呪いの声を吐きだした。
 「わしを愛さなんだ罰じゃ。こうまで愛してやったわしを苦しめた報いじゃ。苦しみにのたうち、這いさらばえばよいのじゃ。翼の王などに気安く心を奪われおって。――許せぬ、練獄の苦しみを味あわせてくれる。もう二度と殺しなどさせぬ。手元で一生飼い殺し、苦しめてやる。のう、そなたもそう思わぬか」
 白痴の子供の頭をなでたかと思うと、いきなり禍々しい笑みのままに首を絞めた。子供はほんの少し暴れただけですぐ白目を剥いた。
 「ゼダ、実験の方はうまくいっておるのか。可愛いメリジューヌはまだできぬのか」
 「じきにございます。ずいぶんと失敗を重ねましたが、ようやく完成いたしましてございます」
 ククッと残忍に笑う。
 「第二、第三王子がよい実験材料となってくれましたので、第一王子にてどうにか成功いたしました。どうやら受胎も可能なようすにございます」
 「なに受胎が可能じゃと!おお、おおそれは素晴らしい!それではわしとメリジューヌの子ができるのじゃな。素晴らしいぞ。あの女はわしに触らせもしなかった。肌を許さなかったのは、きっとあの女が売女であったからじゃ!憎うて憎うてたまらぬわ、あの裏切り者のメス豚が!」
 怒りに荒げていた表情を、王はボンヤリとした呆けた顔にもどした。
 残った白痴の子供をうやうやしく撫で、笑いながら夢みる眼差しでふらふらと歩いて行く。足元に死体が一つ残っているだけだ。実験に失敗し、廃棄処分の子供をベールが拾っては慰み者にしているのである。
 「まったく、人間の本性とは今をもってわからぬものじゃ。狂ってからまことの感情が出るとはのう。因果なものだなベールよ」
 その後ろ姿をみながらゼダは忌むように言う。
 門をあおぎ見た。自信に満ち満ちた笑みを浮かべる。
 「もうすぐじゃ。我が王国の復活も真近じゃ。生贄をいそがねばならぬ」
 しばらく考えると手を鳴らした。神官服の男が、ゼダの前に膝をついた。
 「死体を増やせ。油をもっと大量に抽出せねば足りぬ。それと――例の穴をもっと拡大するのじゃ。なに、あれには死体油を与えておけばよい。おとなしいものじゃ」
 ゼダは勝ち誇ったように高らかに笑い、その日を夢みていた。


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