●● 宝珠の戦士 ●●
2
「最悪だな」
斎火はあきれたように云うと、バカらしいとばかりに肩をすくめた。支惟国に入ってまもなくのことだった。
なんのことかわからない北斗は、ぼんやりと周囲に首をめぐらせた。
山も多く、緑も豊かだし、広大な領土には縦横に河川がはしっている。
稲や野菜がたわわに稔り、ほどよく熟した木実が、滔々と流れる川の水面にうつりゆれ、澄んだ水のしたでは魚が自由におよぎまわっている。
こんなおだやかな風景は、北斗に、育った村の景色を思い出させてしまう。
北斗はごしごしと目元を袖でぬぐった。昼に食べたおにぎりの味が、やけに母の梅干の味に似ていたのも悪かった。
斎火はそんな北斗を見ることもなくひとりごちた。
「最悪だな、この魔方陣の張り方。まるで魔物どもをわざと呼び寄せているようではないか」
なにを見つけたのか、四辻に奉られてある道祖神のほこらをいきなり足で砕いた。
中から現れる透明な、一握りほどの珠をつまみあげると、指先で粉々にして風にながし、クッと喉をならす。
「……なるほどな」
北斗は先ほどから斎火がなんのことを言っているのかわからないまま、ただぼんやりと砕け散ってゆく粉が七色にきらめくのを、綺麗だと思って目で追っていた。
それでも都にちかづくにつれて、いくら鈍感な北斗といえど、ぬめるような空気の重さに、さすがに気づかずにはいられなくなっていた。
けだるいような嫌な気配が都全体にたちこめているのだ。
「ほほう。そこなお方は、人ではあらせられぬようでございますのう」
赤い橋の欄干に、白髪のしわふかい老人が座っていた。珍しげに斎火のほうへとついと目をむけるのに、斎火がニヤリと牙をだす。
「おぬしこそ人ではあるまいに。人に同化してはおるが、妖狐――いや、化け猫か」
目を陰険にほそめ、斎火は真正面に老人にむかい冷淡な視線をあびせた。
老人は干からびた髑髏ような顔に笑みをむすんだ。
「さすがは斎火様でございますな。あの複雑な魔法陣を壊し、別の系譜にしながら入ってこられるのですから。さすがでございます」
「まったく下品な魔方陣だ。だれが敷いたか知らぬが胸くそわるいわ。人形遊びをするにしては結構な手間ではないか。何を、たくらんでいる?」
老人姿の化け猫は、不快な声をあげて笑った。
「さすがに一筋縄ではいかぬお方でございますなぁ。わたくしも妖魔といえ、この街で生まれ育った物の怪。さすれば、生き物が住めぬほどの変化は好みませぬ。これでもわたくしは、都も、そこに住まう愚かな人々も好いておりますのじゃ」
橋の桟からとびおりると、くるりと回って白猫にかわった。
「ここは妖魔に魅入られた街でございます。三穂津姫はなにを思うてこの様にしてしまわれのか……」
ふと斎火に隠れるようにして見ている北斗に気づき、ニャアとひと声鳴いた。
「なるほどなるほど、このお方か――。ああ、まっこと似ておいでですのう。そんな情けなさそうな顔をするとことさらあのお方に」
「ほう、知っているか化け猫よ」
言いながら、斎火の目が薄く金色に光った。
さすがの千年を生きた化け猫も、ブルリとおおきく震え尻尾をまるめた。
「いえいえ、わたくしなど遠くからおみかけしたまででございます。なにも斎火様のご機嫌をそこねたいと思うて現れたわけではございませぬ」
「い去ね、きさまなどの助言を受けずともよい。ことは知れておるわ」
「おお、そうでございましたな。第四天王ともあろう方によけいな真似でございました」
云いながら、道化るように笑いかえってゆく。
「三穂津姫はあなた様をずっとお待ちしておりましたよ、……と、これも余計なことでしたかな」
身軽にはね、神社の屋根にのぼり消えていった。
斎火のかげに隠れていた北斗は怖々とたずねた。
「斎火、なんなのアレ」
「ただの話したがりの物の怪だ。だがまあ、この街では、そうそう退屈するようなことはないということかな」
言いながら、つと大通りのむこうを顎でさす。
王城のそびえている方角に、土煙があがっている。
驚いているひまもなく、馬のいな鳴きとともに、砂埃のなかから荒々しい武者たちの一団が姿をあらわした。北斗は、たちまち男たちに囲まれてしまった。
怯えるような北斗の前から、スウッと斎火が消えるのに、必死に腰の刀をにぎりしめていた。
何事かと目を大きくしている北斗に、いきなり男たちが馬からおりると目の前にずらりとならび膝をいた。
なにが始まったのかと息をのんでいる都の人々によって築かれた人垣によって、北斗はいつのまにか囲まれ、逃げ出すどこどころではない。
「お迎えにあがりました、いと伊都国最強の剣士、天狼剣の北斗様。わが比良王様と、斎の巫女姫、三穂津姫様がぜひお会いしたいとのことで、お迎えにあがりました」
武士の中のひとりが声を張りあげた。
それだけで北斗はビビって後ずさりしてしまう。
「えっ、あ、あの――?」
なんと言ってよいかわからぬ北斗は言葉につまった。けっきょくは怖くてたまらないのだ。
頭のなかに声が響いた。
『丁度よい、そのまま男たちについてゆけ北斗。三穂津に会いにゆく手間が省けるというものだ。どうせあの女が差し向けた者たちなのだからな』
斎火の声だった。もちろん、使者たちにはきこえていない。
『この街にはいったときから、あの女に見張られているのはわかっていたのだ。遅かれ早かれ、こちらも用があることだし』
「で、でも……」
「さあ北斗様どうぞ、おいでくださいませ」
有無をいわせぬ強さで、まるでさらわれるようにして、北斗は馬に乗せられてしまった。そのまま人々が見守るなか、北斗は王城へと連れられていったのだった。
城についた北斗たちは、大きな城門をくぐり、さらに三重の門をこえ、その先にのびている長い回廊を右へ左へとくねりながら、ようやく三穂津のいる宮へとたどり着いた。
引っ立てるようにして北斗を連れてこさせたのだから、どんな恐ろしげな大女がでてくるのかと思いきや、そこで待っていたのは、琴をつまびいている、たおやかな二十歳前後のきれいな女性だった。
真っ黒い素直な髪がながく垂れ、金銀の縁取りをした着物を優雅にまとっている。
一瞬、どこかの姫君に会ったのかとも思ったが、その首にかかっている数珠の不思議な色合いに、ようやく彼女が巫女なのだと納得した。
「ようこそおいで下さいましたわ、北斗様。それに――斎火様も」
思わず北斗はビクっとしてしまった。まさか斎火の名がでるとは思わなかった。
赤い唇が、ふいに意地悪げに耳まで裂けたようにみえてしまうではないか。
北斗は昔からの習性で、いじめっ子の体質をもつ者の気配は、敏感に感じとってしまうのだ。
だてに何年もいじめられてきたわけではない。
北斗はおびえ気味に、三穂津姫がなにかいうのを待っていた。自分からはどう声をかけていいのかわからない。困った顔をしているとなりに、いつのまにか斎火があらわれていた。
「これだけの魔の色の濃い都をおさめているのだからな、それなりの能力は必要だろう。まあ、それがどういう経緯で手に入れたものかは、問うことはすまいがな、三穂津姫よ」
「さ、斎火……?」
「お待ちしておりました斎火様。いずれ来てくださることと、存じてはおりましたがね」
なにやら意味深に笑うと、三穂津は首にかけられている数珠の玉をつるりと撫でた。
なんの宝玉なのかはわからないが、それぞれが微妙に色がちがっていて、美しいのではあるが、どこか不吉にひかっている。
「どうしてボクたちがここに来るってわかっていたんですか?」
北斗がおずおずと聞くのに、三穂津は斎火に向けていた目を、いまさらのように北斗に向けた。
それからあでやかに笑った。
「わたくしは比良王の占師ですもの。占うとこととは、つまり、裏の世界をみることでもありますわ。私の目には、何だってうつるのでしてよ、北斗様」
深窓の姫君には似つかわしくない、しっかりした足取りで北斗に歩みよると、目の前に顔をよせた。
「大人の体のなかに、子供の心をもつ最強の剣士様。わかっておりますわ、あなたの本当のお姿も、お心も」
クスッとみすかしたように笑う。
まるで心のなかに無断で入りこまれたような不快さが襲い、北斗は青ざめた。ザッと後にさがる。
美穂津は悪びれもせず、風に乱れた前髪をさりげなくなでおろしながら言った。
「もしこの支惟国の剣士となって、都を魍魎たちから守ってくださるのなら、どんなものでも差し上げましてよ。金銀の財宝や絹に錦。はたまた鬼の手に、妖魔のミイラや妖力の珠――。何でもあなた様のお望みのものを」
「そうして三穂津、お前はなにを望んでいるのだ?不老長寿の仙薬か、賢者の石か。それとも、その額についた傷跡を消す妙薬か」
嘲るようにいう斎火に、カッと三穂津の目が三角につりあがった。
どうやら髪でかくしている額の傷のことは、触れられたくなかったことらしい。
だが、すぐにからかうような斎火の様子に気づき、彼女は自制をきかせて感情をおさえたかのようだった。挑むように艶然とわらいかけた。
「わたくしは美醜などに執着するほど愚かではありません。この傷跡とて別段、恥じるものではありませんもの」
髪をかきあげ、わざと朱の線をみせた。白いひたいの肌に、くっきりと浮かんだ横一文字の線。
どこか凛々しくて、少年のようでもあり、そうしてあらためてみた彼女の相貌は、いたって平凡な顔立ちをしている。
ただ全体の雰囲気こそが神秘的であるのと、人のこころまで見透かすような深い眼差しとゆれる黒髪の美しさが、彼女を美貌の巫女姫だと思わせていただけだ。そうそう特別なところはどこにもない。
「わたくしが最も大切に思うておるのはこの都、支惟の国そのものです。これほどまでに魑魅魍魎、鬼や魔物が跋扈しておるのでは、人民はもとより比良王様も安心してお暮らしになることができません。どうぞこの国から妖魔どもを追い払い、鬼どもを殲滅してくださいませ。それができるのは、北斗様――そして斎火様だけだと頼りに思うておりまする」
三穂津は地べたに伏し、生意気そうな頭を床につくほどにさげた。
北斗はさすがに吃驚していた。まさか気の強そうな高位の巫女姫が、あっさりそんなことをするとは思ってもみなかった。
「あの、やめてください。そんな手なんかを地面になんかつけないでください。あの、だ、大丈夫、だと…、思います……。きっとあの、斎火が……」
言いながら、うかがうように斎火の表情をのぞきみる。
彼の表情は意外におだやかであり、笑っているのをみて、胸をほっとなでおろした。
いつもなら、ここで面倒だと一渇されて終わっているところなのだから。
「本当でございますか。ああ、わたくしの思うたとおりの御仁。さすがは北斗様。心優しき方だと水晶が申しておりましたが、まことでございます。ええ、わかっておりましたわ。必ずや、お心の広い北斗様ならお引き受けくださるのだと」
つつむように北斗の手をとり、首を傾けてみつめた。
真っ赤になった北斗は、それだけでしどろもどろになっている。もちろん彼の性格を読まれての行為である。
「……まあいいだろう三穂津。おまえの頼みをきいてやるかわりに、オレの好きにさせてもらおうか。そうだな、まずは比良とおなじ待遇にしろよ。オレがだれかより下にみられるのはすきではない。劣った扱いなどしたら、許さぬぞ」
「もちろんでございますわ斎火様。どうぞこちらへおいでくださいまし。すでにお部屋も、その他なにもかもをご用意させていただいております」
三穂津はいたく感激したように、大げさに礼をいいながら、二人を別室へと案内した。
あまりに大人しく素直な斎火の態度に、北斗はかえって不安をおぼえながらも、黙ったまま斎火にしたがった。
まるでなにかの座興にでも乗るかというように、斎火はただ冷たく笑っていたのだった。
すっかり寝入ってしまった北斗のそばに、斎火は座っていた。
薄明かりのともった障子戸のむこうに、影がスッと大きくなり控える。
「斎火様、まだ、お戻りにはなられないのですか?そのような子供になどなぜ……」
「虎落か」
影が頭をさげた。
「我ら五武将と、七万の部下は、王のお帰りを、首をながくして待ち申しております。なのに、なぜそんな子供の遊びにつきあっておられるのですか」
「ただの気まぐれだ。おまえに用はないい去ね」
「斎火様!」
たまらぬように言うのに、斎火から発せられる空気がピリッと強ばる。
「……わ、わかりました。ですが、どうかお気をつけください。ご兄弟の魔王様のいずれかの方が、動いていらっしゃいます」
「このオレに、歯向かえる者がいればな」
ククッと不敵にわらうのに、いらぬことだったとばかりに影はただふかく頭をさげた。そのまま闇に紛れてしまった。
眠る北斗の顔をじっとみつめていた斎火は、そっと北斗の頬に触った。
その温もりにひかれたのか、北斗はねぼけたまま、這うようにして斎火の膝に入りこんできた。
いつも傍らにある温もりに心から安心したように、頬をすりよせると、そのまま柔らかな寝息をたてる。
「斎火、どこにもいかないでね」
ちいさなつぶやきだった。
それは、幼い北斗の胸にいつもひそんでいる、小さな不安だったのかもしれない。
斎火が不思議なほど優しい顔をして北斗をながめながら、そうっと軟らかな髪を撫でていた。もしそんなすがたを他の魔物たちがみたならば、天地がかえるほど驚くかしれぬものであった。
それから三日三晩、歓迎会だの、宴会だの、休息せねば何もできない、と言ってはばからず、斎火は贅沢のかぎりをつくしていた。
そうしてようやく腰をあげたのは、一週間もたってからのことであった。
初日に、ぜひ退治してほしいと三穂津に頼まれていた、鉄輪という鬼女を捜すために、北斗は來招山へと向かうことになった。
このところ都にあらわれては、金銀財宝をうばい、田畑を荒らしたり、見目のよい幼子をさらっては、売るか喰うかをしているという、極悪非道の鬼だということだった。
鉄輪は恐ろしげな異形の集団を形成し、山に結界をはって自衛している。その女棟梁だといわれている。
先刻、亭主である黒炎を、都をあらす大罪人として、三穂津の妖力によって捉えられ、縛り首にされたばかりである。
さらには三穂津は、無慈悲にもその首を切りおとし、宝物殿におさめたらしい。鉄輪はひどく腹をたて、怒り狂っているということだった。
「これ以上の被害を出すわけにはゆきません。どうぞ、鉄輪の首を取ってきてくださいませ。夫婦の鬼首であれば、よい護符となり、都を鎮守してくれることでありましょうぞ」
恐ろしげな台詞を平気でいうのに、北斗は顔をヒクつかせた。
しかし、これも鬼道に身をやつしている巫女姫ならばの強さかと、思いなおすことにして、あまり乗り気でないながらも城をあとにした。
ふと背筋がつめたくなり、振りかえった。
北斗はぞくっとした。背後で見送って笑っていたはずの美穂津の顔に、奇妙な影がさしこみ、なぜか禍々して恐ろしい鬼面にみえたのだ。
北斗は気のせいだと頭をふった。
これから退治に行く鉄輪こそが鬼女であり、三穂津は聖なる巫女姫なのだ。
心配そうな北斗に、斎火はフッと頬をゆるめるだけだった。
北斗たちの姿が消えたとたん、三穂津はつくったような笑みをけした。
かわりに背後にかぶさってきていた黒い靄から、異形の姿がながく伸びてくる。
そっとささやく声がした。
「首尾はどうなのだ、三穂津姫よ」
低い声がして、北斗たちがいなくなった殿堂の柱から大きな影があらわれる。
顔をむける三穂津のまえに、いかめしい顔の男が立っていた。
「千頭王鬼か。わかっておる、あやつの天狼剣を、手にいれればよいのであろう」
三穂津はそっけなく言った。
尖った耳に、額からつきでた角が、男が妖魔鬼であることを物語っている。
「あの北斗とかいう甲斐性のない男から剣を奪うなど、猫の手をひねるより簡単なこと」
「たしかに、あの小僧はただの人間だ。が、斎火はただの魔物ではないぞ。気をつけるにこしたことはない。それになにやら、こちらの気配にも、薄々感づいているようでもあるしな」
「剣に封印されている魔物なぞ、わたくしの敵ではないわ。わたくしには、この珠たちがある。この珠が力をあたえてくれている限り、わたくしは無敵じゃ。もっともっと力の強い珠をふやし、国家統一をなせるほどの力を集めなければならぬ。我が比良王を天下の王として君臨させるその日のために」
「……そのためにも、あの天狼剣はぜひとも必要なもの。あの剣一振りで、おまえの集めている百の珠よりも、ずっとずっと強い珠になるぞ」
三穂津の目が期待におおきくふらんだ。
「おお、そのように強力なものなのか?」
「そうだ。おまえがどんなに力ある妖魔や、剣士たちを珠に変え、己が力のみなもととしていても、斎火一人とは比べものにならぬ」
都を跳梁する鬼や、魔物たちの多さに辟易していた三穂津にとりいってきたのは、はじめは千頭王鬼のほうだった。
妖力の強い魔物たちを珠にかえることを教え、闇には闇をもって制するのが一番だと三穂津に甘くささやいた。
その珠をもって、都を守る結界の布陣とし、さらに強固な結界をはるようにとすすめた。
妖力を喉から手がでるほど欲しがっていた三穂津は、いとも簡単に甘言にのってしまい、つぎつぎに実行していったのだ。
さらには、魔を祓うために集めた戦士たちまでもを珠にかえ、三穂津は、いつしかより強い者を、より強く美しい珠をほしがるようになっていった。
部屋の玉匣のなかには、今ではかなりの妖力珠がおさめられている。
「黒炎鬼の珠はまことよい力となっておる。そこいらの妖魔など目ではないわ」
そのため、山で平穏にくらしていた黒炎を無理やり手に入れたのだ。
その珠を得たことによって、ただの巫女であったころとは比べ物にならぬほどに力を増した。
あれほど頭を悩めた、都をおびやかす魔物でさえ容易に従わせはじめたのだ。
それらすべては、千頭王鬼の助けによるものであったのだが、かわりに、黒炎の妻であった鉄輪が、凄さまじい怒りにもえ、都を激しく荒らすようになってしまった。
美穂津は、鉄輪の力もまた手にいれようと狙っていた。
「この支惟国が天下をとれば、わが魔王様もさぞ満足されることであろう。姫の捧げ物は、いつもすばらしいものであるしな」
「そのためにもさらなる富と権力が必要なのじゃ。是が非でも国を獲らねばならぬ」
「そう、そしてそのためには、あの剣がどうしても欠かせぬ存在となる、ということだ」
「わかっておるわ。そう手間はとらせぬ。――魔物の分際でわたくしに命令する気か?!」
三穂津は睨みつけ、苛立つように言いすてると、手に持っている扇子を荒くひらめかし空を切った。魔払いの印である。
「わかっている。ほんとうに気性の荒い姫だ。そうそう、一つよいことを教えておいてやろう。あの北斗とかいう男、弟にかなりの劣等感をもっているようだぞ。そこを突つけば簡単に斎火とは分離できるはず……」
意味ありげに目を吊りあげて笑うのに、三穂津は今度こそ、殺気のこもった鋭い目をむけた。
邪気払いの呪文をあげ、首にかけていた珠を怒りにまかせてなげつける。
あざ笑うような声が響いて、消えた。
三穂津は廊下をあとにして、足早に去っていった。
しばらくして、千頭王鬼の脇に、巨大なエネルギーの塊のようなものがボウッとゆれた。
先ほどからずっとそこにあったのだが、霊力があまりに桁違いなためか、三穂津はまったく気づいていなかった。
「首尾は順調のようだな千頭」
「はい、羅伏様。あの女、我らをすっかり味方につけ、かつ支配していると思うておりますわ」
「愚かな女だ」
「愚かゆえに、操りやすうございます。あの、力に対する執着力と、権力への欲望はなかなかのものにございますゆえ、先が楽しみでございすなぁ」
笑う声が妖しく薄闇にひびく。
嫌な風が吹き、千頭王鬼の姿もまた、消えてしまっていた。
「ね、ねえ斎火、この道ってばさっきも通らなかった?」
北斗は息を荒くつきながら、ついにヘナヘナと地面に座りこんでしまった。
同じ道を、さっきといわず、もう何回も歩きつづけていたのだ。
「ようやく気づいたか、バカが。いま周ったので七度目だ」
「な、なんで!? 気づいてるんだったら教えてくれたらいいじゃないかぁ。もう、意地悪なんだから」
半べそになりながら北斗は頬をふくらませた。
こんな幼い表情をしている北斗をみたら、酒場の女たちはなんといって喜ぶだろうか。
「ホントにおまえはバカ犬だな。何回教えてもすぐに忘れる。その頭は飾り物か?」
剣の鞘をもって頭をはたくのに、恨めしそうに北斗はみあげる。
「この山には、鬼どもによって、二重にも三重にもはられた結界があるのだ。普通の人間にはそう簡単に入りこめるわけないだろう。いや、入りこんだそのまま永遠にさまよい、野獣に食われて骨と化すか、飢えて餓鬼のごとくに狂い、苦しみ死ぬであろうな」
サッと北斗が青ざめた。自分もその状態になりかけているのである。
「ど、どうすればいいの?!」
「だから云っておるだろう、地磁気の流れをよく読んでみろと。気の流れだけはどうあっても消すことはできぬのだからな。心を鏡のように澄ませたならば、この山に走っている気の流れがおのずと見えてくるはずだ」
北斗は斎火の大きな手によって頭をささえられ、まっすぐ山を視させられた。
赤い岩肌に松がのび、風が杉の巨木をゆらしている。
足もとのススキや、野の名もない花をたわませながら透明な風がなで、すべるように去ってゆく。
苔むして一目には見えてこないけれど、石の神像が倒れていた。ただ雑然と過ぎ去っていたときとは違う表情が、そこらかしこに、うかびあがってくる。
「敷かれている布石をよく読め、なにがみえてくる」
「文字が……ううん、あれは…人の、顔?」
「どこかに、開かれている場所はないか」
「……ある…右目の玉に、道が、あるよ」
「ではそこを抜けてみろ」
まるで魔術にかけられてでもいるかのように、ふらりと北斗は歩きだした。
迷いもないあしどりで、その開いている「目」だという部分をぬけると、道がみえてくる。
斎火は更にささやくようにいう。
「風の通りがみえるか?」
「……あの草だけだ。あれだけが違う動きをしている。ほら、みんなそよいでいるのにあそこだけがクルクル円を描いているもの」
道という道をふさぐように立ちつくしている磐根樹をわたる風のなかで、それはほんの小さな違いだった。
そよやかな風だけが、真っ直ぐふいている。
「それはどこから吹いているのだ」
「あっちだよ。――ああ、わかる。風の流れ、気の通り、そして組み合わされた結界の行きつく先が、見えてくるよ」
そういって走るように先をいそぐ北斗の表情は、いつもの北斗の顔ではない。
気の弱そうな、半べそをかきながら斎火の後ろに隠れている、泣き虫の少年のものではなかった。
天地の創造の秘密と、力の生まれいずる根源の原理でも知るかのような、深い叡智のまたたきが、額にきらめいている。
「ああ、ここはっ!」
ふかい木立の雑林をぬけた。
すっぽりと大きな空間がひらけていた。
そこは風ひとつなく穏やかな空気がゆったりと凪いでおり、みるからに立派な、瓦の光沢がひじょうに美しい屋敷が目にとびこんでくるではないか。
前面にひろがる田畑には、五穀が豊かに稔っていた。たわわに実る果実があざやかであり、空気までもが甘く感じる。どこか遠い異郷に来てしまったような錯覚さえ受けてしまう。
北斗に宿っていた光がふっと額からぬけた。
いつもの、気の弱そうな、なにか目に見えないものを畏れでもしているかのような北斗の、やさしい顔になった。
たったいま目覚めたように、北斗は眼を大きくし、おもわず斎火の服のすそをつかんだ。
「よく抜けたな、ここが鉄輪たちの寝城だぞ北斗」
「ボ、ボクが、ほんとうにここまで……?」
風がザッと稲穂をそよがした。森の木々が大きくざわめき、枝が不気味に鳴る。
切れるような殺気がはしった。
「われの結界を破りしはそこな者か!」
鋭い声がして顔をあげた。
いつのまに現れたのか、数え切れないほどの鬼や天狗たちが眼前にたっていた。
妖狐や魑魅、禍津神たちの、いずれ劣らぬいかめしい者どもを、ようようと引き連れ、その前面に鬼女とみうけられる豪奢な美女が立っている。
こちらを睨みすえている目が恐ろしくひどく怒気にきれあがっていた。
招かれざる客に飛びかからんとしている背後の者たちを抑えているが、どれも凶面で恐ろしげなる顔をしていている。しずかな唸りだけがきこえてくる。
「おまえが鉄輪か」
「、われの名を呼ぶ者は、なにやつじゃ」
斎火はまったく動じるようすもなく、片口を笑みに歪めていた。
その様子に、鉄輪は般若のような面相をむけた。
赤く日に焼けた肌に、赤茶けた髪を炎のように逆立たせていた。筋肉の隆々とした腕が着物から剥きだされ、金の輪をはめている。
斎火を見下ろすほどの巨漢の美女は、なかなかの迫力がある。
「そこな者、人ではないな――」
鉄輪の、爛々と怒りの炎をもやしていた瞳がいぶかしげに細められた。
それから何かを斎火から感じたのか、ビクッとしたように身をこわばらせた。長くのびた鋭い爪が小刻みにゆれる。
「まさか、まさか……っ?! その全身から流れるような気高い霊気、目が眩まんばかりの恐ろしいエネルギーの熱……おおぉっまさか!」
北斗の天狼剣が、鉄輪のおどろきに共鳴するようにカチャリと鳴った。それを目にした瞬間、鉄輪は地面にひたいをこすりつけひれ伏していた。
「失礼いたしました斎火様。よもやよもや、第四天王様がおいで下されたとも知らず、なんたる無礼な振る舞いをいたしました。とくとお許しあれ」
「よい、鉄輪。立て」
斎火はみずからあゆみよると、鬼女の腕をひきあげ、立たせた。
その口元がうっすらと笑みをもらしていたのに気づいたのは、北斗だけだった。
北斗は二人のやりとりを落ちつかなげにみていた。なにを見ても聞いても、胸がドキドキしてしかたがない。
斎火はと北斗は、三穂津のねがいで、この鉄輪という鬼女を殺しにきたのだ。
街を荒らしまわる恐ろしい邪鬼の集団を殲滅させる約束であった。
だが、斎火のようすをみていると、どうもそんな気配がしない。
「おお、おお、四天魔王自らお手をお貸しくださるとはもったいない。ようこそわが東屋へお越しくだされました。こちらへおいでくだされまし。すぐになりとも酒肴の用意をさせましょうぞ」
鉄輪がふりかえり、同じように四天王にひれ伏していた部下たちを叱咤し、先をいそがせる。
早急に宴会の用意をするべく、、腕自慢の部下たちは、風にまう木の葉のように四方に散っていった。
「ささ、どうぞこちらへ。そこなお方もどうぞおいでくださいませ。おヒト様の口に合うものがあるかどうかは存じませぬが、わが里自慢の酒なりともお召しくだされませ」
北斗は意外なほどに優しい鉄輪の笑顔にとまどいながらも、あれよあれよと言うまに、宴会の席に座らされてしまっていた。
「まさかわれも、四天魔王がこのようにかわゆらしい御仁とご一緒しておいでだとは存じませなんだ。たしかヒミカの巫女姫のお手によって――」
云いかけて、鉄輪はあわてて口をとじる。斎火の口の冷たい笑みが身に染みて痺れてきそうだ。
「さ、さあ、なにもございませぬが、どうぞ召し上がってくだされ。ここのところ、あの三穂津と申すおなごのせいで、ロクなものが手に入りませぬゆえ、心行くまでのおもてなしができませぬが」
北斗はん?と小首をかしげた。たしか残虐の限りをつくし、街を荒らしているのは鉄輪ではなかったか。しかし目の前の膳には、野菜や山菜などの品ばかりしか並んでいない。たしかに鬼の里のご馳走にしては、質素ですぎである。
「ほんに、気性の悪いおなごめでございますゆえ、街に奇妙な結界を張りめぐらせ、さらには、我らとは『祖』が違うものどもを呼びよせ、わがもの顔で街を跋扈させております。われらもそれらとは相性が悪うございますゆえ、なかなか衣食が、以前のようにはままならぬようになってしまいました」
「でも、三穂津姫は鉄輪さんたちに、街を荒らされて困ってるって言ってたよ」
「たしかに先だっては、われも、わが夫、黒炎を無惨に殺され、首まで奪われてしまい、怒りにまかせ、ずいぶんの悪道を行いました。――村々を焼き、田畑を荒らし、街の建物を壊し、金品を奪いもしましたが、それはみせしめにしたこと。以降は、結界も強まり、なによりも心地悪い風が異界から吹きはじめましたゆえ、極力人郷には近づかぬようにしておりまする」
「……これって、どう言うこと?ねえ、斎火」
三穂津と鉄輪の話のくいちがいに困ったように首をひねる北斗に、斎火はただ酒の杯をあおるだけでなにも答えない。
先ほどからなにがそんなに嬉しいのか、やけにご機嫌である。
「いまでも夫の魂が辱めを受けつづけているかと思うと、悔しゅうてなりませぬ。まるでこの身が引き裂かれるような思いがいたしまする。あの性悪女の罠にかかり、このような屈辱をなめておるのが口惜しいやら、情けないやら」
今までこわい顔で怒っていた鬼女の顔が、とつぜん涙にくもりはじめた。
言いながら、とうとうサメザメ泣きだしてしまった。
北斗はおどろいて、夢中でぱくついていたご飯を無理やり飲みこむと、あわてて箸をおいた。
「鉄輪さん、鉄輪さん、そ、そんなに泣かないでよ。ねえ……」
北斗は、どうにかしなければと焦りだし、鉄輪をなぐさめだした。もともと年上にはすこぶる弱いのだ。
いやはっきりいえば母親みたいな女性にはまったくダメであり、無抵抗に降参してしまう。涙などを流された日には自分のことのように我を忘れてしまったりする。
「お願い泣かないで。ねえ、きっと大丈夫だよ。黒炎さんの首だってそのうち返してくれるよ、ねっ?そんなに泣かないで」
とにかく涙を止めてもらいたくて必死になぐさめる。
「優しい子じゃ。優しい子じゃのう……。なんと目に見る姿より、その心根はずいぶんと幼子のように映るが、なにゆえぞな?」
鉄輪はのぞきこんできた北斗を抱きよせ、かたい頬の皮膚をこするようにしてすりよせてきた。しっかり腕に抱えている。
北斗は青年姿であるはずなのに、鉄輪にかかればまるで子供であった。鉄輪の涙をぬぐう北斗の手には朱の印が刻まれている。
「黒炎がおれば、われとて子の一人や二人、この身にやつしておったであろうに。悔しやのう、あの女。けっして許しはせぬぞ」
「い、いたいよ、鉄輪さん。そんなにほっぺたを撫でないでよ」
「可愛や可愛い。愛い吾子じゃ」
吾子じゃない、と言おうとした北斗よりもはやく、斎火が口をひらいた。
「――鉄輪」
北斗を夢中でだいていた鉄輪の腕が、斎火の呼びかけにピクっとうごいたのがわかった。
「鉄輪、オレがお前の夫の魂を解き放ってやろう」
「し、四天王!本当にござりまするか?!」
鉄輪は飛びあがらんばかりだった。北斗を抱きしめる手が強くなり、あまりの苦しさに北斗は悲鳴をもらす。
「たしかに黒炎の魂は三穂津が持っている。オレがその魂を解き放ってやろう。だが、そのかわりに――」
「そ、そのかわりに?」
ゴクっと鉄輪の喉がなった。
「お前の右腕をよこせ。鉄輪、オレはお前の右腕がほしい」
「われの、腕を――?」
なにを思ってそんな交換条件をだしたのか。北斗がビックリして目を大きく見開き、斎火と鉄輪を交互にみている。
鉄輪の奥歯がギリギリとなった。青ざめた顔が鬼幽のように歪んでいた。
「よう、ございます。われの右腕なぞで、黒炎の魂が、安息の地に逝けるのでありますならば、安いものでございましょう」
「よしっ」
斎火は承諾の言をはくと、と、やけに楽しそうに酒の杯をあけたのだった。
斎火はそれから、しばらくそこで贅沢をして遊んでから、なにくわぬ顔で三穂津姫のもとにもどってきていた。
鉄輪との約束にびっくりして、口も挟めなかった北斗になんらかまいもせず、斎火は残酷な条件のままに、山を降りてきたのだ。
その際、鉄輪には、山にはった結界から、決して出ないようにいいきかせている。
なのに斎火は戻ってきても、なにをするということもなく、やはりだらだらと毎日を過ごしていた。
食べては寝て、酒を飲んではフラリといなくなったり、自由勝手に女をつれこんでは宴会をひらき、気ままにしている。
そんな斎火の様子にもかかわらず、三穂津はなにひとつ文句をいわず、言うがまま、わがまま通りにしてやっていた。
北斗にはそんな二人の考えていることがよくわからなかった。
のんびり過ごす毎日は嫌いではないが、することがなくて、少しばかり手持ちぶさたになってきていた。
いつも騒動がおきオタオタしていた北斗にとっては、久々の休息なのだが、素直に休息できない自分に気がつき、斎火にずいぶん慣らされていることに、少なからず驚いていた。
北斗はきをまぎらわそうと散歩をしていた。
王宮の裏手にある、山の裾野にひろがっている花畑の中だった。
城のそばに、こんなきれいな場所があるとはしらなかった。
色とりどりに咲いた花を、潅木が囲むようにめぐらされている。
よくみてみれば、それらは人の手により世話をされているらしく、花畑自体が造園されたものなのだということに気がついた。
斎火は今日もいなくなっていた。
ここのところ北斗から離れ、消えていることが多い。
いままでは天狼剣からあまりはなれることがなく、こんなに長時間、北斗の側から消えていることは珍しいことなのだ。
「キレイなところだな。……いい香りだ」
ぼうっとしていた北斗はどのくらいそこにいたのかわからなかった。
なんだか斎火がいないと調子がくるってしまう。そばにいることが当たり前になっていたため、一人の時間をついもてあましてしまう。
怖い目にもあうが、そのぶん意識せずして、斎火を頼りにしていたし、そばにいることで安心していたのだ。
どこからともなく、歌声が聞こえてきた。
なんとも言えない奇妙な歌声だった。
高いようであり、低いようでもあり、多少音程が狂っているようで、調子がくずれる。女の声のようなのに、なんとなく変な気がする。
北斗は声のほうへ顔をむけた。
顔を衣でかくしていたが、むこうに女性がひとりで花を摘んでいた。
すこし小太りぎみの体型ではあるが、ぬけるように白い手をしている。花を楽しげに手折っているのだ。
立ちあがった北斗に、やっと気がついたように彼女が顔をむけた。北斗の存在をまったく目にいれてなかったらしく、びっくりしたように顔を慌てて衣でつつみこむ。
衣のせいで北斗には顔がよく見とれない。
女性は逃げようとしていったん背をむけたが、悪戯なく、ぽかんとしているままの北斗にクスリと笑いをもらすと、そうっとちかよってきた。
作っていた花冠をそっと差し出してくれる。
「あ、ありがとう」
北斗が礼をいうのに、はにかむような声がした。
「さようなら」
それだけ言うとそのまま小走りに、建物の中へと入っていってしまった。
「だ、誰だったんだろう……?」
北斗はつぶやき、ただ呆然と彼女の去った方向を――そちらには王の寝殿しかないのだが――じっと見つめていた。
手にした花冠をどうしようかとひねっていたが、三穂津姫に呼びとめられて、歩みをとめた。
三穂津はあでやかな金糸の刺繍でおおわれた豪奢な織物をはおり、それに負けぬほど艶然と微笑んでいる。
そのまぶしいばかりの笑顔に、北斗も顔いっぱいの柔らかい笑みでかえした。
そんな表情の北斗は、本当にドロくさい子供のようで、「袖にした女は数しれず、冷淡で美しい最強の剣士様」という通り名は、即座に返上しなくてはならない。
「北斗様おひとりなのですのね、珍しい」
「う、うん、そうなんだよ。このところ斎火ってば、よくどっか行っちゃうんだ」
北斗は、三穂津のとりすました顔をみながら、それでも嬉しそうに顔をほころばす。
「なにがおかしいのですか、わたくしの顔になにか付いておりまして?」
「あ、ううん、やっぱり三穂津姫って凄いんだなって思ってさ。斎火がいないの、よくわかるね」
「あら、あれほど膨大に霊気をふりまいておいでの方ですもの。多少の能力があれば誰でもわかりますわ」
こバカにしたように言い、それでも北斗があまりに優しい笑みを浮かべているのに、言葉をにごしてしまった。
「北斗様も大変でございますわね。あのように尊大で恐ろしい方とご一緒されているのですものね」
「よくバカだ、弱虫だってイジメられてるよ。いっつも斎火に叱られてばかりなんだ」
「そうでございましょうね。印のせいとはいえ、あなたのような何のとりえもない子供を面倒を、みねばならないのですものね」
なにやら棘のツンツンした嫌味のような気がするが、斎火の口の悪さに慣れてしまっているため、北斗はいっこうに気がついていない。
それどころか、声をかけてくれたのが嬉しくてたまらないように、頬をいっそうゆるめているばかりだ。
「ボクもね、どうして斎火がボクなんかと一緒にいてくれてるのか分からないんだ。本当にボクでもいいなんて、言ってくれるとは思わなかったもん。斎火のこと、怖いけど、でもね、嫌いじゃないだ」
「あら、そうなんですの」
「うん。病気になったときもずっとそばにいてくれたし、苦しくてたまらなかったとき、何も言わないのに背中をずっとさすって、抱いてくれてたんだ。たしかにさ、怖いときはすごく怖いけど、やさしいところもあるんだよ」
村で厄介者として育てられていた北斗は、どんなにつらい病のときだって一人でこらえなければならなかった。子供ながらに、誰にも迷惑をかけてはいけないと、自分を押し殺してきたのだ。
「かまってもらえるって、すごく幸せなことだね」
その言葉に、三穂津はなぜか複雑そうな顔をした。まるで自分にも、なにか思いあたることでもあるとでも言うように、北斗をじっとみつめている。
「……北斗様は、本当は見た目の年齢より、ずっと幼くていらっしゃるのでしょう」
「えっ、ああ、うん」
それでもさすがに十二才になったばかりだとは言えない。
「それを無理やりそのようなお姿にされたのなら、やはり恐ろしい方ではありませぬか」
はじめて体を勝手に大きくされたときは、さすがにびっくりして泣き出してしまった。
体の細胞が十分できあがっていないためか、すぐに高熱をだしてしまった。
だが斎火は、熱がひくまでずっと北斗につきそってくれた。
彼にしては意外な一面であった。
薬をのませてくれたり、額に手ぬぐいをあてたりして、ずっとそこにいてくれたのだ。
「ボクね、何をするにも人より手のおそい、不器用な子供だったんだ。だからよく母さんに怒鳴られてた。泣き虫で、臆病で、みんなに厄介者扱いされていたからかもしれないけど、ずっと誰かにかまわれるってことに憧れていたんだ」
北斗にはほんの小さな優しさでさえ、どれほど嬉しいかしれない。
誰かが笑みを向けてくれるだけで幸せになれる。それでも唯一したってくれた弟の聖月に、いつもかばわれている自分には情けなくって、涙がでてしまっていたけれど。
「そんなかたが天狼剣をお持ちだなんて信じられないですわね。いいえ、心配でたまりませんわ!もしあの方が暴走されたらどうなさるおつもり?あなたにはそれを抑えるだけの器量がおありになって?」
「えっ、あの……?」
「そうでしょう。だって、偉大なる女王であり、鬼道の習熟者であるヒミカの巫女姫が、命をかけて封印された剣でしてよ。それをあなたのような頼りない子供が、まるで玩具でも手にしているかのように持っているなんて、冒涜に近いものがあると思いますわ」
急にどうしたことなのか、北斗はただ目をぱちくりさせているだけだ。三穂津が厳しい顔で北斗にいいはじめたのに、ついてゆけない。
「だいたい、あなたにはご自分に責任がおありになるの?わたくしが端から見ているだけでも、ふりまわされ、言いなりになっているだけではありませんか。そのようなことでよいとお思い?あなたの村には、もっと他に相応しい方がいらっしゃったのではなくて?」
「えっと、それは、その」
「伝説の剣を抜いたのは、本当にあなたなの?……別の方がぬいたのを、無理やり奪ったのではありませんの?」
北斗は胸がきりりと痛んだ。
天狼剣をぬいたのは、たしかに北斗ではない。
聖月が――なんでもよく出来て、賢く愛想のいい、誰にでも好かれる弟が、本当は手にしていたはずなのだ。ただ自分がよかれと思って斎火に願い、聖月の代わりにしてもらった。
「身のほどを知らぬ者の手にあるならば、その剣は魔の闇におおわれ、邪悪にそまることでしょう。悪魔の力を復活させ、再びこの世を争いの炎で焼きつくそうとするのに決まっていてよ!」
厳しい顔でのままキッと北斗に目をむけた。
「北斗様には、きっとそれだけのご覚悟がおありなのでございましょうねえ」
「そ、そんなこと、ボクはただ……」
そんなこと考えもしなかった。
まさかそんな大変なことなのだとも思わず、はじめて自分を選んでくれた者と――それがたとえ懇願して、泣きながら頼み、叶えられたものにせよ――旅をするのに、必死だった。怖くもあったが、楽しくもあり、何もかもが一生懸命すぎて、わからなかった。
斎火がそんな大変な人物だということをすっかり忘れていた。
「あの方は恐ろしい悪魔よ。この天地を滅ぼし、地上を魔の世界に変えることも可能な力をもっている。それを北斗様のように、ご自分で、ご自分のことを出来損ないだとか、弱虫だとかと、恥ずかしげもなく仰られるような方に、斎火様を制御することができるとは、とうてい思えませんわ。あの方の主となるには、選ばれた者でなければなりませんのよ。――そう、選ばれた、誰よりも強く叡智にみちた、天に選ばれし能力の持ち主でなければっ!」
憑かれたように言う三穂津をみながら、北斗はいまさらながら天狼剣を有することの重要さを思い知らされていた。
さらに彼女はとどめをさすように、神のお告げでも降ろす巫女そのものの声音で言い続ける。
「選ばれた者でなければならないのよ!選ばれた、誰よりも賢く、力のある素晴らしい者でなければならい……。そう、選ばれなければならない」
ぶつぶつと同じことを何度も唱えながら、あとはもう北斗のほうなど見向きもせず、異様な形相をしたまま、行ってしまう。
ただ呆然とそれを見送っていた北斗の手から、花輪がおちてころがった。
それは忽然と、陽光のささぬ、真っ暗闇の中へとすいこまれ、まるで闇に飲み込まれた北斗の心のように消えてしまったのであった。
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