●● 宝珠の戦士 ●●
4
「これはこれは斎火様――」
千頭王鬼はおもねるような顔で、粗野な笑みを浮かべ頭をさげた。
「お待ちしておりました、四天魔王斎火様」
「ふざけた挨拶などよい、千頭。きさまなにを目的としているのだ。よもや、比良などを本気で人界の王に据えたいわけではないであろう」
云いながら、おまえの考えなど端から見透している、と言わんばかりの冷徹な目をしてみくだしていた。
腕を組み、威圧せずにはいない尊大な態度が、かれにはよく似合っている。そして種々の配下の魔物どもを足下におき、血と恐怖にみちた叫びのなかで、地獄の王として君臨している姿こそが、もっとも相応しい。
「オレの邪魔をするなとは云うておらなんだか?それとも、意図して逆ろうておるのか」
「まさか――そのようなことは。もちろん、重々承知しておりますことですが、先日も申しあげたとおり、あなた様のご動向は、父王様をはじめ、八大魔王であられるご兄弟皆様で、ご心配申し上げておられるのでございます。多少なりとも魔界の意志が加わるのはいたしかたございません」
「ふん、オレがどうしようとやつらには関係はない。オレの自由と楽しみを奪うやつは許せないだけだ。それが父であろうともだ。何度も言わせるな、千頭」
目に剣呑なひかりが宿るのに、千頭王鬼はさらに慎重げにいった。
「もちろんわかっておりますよ。あなた様のご気性も、お気持ちも。ですがどうぞお許しになって下さいませ。斎火様は魔界にあっても特別な存在。第四天、空白の座に位置されるただおひとりの大切な御方なのですから」
意味ありげに、恭しくかしこまる。
――第四番目の王座に位置する、空白の座。
それは魔界の盟主であり、偉大なる魔王、眉輪黒天王の四番目の息子である斎火に与えられた称号であった。
眉輪黒天王には、八人息子がおり、それぞれが特異な力をもって、深淵なる魔界をおさめている。
そのなかでも斎火の位置する、第四番目という位置が特別であったのだ。
分離の数字「二」をさらにふたつ掛け合わせた「四」の数字は、凶悪さをさらに増し、破壊、困難、不運、不完全、という最悪最強の意味をもつ数でもある。
それゆえに未だ定まらぬ者として、空白の座とよばれているのだ。
「あなた様のなかには二つの極が混在しておられる。すなわち陰と陽、善と悪、正と負。未知なるものが同時にあるため、四の位置は不確定のまま。だからあなたは二つの名をもたれている」
火凌王とも、斎明王ともいう。
前者は邪悪なる者の名であり、血と肉と、あらゆる快楽を好む、残忍で劣悪な悪鬼のごとき魂のもの。
そして後者の名は、今現在の時点では、その翳りも見えていないが、聖なる守護者としての慈悲深い魂のものである。
その相対する二つのものが彼のひとつの身に存在しているために、不確定であり不完全であり、深淵なる宇宙の力を秘めた、破壊と創造の混沌の姿なのだった。
闇の血に覆われているとはいえ、どこかにまだ黎明のごとき光が潜在している。
斎火のまわりを渦巻いていた霊気が高まった。千頭のいかつい肩が耐えきれぬように震えていた。
高次元に位置するエネルギーは、低級な魔物にとっては毒に等しいものがある。強すぎる波動は、いびつな魔物のエネルギーなど簡単に打ち消してしまう。
千頭ほどの高等魔であっても、斎火の前にあっては卑小な小物にすぎない。いつ消滅するかもわからないのだ。
斎火は冷血な笑みをうかべた。
「兄弟どもで、このオレの力を危惧しているとでも言うのか。いずれ父王を倒し、魔界の王となろうと目論んでいるとでも?」
その言葉はどこまで本気であるのか。
絶対的な魔界の王すら、ものともしない不敵な態度が、不気味である。
「あなた様には、父王様でさえ持ちえない、未知の力に溢れておられる。それゆえ第四の王位はいまだ座るべきものが決まらぬ、不確定で、無限の力を秘めた空白。皆様がお気にかけるのも無理はないはず」
だからこそ斎火の内面が気になる。
彼のなかにひそむ未曾有の力が、どの方向に向かうかによっては、魔界と天界の均衡が変わってくるのだから。
黒天王にしてみれば、何がどうあっても、斎火を暗黒の世界から離してはならないのだ。
「それになによりもあなた様は、聖なる智慧の略奪者であられます。宇宙創造の秘密をもちえている唯ひとりの方」
「オレの顕在している記憶にはないことだ。あいつに封印されてしまっているからな」
「それは、あの巫女姫に、ということでございますか?」
まさかそのようなことまで人間が封したか、と驚く。
「あなた様ほどの方が、たかが人間の女などになぜ――?」
「あいつはな、このオレに、人間のもつ最強の魔法で封印をかけたのだ。……たぶん、あいつにしか、掛けられなかったであろうがな」
どこか自嘲気味にわらう目は、まるでそのことを楽しんでいるかのように優しい。
千頭は見てはならぬものを見てしまったような恐怖に、青白む。
「どちらにせよ、すべてはオレが選んでしていることよ。おまえらの干渉はうけぬ」
云うと、霊気がさらに厳しさおびた。
千頭は息が切れそうになってよたつき、思わず護符の印をきっている。
「あれはおれの玩具だ。オレが遊んでいるのによけいな手出しをしおって、腹がたつ」
「なぜ、あんな普通の子供を気にかけるのですか。普通の――いえ、それよりもっと劣る、なんのとりえもない少年ではありませんか。なぜあなた様ほどのお方が執着なさるのです。どう贔屓目に見ても、これといった資質も、才能も見受けられませんぞ」
「ばかめ」
「……えっ?」
斎火は内心の笑みをおしかくすように言う。
「云うたはずだ、特別だと。まだ力は眠っているだけにすぎぬのだ。そう、おまえは知らぬだろうが、自己というものに目覚めておらぬころのアレ北斗は、自分のなかのエネルギーを珠にして、ひとりで遊戯んでいたのだ。その珠を使い、無意識のうちに魔界の門を砕いていたぞ」
「ま、まさかっ!そんなことが人間にできるはずなどございませぬ」
「だからこそ父王が気にするのではないか?ヒミカなど、アレに比べれば、少しばかり強い魔物に、毛がはえた程でしかないぞ。アレはな、己のなかに巣食う巨大な龍の存在を知らぬ、小さな巨人なのだ」
斎火に、おのれを封じこめた巫女さえ、そのように言わしめてしまうほどの力だというのか。
ならばそれを知る術さえもたぬ千頭の愚かさを、誰が笑うことができよう。
千頭はそれでも信じ切れぬようにいう。
「……ですが黒天王様は、あなた様にはなにがどうあっても、魔になっていただかねばならないと仰せられておられる。あの少年はそれを邪魔するもので、消さねばならぬと」
「なぜ北斗がオレの邪魔をするのだ?」
千頭は怯えながら、斎火から目をそらした。心の底にあるものを読まれぬようにと意識を閉ざず。思わず無意識に切っていた守護の印を、斎火は見逃してはいない。
「ふん、羅伏の配下か。七天魔王の」
「い、いえわたくしはそのような――っ!」
怖くなり、つい主の印を切ってしまったのだ。
もはやどう言い訳をしても、斎火には隠しとおせない。
千頭はなにやら訳のわからぬことを言いながら、それでも必死で斎火の気を引こうとしているようにみえる。
まるで少しでも時間がかせげればというような不自然な態度に、斎火は嫌な予感がした。
まるで千頭は捨て身の態度であるのだ。
「はかったか、千頭」
ヒュッと千頭は息をのんだ。その一言にさすがの千頭も反応してしまった。
落ちる影が、死の冷たさを帯びていった。だれもそれからは逃げることはできない。
斎火は冷酷な魔の目を、千頭王鬼にむけた。
北斗の叫び声が、地上の彼方に聞こえたような気がしていた。
ピクッと手がひきつった。
苦しげに体がふるえ、かすかに苦鳴がもれたように聞こえる。
全身からまばゆいばかりの光芒が放たれていた。黄金の炎に包まれているようで、髪の毛さえも光に透けて金色に燃えてみえる。
そこにいるのは子供だった。
八才か、九才ぐらいの少年の姿ではるが、まごうことなく北斗である。
惚然としている三穂津のまえで、ゆっくり北斗の眼が開かれていった。不思議な色をした虹彩だけが輝き、この場の何ものも――三穂津さえ映っていなかった。
「斎火がいなくなっちゃった……」
ポツリとつぶやいた。
「えっ…?」
「斎火がとうとうボクを置いていっちゃったんだ……」
悲しみに満ちた声だった。
深い湖の底からわきでるような昏い声には、胸を押しつぶされんとしているような苦しさがあった。
北斗はユラッと夢遊病者のように立ちあがった。泣きはらした目を三穂津にむけた。
その目がキッと切りこむように吊りあがる。肉をえぐるような疾風がはしり、三穂津のきれいに結いあげた髪を乱雑にみだし、逆立てた。
「ああ……っ」
三穂津はやっとそのとき気がついた。
自分はなんという間違いをしてしまったのだろうかと。
北斗をなんの力ももたぬただの子供だと思っていたのに、そこに隠れていたのは、三穂津などお及びもしない霊力をもつ、凄まじい霊の巨人、霊術者だったのだ。
「ボクが、がなんの力もない子供だから、なにも出来ない、母さんを苦しめるだけの存在だから……みんな、ボクがいらなくってしまうんだ。ボクは、生まれてきちゃいけなかった。ボクはいらない……」
北斗の言葉は、牙となって三穂津の胸にふかく食い込んでいった。
純粋で無垢な子供の涙がぽろぽろと、北斗の大きな目からすべりおちていった。
「……いなくなっちゃった。斎火がボクをおいていっちゃた。斎火がいてくれないなら……ボクはひとりぼっちだ。世界中に、もうだれもいなくなった…」
カッと双眸から閃光がはなたれた。
三穂津は壁にたたきつけられた。
障子戸がふきとばされ、部屋のなかにあった家財道具や畳までもが巻きあげられた。いっせいに天になげだされていく。
そこにいるのはもはや北斗ではなかった。
自分の強大な霊力を制御すらできぬ、子供の姿をした魔人。ポロポロと涙だけをこぼしている。
「みんないらない。みんな、もうボクなんかいらない。なんにも…いらない……」
北斗から湧き出しはじめた稲妻が、離れの建物をつらぬいた。ドンッという鈍い音がして、建物は一瞬に崩壊してしまった。
三穂津は背を打ちつけられ痛みにうめきながらも、驚愕に目をみひらき北斗から目がはなせないでいた。あまりのことに思考が働かなくなっている
「まさかっ、こんなことになるなんて……」
外界から圧迫をかけすぎたため、北斗のなかにあった、タガが完全に外れてしまっていた。
泣きながら自分を否定した世界を、今度は自らが否定しかえそうとして、子供の心のままに暴れているのだ。もはやそこに正気はない。
北斗のなかに起こった不用意な爆発は、もはや誰にもとめられなかった。
感情のたけりのまま、周囲の物を破壊しつづけてゆく。
「みんないなくなれ。みんなみんないなくなっちゃえ。ボクなんか、消えちゃえばいいんだ」
泣きわめく小さな北斗こそが、本当の姿であった。
柔らかな印象の向こうに隠されていた巨大な龍は、自分を害するものすべてを怖がり怯えている。制御しきれない大きな力に苦しんでいる姿を、三穂津はなす術もなく見ているだけだ。
「まさか斎火はこの力を知っていたの?これをいままで抑えていたというの?」
もしかしたら、斎火は北斗を無理やり成長させることで、北斗のなかにある巨大な力を分散させていたのかもしれない。
北斗が廊下に出ようとするのがわかり、三穂津はおもわず叫んでいた。
「だめよ!そっちは比良様のご寝所がっ!」
たおやかな深窓の姫君とはおもわれない速さだった。
北斗のまえに飛び出ると、熱風が吹きつけるのにもかまわず、その歩みをとめようとすがりつこうとした。
「そっちにいかないで!お願い、どうか鎮まってちょうだいッ!」
雷にうたれたような衝撃が三穂津を吹き飛ばした。
悲鳴をあげ廊下を転がってゆく。
「ボクのものはなんにもない。母さんも、誰もかれもみんなボクがいらない。みんな聖月のもだ。ボクは要らない子供だったんだ」
北斗の目にこそ、周囲のものがすべて化け物のように見えていたのかもしれない。
だれもが北斗を否定し、小さな柔らかい胸をつきさす針の鋭さで、存在を否定し、陰口をささやきあう。
子供が逃げこめる唯一の場所であるはずの母親でさえ、無力で不器用な息子に苛立ち、大きな声で怒鳴りつけてくる。
「ごめんなさい母さん。ごめんなさい……。次からは出来るように頑張るから、ごめんなさい……」
三穂津はそのささやき声を聞き、泣きそうに顔を歪めた。
自分の胸をおさえ、まるで北斗のなかの悪夢に絡めとられたように、意識がすい込まれてゆく。
――母様ゆるして。わたくしは姉様のようにはできません。わたくしには、姉様のような才能なんてないんです。もう許してください……。
――わたくしには才能なんてないんです。出来そこないなんです。呪術者になんてなれません。誰にも選ばれなくても、もういい。
少女の頃の三穂津の声が、どこからか聞こえてくる。
「わたくしはやっぱり間違えてしまったの、母様……?」
蚊のなくような三穂津の声に、北斗は猛獣のごとき獰猛な目をむけた。母、という言葉に反応したのだ。
小さな男の子は消え、破壊の力だけが渦をまいていた。
「母さん……斎火、どこ?」
倒れたままの三穂津に、破壊の力が真っ直ぐむけられた。
渦のなかの少年がゆっくり手をふりかざし、自分を不安にした原因を消滅しようとする。
『だめよ、北斗!』
ビクッとして、手がぶれた。
三穂津にむかい火焔の矢がなげられたはずだったが、すんでで火焔ぶれて、三穂津の頬を薄紙いちまいへだてた白壁に、穴をあけていただけだった。
オーラに包まれていた北斗の歩みがとまった。
目の前に美しい女性が浮かんでいた。背後の景色がすけ、七色の陽炎のようにたおやかに揺れて見えている。
「ヒミカ、様?」
三穂津がつぶやいた。
神代のなかに語られる伝説の巫女姫であり、統一国家の王でもあった美しい女性。
そして、斎火を封じこめることのできた、たったひとりの偉大なる存在。
その幻想的な美しさからは言いようもない温かさがながれだし、逆だった心が穏やかにつつまれ凪いでゆくようである。
『北斗、自分を見失ってはいけないわ。悲しみに支配されないで。さあ目を醒ますのよ』
「もういいよ。だって、ボクにはもうなにも残ってないもの。誰もいない、なにも、いらない」
『ちがうわ。あなたは無くすものなんて何もないのよ。よく目を見開いてまわりをみてごらんなさい、そこに真実があるはずだから』
「真実ってなに?だってボクには誰ひとりいないんだよ。誰もかれもが、ボクなんか要らないって言うんだ。選ばれないものは要らない、愚図で出来そこないの子供はいらない……。ほら斎火も、――三穂津姫も」
北斗からボロボロと、また涙がこぼれる。枯れることのない清らかな泉のようだ。
『いいえちがうわ。それはあなたに向けられた叫びではないの。力に苦しみ、溺れて苦しんでいるのは、他でもない、三穂津姫そのひとよ。さあよくみて』
三穂津に目をむけた北斗は、そこに怯え泣きそうになっている小さな女の子の姿をみた。
女の子はひどく悲しんでいた。
術者であり、また優れた占術と能力をもつ巫女であった母親の足元に崩れ、息を切らして倒れている。
けれど母親は抱き起こすこともなく、娘を突き放すようにみているだけだ。
――このような他愛もない術も破れぬようでは、我が千家の巫女を名乗ることは許しませぬぞ!さあ立つのです。立ってもういちど母の印を破ってみせなさい。耀子にできておまえにできぬはずがありません!
『できません。できません母様……。わたくしには姉様のようにはできません』
――ええいふがいない!そなたのような出来そこないの子など、妾の子ではないわっ!
『許して…母様、許して……』
満たされない心に心を重ね、それでも耐えて耐えぬいて、三穂津は巫女になった。
出来そこないと呼ばれた少女は、力を欲するあまりに、いつしか何を正しいといい、何を間違っているのかということも、分からなくなってしまったのだ。
「わたくしは、また間違えてしまったの?比良様をすべての者の王にしてさしあげたかっただけなのに。姉様に、姉様の守護する宗良王には負けたくなかっただけなのに、どうして…?」
座り込んだ三穂津姫はもはや北斗の暴走もわすれ、ただ泣いていた。
あれほど気の強い涙にゆがませ、顔をふせて肩を頼りなげにふるわせている。
そんな姿をみて、誰があの気性の激しい三穂津だと信じるだろうか。
『北斗、力はすべてあなたのものなのよ。あなたが力に支配されるのではなくて、力をあなたが支配しなくてはいけないわ』
「ヒミカ様……」
『わかってるわね』
優しく微笑まれて北斗はうなずく。
三穂津から発せられていた、毒を含んだ言葉の数々は、自分のなかに溜まっていた、苦しみの現われだった。
言われ続けてきたのに、それを必死で忘れ、ただひたすら力へ執着して、強くなりたいという想いに凝り固まってしまった。
生来の勝気さが、傷を癒すこともないまま、ただ力の追求へと情熱を傾けさせたてしまった。力の魔力にとりこまれたのだ。
『比べさえしなければ迷いも悩みもしないのに、ついつい比べてしまう。だから欲が出てしまうのよ。それはあなたのお母様だって同じなのよ、北斗』
その意味は、いまの北斗になら、はわかる。
北斗からは灼熱のようなオーラは消えていた。
ただ穏やかな包み込む春の日和のようなあたたかさだけだった。
「三穂津姫、ちがうんだよ」
北斗はうずくまって泣いている三穂津の肩にそっと手をおいた。
ビクッとするのに、優しく微笑み、目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「きっとね、母様は三穂津姫が可愛いから、厳しくしたんだよ」
「な、に……?」
「三穂津姫の母様は、三穂津姫が苦労すると思ったから、それが可哀想で、三穂津姫が可愛いから、だからよけいに苛立ったんだ」
北斗の母も、きっとそうだったのだ。
不器用で泣き虫で、いつも他人より遅れて、損をしてしまう北斗が、あまりに不憫で可哀想だった。
せめて人並みにしてやりたい、ましてその不器用さのために苦労するかと思うとよけいに愛しさがつのり、少しでもそれをどうにかしてやりたくて、ついつい厳しくしなってしまった。
「ボクは人の心もわからない子供だけど、でも、そこに愛があるかどうかは、ちゃんとわかるよ」
いままで北斗の傍らいたヒミカの光が、ふうっと消えた。かすかに聞こえた声が耳元をかすめる。
『斎火をお願いね――』
いつもの北斗の笑顔にもどっていた。
「北斗…?」
北斗は微笑んでいた。
三穂津はさしだされた手をそうっと握り、ゆっくり立ちあがる。
ハッと目を開いた。北斗を突き飛ばした。
「危ない!」
三穂津の首にあった数珠が散った。背後から向かってきたエネルギーの矢を受け、白い煙をあげて、霧散してしまった。
影もおとさずに、北斗の目のまえに悠々と男が立っている。
「だ、だれ?!」
「やっぱり、おまえの存在は危険なようだな、北斗」
いつのまにその場に現れていたのか。
誰かに似ている、不敵な笑みをうかべていた。闇のような黒髪の、きつい面差しではあるが、紅顔の美少年とでもいうような見目麗しさだ。
男はまっすぐ北斗をみすえていた。その容姿の造形は美しくあるのだが、やけに禍々しくて、魔的な匂が濃い。隠しようもないほどの霊力は、彼がただの魔物ではないことを物語っている。
「あなたは……?」
北斗は不安げな声をふるわせた。
ひどく恐ろしい気配が吹きつけてくる。
北斗は、それでも子供の自分より背の高くなってしまった三穂津を背にかばい、小刻みにゆれる手をひろげ隠すように覆っていた。
「こんなにひ弱な子供のくせに、あの忌まわしい女の匂いがぷんぷんしているぞ。気に入らないな、まったく気に入らないよ」
引っかくように眉根をよせ、口もとをゆがめる。睨まれるだけで肌がピリピリ焼けるように痛んでくるではないか。
それもそのはず。
彼こそは斎火の弟であり、七天魔王である羅伏であった。
羅伏は次元の境目に身をひそめ、むこう側から、北斗たちの様子をずっとうかがい見ていた。まるで寸劇でも楽しむように、北斗の力を推し量っていたである。
綺麗な笑みには強い毒があった。
斎火とはまたちがう魔の波動が、まるで津波のようにふくれあがり、いまや王城すべてを覆わんとするほどになっていた。
「おまえは兄上にとって、いや、我ら魔界の者にとっても、危険な存在だ。今のうちに排除しておくべきだ。われらを脅かす存在となるまえに、危険な芽をはやく潰さなきゃいけないね」
いつのまにか、羅伏の手に、天狼剣が握られているではないか。
三穂津によって、なかば強引に取り上げられたはずであったのに、先ほどの騒動ですっかり忘れられていたのだ。
「兄上には力を取り戻してもらわなければならないんだろうけど、でも、どうせあのひとは他人の言うことなんで聞きはしないし、厄介だからね、殺しておいた方が後々ラクだろうなぁ、やっぱり」
恐ろしい台詞をいとも軽くいう。
魔王たちにとっては、親兄弟も所詮は他者でしかない。自分の邪魔になりそうなヤツは排除する。これこそが魔の血の鉄則である。
視線をむけられてびくつく北斗に、笑った。
「こんな子供に惑わされるなんて、やっぱり兄上は消去したほうがいいよ。父上も甘いもんだ。魔になるか、ならないかわからない不安の材料をわざわざ残しておくなんて。どうかしてるね、ボクならさっさと処分してしまうけど」
黒光りする美しい鞘にくちづけるように羅伏は頬をよせた。
「あ、あなたはなにを言ってるの……?」
北斗は羅伏のいう言葉の意味の半分もわからない。
だが、死の匂いはだけははっきり嗅ぎとれる。
魔力の大きさは、もしかして斎火とはるか、それ以上かもしれない。
もしそうなら、斎火と戦えば、封印されている斎火のほうが断然不利な状況にあるはずだ。
そしてその封印を唯一とける天狼剣は、北斗の手からとりあげられている。
「その剣を返してよ!それは大事なものなんだ!」
声がふるえ掠れていたが、一刻でもはやくあの剣を取り返さなければならない気がする。嫌な予感がなりひびく鐘楼よりもうるさく頭のなかで警告しつづけている。
「返すわけにはいかないよ。これは兄上に引導を渡してやるための大切な道具だもの。あんな女に血迷うからだよ。馬鹿だなぁ兄上は、たかが人間の女にいいようにされて。しかも魔王の息子ともあろう者が、こんな力もなにもない鞘などに封印されちゃってるなんて、おかしくてさ」
くすくすと笑う口調はあざけるようだ。
そのすがたは斎火を愛しんでいるのか、憎んでいるのかわからない。
そこにはゆきすぎた憧憬の裏返しがあるのかもしれない。
「これを手に入れるのには、少しばかり時間がかかったからね。まあでも、そこの女がずいぶん協力してくれたから助かったさ。おまえから兄上をひき離してくれたんだもんな」
「えっ?」
北斗は三穂津をみた。
三穂津は白い頬をさらに白くさせ、睨むように羅伏に目をむけていた。
自分を操っていた者の正体をいまようやく目にしていたのだ。
いままで接していた魔物どもとは、まるで比較にならないほどの禍禍しい力をわきたたせていた。冷酷で残忍なそのまなざしは、あまりにも恐ろしい。
魔王の息子だなんて、そんな大物に利用されていたなどとは、あまりにも信じがたい話でありすぎる。
三穂津は、感情だけはおびえと怒りで渦巻いていたが、本能に支配されている身体は、恐ろしくて小指さえうごかせないでいた。
「愚かな女だ。欲と力に目がくらんで、簡単に動きおったからな。まったく人間とは果てしなく愚かで醜い生き物だね。そんな人間に惹かれている兄上もよくわからない。……でも、これもすべておまえのせいかな、北斗」
地面が小刻みに振動しはじめたかと思うと、立っていられないくらい大きく揺れた。
青い炎のようなものが羅伏をつつんでいて、いきなり屋根の瓦がはがれると、短刀のように走り落ちて地面に刺さった。
天井や柱が揺れにたえられないように崩れだし、バラバラと落ちてきている。
中庭がぱっくりわれて隆起した。池の鯉が陸でピチピチ跳ねている。
「おまえはあの女の影が濃すぎる。死んでしまえ、北斗」
「やだ…こ、来ないでよ」
「兄上を惑わし、魔のがわから遠ざけようとしたあの巫女姫め!」
まるで北斗こそがヒミカであるかのように牙をむけた。
ただ震える北斗には、迎え撃つだけの武器も、力も技もないというのに。
「北斗、わたくしがこの珠で防いでいるあいだに、あなたはお逃げなさ――」
三穂津がかばわれている北斗をおしのけ、まえに出ようとしするのをグッとおしとどめ首をふった。
「だ、だめだよ。あいつが狙ってるのはボクだもの。それより三穂津姫こそはやく逃げてよ、早くっ!」
「いいえ、わたくしがあのような魔を呼び寄せてしまった原因。わたくしこそが――」
「ボクは男の子だもん。女の人は守らなくっちゃいけないんだ。」
きっぱりと言うと、北斗は涙の浮かんだ眼を袖でぬぐい、唇を強くひきしめた。
意を決したように、奇声を発しながら、足元にころがってきた角材を手にして向かっていった。
やみくもにふりまわしても、なんの意味もない。わかりきっていたが、近寄るまでもなく角材は跳ね飛ばされてしまう。
北斗はあっけないほど簡単に宙にもちあげられた。かとおもうと、霊気が北斗を包み、ぐいぐいと首をしめつけはじめる。ネズミをいたぶる猫のように、羅伏は美しい真っ赤な唇を笑みに吊りあげた。
「クッ、ああ、さい…かぁっ」
喘ぎながら、北斗はその名を無意識に呼んでいた。
北斗にとって、その名はどんな時でも、どんな危ない場面でも効く、最大の守護の呪文のようなものになっていたのだ。
「愚か者め。兄上はもはや来はせぬ。それに、万が一来たとしても、ボクに立ち向かうことはできないんだ。だって剣はここにあるんだからね」
「ああ、や――グゥッ!」
喉が鳴った。
蒼い光の触手が、身体にまきつき締めあげていた。肋骨がきしみにぶい音がしはじめる。
「いいことを教えてあげようか北斗。この天狼剣の鞘はね、あの女の――ヒミカの、身体でできているんだよ。鞘にはね本当はなんの力もないんだ」
「な、に…?」
「それがヒミカ様のお体?!」
三穂津がおもわず叫んでいた。
それがどれほど凄さまじい封印であるのかを、巫女である彼女には痛いほどわかったのだ。
自分の身体とひきかえの、いや、魂までも使って封印をかけるほどの、力と覚悟をもつ巫女が、いまや存在するかどうかもわからない。
それは輪廻も転生もあきらめた、究極の呪法であり、全身全霊をこめた祈りなのだ。
「あの女はな、この鞘を壊すはずがないとふんで、身体を鞘にかえ兄上の力を剣として封印したのだ。それを解くには自分の魂しかないようにし、自らの魂すら分断し、珠にかえて、兄上が捜すように謀ったんだ」
羅伏はチラっと北斗に目をやった。
「兄上の心を縛っているのはヒミカの呪法だ。あの愛とかいう不可解な魔術だ。自分にたいする兄上の心を信じているが故になりたつ、傲慢な女の呪いなんだよ」
さすがにそこまでは、北斗も知らなかった。驚いて言葉もでなかった。
けれど、ヒミカの話をするたびに見せる斎火のあの表情をみていれば、素直に心のなかにはいってくる。
自分でも気づいていない甘い表情をして、悪口をいう顔は、まるで恋でも語っていたかのように優しかったではないか。
北斗はずっとそれを見ていた。胸の痛みをともないながら、その笑みを羨ましいと思っていたのだから。
「女などに惑いよって。ヤツは魔界の王に――父上に寵愛をかけていただくだけの資格などない!」
北斗には、もはや羅伏の声は聞こえていなかった。
痛みに、ただ気がとおくなりかけた意識のむこうにいる者の名を呼び、一筋のなみだとなって、まなじりからこぼれていった。
「斎火ぁ……どこォ…?」
黒い飛礫のようなものが羅伏のほほをかすめた。
天空からなにかがこちらへ向かって急降下してくる。
ものすごい速さのため、空気が摩擦され炎さえあげている。
火の玉となったそれを羅伏は間一髪でかわした。
床にめりこみ黒い煙をあげているのは千頭王鬼の首だった。頬に血がついている。
「チッ、千頭め!こうも早く破られるとは、無能め」
ふりあおいだ上空に、太陽を背にして斎火がたっていた。
罹伏を見下ろしている姿は、おそろしいほど超然としており、自分の前に敵などおらぬという自信にみちた傲岸不遜な、魔界の王そのものであった。
罹伏は一刹那、そのすがたに気を飲まれていた。
そのためか、北斗を締めあげていた呪縛が弱まり、拘束をわずかにとかれ北斗は、ゲホゲホと苦しげに血の筋を口から垂らしている。
だが、つらそうに涙を流しているその目は、一点をみつめて、これ以上ないくらい嬉しそうに見開らかれいた。
信じられないばかりにまた新しい涙がうかんでくる
「斎火ぁ!」
「兄上――」
「だれがオレの玩具を勝手に壊してもいいと言ったんだ、罹伏よ」
嬉しげに泣きわらいの顔をむける北斗にチラリと目をやっただけで、斎火はそのまま罹伏を冷たく見下ろしている。
羅伏は、斎火の巨大な霊気をふりはらい、すぐに我をとりもどしたように睨みつけると、手の中の天狼剣を握りしめた。
唯一の切り札のように勝ち誇ったように笑ってみせる。それを手にしている限りは、自分の負けなど疑いもしないのだ。
「これは兄上、ずいぶんお早いお出ましだ。――千頭ごときでは役不足のようでしたね」
足もとのに転がっていた部下であったはずの首を無情にも蹴飛ばした。グシャっとつぶれるのを、斎火は鼻で笑う。
「役者不足だな。おまえもふくめて」
罹伏はカッと目をみひらいた。麗しい美少年の貌が憎悪にゆがむ。
「強がりを言うな斎火!以前のおまえならいざしらず、たかが人間の――しかも女などに封印をされているようなやつなど、いまのボクの敵ではないわ!」
「はたして、そうかな?」
意外なほどに落ちつきはらった斎火のようすは、まるで罹伏など敵ではないとでも言っているようだ。
くつろぐようにゆったりしていて、それがかえって不気味なほどの自信にうつっている。
尊大で傲慢な、これこそが斎火だと思わせる笑み。――次期闇の盟主だとささやかれているその人そのものの振る舞いなのだ。
「き、きさま……っ!この鞘をボクがもっている限り、おまえは自由にはならないんだぞ。封印されたままのおまえなど、ボクの敵ではない。覚悟するがいいっ!」
罹伏の怒りにあわせて、天空は墨を流しこんだように暗くなっていった。
黒雲がもうもうと渦をまき王城の真上にとぐろを巻き始める。
斎火の頭上にある渦の中心が、カッと光った。
稲妻が垂直におち、放電された火花が蜘蛛の巣のように美しくとびちった。
異次元の扉をひらくほどの激しい電圧だった。
斎火を光の輪でとりまいている。
「斎火!」
北斗は不自由な身体でもがきながら叫んでいた。自分が天狼剣を抜かないかぎり、彼のほんとうの力を出すことができない。
――ボクが、ボクが天狼剣なんかの持ち主だから。しっかりしていないから斎火が…っ!
光の球体となったその中央で、斎火は鮮紅色の炎に灼かれているようにみえた。
美しい相貌は、苦しみだとか痛みのような表情とは無縁ではあるが、ジリジリと高圧のエネルギーによって戒められているのだけはわかる。
北斗は自分自身の無力さに、これほど怒りと悲しみを覚えたことはなかった。弱さも、時として罪になってしまうのだ。
身体が熱くなっていった。
燃えるように、身体の芯からなにか名指しがたいものが流れてくる。
破裂するかのような電気が走った。
体を絞めつけていた力が不意に消えた。
自由になっていた。
罹伏の意識が完全に北斗からはなれた隙をつき、北斗は夢中で罹伏のもとへ飛び降りていった。身体をまるめ思いきりぶつかる。
「な、なんだきまさ!」
北斗は激痛が体を突き抜けてゆくのを必死でたえた。痛みに涙がにじむのをこらえながら、羅伏の握っている剣に手をのばす。
さわったと思った。
そのとき、北斗に反応するかのように天狼剣が熱を発した。
北斗は刀身を抜こうとし、その手が焼けるような熱の壁にはばまれた。
激しい衝撃に吹き飛ばされてしまった。
「わあっ――!」
後ろに何回もころもころがり、三穂津の膝に飛び込んでいった。それでもまだ、抱きかかえた三穂津ごと転がり、一緒に壁にぶつかった。
「貴様ごときにそうは簡単にとらせるか、愚か者めが」
罹伏が馬鹿にするように笑うのに、斎火こそが愉快げに笑った。
自分の力の遜色などまるで思考の範疇にない。
「愚か者はおまえだ罹伏。あれほどオレにかまうなといっておいたのに」
「なんだと斎火?!」
バチバチバチッと斎火をつつむ火花が大きく膨らむ。空が一面、真っ赤になるほどの衝撃である。
だが斎火は口の端をもたげ、まるで罹伏の力量をみきっているかのごとく、ゆったりしているではないか。
「貴様は籠の鳥だ。今まで馬鹿にしてきた非を詫び、這いつくばって許しをこうてみろ!」
「なんだ、こんなものか、第七天の力は」
馬鹿にしたように眉をあげ、
「そんな剣などを手にして、勝った気でいるから、いつまでたっても未熟なのだ、羅伏」
斎火の眼が大きくみひかれた。
罹伏の手にしていた鞘がビシッと音をたてて割れる音がした。
鍔口にヒビが入っている。
怒涛のようなエネルギーがほとばしり出した。
マグマのような煮えたつ熱が一気に放出され、罹伏はあまりの激しさにはね飛ばされ、剣が弧をえがいて宙を舞う。
「わあ――ッ!」
エネルギーのシールドにつつまれ、今度は羅伏が燃えていた。
みためにも羅伏のエネルギーなど、足元にもおよばぬ強さだとわかる。
斎火を包んでいた網目のような放電が消えており、まるでなにごともなかったかのように、斎火は服の裾を優雅にはらった。
シールドのなかで煮え立つマグマにおぼれている哀れな罹伏の前におりたつと、秀麗な顔を愛しい弟にちかづける。
「オレの邪魔をするやつは消えてしまえ」
パシっといってそれが弾けた。
罹伏は、まばたきひとつせぬまに、一片のかけらものこさず消滅してしまっていた。
「さ、斎火――」
北斗は痛みもわすれ、三穂津に抱えられていた腕のなかから走り出していた。なんの感慨もなく背をむけた斎火に抱きついた。
胸に顔を押しつけ、わんわんと泣きだした。堰が切れたような泣きっぷり見事であるとしかいえない。
「ごめんなさい、ごめんなさい斎火。ボクひどいこと言っちゃった。あんなこと全然いうつもりなんてなかったのに、言いたくなかったのに、ごめんなさい」
斎火は表情も崩さずに、北斗の泣くにまかせていた。ただ背中をかるくはたいてやる。
なんの魔法なのだろうか。
たったそれだけで北斗の姿がまた大きく戻っていった。
腰の辺りに抱きついていた顔が、肩のあたりになる。
転がっていた天狼剣をつかみあげると、北斗にさしだした。
北斗は涙にぬれた顔をあげると、嬉しそうにそれをうけとった。
それだけで北斗は許されたのがわかったのだ。
「ごめんね。――鞘が、こんなことになっちゃって。ボクがきちんと持っておかなかったから……」
ヒビの入った鞘を見ると、また北斗は泣き顔になった。大切な、きっと斎火がなにより大切なヒミカの身体で作った鞘なのに、こんなめにあわせてしまったのだ。
斎火はギュッと鼻をつまんだ。
「フン、このくらいあのババァにしてみれば、髪の毛が数本切れた程度にすぎぬわ。どうってこともない」
本当にまったく気にもとめるよう様子もなく、軽くいいすてると、それっきりだった。
まるっきり関心もなさそうな斎火に、北斗はまた消えるのではないかといいたげに一生懸命、抱きついている。
斎火はそっと北斗の頭をなで、脇に寄せた。腰がぬけたように廊下の端に座り込んでいる三穂津に眼をむけた。
今回のことは、すべて彼女のおごりと弱さから起こったことは明白だ。
三穂津はもはや力尽きたまま、斎火の厳しい視線からも逃げようともせず、ただ自分の愚かさをかみしめるように脱力してうつむいていた。
これからきっと行われる斎火の復讐はえもいわれぬ恐ろしいことなのだろう。
だがそれも力量もないくせに、身に過ぎたことをしようとした罰でしかない。己の未熟さを受け入れられなかった愚かさが、すべえ招いたのだ。
「さ、斎火ダメだよ……、やめてあげてよ。三穂津姫を許してあげて」
北斗は斎火の視線の意味をよんだのか、慌ててとめにはいった。
ゆっくり歩みを進める斎火をとめようとしている北斗ごと、彼女の前まで引きずられてしまった。
「すべてはわたくしのしでかしたこと。無能で愚かな巫女の野心の結末が、この有様ですわ。責任はとります」
城も、なにもかもが無茶苦茶である。
三穂津はこうべを垂れながら、涙をこぼしていた。
こらえようとしながらも、ポロポロ涙をこぼす泣き顔は、とりすましたいつもの顔からは想像できないほど子供っぽい。
見た目より、本当はずっと若いのではないかしらと思える。
「まったくしょうがない女だ。女はいつの時代もこうも愚かなのか」
「斎火?」
「これらのことすべては、比良のために起こしたのだろう」
三穂津はその名に、ハッとした。斎火を探るように目をあげた。
「ひ、比良様はなにも関係ないことです。すべてわたくしが勝手にしでかしたこと。あの方にはなんの罪も驕りもありません。罰するのなら、どうぞわたくしだけになさってくださいませっ!」
三穂津はやおら大きく取り乱しながら言った。
それだけで、比良王を、彼女がなにより大切にしているかわかる。
「さ、斎火――ねえもう許してあげてよ。三穂津姫もね、すごくつらかったんだ。いろいろあって、それで力が欲しくなったんだ。こんなことになるなんて思ってなかったんだ。悪くないんだよぜんぜん」
自分だってけっこう色々な目にあわされ、もしかしたら一番被害を受けたというのに、北斗のおひとよしは限りない。といおうか、ただ単にすぐに忘れてしまう馬鹿かもしれない。
それでも必死で頼んでいた。
「お願いだよ、斎火」
「男のためには、なぜ女はこうまで愚かな生き物になるのだろうかな。――まあいい、もう三穂津は罰を受けている」
「えっ罰って、なんの…?」
「最後ぐらい、男らしく出てきたらどうだ、比良王」
斎火が声をかけるのに、崩れかけた柱の影にいた比良は、チラリと顔をのぞかした。
「男らしくだなんて、そんな……」
どこか音がずれたような声。
「春久ちゃん――いえ、比良王!」
三穂津が叫ぶのに、比良王は恥ずかしそうにあらわれた。
まるで女性のように体をくねらし、足取りまでしゃなりしゃなりとしとやかだ。
「はずかしいわ、そんなに見つめないでください」
ポッと頬をそめる。
うつむいているうなじの白さに加え、白粉をぬった肌はよく肥えて玉のようだ。
女より女らしい仕種と振舞いだけならば、風にも倒れそうな姫君、ともいえる。
だが、さすがの北斗も唖然としている。
庇うようにつきそう三穂津の後ろでもじもじしているのは、どう贔屓目に見ても美しいとはいえない男だった。
しかも頭の中央まで禿げあがり、でっぷりと腹が出ている。白粉にギラギラ脂がういている、背の低いブ男なのである。きらびやかな女物の錦の衣装を着て、飾り立てているだけだ。
「珠子ちゃん、だいじょうぶ?まあ、女の子なのにまた顔に怪我をして。あなたって昔から男の子みたいなのよね」
袂の布で三穂津の口の端についている血をぬぐってやる。
「比良王!このようなところに出てこられては危険です。どうかおさがり下さい」
「わたしだって男よ。大丈夫。そんなことより、ほら泣きそうな顔をして、もうお馬鹿さんねぇ」
まるで姉のような物言いをして、比良は袖のなかに三穂津を抱きこんだ。三穂津はおとなしく抱かれたまま、シクシクとしずかに泣き出してしまった。
北斗はパクパクと口を動かしているが、言葉が出てこない。
目の前の情景をなんと表現していいのかわからないのだ。
「ごめんなさい春久ちゃん。あなたを危険な目にあわせてしまったわ。国家を統一して、あなたを世界の王にしてあげようと思ったのに……」
「珠子ちゃんたら昔からほんとうに、きかん気で、無鉄砲で。自分で勝手に決めると突っ走っちゃうんだから。ほらお鼻チンして」
袖を鼻にあててやる。
「あ、あのォ、これって……?」
北斗がためらいながらも声をかけた。
わけがわからず混乱してしまっている。
比良王は北斗と斎火にやっと顔を向けた。
ポッと恥ずかしそうに顔を赤らめ、はにかんだ。仕種はかわいいのだけれど、その顔でされるとすこし怖い。
「まあ、なんだかおふた方にはすごく、ご迷惑をかけちゃったみたいね。ごめんなさいね。まあ、どうしましょうかしら」
中庭を含め、その四方の建物が崩壊している。ところどころが余波をうけ、穴がぽっかりあいていて、それをみわたし比良はため息をつくばかりだ。
驚く北斗にくらべ、隣の斎火はまるで驚きもしていなかった。
はじめから比良のことを知っていたのだろうか。
「おまえが、統一国家の王となることを望んでいたのか?」
「わたし?とんでもない、戦争なんて大嫌い。だってわたしが好きなことといえば、庭の花畑でお花摘みすることか、刺繍ですもの。でも……」
比良は口ごもった。
「でも、これってやっぱりわたしの責任よね。珠子ちゃんがなにか一生懸命してたのは知ってたけど、あんまり気にもとめずに放っておいたからねえ」
本当にわかっているのか、と聞きたいような軽い口ぶりだ。
「だってわたし王ですもの」
にっこり笑われると、力がぬけてしまう。
北斗は彼がれっきとした男なのかどうか、だんだん時間がたつにつれてわからなくなってきた。醜いものは見ているうちに慣れてきて、愛嬌さえでてきてしまう。
これだけ女らしいのなら、出っ歯のブ男でも許せそうな気がする。
「珠子ちゃんって昔から王子様みたいにりりしくてかっこよかったのよね。わたし基本的に男の人って怖いから……」
「珠子ちゃん、て……三穂津姫のことですよね?」
北斗が恐るおそる聞く。
「そうよ。珠子ってういのは幼少名よ。ああ、わたしたちって幼馴染なのよ。あのころから珠子ちゃんてばわたしを守ってくれてたのよね。刺客から庇ってくれたりして、額に傷までつけちゃって……。ごめんねなさいね」
「春久ちゃん」
三穂津は小さいころから、頼りないナヨナヨしていた比良を守っていたのだ。母や姉たちの厳しい訓練のなかで、比良が唯一のなぐさめであり、安らぎだった。
比良もまた、幼いころから今のような趣味の持ち主であったために、兄弟や親族たちから馬鹿にされいじめられていた。
同じような境遇の比良をみていたからこそ、三穂津は男のように強くなりたいと思ったのだ。
比良を守る力が欲しい、バカにした連中を見返してやりたい、だから国を大きく、強くしたかった。
おかまでブ男だけれど、愛しているのである。
「春久ちゃんを、姉様のところの宗良王なんかより、ずっと位の高い王にしたかったの。そしたらみんな春久ちゃんを見直すし、わたしも姉様に勝てるような気がしたから……」
地方豪族の王が、姉の仕える強大な国にまさったなら、やっと劣等感という呪縛から逃れられると思った。
そこを、罹伏につけこまれてしまったのだ。
いいかげん泣いて気が済んだのか、三穂津が目をこすり顔をあげた。
前髪の毛が立ちあがっていて、額の傷がはっきりみえていたが、それは三穂津にとっては勲章だったのだ。
きっと斎火のもっていた吉祥実など欲しくなかったのは本当のことだったのだろう。
ただ、もし治せるのなら、比良の気にしている禿げを治してやりたいとは、少し思いはしたが。
すっかり毒気がぬかれた北斗は呆けた顔で二人をみていた。
それからあっと声をあげた。
「じゃあ、じゃあさ、あのとき花冠をくれたのは、比良王?」
「あら、ようやく気がついてくれたわね。かわいい若武者様がわたしの花畑にいらしゃったから差し上げたのよ」
にっこり笑った。比良の笑みがまだ怖いが、北斗もどうにか微笑みかえせた。
「この女はすでに罰を受けているさ。このような男に惚れているということ自体が罰だ」
斎火が馬鹿らしいとばかりに言った。
「おい比良王、こんなとんでもないことをしでかすバカ女は、さっさと嫁にでもして、見張っておくがいい。さもなくば、またどんなことをしでかすやもしれぬぞ」
それに、比良のような男のことを好きだといってくれる稀な女も、きっと三穂津ぐらいであろう。
「まあ、わたしが三穂津ちゃんをお嫁さんに?」
ポッとほほを赤らめる。
「いやだ、わたしがお嫁さんになりたいわ。珠子ちゃん、もらってくれるかしら?」
「まあ、比良様」
三穂津も頬をあからめ、ふたり手をとりあい、みつめあう。
目でものをいう世界を作りあげてしまった二人に、北斗も斎火もうんざりしたように息をついた。
北斗は天狼剣をながめると、隣にたつおとこに、申し訳なさそうにまた謝っていた。
「ごめんね斎火。本当はこんなことしたくなかったのに……」
鞘のヒビを優しく撫でる。
「そんな傷など、どうということなどないと云っただろう。だいたい、おまえがあまりにも能天気でバカだから、こんなに単純な魔術にひっかかるんだ」
そっと頬の消えかけた傷跡を指でこする。
「まったく愚図で不器用な出来そこないだ」
「…うん、本当だね。――ボクあのとき、本当に斎火が行ってしまったんだって思ったんだ。そしたら怖くて悲しくて、もう何もかもがなくなったような気がして……」
ふん、と斎火が鼻をならす。
「おまえが術にかけられていたことなどお見通しだ。おまえを殺していいのは、オレだけだ。おまえはオレの奴隷だ。覚えておけ」
「……うんっ!」
とんでもないことを言われているのに、北斗は嬉しそうに返事をする。まったく自分が天狼剣の持ち主だとは微塵も考えていないのである。
宝物殿にあるという宝の山は、とんでもないものだった。
結局、好きなものをなんでも持っていってよいとの比良の言葉で、斎火は蔵を解放させていた。
三穂津も自分の持っているすべての珠を渡すことを申しで、さらに邪悪な結界を解き、魔の入り口をふさいでもらっていた。
「まあ、こんなもんだろうな」
斎火は期待していなかったとばかりに云うと、興味もなさそうにさっさと行ってしまった。
北斗は蔵のなかにある、きらびやかな衣装や金銀の帯留めを、なんともいえない顔でみていた。
たしかに絢爛な宝物でばかりであり、高価なべっ甲や、漆の簪に化粧道具、珊瑚の首飾りなど、総計の金額や、ものの稀少さからいえば、かなりの名品が集まっていることは疑いないの。
だが、これらすべてが比良の・ ・女装道具だと聞けば、熱意もうせてしまうだろう。
これらすべてに比良は袖を通し飾ったのである。どんなに素晴らしい染めや織りの着物でも、見惚れるほど美しい装飾品でさえ、手にしてみようという気は少しもおきなかった。
「はあ……」
北斗は溜息をつき、ふらふらと斎火の後をおった。
斎火は三穂津から差しだされた妖魔や剣士たちを封じこめた珠を手に、何かをさぐるようにじっとみちていた。
「どちらにせよ、この珠はおまえにはもう不要なものだ。これを使うだけの妖力もなくなっているはずだし、魔方陣もオレがとりのぞいている。どうしようもないものだ」
背後についていた力が消えれば、三穂津もまた、そうそう激しい呪術を使いこなせることはない。
都に施されていた複雑な方陣は、魔界でも上級魔道師にしか伝えられていないものであった。そのほかに教えられたものも、人間の手だけで作れるものはない。
「もう、わたくしにそのようなものは必要ありません。取り除いてくださったことだけでも感謝いたしますわ」
斎火は中からひとつの珠だけをとりだし、懐にいれた。あとの珠に手をかざすと、それぞれ奇妙な色をして光り輝いていった。
珠の半分が影のように消えた。
それらの珠の妖力は、すべて斎火の中に吸い込まれていったかのように見えた。
「おまえらはヒミカの珠をさがしてこい」
それだけ言うと、残りの珠は斎火の言葉に従うように四方に散っていった。彼らは斎火の使い魔になったのである。
「斎火、このなかにヒミカ様の珠あった?」
「あるか、こんな無駄珠のなかに」
「えっ、でも、じゃあどうしてここにきたの?だっててっきり、三穂津姫がもっているからだとばかり……」
「この国にはあるさ。だからわざわざ足を運んだんだ」
謎めいて笑うのに、北斗にはやっぱりわからなかった。ただ、少しだけ斎火が嬉しそうなのが、北斗にも嬉しく思われていた。
そして、都をでた斎火たちが訪れたていたのは、あの鉄輪たちのいる隠れ里だった。
斎火のふいの訪問に、またもや慌てふためいている鬼たちを無視すると、斎火は懐におさめていた珠を、鉄輪に指で弾いてわたしてやった。
「おおっ!これは黒炎の魂!!――では、斎火様ほんとうに黒炎を救ってくだされたのか……」
感激のあまりに声をつまらせる。何度も何度も礼をいう鉄輪に、斎火はまったく興味もなさそうに云う。
「――約束だ、腕をもらおうか鉄輪」
当然の要求だとばかりの斎火の冷やかな言葉に、北斗はギクリとした。
まさかと思っていたのだが、斎火をみていると、まさしく冗談とはおもえない。
おろおろとしながら、北斗は二人のあいだで不安げに見交わしていた。
鉄輪は満足げにうなずくのにさらにギョッとしてしまった。
そうなのである。鬼や妖狐など、妖魔族たちは人間と違って、けっして約束をたがえぬ、誇り高い種族である。だからこそ、いつも欺かれ、怒りに猛り復讐をおこなうのだ。
斎火が彼女の右手に手をかけた。
「さ、斎火やめてっ!」
「グア、アァァッ!」
鉄輪の喉が苦鳴にふるえた。怪鳥のような声がした。
北斗はおそろしさのあまり身体をかたくして手で顔をおおっていた。
それ以上の悲鳴は聞こえてこなかったが、熱い息がもれているのは聞こえる。
震えながら、北斗は恐るおそる指のあいだからのぞいた。
鉄輪の腕からひとつの珠が浮かび上がっていて、綺麗な、七色にかがやく乳白色の珠が斎火ににぎられていた。
「あっ、そ、それってっ!」
「ヒミカの珠だ」
どうしてそんなところにあったのか。
斎火は当然のようにその珠を首にかけてある二つの珠といっしょにした。
ひどく満足げである。
北斗は鉄輪をいまさらのように見た。
どこにも傷はなかった。腕は、つながったままなのだ。
「腕、切ってない……?」
鉄輪もまた何が起こったのかわからないように茫然としていた。
もがれるはずだった腕を、北斗が優しく撫でるのに、やっと我にかえる。
そこから伝わるあたたかさで、腕がもがれていないことに気づき、斎火に目をむけた。
「さ、斎火様、斎火様――妾の腕はっ!」
「オレ欲しかったのはこの珠だけだ。鬼女の腕などに用はない」
「おおォッ!、」
感激したように声をあげた。
そして懐かしそうに斎火の首にかけられた珠に目をやった。
「たしかその珠は、妾が死の病に伏したとき、黒炎がいずこの僧からかゆずりうけ、飲ませてくれた妙薬」
それがどのようにしてかはわからないが、鉄輪の右腕におさまっていたのだ。
「あの女の珠なら、どこにあってもすぐにわかるといっただろう」
斎火がいたずらをした後のように、つんとすました顔で云う。
北斗はわらっていた。ひどく嬉しくてたまらなかった。
斎火にはわかるのだ。ヒミカの珠なら、どんなところにあってもみつける。
そうして先の二つの珠をみつけたのだから。
ひとつ目は、姑護鳥――産褥の床に死んだ悲しい産婦の妖怪に、並々ならぬ力を与えていた。その珠を、魂を鎮めるのと引き換えに、手に入れた。
もうひとつは目の見えない子供がもっていた、お話をしてくれるという石を、少年に視力とを与えるということで交換して譲りうけた。
もちろん、子供の周囲に集まっていた妖魔たちを退治してやってからである。
『北斗、あなたなら、きっと斎火に善の心をともしてくれる。わたしの珠をすべて捜しおえるころには、きっと、北斗……』
どこからか、ヒミカの声が聞こええてくる。
「おお、斎火様、ありがとうございます。あなたにはどのように感謝してもしきれませぬ。妾たち、この支惟国すべての魔族は、あなた様に順じます。僕として、いかような命令にでも馳せ参じましょうぞ」
鉄輪は感極まったような声でいい地面に伏せる。
フン、と斎火は鼻をならした。
「お前らのような弱い魔物たちなど必要にないわ。……オレの力もかなり戻ったことだしな」
「えっ」
ニヤリと斎火が笑って見せた。
北斗はいやな不安をおぼえてしまう。
「和魂の珠を手に入れたし、あのクソ女の鞘にヒビが入ったおかげで、かなり自由がきくようになったからな」
ニタリと笑う。
北斗は、それが自分の聞き違いであればいいなと思いながら腰の刀をみる。
このヒビも、もしかしたら、すべて斎火の計算通りのことであったのだろうか……。
「ま、まさかなぁ」
「さて、よく働いたから、ちょっとばかりここいらで遊んで行くとするか北斗」
斎火の意地悪げな顔が、さらに追い討ちをかける。
今以上に手におえなくなったとしたら、気がとおくなりそうだ。
考えただけで北斗は、頭痛がしはじめた。
――だいじょうぶ、北斗。あなたがいれば、きっとだいじょうぶ。
ヒミカの笑い声が、どこかからか聞こえたような気がした。
おわり。
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