黎明の翼

11

 
 「なんだ、あんたら生きておったのか。六の月も帰ってこぬから、とっくにくたばったのかと思ったぞ」
 ナジイは半年ぶりに顔をだしたセイとナージュに、そっけなく言った。
 「――まあいい、入れ。茶でも用意させよう」
 相変わらず愛想もないままだったが、仕事の手をとめると、家に招き入れた。きっとそれはそれで、彼なりに心配していたのだろう。
 「遅くなったな、少しごたついてたもんで、すまない。頼んでおいたほうは大丈夫なのか」
 ナジイはぶっきらぼうに頷くと、セイに目を移した。
 どうしたんだといいたげに、薄く目を細めて視線を上下させた。
 「形が、変わったようだな。これじゃあもう少し銀の方も変えにゃならんだろう。――だが、ずいぶんとまた、見違えたもんだな、おまえも竜玉も」
 セイのサークレットを弾くように触れた。
 「よくこれまで、あの応急処置でもったもんだ。かなり痛みがあったはずだろうに」
 「えっ、あの、別にそんなに痛まなかったけど。ときどき頭痛がしたぐらいで」
 ナジイはふと奇妙な顔をしたが、
 「ふうん、そうか。……まあならよかったさ。サークレットがこれだけ変形したんなら四、五日は時間がいるぞ」
 「それは構わない」
 ナージュが答えた。
 「ところでナージュ、あんたにはちょっと手伝って貰わなきゃならんことがあるんだがな。キツいかもしれんが、いいか」
 「ああ、俺に出来ることがあれば何でも言ってくれ」
 「ならさっそくで悪いがちょっと来てくれ」
 ナージュはわかったと返事をしてから、セイに言った。
 「セイ、あまりうろつくな。どこにやつらの目があるかわからないんだからな。ちゃんと休息をとっておけ」
 「うん、わかった。あっ、ねえナジイ、レンはどこへ行ったの。さっきからレンの姿が見えないみたいだけど」
 「あいつなら昼メシの買物だ。すぐに帰って来るだろう。あんたもそんなに疲れてないようなら、賢者のところへでも顔を出しといたほうがいいぞ。ずいぶん心配してたようだからな」
 「ギュルヴィが?」
 銀の髪の美しい賢者の顔がうかんだ。
 「そうだね、うん、そうするよ。なんだかすごく会いたくなっちゃったな、彼女に」
 聞いてもらいたいことが、たくさんある。いろんな事がありすぎた。色んなものを見て、聞いてしまった。きっとギュルヴィになら、解けるかもしれない。
 タイミングを図ったようにレンが帰ってきた。にぎやかな声が聞こえた。
 「ただいまーっと。あれ、父さんお客?」
 鼻歌まじりに買物カゴを置きながらは入ってきたレンは、セイの姿をみて一瞬かたまった。しばらくしげしげ見て、どこかおかしいとばかりに首を捻っていた。
 「セイ、おまえセイだよな?どうしちゃったんだよ……なんか、なんか違わないか?」
 レンは本物かと疑うようにセイの髪を引っ張った。くすぐったそうにセイが笑うのに、なぜか赤くなっている。
 「な、なんかさ、別人みたい、だな。なんか――キレイになったっていうか……あれ、この表現ヘン、だよな?」
 「よくわかんないけど、それより久しぶりだねレン。元気にしてた?」
 「ああ、もちろんさ。あんまりおまえらが顔ださないから父さんと、どうしたんだろうって言ってたんだぞ。もしかして竜に食べられんじゃねぇかってさ」
 「竜に食べられる?」
 ケラケラとセイは笑うと、レンもそれにつられて嬉しそう笑った。
 話に花が咲きだした。
 ナジイが顔を出した。
 「レンちょっと出かけてくるから、おまえは昼飯を食ったら、セイを賢者のところへ連れて行ってやってくれ」
 「賢者?別にいいけど。あれナージュもいっしょに出かけるの?」
 「ああ、遅くなるかもしれん」
 それだけ言うとナジイはさっさとナージュを伴い、出かけてしまった。
 「な、なんかナジイは忙しそうだね」
 「まあな。あの人はいつもあんなもんさ。なにかしら頭がものすごく働いてるからな。それより、賢者のところへ行くのかセイ。ならさっさ食ってと出かけようぜ」
 レンは父親のそんな態度など慣れたもので、まったく気にもとめもせず昼食の用意をした。セイは無理だというのに、痩せたと叱られてレンにしこたま食べさせられた。たしかに標準より細くて、あまりにも儚くみえすぎている。
 レンの食べっぷりをみてセイは納得がいくような気がした。まさに育ちざかりなのだ。しばらくしてお腹が落ちついてから、やっと家をあとにした。
 「なあセイ、おまえ有翼族なんだろう。有翼族って、そんなコロコロ姿が変わるものなのか?印象がすっごく違ってるからなんかビックリしたよ」
 「どうなんだろ……ボクにはわかんないよ。そんなに変わった?」
 「うん、声かけられなきゃ横を素通りしてるな。――でも、おまえ自分の種族のことなのに、なんで何にもわからないんだ」
 「だって、ボクも成長するの初めてだし、他に誰もいないんだもん」
 「ああ、そっか。そう言うわりゃあ、そうだよな」
 レンはなるほどと笑った。久しぶりの街並みはやけに穏やかだった。先をいそぐ必要もない二人は、のんびりと歩いてゆく。空気がなつかしい。
 「あれ?ねえ、誰か呼んでない?」
 セイは足を止め周囲をみまわした。
 「いや、何も聞こえないけど、どうした?」
 「だってほら、たしかに悲鳴が……」
 セイは目をつぶり、ある一定方向から聞こえてくるそれをみつけた。
 とたんに駆けだしていった。
 「聞こえる。こっちだ。こっちで誰か泣いてる」
 「――あ、おい待てよっ」
 飛ぶように走ってゆくセイを、レンが慌てて後を追う。
 セイはしばらく行くと角を曲がった。
 いきなり目の前にドアが開かれた。突き飛ばされるようにして人が転がり出て、セイにぶつかり、一緒に倒れた。
 「てめえみてぇな役立たず、さっさと出ていきやがれ!その陰気な顔を見るだけで酒がまずくならあ、このクソったれが!」
 罵声が聞こえ、転がったセイの顔の横で茶碗がはじけた。
 ヌッとした大きな髭面の男が、戸にもたるように出て来た。酔っぱらっているのか、真っ赤な顔だ。充血した目を、いかめしくつり上げている。
 セイの上でうめいている少年を荒く掴みあげた。
 「たっく、可愛げのねえガキだ。こんなろくでもねぇ体になんかに産まれてきやがって。金にもなんにもなりゃしねえ、ちきしょうめ」
 目の前で、少年を殴った。少年はうめき声ひとつあげずに身をひそめていた。大きな手が怒りにまかせて弄るのに抵抗しようとさえしていない。
 セイはふってわいたような目の前の出来事に唖然とし、尻もちをついたままだったが、我にかえると夢中で男の手にすがりついていた。
 「や、やめてよおじさん。そんなことしないでよ。やめてっ、死んじゃうよ!」
 男は理性のきれた凶暴な顔でセイをみた。
 邪魔だとばかりにふり飛ばし、セイはしこたまドアに頭をぶつけてしまった。
 「いっ・・・たあ」
 ――父さんやめて!他の人に酷いことしないで。
 叫ぶような少年の声は、直接頭の中に突き刺さった。さっきの悲鳴と同じ声だ。
 セイは少年をみた。目の下がひどく腫れて青くなっていた。その姿の痛々しさのあまり、頭のうずきも忘れまた男にとびついた。
 「おじさんやめて!」
 「うるせえぞ、ガキが!てめえも殴られてぇのか!」
 「オルベっ!また酔っぱらってんだな。いい加減にしないと保安兵を呼ぶぞ!」
 やっと追いついてきたレンが息を切らしながら叫んでいた。
 セイにふり上げられた手が止まり、ギラリとレンをに睨みつけた。
 「なんだとぉこのガキが。ああっ――なんだナジイのとこのガキじゃねえか。けっ、親父みてえなことぬかしやがって。てめぇもいけすかねえガキだ」
 オルベはチッと舌打ちをし、それでも乱暴に息子を突き放す。まだぶつぶつ言いながら、よたついた足取りで家のなかへ入っていった。
 「だ、大丈夫きみ?」
 セイは少年を助け起こした。
 ――ああ、ありがとう。きみのほうこそ大丈夫?ごめんね。
 そういう彼のほうが口の端が切れて、ずいぶん痛そうなのに心配げに顔をむけた。セイの頭のこぶに心配そうに手を当ててくる。
 「ううん大丈夫だよ。――あの」
 レンが割り込むように顔をつっこんできた。
 「おい大丈夫かよ、セイ。いきなり走って行くからどうしたのかと思えば。あんま無茶するなよ。すっげぇスピードだからなかなか追いつけなかったぜ」
 「あ、ごめん」
 気づいたように謝った。セイはそれでも、ひどく少年のことが心配で、殴られた目のしたに、そっと手をふれた。ビクリとする。頬が熱を持って赤くなっていた。
 「あっ、痛かった?ごめんね」
 ――大丈夫。このぐらいなら慣れてるから。でも、なんだか君の手、気持ちいいね。痛みが薄れていくようだよ。
 笑って口の端が切れているのを腕で拭った。少年はじっとセイを不思議そうに見た。
 ――ねえ……もしかして、きみ、ボクの声が聞こえてるの?
 「あ、うん。……えっ?じゃあこれって、本物の声じゃないの?」
 少年は声を発しない喉に手を当て頷いた。
 「声、みんなには聞こえてないの、ほんとに?」
 レンがいぶかしげに声をかけてきた。
 「なにひとりブツブツ言ってんだよセイ。おまえアサキと知合いなのか。なんか親しそうだけどさ」
 「ううん、違うけど……」
 アサキと呼ばれた少年とセイは見つめあう。
 「なんで、ボクはきみの声が聞こえるんだろう」
 気のせいなんかではない。今だって、聞こえる。アサキの声も痛みも。
 彼はにっこり笑った。柔らかな表情が人柄をしのばせるように優しかった。それでいて、どことなく知的な雰囲気があり、硝子細工のような繊細さを感じさせる。
 褐色の肌にはめずらしい金の髪が、目に鮮やかだった。
 「そういえばレンこそ、彼と知合いなの」
 「ああ。親父同士が知合いなんだよ。それに修学所も同じだしな、アサキ」
 アサキが同意してうなずく。
 「こいつちょっと喉がやられてて話せないけど、修学所一の秀才なんだぜ。めったに出席しないくせに、成績はいつもトップさ。俺と違ってなにをやらせても器用だし」
 話しているレンの声を、セイはどこか遠くに聞いていた。
 じっとアサキと目を合わせていると、時間がゆっくり過ぎてゆくような気がする。
 不思議な感覚だった。とても、静かで、二人だけが周囲からすっぽりと切り離されたようだ。流れる水のような心地よさに、まるで前から知合いだったかのような気安さを覚える。どこか、何か大切なものをわかりあえるようなひらめきを感じていた。
 アサキの菫色の双眸に、セイの姿が、見たこともないほど美しく映っていた。
 「でな、こいつセイっていうんだ。父さんの客だ。家に泊まってて……おい聞いてんのか」
 「えっ、あっ、なに?」
 「おまえらなぁ、なに二人だけで世界つくってんだ?まったく、人の世話焼かせやがって」
 レンにげんこつを落とされた。セイは何か言おうとしてアサキを見たが、優しい笑顔につられて、自分もなぜか笑っていた。レンもつられて笑う。
 「いつまで油売ってやがる!さっさとしえねかクソったれが!」
 オルベの大声が通りにひびいた。アサキとセイは飛びあがった。
 礼をいうように手を上げると、アサキはオルベの癇癪が悪化しないうちに、慌てて家に入っていった。
 セイはそれをしばらく見送ってから、並んで歩いていたレンに尋ねた。
 「なんでアサキのお父さんって、あんなに怒鳴ったり殴ったりするの。血のつながった息子なんでしょ?アサキの身体、あちこちが痛そうでピリピリしてたよ」
 身を竦めてうずくまっていた姿が目から離れない。細い体が本当に折れてしまうかと思い怖かった。
 「まあなぁ、オルベも酒さえ飲まなきゃな。あれでも昔はけっこういい銀細工師だったんだよ。父さんと仲もわりとよくって、ちっとは行き来もしてたんだ」
 「……アサキって、なんでしゃべれないの?」
 「色々あったけどな、――そうだな、たぶん、おばさんが死んじまったせいかな。オルベのやつ、人が変わったようになっちまってさ。まあもとから酒は好きで、よく飲んでは、おばさんたちを泣かしてたみたいだけどな。でも今みたいに誰かれかまわず暴力ふるったりはしなかったよ。付き合いのあったころは、よく父さんによく叱られてたよ。酒をやめろって何度も何度もね。アサキの耳も、そのせいでいかれちまったようなもんなんだからさ」
 「お父さんがアサキの耳を?」
 「よくは知らないけど、子供ん頃にひどく殴られたらしい。ドリスが――友達がそう言ってた。アサキが腹ん中にいたときには、おばさんを何度か殴ったり蹴ったりしてたらしいし」
 セイはその姿を想像しただけでゾッとしてしまった。
 「なんかの時だったかなあ。アサキがあやまって仕事道具壊したことがあるんだ。ほんとに、もうちょっとで殺されるところだったんだぜ。ちょうどそのときも酒が入ってたらしいけど、うちの父さんが止めなきゃ、マジで殺してたよ」
 「なんで?仕事道具と息子とどっちが大事んだよ。そんなことってないよ」
 「わかんないけど、きっと色々あるんだよ。俺なんか母さんいないけど、あんな親父でも、けっこう感謝してるもんな」
 セイもレンもそれからふっつりと黙りこんだ。セイは、自分が両親のことを思い出さないのは、もしかしたらそんな恐ろしい記憶だからだろうかとふと頭をよぎってしまった。そうだったら、きっとどんなにショックだろう。
 すぐに首を振った。そんなことを考えてしまう自分にさらに気が滅入ってしまった。
 アサキのおだやかで知的な表情が浮かんできた。静かな湖のように澄んでいて、春風のような心地よさがあった。それだけで、冷えかけた心がなごんでくるようだ。
 リュートの弦の音がした。賢者の屋敷からだった。はじめて聞いたときと変わらず、植物の香りにのせて漂ってくるやさしげな律動だ。
 沈んでいた気持ちがゆっくりとほぐされていくようだった。小川のせせらぎに似て、身も心も清められていく。屋敷に入ると、銀の雫のような笑顔が出迎えてくれていた。
 「どうにか無事に帰って来れたようだな、セイ」
 「ギュルヴィ!」
 「ほう、その姿、一段と時を進めているな。なるほど、どうやら色々とあったとみゆる。ちゃんと正しき道を歩んでいるかセイよ。さあどうした、そばによって顔をみせておくれ」
 ギュルヴィが手をひろげた。セイは飛びつくように抱きついていった。
 「ギュルヴィ、会いたかった!」
 「また、きれいになったな。いっそうおまえの色が澄んできている。より良き流れの証拠だ。額の竜玉もとてもいい色合いになっている」
 額に手をあてた。銀の長い睫が瞳にけぶっていて、あまりにきれいで夢を見ているようだった。背後からレンの声が聞こえた。
 「賢者、俺は帰るよ。まだ父さんの用事が終ってないんだ。あとで俺かナージュが迎えに来るはずだから、それまでよろしく頼んだぞ」
 「ああレンすまなかったね。またゆっくりおいで。エミイのおいしいお茶をご馳走しよう」
 レンは門から足を踏みいれず、そのまま返事をすると、足早に帰っていった。
 「どうやら彼はわたしがずいぶんと苦手のようだな。ああ、エミイありがとう」
 お茶を持ってきたエミイが盆をおいた。
 「そんなことないよギュルヴィ。ギュルヴィの周りはいつでも空気が澄んでるもの。そばにいると気持ちがよくなってくるよ。あなたが嫌いな人なんていないよ。それに何でもよく知ってるし。ギュルヴィの言葉でいつもずいぶん楽になれる気がするよ」
 「それは個人の主観だな。それを優しいととるか、余計なことととるかはその心根次第だ」
 「でも、ギュルヴィ様はお優しいです」
 それまで一言も口をきかなかったエミイがはっきり言った。
 「あ、あの、わたし・・・・」
 言ってから、つい口に出たとばかりに赤くなりバタバタと部屋を出ていってしまった。エミイのその言葉がセイはなぜか自分のことのように嬉しかった。
 「二人からそう言われるとは光栄だな」
 ギュルヴィは月の雫のように破顔した。
 「ところでセイ、おまえのエナジーがどうやら沈んでいるようだな。どうかしたのか?ほら、こんなところにコブまでつくって」
 ギュルヴィはセイのこぶに触れた。心の中まで読んだような視線を投げかける。
 「……ねえギュルヴィ、親が子供を殺そうとすることなんて、あるの?」
 さっきからずっと気になっていたことだった。
 「なるほど、それでか。おまえの気が重かったのだな」
  賢者は何を聞きたいかわかったような顔をした。
 「そうだな、たぶん多くあることではないだろうが、ただ時代の境い目や、変動の時期に目をとめれば、人々はいくばくかの不安にかられて、己の情動に負けることもままあるようだ。不変の約束ごととて狂うかもしれない。が、それよりも確かなものが必ずあると信じているよ。セイ、アサキと、会ったのか」
 「う、うん。……あのね、アサキのお父さんが、ひどくアサキを殴っていたんだ。なのに、アサキはちっとも抵抗しないんだよ。黙って殴られてた」
 「人は孤独になると自分を見失うものだ。差し伸べられた手でさえ恐怖のあまり振り払ってしまう。自分から孤独の海へと堕ちていった者ほど、周りに盲目になるのだ」
 「オルベの、こと?」
 「傲慢な孤独は、心地がよいものだ。だが甘えと逃げだけではいつまでたっても解決にならない。それどころか、いつしか狂気が、暴力へととってかわり、力が外へと向かう者もいる。もちろんそうならぬ者もいるが」
 「じゃあオルベは孤独に乗っ取られてるの?」
 「もともと小心な男だ。甘えが過ぎて妻を死なせてしまった。その罪悪感が、重く心にのしかかっていて、深い後悔が、よけいあの男の深い狂気となっているのだろう」
 「そんなこと言われても、わかんないよ。だからってなんでアサキを殴るんだい。アサキもじっと耐えてて、なんで抵抗もせずに殴られてるの?なんで逃げないの?」
 恨みも憎しみもなく、恐れもせずにただ静かな澄んだ目をしていた。
 それだけでもセイにはたまらない。
 「それはね、アサキが愛しているからだよ。難しいかもしれないけれど、アサキはそれでも父親を愛しているんだ、気づいてほしいのだ」
 「愛、してる……?」
 「そう。そしてオルベもね」
 「――そんなの嘘だ!」
 息子を殴るような愛などわからない。
 「妻の面影を残すアサキを見るのが、オルベにはつらいのだ。苦労をかけ泣かせ、ついには病床のまま死なせてしまった後悔の念が、息子の顔を見るたびに思い出されてしまうのだ。どうすればいいのかわからないのだよ、彼は」
 「そんなのって……だって、でもやっぱりアサキには関係ないと思うよ。話しができないなんて、そんなのあんまりだよ。可哀想だよ」
 賢者はセイの頭に手をやり、あやすように髪をいた。
 「そうだねセイ。アサキにはなんの関係もないことだ。だが、アサキはそんなオルベのすべてを理解し、受け入れ、そして許しているのだよ。彼はだからあれほどまでの穏やかさと深さをもっていられる」
 賢者は神秘的なまなざしで寂しげに微笑む。
 「それに彼は頭がいい。だから恨んだりするような愚かな感情を受け入れないのだろうね」
 「……じゃあ孤独がぜんぶ悪いの?みんなを狂わせてるの?人に悪夢を植えつけてしまうの?」
 城でみた多くの人々が、孤独のみせる悪夢に苛まれ続けていた。アシュナやモーナ、連れてこられてた子供たち、そこで働く人々、王や王子の心さえも壊され続けている。
 沈黙で肯定する彼女のなかの、どこかが、アサキと似ている気がした。
 「サークレットの形がかなり変わったようだなセイ。ずいぶん痛んだことだろう。破損がおまえに荷重をかけたのではないか」
 賢者の声音がふと変わった。セイは首を横にふった。
 「それ、さっきナジイにも言われたよ。でも、ボク、ほんとに痛まなかったんだ」
 その返事に、ギュルヴィはなにかを納得したようにうなずいた。
 「ではナージュだな。彼がかなり負担してくれているのだよ。おまえにかかるはずの痛みをずっと軽減してくれているのだ。彼に感謝しなくてはね、セイ」
 「ナージュがずっとボクの痛みを?!」
 そんなそぶりを一度だってみたことはない。ナージュに置いて行かれたと思ったときですら、それほど痛みがセイを傷つけることはなかったのだから。
 セイはふと口を閉ざした。そんなこと思いもしなかった。
 では、ナージュはセイを忘れたことはなかったのだ。本当にセイを見捨てたのではなかった。彼の心いまさらながらに知り、また、胸が熱くなる。
 それからセイは今まであったことをギュルヴィに語った。
 負の海で五色の竜に会ったこと。そこで紅竜に聞かされた話のこと。
 ナージュとわかれ、イデル城で体験した数々の体験と、恐怖。
 彼女はその話を注意深く聞いていた。
 なにかを深く思案するように、秀麗な眉に皺をよせていた。しばらくのあいだ、重苦しく沈黙してから、ため息をつくように口を開いた。
 「そうか、そんなことがあったか。――だがゼダがそこまで力を持っていたとはな。まったく思いもよらなかった。やつが、そのような事を考えておったとは……。このままでは、生命と神の領域にまで手をのばし、あの力を、個人で操れるとうぬぼれ、暴走してしまうかもしれない。そうしたら、とても恐ろしいことになるだろう」
 いったん言葉を切り、グッと覚悟を決めるように云った。
 「これからとんでもないことが起こるかもしれぬぞ。あるいはこの世の滅亡が――」
 「滅亡?!」
 賢者は、怜悧な銀の瞳に苛立ちを隠しきれない感情を浮かべた。
 「そのような状況であるならば、ベール王はもうただの操り人形にすぎぬ。王という玉座につきながら、愛欲にそれほど溺れてしまうとは、愚かなやつだ。情けない」
 哀れみと憎しみがせめぎあうような、複雑な表情をしている。
 「ギュルヴィは、ベール王を知ってる?」
 「……そう、知っている」
 「ねえ、第一王子の話をしたとき、とても悲しそう顔をしたね。心が痛いって叫ぶのが聞こえたよ。どうして?」
 賢者はわずかだけ表情を歪め、セイをみた。息をついてから、我が子に諭すように言った。
 「セイ、どうやらおまえの感覚は本物の感覚に目覚めつつあるようだな。次第に鋭さを増してゆき、ついには覚醒にいたるだろう。――だが、気をつけねばならぬ。人の心の深みに入りすぎてしまうと、取り込まれてしまう危険がある。受け入れすぎると、他人の感情に巻き込まれ、心を壊してしまう可能性へも繋がっているのだから」
 「人の心の深み?」
 「おまえは、他の者より感覚が鋭くなったからこそ、声をもたぬアサキの心に呼応したのだ。だが注意をせねば、すべての人が、アサキのように良くあるとはかぎらぬ」
 言わんとすることを、セイはわかりかねて首をかしぐ。
 「孤独の心は、より人を引き込もうとする魔力があるのだ。おまえはもうすでにそれへと魅かれ始めている。なぜなら、それは常におまえの側にいたものだからだ。おまえはそれにひそむ孤独の影を感じながら、それごと愛してしまったのだ」
 セイはギュルヴィを見あげた。吹抜ける風が、銀の長い髪を優麗になびきあげた。
 「それって、ナージュのこと?」
 「そしておまえ自身もだ。――寂しいのだろう、セイ」
 彼女はいいようのないほど優しい笑みを浮かべた。
 「どうした、そんな泣きそうな顔をして」
 セイは賢者の胸にすがりついた。ふわりといい匂いに抱きしめられてしまう。
 その言葉は真実だったのだ。押し殺してきた感情を、なんて簡単に言い当ててしまうのだろう。
 孤独だった。ずっと孤独な魂ばかりだった。
 どこにいっても満たされていない者が多すぎて、傷ついた心ばかりで、どうしてげることもできない悲しさで、セイは一杯になってしまっていた。
 これ以上どこへも行けそうにない気がしている。賢者の言うとおり、セイは取り込まれそうになっていたのだ。
 ギュルヴィの胸は柔らかだった。ナージュとは違う暖かさがあった。
 「ボクは、ねえギュルヴィ、ボクは――」
 セイはギュルヴィの手が髪を撫でるのに、言葉を飲み込むことがもうできなかった。
 「なんで、ボクなの?父様と母様はなんでボクにこんな重荷を押しつけたんの?どうしてボクひとりきりでこの世に送りだされたの……?」
 ずっと我慢していただけで、ほんとは重くてたまらなかった。大きすぎる責任に、いつだって怖くて震えていた。
 目覚めたときにはすでに額にそれはあった。
 否応なしに世界という荷重は自分の背に乗っていた。導く者もなく、仲間も種族もきえ、行く先もわからぬままに手探りで進まねばならない。多くの生命の存続を、つらいからといって、放棄することなど許されなかった。逃げ道はどこにもない。
 もし竜の卵が額になかったら、ナージュに出会うこともなかったかわりに、彼の悲しみを再現させることもなかったのだ。
 守護し、つねにそばにいてくれるただ一人の存在。耳玉を額にいただき、彼はいつだって自分が傷ついてまでも、セイを助けようとしてくれる。魂はいとも簡単にかれに奪われてしまった。耳玉と一緒に、彼の中へと吸い込まれてしまった。
 無条件とさえいえるほどに強く魅かれたのは、彼につきまとう孤独のせいなのかもしれない。深淵の悲しみは優しさと背中合わせで、セイに溶けて融合してしまった。
 なのにそのナージュすら、セイを心から受け入れてくれているわけではない気がした。主人という枠組みの中の、冷たい不安定な関係でしかない。
 「ずっと恐かったんだ。ずっとナージュに嫌われているのが悲しかった。でも、ひとりは怖い。もうあの時みたいな孤独は、怖くて耐えられないよ」
 震えるセイの耳に届いたのは、風にそよぐようななめらかな声だった。
 歌声があんまり綺麗で、セイは夢み心地に惹き込まれていった。
 「セイ、おまえは強くてよい子だ。自分をもっと信じてもいいのだよ。心を強く持ちなさい。真実をはっきりと見すえるのだ。そして正面からそれを受けとめる勇気を持たなくてはならないよ」
 賢者は手招きをした。門のところにナージュが立っていた。
 「ナージュ、そんなところにいないで入っておいで。迎えにきたのだろう」
 いつからいたのか。なんともいえないなまなざしでセイを見つめていた。胸をつく切なげな表情に、息がつまりそうになってしまう。
 「ナージュ……」
 セイが涙をぬぐった。まっすぐ無防備なほどに一心にナージュをみつめた。
 「帰るぞ、セイ」
 ナージュは怒っているかと思うほど冷たく言った。セイはうなずき立ち上がった。
 「ギュルヴィまた来るよ。ありがとう」
 「セイ、おまえのために、いつでもこの戸を開いて待っていよう」
 賢者は、いたずらを相談する子供のような顔をすると、小声でささやいた。
 「……エドリは、第一王子は、元気で過ごしていたか?」
 「うん」
 セイが答えるのに、満足そうに微笑し、片目をつぶって見せた。
 セイは飛びだすようにしてナージュのもとへかけ出した。
 頭をわずかに彼女に下げたナージュは、急かすようにしてセイを連れて歩きだした。
 まとわりついて歩くセイの肩に触れようとしたナージュの手が、なぜかためらいがちにおろされた。
 賢者が背後から云った。
 「ナージュ、おまえのためにも戸を開いておこう。いつでも訪ねてくるがいい」
 ナージュの濡れたように黒いが賢者に向けられた。だがすぐに真っ直ぐむきなおされたのだった。


 セイは何度目かの寝返りをうった。
 このところナージュはなにかと忙しそうであり、ずっとナジイと部屋へこもっているか、出かけてしまうかだった。顔を会わす回数がかなり少なくなっていて、セイはだんだん気持ちが沈んでいくのがわかった。
 そうでなくとも疲れた様子のナージュには声がかけづらく、そばにいる機会もない。
 夜中さえ帰ってこない日が、何日か続いている。
 セイは今までにないほどの寂しさと、わけのわからない物足りなさを感じていた。
 「でも、これってただの甘えだよなあ。だってナージュはボクのサークレットを直すために忙しくしてんだもん」
 ナージュがいなくなったと思ったあの時を思えば、ずっと楽なはずだった。
 なのに、そばにいて感じる淋しさは、そばにいない淋しさとちがう切なさがあり、骨の髄に染みるようだった。必ずといっていいほど傍にあった温もりが恋しくて、どうしても眠りが浅くなってしまう。すぐに目が覚めてしまうのだ。
 途中で目がさめても、ひとりなのは変わらず、よけいに孤独を増してしまった。知らぬうちに、ナージュの存在だけで安心できるようになっており、自分がどれだけ頼っていたかを思い知らされる。
 水のなか以外で、魚は生きていられない。いくら冷たくても、彼の視線があるだけで、セイは息がつけるのだ。
 無愛想なまでに変わらない表情。冷たく見えてしまう態度。だが、彼がどんなに心を砕いてくれているか、必ず後で気づかされてしまう。現にいまだって、セイの痛みをその身に負ってくれているのだ。そんなことを考えると、よけい声をかけづらい。
 「ナージュ……そばにいて…」
 思わず漏れた言葉に、身がひりつくような寒さを感じて、ぐっと口をおさえた。
 そっと戸の開く音がして、ナージュのずいぶんと遅い帰宅を知った。
 セイは慌てて目をつぶり眠ったふりをした。かすかな音さえ立てず、ナージュは戸をあけ、ベッドの脇までくるとセイの寝顔をそっとのぞき込んできた。
 深い思いをふくんだ優しい瞳で、髪をそっとなで、しばらく見つめていた。セイは切なくなって心臓が飛び出しそうだった。
 ナージュはそのまま部屋を出ていった。足どりがひどく疲れて聞こえるのは、気のせいではない。触れた指が冷たすぎて、火傷するように痛んで感じられた。
 セイは胸の高なりをどうすることもできなかった。寝返りをうって壁に頬をあてた。隣にいるはずのナージュを思った。
 セイはどきっとした。誰かと話しをしているような声がわずかに漏れ聞こえてきた。
 ナジイの声ではない。思わず起きあがり静かにベッドをでると、そっと部屋の戸の隙間に耳をあてた。
 疲れたようなナージュの声が、途切れながらだが、かすかに聞こえた。
 責められているみたいな会話が交わされ、しばらくして非難の声が高くあがった。誰と話しているのだろう。耳をそばだてていたセイは、その名前に胸がチクリとした。
 「……シアを・・・ほんとうに愛してい……セイを――」
 耳を離した。なぜか無性に泣きたくなった。
 誰かを、ナージュが、自分ではない誰かをこんなにも愛しているという事実が、たまらな辛い。初めからわかっていたのに、それでも氷の剣のように胸に突き刺ささる。
 「ヴォル……わかってくれ、俺は……大切なんだ。おまえの力がどうしても……シアが…」
 『シア』、という声だけがやけに大きく聞こえ、耳に繰り返した。セイはベッドにあわてて飛び込み、布団の中にもぐった。
 こんな感情が、とても嫌だった。
 ナージュが帰って来てくれ、みずからセイの耳玉を受け入れてくれたとき、もうこれだけで充分だと思っていたのに。ナージュで一杯だと思ったのに。
 二度と会うことがないと覚悟していた。だから、こうして側にいてくれるだけで、幸せすぎるほどなのだ。自分はこれで満足しなくてはならない。
 なのに、日増しに独占欲が強くなっていってしまう。
 自分だけを見てほしい。考えてほしい。自分だけのそばに、いてほしい――。
 彼の心を占めている女性の存在が、いまさらながらに石のように重くなっていた。いやな感情だった。ナージュがだれを大事に思っていようと、それでいいではないか。
 そう繰りかえしても、どうしても自分のなかの誰かが納得をしてくれない。
 嫉妬は気づかぬうちに不快なものをセイに投げかけていた。苦しくて嫌なしこりだ。
 ベッドにもぐりこみ、ぼんやりしていたセイの耳に、怒鳴るような声が聞こえてきた。だがそれがいつ終ったのかも知らないうちに、セイは眠りにおちていた。
 頬には涙のすじがついていた。


 次の朝、目覚めたセイはベッドの傍らに座りこんで眠っているナージュの姿に目をとめた。はじめ驚いたが、どうしようかと迷ってのぞきみたナージュの顔が、あまりにも白すぎるのに気づいた。
 疲れているのだろうか。苦しそうな表情で眉間にたてじわがずっとよっている。
 ふと服からのぞいた腕の包帯に、セイは不安を感じておもわず肩に触れようとした。
 「シア……」
 ささやくような呼びかけだった。手が止まった。心が冷えてゆく。つぶてのような感情がからだの隅々までひっかいた。胸の奥底の大事なもの刺し切裂いてゆくようだ。
 セイの視線に気がついたのか、ナージュが目を開いた。
 どこまでも黒い瞳がセイの心を吸い込む。
 今なにを考えていたかもわからなくなるほど、黒い優しさに取り込まれてしまう。
 「セイ……どうした、どこか痛いのか?」
 ナージュが無造作に首に手をあてた。何気ない動作なのに泣きそうになった。
 だがセイはひどく驚く。手が死人のように冷たいのだ。
 「ナージュその手――」
 「大丈夫なようだな、熱はなさそうだ」
 ふっと手が離されナージュは立ちあがった。
 「セイ悪いが今日も出てくる。最近ひんぱんに憲兵隊が出回ってるようだから、出掛けるなら気をつけろよ」
 「今日も、今日も遅いの?だってあんまり具合がよさそうじゃないのに――」
 すでに部屋を出ようとしていたナージュが振りむく。
 「今日中には銀が手にはいるはずだ。サークレットが直せるから、安心していろ」
 心配しているのはサークレットのことではない。なのに、そう言おうとして、ナージュの姿がすでにいなくなっていることに気づく。
 セイは仕方なくため息をつき、そのまま部屋で不安な心持ちでごろごろしていた。
 結局ナージュとセイは、ナジイの家にいつまでもいすわるわけにもいかず、彼の知合いだという人の家を借りていた。持ち主は、いまは若夫婦と住んでいるらしく、長らく使われてなかった空き家だったが、手入れはされていた。家のあちこちに銀細工が飾られており、なかなか達者な細工師だったらしいとしのばせる。
 そのなかでも、この部屋にあるこまかな細工の壁掛けを、セイはとても気に入っていた。それから伝わる色んな思いを想像して楽しんでいる。
 だが、そうして家の中にじっとしていられるのも、ほんの半時だけだった。どうしようもなく誰かに会いたくなり、ちょっとだけと自分にいい訳をして外へ顔をだした。
 戸外の空気を吸うと、いてもたってもいられなくなった。マントをはおると賑やかな通りに向かって歩いてゆく。目的があるわけではないのでのんびりしていた。
 朝のせわしなさが一段落したあとの店々は、ホッと息をつくような雰囲気がだだよっていた。くつろいだ空気に、人間の生活のにおいをさせている。
 セイはその雰囲気にまぎれこむと、開放されたように伸びやかになった。
 果物屋の主人も布屋のおかみも、皆それぞれに休憩したり、家の片づけをしたりしていた。商売を忘れたようにお茶を飲んで、となりの主人と雑談をしている人もいる。
 店先に、素晴らしくきれいな銅細工が置かれてあるのに足をとめた。
 その中でも首飾りは、みるからに丹念な細工であり、細部にわたるまで手抜きがない。となりに飾ってあった豪華な銀細工より、こちらの銅のほうが実際ずっと出来がいい気がして、セイは気に入ってしまった。職人の人柄を思いしのばせるようだ。
 じいっと目を奪われているセイに、小物屋の主人が声をかけてきた。
 「いい細工だろう、欲しくなったかい」
 「うん。キレイだね。よくこんな丁寧な細工がよくできるよねぇ」
 「ああ、みんなそういって買っていくんだよ。なかなか見事だろう。丁寧で嘘がない仕事だ。この職人は、腕のほうはいいんだが、数があんまりこなせなくってね。これだけいい仕事なもんだから、すぐ売れちまうんだ。そう滅多に店先に並ばない品なんだよ」
 「うん、わかるよ。でもどうしてこれ、銀じゃないの」
 これが銅の鈍色ではなく、白銀ならば、もっと流麗な細やかに表現されるだろうに。
 「まあ、そこは色々と事情があってね」
 主人もそう思っているらしく残念そうだった。
 「これを作ってる職人ってのは、まだあんたぐらいの少年なんだよ。びっくりするだろ。いい腕してんだけど、父親がすごく飲んだくれたろくでもない奴でさ。その親父も、もとはかなり腕利きの職人だったんだけど、ここ数年、酒ばっかりくらってて話になんないんだよ」
 それまでは、こちらから頼んで仕事をしてもらっていたのに、とぼやいた。
 「その父親が、なにかと仕事にいちゃもんつけて邪魔をするみたいでさあ。まあ、なまじっかいい腕してただけに、へんにプライドがあるんだろうね。しかし息子の稼ぎ自分の酒代にするくせに、しょうがないやつだよ。親でもなけりゃあ、俺がぶっとばしてやるところだけどさ。ああ、なんだ噂をすれば、ほら」
 通りの向こうに、荷物をさげて来ている姿にセイは目を大きくした。
 「アサキ!?」
 「おや、あんたアサキと知り合いなのかい?なんだ、ならオルベのことも知ってるだろう」
 主人は布で銅の壁飾りをふきながら言う。
 「やつは何が気に入らないのかねえ、たびたびアサキに怪我させるもんだから仕事にも差し支えてるんだよ。そうでなくても量産な方じゃないのに」
 「怪我って、そんなにひどいことするの?」
 「ひどいってそりゃあんた、あいつは鬼畜だよ。一度なんか、あんな孝行な息子を、大金に目が眩んで、都の人買に売ろうとしたんだからね。城へ連れてく子供っていやあ大金になるんだ。まあアサキもあのとおりの体だから、さいわいにも断わられたけどね。オルベのやつは、またそれを根にもって殴るわ蹴るわで大変だったんだ。ナジイが止めなきゃ死んでたよ」
 話を聞きながら、ゆっくりと歩いて来ているアサキの姿がいっそう痛ましく思えてたまらなくなった。父親に殴られながら、憐れむような目を向けていた彼の心はどんなに深いのだろう。
 アサキは近くまできて、セイに気がついたのか嬉しそうに走ってきた。
 ――セイ!会いたかった。
 「アサキ!」
 アサキの声が頭にひびいた。笑顔にドキリとした。
 セイはその声を聞き、やっと誰に会いたかったのか、わかったような気がした。
 「アサキ、何かいい小物ができたのかい」
 主人は人のよさそうな笑顔で言った。うなずきながらくアサキがわたす袋を受けとると、数点の細工物をとりだした。ルーペでじっくりみながら、満足そうな顔をする。
 「いい出来だ。じゅうぶん五ルーベルにはなるぞ。ほらあんたも見てみろ」
 セイに細工とルーペを渡してくる。ちょっと待っていろ、といってそのまま引っ込んでいった。セイはそれをじっとみた。
 「わあ、きれいだあ。こんな小さな物に細工がよくできるねぇ。ねえこの首飾りもそうなんでしょ?こっちはブローチだね。ほんと器用なんだ、すごいねぇ」
 止まりがつかないほど誉めちぎるセイに、アサキはちょっと照れたように赤らんだ。
 そうやってずっと飽きずに見つづけているうちに、主人が戻ってきた。
 アサキに代金を手渡すと、ついでに、セイと二人分のお菓子も持たせてくれた。
 「ちょうど女房のやつが焼いたんだ。もっていきな。結構うまいぞ。うちのやつのクルケは絶品だからな。二人で仲良く食うといい」
 包を開けるホカホカとした湯気があがる。セイは嬉しそうに匂いをかいだ。
 「ありがとうおじさん」
 ――ありがとう。
 アサキは嬉しそうに何度も頭をさげた。主人は機嫌よく手をふった。
 アサキとセイはクルケを手にして、噴水の広場までやってきた。縁に座ってふたりでぱくつく。甘くふかふかのパンのように、とろけるようにおいしかった。
 「でも、アサキとこんなところで会えるとは思わなかったよ」
 ――セイこそ何をしていたんだい。
 「ボクはべつに何も……ただ退屈でさ」
 寂しくって、アサキに会いたくなった、とは恥ずかしくて言えず誤魔化すように笑った。アサキの紫色の瞳がじっと見つめていた。
 「な、なに?」
 ――いや、不思議だなって思って。ボクとこんな風に会話できる人がいるなんて思ってもみなかったよ。すごく不思議。でもすごく嬉しいよ。
 「それは、だってボクも同じだよ」
 ――それになんていうか、きみはぜんぜん他人の色に染まってないんだね。こんなに白い色をした人は、見たことないよ。強いて言えば、赤ちゃんくらいかな?
 「赤ちゃん?……白って、なにが白いの?」
 何のことだろうと小首を傾けるのに、アサキはなぞめいて笑う。
 「ねえ、アサキは何を見ているの?その紫色の瞳には、なにが映っているの」
 ――怪物。
 「えっ?!」
 ――きみの中の寂しさがみえるよ。ボクには、きみの中で泣いている影がはっきり見えるんだ。
 通りを歩いている女を指した。彼女は男を呼びこみ、絡むように身をよせていた。娼婦である。みたことがあるような気がした。
 ――ほらあの人。なにか感じないかい。
 「あの人がどうかしたの?」
 ――いま彼女を支配しているのは欲望だよ。生きるために、贅沢がしたがために、自らを闇の虜として、影に喰わせてるんだ。
 セイはじっと目を凝らす。言われてみればなんとなく彼女の頭上に、うっすらと黒いモヤを感じるような気もするが、明確に言い切れるほどではない。
 ――あっちの人は病に冒されているよ。死期ももう近いんじゃないかな。
 さすがに、その言葉には息をのんだ。
 「そんなものを、いつも、見ているの?……見えてしまうの?」
 ――だからって、何もできないんだけどね。
 心もとなそうに笑った。
 人の不幸がわかっても何も出来ない。何もしてあげることができない。ならば、いっそ見えない方が幸せだ。それはいつも自分のことのように染み込んでくるのだから。
 「そんなのってつらすぎるじゃないか。なんでアサキにばっかりがそんなことが起こるの?」
 ――だけど仕方ないよ。見えてしまうんだから。セイ、ボクはね、信じられないかもしれないけど、本物の怪物に会ったことがあるんだよ。
 「怪物?」
 ――父さんに連れられてね、べつの町に細工物を売りに行ったことがあるんだ。子供のころだったけど、そのころはまだ父さんも真面目に働いていてね。そこで、ボクは会ってしまったんだ。湖で遊んでいたボクの目の前に、怪物がぼんやりとあらわれ、水中からボクに触ったんだ。……それからかな、色々見えるようになったのって。
 「そ、その湖って」
 ――よく覚えてないけど立派な寺院が多くあったよ。まあそれから耳もあんまりはっきりとは聞こえなくなり、声も出なくなって、よけいに別のものが視えるようになったんだけどね。その怪物、今でも忘れられないな。
 まさか、あの、『負の湖』で出会った怪物のことだろうか。
 ――かわりに感覚が鋭くなったみたいだ。だからこまかな細工をするのも苦にならないんだ。かえって楽しいもの。きっと好きなんだよね、仕事が。
 「……うん、ほんとに綺麗な細工だったよ。好きだな、アサキの作るものって」
 アサキそのままのような優美な線をもっていた。このままあと数年もしたら、きっと名のある細工師になるのは間違いない。
 ――ボクなんてまだまださ。きみのサークレットに比べたらとんでもなく恥ずかしいよ。
 アサキはセイのマントからのぞいていた竜玉のサークレットに手をあてた。
 ふっとセイは、火が消えるように沈んでしまった。
 ――どうかしたの、セイ。
 「ううん、べつに……」
 セイは自分のなかに重くしずむ。ずっと胸の中から消えない、この黒い感情のことを、口にしようかという思いがこみあげてきた。
 それはもしかしたら、もう、アサキには見えているのかもしれない。いや、きっとわかっている。けれどはっきり口に出して、それでもっと嫌われたら、とても悲しい。
 けれど聞いてもらいたいという衝動が、怖さより大きくなってしまった。なぜアサキをこれほど信用するのだろう。知合ってからそれほど時間もたっていないのに。
 ――だれもきみの事を嫌ったりしないよ。きみはそのままで、十分綺麗だもの。
 「アサキ……」
 きっと自分は、アサキの清浄さが羨ましかったのかもしれない。
 セイは思いきって話した。
 「どうしてなんだろう、とても気になるんだよ。彼の事ばかり考えてしまうんだ。そして彼のから決して消えない、シアという存在がとても重くて、胸が苦しくなってしまうんだ……」
 顔も知らないシアという存在が、どうしてか心を塞いでしまう。わかっていたはずなのに、彼女がナージュの心を占めているのが、今はとても悲しい。
 ――そんなこと、簡単だよセイ。それはきみがナージュを好きだからさ。とっても好きで、たぶんそれが、誰かを愛するっていう感情なのかもしれないね……。
 「愛……?だって、ボクは……」
 ――ねえセイ。きみはナージュに好きになってもらいたいから、好きになったんじゃないんだろ?好きだから、その人だから、好きになっちゃったんでしょ。
 はじめて会ったときから、どうしようもなく魅かれていた。
 ――だったらいいじゃないか。その感情ごと受け入れなよ。いっぱい好きなんだから、いっぱい色んな感情があったっていいんだよ。
 「でもボクは、なんでだか寒くなるんだよ。彼がその名を呼ぶのを聞くと、とても寒いんだ」
 ――セイ。
 優しく呼びかけた。
 ――それはね、『寒い』じゃなくて『寂しい』、だよ。……とてもよく、わかるよ。
 「アサキ」
 アサキは、セイの泣きそうにしている頬をなで、抱きしめた。
 受け止められた心が甘くとかされてゆく。
 アサキはハッと何かを感じたように表情をこわばらせた。セイの手をとり急いで立ちあがった。
 「な、なにっ?!」
 ――憲兵だ。こっちにくる。また子供狩りにきたのかもしれない。早くこっちへ。
 アサキに手を引かれ、セイは走りだした。
 裏道へ曲がってから数分もたがわずして、憲兵隊がそこに踏み込んだ。
 セイとアサキはほそい路地を何本か走りすぎた。しばらくしてアサキの家の前へと出てきた。二人は息を荒くついていた。
 「あんなものの気配までわかるの?」
 ――あれは特にいやな瘴気を出してるからね。
 顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
 「アサキ帰ったのか!」
 いきなり戸があきオルベが顔を出した。言葉を継ぐこともなく掴みあげると殴った。
 「オルベなにを!」
 「どこで油を売ってやがったんだ!さっさと酒買ってこいって言っただろうが」
 襟首を締めあげられて苦しそうにもだえるアサキを、地面にたたきつけた。ポケットから銅貨がころがるのをみつけ、手にすると、まだぶつぶつと言いながら、フラリと出ていく。
 「アサキ大丈夫?!」
 セイはあわてて手をのばした。
 アサキはにっこり笑うとなんでもなかったように立ち上がった。
 ――このくらい平気だよ。
 「でも」
 ――大丈夫。また驚かせたね。なんだかこんなのばっかりだね、セイの前ではさ。でもこれでしばらくは父さん帰ってこないから、大丈夫。
 セイを家の中へ招き入れてくれた。
 ――ごめんね、汚くて。
 アサキの家は、強盗にでも入られたようにひどく荒されていた。たぶんオルベがお金をどこかに隠してないかとあさったのだ。
 転がる酒のビンをよけ、イスに座るようにうながされた。アサキは自分の仕事道具の箱をもちだすと、そっとそれを取り出した。銀細工のレリーフだった。
 「わあ」
 セイは感嘆のため息を漏らした。
 ――これ、父さんが作ったんだよ。これだけは売りたくなくって、隠してたんだ。見つかるとこれも売り払われちゃうからね。
 少し自慢げな口調だった。
 「これをあのオルベが?!すっごいなぁ、キレイ」
 たしかに素晴らしい細工であった。あのオルベからは考えもつかない。
 セイの惜しみない称賛に、アサキは嬉しそうに笑った。自分が誉められたときよりずっと嬉しそうにみえた。その透明な笑顔のなかに、セイはやっと賢者の言葉を受け入れられるような気がしていた。なんとなくわかってしまうのだ。それでもアサキが、父親がとても好きだということを。
 ――はいこれ。
 「なに?」
 セイの手に銀の小さな耳飾りがのっていた。
 気の遠くなるような緻密な彫りがすばらしく、目をうばわれるように美しい。
 ――よかったらあげるよ。それ、ボクがはじめて作った銀細工なんだ。
 「ええ?!だ、だめだよ。そんな大切なもの」
 ――いいんだ。貰って欲しいんだよ、セイに。もちろんいらないなら別だけどね。
 いたずらっぽくウインクするのに、セイは本当にいいのだろうかと、それをじっとみつめた。
 アサキと耳飾りとを交互にみる。アサキがうなずくのに、パッと顔を明るくした。
 「ありがとうアサキ!大事にするよ。こんな大切なものをほんとに嬉しいよ」
 アサキにとびついた。
 激しく戸をたたく音がした。二人は顔を見合わせた。アサキは何なのかわかっているようにちょっとため息をつくと、戸を開けた。
 「ちょっと!またあんたんとこのオルベがうちで暴れてんじゃないか!もういい加減にしとくれよ。うちは慈善事業じゃないんだよ!」
 よく肥えた体格のいい年配の婦人だった。顔を出すなりけたたましく吠えまくった。
二重のたるんだ顎が怒りにゆれていて、アサキはまたかと言うように、それでも申し訳なさそうに頭を下げる。
 「だいたい酒代にしたって、あんたんとこいっつもツケじゃないのさ。うちだってそんな余裕ないんだからね。いつ払ってくれるんだい。どういうつもりなんだよ――」
 頭を下げるアサキの物腰柔らかな態度に、まくしたてていた婦人は、だんだん言葉が少なくなってきた。あらかた言い終えてすっきりしたのか、鼻息を大きく吐くと大きな尻をふって帰っていった。
 あっけにとられてみていたセイにアサキ、いたずらっぽく肩をすくめてみせた。
 「……すごかったね、いまのおばさん」
 ――だから酒を飲ませないでねってお願いしてあるんだけどね。いつものことだよ。あの人はね、ボクに怒っているんじゃないんだ。ボクのところへうっぷんを晴らしに来てるだけなんだ。でもそれは、あの人には必要なことなのさ。
 「そ、そうなの?そんなのって、でもじゃあアサキは?」
 ――大丈夫。あの人は本当はいい人なんだ。けど、たまに我慢が出来なくなるだけなんだ。多くの人がそうであるのと同じようにね。
 そうして、うっぷんを吐き出させ、あのひとの心を取り戻してやる。
 ――ああセイごめん。ボク、父さん迎えにいかなきゃ。ごめんよ、せっかくなのにゆっくりできなくて。よかったらまた来てよ。今日はとても嬉しかった。また、きみと話がしたいな。もっとたくさん、いろんなことをね。
 「うんボクも楽しかったよ、ありがとう。ボクのほうこそ、もっと一杯話したいことがあるよ」
 セイは手のなかの耳飾りをみた。
 「また来るね。これ、本当にありがとう。大切にするよ。じゃあまた――アサキ」
 セイは銀の耳飾りを大切そうに握って、手をふった。
 アサキの家を出るところには、すでに日は傾いていた。家でじっとしているはずだったことを思いだし、慌てて帰ろうとしたセイを呼び止める声がした。
 「よお、セイじゃないか」
 「ヴ、ヴォル――黒竜?」
 正面から待ちかまえていたかのように、にやりと口元を歪め近づいてきたの黒竜に、セイは逃げだしたいような嫌な気配をかんじ、顔をしかめた。グッと踏みこらえた。
 まだレイズの顔をしていた。
 「よく生きていたなぁ、おまえ。ナージュがいないとこみると、また置き去りにされたのか――っと、おいおい、そう睨むなよ。俺はおまえを可哀そうに思って、忠告してやろうと、こうして親切に待ってたのにさ」
 いかにも裏ありげに鼻に皺をよせ笑う。
 「忠告なんていらないよ」
 「なあに、おまえがあんまりナージュに懐いているのが不憫だからさあ、つい言いたくなるんだよ。あんな最低なやつはいないぜ。いまだって守護機のくせに主人のおまえを騙しているだろ」
 「やめてよ、勝手なことを言わないで」
 「まあ聞けって。毎晩やつが出ていっているほんとのわけ、おまえ知りたくないのか?なにしてると思ってるんだ」
 レイズの顔で微笑まれるだけで嫌な気分になる。
 彼の言うことなど、なにも聞きたくなかった。足早に歩くセイの後ろを、ニヤニヤしながらついて来る。
 「だってな、毎晩忙しげにしてんのは、ナジイにシアの像のレリーフ造らせてるからなんだぜ」
 セイは足を止めた。
 「そんなの嘘だ!いい加減なこというな!」
 「本当なんだよ。その証拠に、やつは一度も仕事場へおまえを連れてかないだろう。それに傷まみれだし。あれは体ん中にある宝玉を取り出してるからなんだ。おまえのためにあるものなのに、銀細工に埋め込んでもらってんだよ」
 「やめてよ。なんでそんなこと言うの!聞きたくない!」
 「だから俺はおまえのことが気の毒だから、真実を教えてやりたんだよ。あんな男のためにこれ以上泣きたくないだろう。気をつけないとひどい目にあうぜ、なあ?」
 振り払うようにセイはあまりの嫌悪に走りだした。どうしてこんなことを言うのだろうか。意地悪なことばかり言う。背後からきこえる黒竜のわらい声が耳に焼きつく。
 「そんなはずないじゃなか!
 ふと思いだしてしまった。昨日誰かとナージュが話しているのを。
 シア、とささやいていた声が耳によみがえる。
 つんっ、と鼻の奥が痛くなるのに、泣かないように唇をかんでセイはまっすぐ走っていった。



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