●● 宝珠の戦士 ●●
1
不意におそいかかってきた黒い影は一瞬にして消滅してしまった。
身長ほどあるかもしれない大太刀のひと振りだった。
氷のように秀麗な相貌をゆるがせもせず、何事もなかったかのように腰の鞘へおさめた。
すべてが優雅な動作であり、洗練されていて、見惚れるほどに美しい。
最小限の太刀さばきのみで切り捨てていた。
背後に散っていった妖魔の数は、目にとまらなかったものをくわえれば、二十はくだらないだろう。絶妙な技の切れである。
まだ、年のころは十八、九ほどにしかみえないが、それにしては不敵なまでに悠然としていて、その表情のなかには、自分に対する、絶対的な自信さえ浮かんでいる。
整った容貌だけに、凛としている表情はどことなく怜悧にうつるのだがよくみれば、幼い優しげな面立ちがのこっている。
少しのびかけの前髪が、透けてみえそうな鳶色の目にかかっていた。少年のようなうすい輪郭に、目だけがやけに鋭くて、違和感さえある。
涼やかな表情がとつじょくずれた。
「ウエーン、怖かったよぉ!」
驚くほどなさけない顔にゆがんでいる。
「だって急に襲って来るんだもん、怖かったよぉ」
泣き顔を包んでいた空気がボウッとゆれた。
薄皮一枚めくれるように表情がかわってゆく。
すぐとなりに驚くほど背の高い男があらわれる。
「バカめっ!あれしきの小者にいちいちビビるか。――ったく、おまえの弱虫はいつまでたってもなおりそうにないな北斗」
ケッとあらく表情をゆがめ意地悪くいう。
強面ではあるが、かなりの美形だった。
みるからに牽強そうな体躯に上背があり、流れるような黒髪が背にとどくほど長い。
立っているだけなのに、にじみ出るような傲慢さと、圧倒的な存在感があり、だれが見てもただ者ではないということはすぐにわかる。
刀身そのもののような鋭さには、俗世間のなにものにも属さない倣岸さがひそんでいた。気の弱い者なら、思わずひれ伏してしまいそうだ。
北斗より一回りは大きく見えるが、それは体格差だけではない。
「そ、そんなこといったって、ボクは斎火とはちがうもん。ただの子供だもん。あんな化け物が急に襲ってきたら、誰だってびっくりするよ」
北斗はすねたように白いつややかな頬をぷっくりさせた。いじけて唇をとがらす表情がひどく幼い。剣を握っていたときと同一人物にはとても思えない。あの時より十才は若く見える。だが、ふしぎとその表情のほうが北斗にはにあっていた。
「どうせボクは弱虫だよ。斎火みたいに強くなんてなれないもん」
「このオレが三年も教えてやっているんだ。普通なら、そこらの鼻垂れ小僧でも一流の剣士になっておるわ。――ったくおまえときたら、ピイピイ泣いて逃げるばかりでいっこうに強くもならない。さすが村で一番の出来そこないだ」
「……すきで出来そこなったわけじゃないもん」
いじけたように言いながら、目にはジワと涙がうかんでいた。斎火は北斗の鼻をギュッとつまんだ。
「だいたいあんな低級な魔物なんぞに、オレの剣が必要あるか。身分不相応だ。それに、常々オレが言ってあるだろう――」
言ってから、斎火は冷たい眼差しを北斗の背後にあった大木のうえへとながした。小石を拾い、なにげなく投げる。
「敵が襲ってきたら、まず一番強いやつから殺れ、とな」
ズシュッという鈍い音がし、続けざまにけたたましい叫び声があがった。二人の目の前になにかが木のうえから落下した。
――魚鱗におおわれた、ドス黒い腕だった。紫色の血がドロリと流れる。
北斗が息をのんだのに、一呼吸おかず、黒い鋼のような妖魔自身が落ちてころがった。
片腕が肩から完全にもがれている。もちろん、斎火が投げた小石のせいだ。
血しぶきをあげる肩をおさえながら、妖魔は苦しそうにうめいた。
「……なぜオレが隠れているのがわかったのだ。完全に気配を消していたはずなのに…」
憎々しげに言いながらみあげた顔が、斎火の姿をみとめて、恐ろしげにこわばった。
「ま、まさか斎火、様――?!」
青ざめて絶句した妖魔に、斎火はニヤリと笑っただけだった。金縛りにあったように目をそらせられない妖魔の顔の横で、転がっていた腕を踏みにじった。
「わあ――っ!」
悲鳴をあげたのは北斗だった。
斎火のうしろに隠れていた。顔を手でおおっている。
妖魔の顔に血が飛び散っている。
「さ、斎火ァ」
「不運だったな、相手をよくたしかめて襲えばよかったのに。まあ、まさかオレが、こんな剣なんぞに封印されているとは思わなかっただろうがな。それも運のうちだ。自分の不運を、死んでから呪うんな」
斎火は背筋の冷たくなるような、まさに悪魔のとしかいえない表情で云った。
「オレは、オレに牙をむけたやつは許さない主義なんだよ」
怯えきった妖魔は、脂汗をかきながら、蛇に睨まれたカエル同様にピクリともできない。
うわごとのように言う。
「ど、どうかご慈悲を……。まさかあなた様のような方が、こんなちっぽけな人間とご同行されているなんて。偉大なる、第四天魔王様が――」
ハッとしたように北斗の腰につけられている剣に目をとめた。
なにか大切なことを思い出したように呆然とつぶやいた。
「そ、そうだ、たしかあなた様は、巫女姫ヒミカによって天狼剣に封印されたのだと……」
言いかけて、斎火の目が鋭く細まったのにあわせ、恐怖に言葉がとぎれる。
斎火は、だが残忍に笑った。
「そう、オレはヒミカによってこの天狼剣に封ぜられている。――だが妖魔よ、勘違いをするな。オレの力が封ぜられたといってもせいぜい半分だ。それだけあれば、この地上のすべてを灰にしてしまうには十分だろうさ」
それを証明するように、妖魔のもぎとられれた肩の肉をつかんだ。ギャッと悲鳴がして肉が炭化して風にちる。愉悦を浮かべたその表情は、先ほどまで剣を振っていた北斗とそっくりである。
「オレの力はこの剣の刀身としてこの鞘に収められている。こいつが剣をぬかなければ、オレの妖力は全快にはならぬ。だが、」
「ど、どうかお許しを、王――」
妖魔がおびえ苦しむ様子を楽しんでいるかのように、ゆっくりと云う。
「だがな、こいつはオレの下僕なのだ。こいつはオレのいいなりだ。オレのほうこそが主人なのだ。こんな何の力もないただのガキに、オレの剣が扱えると思うか?――これは、ただの暇つぶし。遊びなんだよ、低級魔」
妖魔は心底ふるえあがった。
斎火の足もとににじりよると、額をこすりつけ許しを必死に乞う。
だがその頭は、斎火によって無慈悲にけとばされ、血の匂いと悲鳴が周囲を包む。
「斎火もうやめてあげてよ。こんなに謝ってるじゃないか」
「バカかおまえ。こいつはな、おまえの命を狙ったんだ。オレがいなかったらおまえはとっくに死んでいるんだぞ。殺らなきゃ殺られる、そういう掟だ」
最後の一撃とばかりに手を振りあげた。
その手に北斗は夢中ですがりついたが、なんなく、一緒に持ち上げられる。
カチャッと腰の鞘が鳴った。北斗の腰にある、見事な細工をほどした麗しい漆黒の鞘だ。
斎火はチッと舌打ちすると、そのまま手をおろした。
「うるさい小僧だな。こんな妖魔一匹たすけてどうする気だ。使い魔にでもするつもりか、くだらないっ」
苛立つよう睨まれ、北斗はビクっと身をこわばらせた。
頭をはたかれるかもしれないと逃げ腰になってすくんでいたが、それ以上はなにもするきがなさそうな斎火にほっと息をつく。
北斗は鞘を強く握りしめている自分に気がついた。封印の力が強まっていたのかもしれない。
「北斗、このオレにお願をするときは、どうするんだったかな」
あくまで高飛車な態度で云う斎火に、うっ、と北斗はつまった。
だがいつもと同じく、北斗は素直に頭をさげた。
「どうかお願いします」
「お願いします、斎火様、だろ」
「……斎火様、どうかお願いします…って、斎火は意地悪なんからさ、もう」
ちょっと拗ねたように唇をとがらせた。
「まあいいだろう。おい、そこの妖魔、オレに二度目はないからな。気がかわらぬうちにさっさと行ってしまえ」
「あ、ありがとうございます斎火様!寛大な王の御心に感謝いたします。斎火様のためなら、こんな低級な魔物ではございますが、どのようなことでもいたします。この命までもあなた様のものでございます」
半狂乱のていで妖魔は額をなんども地面にすりつけた。本当に命を救ってくれたのは北斗のはずなのだが、目もくれていない。
元来、妖魔は強ければ強いほど、残酷であれば残酷であるほど、その力にひかれる。
彼らにとっては力が絶対なのであり、たとえそれが自分を殺そうとする魔力であってさ、かわらない。
なので、半端ではない斎火の妖力にはすっかり酩酊していた。・今の北斗になど目もくれないのは、きっと妖魔の本能で、剣をもっていない北斗が、どれほど無力かを感じとっているのだ。
「ふん」
斎火はそんな妖魔たちの態度には飽き飽きしているようで、興味もなさそうに鼻をならしたが、なにを思いついたか、ふと気をかえたように言った。
「そんなに何かしたいなら、この珠と同じモノを捜しだしてくるがいい。どこに持ち去られたのかはオレも知らぬが、あと四つ、この世のどこかにあるはずだ」
首にかけている美しい二つの珠をみせた。
ひとつは乳白色の七色の輝きをはなつ珠であり、もうひとつは緋色と黄金色をまぜたような輝きをもつ美しい珠だ。
「それは、まさか―っ?!」
「そう、ヒミカの珠だ。おまえら低級妖魔でも、これほどに妖力を放っている珠ならば、容易にわかるだろう」
妖魔は怯えながらも、うっとりそれをみつめていた。
あまりに顔をよせてしまい、斎火の機嫌が悪くなりそうなのにきがつつくと、慌てて逃げるように離れた。斎火が舌打ちするのに悲鳴をあげて、そのまま去ってしまった。
しばらくしてから斎火が思い出したようにいった。
「ああ、そういえばうっかりしてたなぁ。あいつに路銀を出させとけばよかった。まあ、オレはいつもの通り野宿でもかまわんがな」
「そ、それはボクがかまうよっ!」
わきで大人しく見ていた北斗も、思い出したように声をあげた。ちょっと恨めしそうに斎火をみあげる。
「そうだよ、昨日せっかくあんな怖い思いして、盗賊たちやっつけたのにさ、斎火のせいで報奨金がぜんぶパアッだよ」
フン、と鼻でせせら笑うと、
「あいつらを殺したのはオレだ。おまえはいつものとおり途中から気絶していただけだろう」
「だってっ!盗賊なんてボク怖いもん!そ、それに斎火は楽しんで殺してたんじゃないか。誰がだれやら判別つかないほどバラバラにしちゃうから、報奨金が半分しかもらえなかったんだろ。……なのにそれも、斎火があんなことするから」
「そりゃあ、あの領主の女房がわるいな。やたら色ペーうえに、亭主がいないからどうぞって、あいつからオレを閨に誘ってきたんだ。おまえだって据え膳を喰わないわけにはいかないだろう」
「喰わないよ!ボクの体なのに、勝手なことしてひどいっ……」
涙ぐむ。
「なあに、そんな大したことしてないさ。ちょっと過剰な精気をすいとってやっただけだ。かえってあの女、健康になっているぐらいじゃないか。かなり好色だったからな、すごかったぞ、年増のくせに」
思い出したかのように淫靡に笑うのに、北斗は真っ赤になってクスンと鼻をすすった。
斎火は、普段は人前にでることがなかった。
たいてい北斗のなかで同化しているか、姿を消していて、北斗がパニックに陥ったり、気絶したりすると即座に体を乗っ取ってしまうのだ。
そしてその後、したり、とばかりに日ごろのウップンばらしをはじめ、自由勝手に使ってしまう。
斎火ほどの霊気の持ち主ともなれば、一般の人間の目にはなかなか映らない。
それが過度の邪悪を含むならなおさらであり、人間は、自己をおびやかすであろう邪悪な存在は、無意識のうちに排除してしまう。いわば、人間の自己防衛本能だ。
ただ彼の場合は、人間のような下級な生き物とつきあうのが面倒くさいという、ただの我儘な理由だけでみずから姿を消していた。人間のフリをするなど、彼の高すぎる自尊心が絶対に許さない。
その日の晩も、たまたま襲いかかってきた盗賊をけちらしてみれば、村を荒らして困っていた賞金首の盗賊だったというだけであった。
村人に誤解され、いたく歓迎されて断れないままに、領主の屋敷に迎えられたのだ。
ひょんなことからお金が手にはいり、ツイていたとよろこぶ北斗に、屋形の奥方がぜひ一晩泊まりご飯でも食べていって欲しいと、やけに熱っぽく誘ってきた。
それを受けたのがよくなかった。
亭主のいなくなった隙をみはからい、みるからに好色そうな奥方が迫りはじめてしまった。
そうでなくても呑めない酒を無理やりすすめられ、ふらついていた北斗は、豊満な胸をグイグイ体に押しつけられ、手をその谷間に強引にさしこまされ、しまいには目を回してしまったのだった。
そのまま眠ってしまった北斗にかわり、斎火がちゃっかり、奥方をおいしく頂いてしまったというぐあいである。
ちょうど一戦終わったところで、いつもより早めに領主が帰ってきてしまい、金を手にする間もなく、北斗は半狂乱の領主から命からがら逃げれてきたのだった。
「昨日はめずらしくあたたかい所に泊まれると思ったのにさ。ひどいよ、ボクもう野宿はあきあきだ」
北斗が半ベソでこぼす。
じつのところ、奥方に迫られ、早々と目をまわしたせいで、目の前にだされていたご馳走をあまり食べていなかったのだ。
今のすきっ腹には、それがとてもくやしい。
「あんなババァの肉襦袢ぐらいで目を回しているからだ。まだまだ子供すぎだ、修行がたりぬ」
「だってボク子供だもん!まだ十二才だよ」
怒鳴る北斗は、どうみても十八、九の青年でしかない。
「仕方ないだろうが。あんなガキのままじゃ、オレの剣もロクに持ってないし、チビすぎて馬にも乗れやしないんだからな」
そういって、斎火が勝手に、北斗の身体だけを成長させてしまったのだ。
一見、北斗は黙っていれば涼やかな美青年であり、女がいやでも寄ってきそうなのだが、口をひらけば、ただの子供であり、気弱そうな目の色がたよりげなくて、どうも心もとない。
しかも精神年齢はさらにいっそう幼稚で、普通の十二才の子供よりは、かなり未発達だといえよう。
「斎火ったら無理ばっかり言うんだからヒドいよ」
「ふん、ならまだオレは十二才のガキですっていって歩くんだな。迫らないでください子供ですってな」
「そんなこと言えるわけないじゃないか!それに、誰が信じてくれるんだよ」
「だいたい、おまえがガキすぎるのがいけないんだ。十二にもなればもう女の五十や六十は知っていてあたりまえだろうが」
「そんなの嘘だっ!」
顔を真っ赤にしキイィと牙をむく。いったいどこの世界の話をしているのだ。
斎火はフッと表情をゆるめ怒る北斗をみていた。
その目にはいいしれぬ妖しさが漂っていた。切れるようなきつくて美しい瞳なのに、そんなやさしい顔をされたら、女ならイチコロである。いつの時代も、荒々しくて危険な魅力は、女の本能に火をつけずにはいない。
「金なんぞなくてもすぐに泊まれるぞ。ちょっと甘い言葉をささやいてやれば、すぐにむこうから、金をだすから抱いてほしいって言いだすんだからな」
「やだよっ!どうせ娼館のお姉さんたちのところだろう」
「あそこなら暖かいし、飲み食いは自由だし、ヤらせてくれて、その上に金までくれるんだからな。便利このうえない」
だいたいは、出て行くころになると、娼婦たちがあらそうようにしてやってきて、金を懐にねじこんだり、絶対また寄ってねと、甘く小指の爪をかんで離そうとしなくなっている。
だれもが一度抱かれたら忘れられないというのだが、その間の記憶が北斗にはまったくない。
「ボクが目を回してるからって好き勝手してんだろ?ひどいよ斎火」
想像するだけでおそろしい。つい涙目になる。
「なあに大したことはないさ。それにおまえの体なら隅々までわかっているぞ。どこをどう感じて、どうすれば悦ぶかなんてな」
「ス、スケベっ!なんてこと言うんだよ!」
「おまえの体を使ってるんだからな、すこしは快楽面で奉仕してやろうと思ってるんじゃないか。どうせオレは、女の精気さえ吸えれば、体なんてどうでもいいんだ」
北斗は恥ずかしさと悔しさが頂点をきわめ、とうとうプルプル震えていた。
だが、そのままガックリとうつむくと、ため息をついた。
この下品で我儘な男は、どうせ自分のしたいようにしかしないのだ。なにを言っても仕方がないし、口でも、もちろん腕でもかなわない。
「さあて北斗、腹もすいてきたことだし、酒でも飲みに行くか」
「お腹はすいてるけど、お金はないよ」
あればあるだけ斎火が散財してしまうため、財布のなかはつねにカラッポの状態である。
まあ彼は北斗の中入っているのだから、北斗自身が使っているのと同じなのだけれど。
斎火はころがっていた妖魔の腕から強引に鱗をはぎとった。
陽光をはじき、黒雲母のように綺麗にかがやいてみえる。
「これが二、三枚あれば、十日は宿屋で贅沢ができるぞ」
「――っ、だったら最初からそう教えてくれればいいじゃないのさ!」
「バーカ、おまえの困った顔をみなきゃつまらんだろうが」
斎火が笑うのに、北斗はまた怒ったようにくちびるをとがらせる。それでも斎火に遅れないように、後を走ってついて走るのだった。
夕暮れ時ということもあってか、酒場はやけに込んでいた。
このあたりは金が出るということらしく、昼間、砂金とりに夢中になっていた男たちが、夜になるとこぞって歓楽街にくりだしてくるのだ。
みな一攫千金を狙い、酒をあおっては、互いのはてしない野望と夢をあつく語りあっている。たいていは組織をくんで砂金を掘っており、単独でくる者は数が少ない。
せっかく汗水たらして集めた砂金を狙う夜盗は多く、それを自力で守らなければならないためか、かなり腕自慢の男たちが多い。暑苦しい巨漢がごろごろしているのだ。
そのあいだを給仕の女たちが忙しく走り回っていた。
豪勢な料理をはこび、酒瓶がどんどん空になってゆく。そのなかを着飾った娼婦たちがうろついては、収獲の上前をはねようとあちこちで色をひさいでいる。
「こ……怖いよう、斎火」
北斗がボソリとつぶやいた。
こういった場所にはほとんど斎火は姿を現さない。
斎火を見ることができるだけの霊力をもつ者も多いのもたしかだが、北斗が嫌がるような場所ときには、たいてい無視して、高みの見物をしているのだ。
まあ出てきたとしても、彼の性格からして、絶対いさかいを起こすのは間違いないのだが。
剣士なら誰もが手にすることを夢見る幻の名刀、『天狼剣』によって、無限ともいえる莫大な力を封印されている斎火ではあったが、それによって拘束されているわけではない。
姿を現すのも消すのも自由であり、きまぐれに奮う妖力は、封印のかげりもない。
しかも『ヒミカの珠』と呼ばれる、斎火の妖力を封印するカギともなる珠を、六つのうちすでに二つも手にしていた。
かなり力を取り戻しているにちがいない。
もともと幼い北斗に、斎火を御するだけの器用さもなければ、気概もなかった。
九才のとき、北斗は偶然にも天狼剣を手にすることになってしまい、斎火のいうがままに村を離れ、旅に出ることになってしまった。
気の弱い北斗は、それもこれも自分に力がないためだとわかっていたし、斎火が怖くてそれどころではなかった。過分すぎる物なのだ。
本来、この剣を手にしているはずだったのは、自分ではなかった。そうそれは――。
「まあ旦那ったら、しけた顔しちゃってどうしたのよォ。色男がだいなしよォ」
うふふっ、と笑いながら女がすりよってきた。
見た目には若いが、酒場の粗雑なあかりにも、かなりの厚化粧だとわかった。
「あ、あの…ボクはべつに……」
「やあだ、ボクだなんてカワイイわあ。こんなすました顔した色男のくせに、赤くなっちゃって。もう、食べちゃいたァい」
真っ赤な唇をみみもとによせながら、隣の席に強引にすわった。安物の香料のにおいが鼻をつく。
「ねえ、あたしもお酒ご馳走になっていいかしら。まだなんにも食べてないのよ」
「え、あっ、はい。どうぞ……」
北斗が返事をするやいなや、女は遠慮もなく、慣れた口調で酒を注文すると、机の上に並べられている料理をぱくつきだした。
「なに旦那、お茶なんか飲んでるの?こんなとこにきて無粋ねぇ。エッ、下戸なわけ?もう、すっごいお茶目さん。見た目と全然違ってて可愛いのねぇ」
「えー、なになに姐さん」
「こっちの旦那がどうしたのぉ」
楽しそうな女の様子に、きゃあきゃあと若い女たちが群がってきた。
ちょっと見が冷たそうなので、遠巻きにしていたのだが、一人が成功したのをしって、集まってきたのだ。
「ヤダァ、赤くなってる。かわいいっ」
「やーん、あたしもご馳走になっていい?」
ごっつい男たちを見なれた酒場の女たちにとって、細身でみた目の麗しい北斗はちょっとした目の保養である。
そのうえ中身の子供っぽさが露呈するにつけ、すましたような外見との違いの大きさにひどく驚かれ、そこがかえって可愛いのだと大きく受けてしまう。
だからどこの酒場にいっても女たちにはもててしまい、放っておかれるということがない。
彼女らも、まさか本当に中身が子供だとは思ってもいないのだが、どことなく危いような子供っぽさに、つい母性本能がくすぐられてしまうらしいのだ。
「やあん、ほら、ご飯粒がほっぺについてるじゃないの」
チュッと赤い唇が頬にさわる。
「やだあ、赤ちゃんのほっぺみたい。すべすべよお」
「あ、あのやめてください。……そ、そんなところ触らないで、やだぁ」
いいようにあそばれ、あらぬところまで触られだして泣きそうになっている北斗の様子に、周囲の男たちは遠巻きにみていた。
最初は一人で女をはべらして、と腹を立ててもいたが、しだいに気の毒そうになってきているらしい。女の集団ほど怖いものはないのだ。
困ったように真っ赤になっているが、それでも北斗は女たちを無理やり退けることはできなかった。
どちらかというと年上に弱く、強引にいいよられると断れない。その仕草がさらに女たちの心をくすぐり、かっこうの玩具になってしまう。
「ねえねえ、こんな立派な剣をもっているってことは、あなた剣士様なの?」
「えー、こんな可愛い顔してホントォ?」
「あら、けっこうこんな人が強かったりするのよね。虫も殺さない、って顔してさ」
「そうそう美形でものすごく強い男っていえば、北斗様じゃない?まだ噂でしか聞いたことがないけど、そりゃあすごくいい男で、めちゃくちゃ強いんだって。このあいだも、すご腕の盗賊団をひとりで壊滅させたらしいわよ」
ヒクリと北斗が身を縮ませる。冷たい汗が背中をながる。
「やだぁ、北斗様に会ってみた―い」
「あら、あんたのは寝てみたいでしょ」
「いや〜ん」
キャッキャッとはしゃぎながら、おしゃべりは尽きることがない。
「でもそれだけ強いんだったら、支惟国に行っちゃったんじゃない。あそこって、とにかく強い剣士様を捜してるって話しだもん」
「やだぁ、こっちに来てくれないかしら。会いたいわぁ。それで絶対離さないのよ。だって、アッチのほうも凄いって評判じゃない」
一人がそう言うと、みんがスケベな顔をして密かに笑っている。
(さ、斎火ぁ助けてよぉ。怖いよぉ。ボクたべられちゃうよぉ)
段々恐ろしげな話になりつつあるのに、北斗は内心半ベソになってきていた。
どのような噂が流れているか知らないが、とんでもない話になっていることだけは確かなようだ。
もしここで、自分こそがその噂の男だとバレたりすると、きっとただでは帰らせてもらえないだろう。
かといって、嘘をつきとおせるほどの度胸もまた、北斗にはない。
涙がにじんでいた目に危険な光がさしこんだ。スウッとその相貌がかわる。
一瞬のことで誰も気づきもしなかったが、いきなり、別人のようになってしまっていた。
同じ人相なのに、気の弱そうな表情が払拭され、不遜なまでの自信にみちた表情になると、年齢さえ一気にあがったように見えるではないか。
「あら旦那、どうしたの?無理やりお酒のませちゃったから酔ったのかしら?」
年上の女が気遣うように肩に手をかけ、のぞきこんできた。
ニヤッと笑うと、その手をひきよせた。
「これしきでオレが酔うか。さっさと酌をしろよ」
豊満な胸元に手をさしいれ、もみしごく。多少のことでは動じない慣れた女も、ああ、とおもわず声をあげ腰をくねらせてしまった。
「やだ、どうしたの急に――アアン旦那ァ」
敏感なところをギュッと握られて、色っぽい喘ぎを吐きだす。
「ね、ねえ、どうしたの?なんだか急に別のひとみたいな……」
北斗から斎火にかわったことに気づかない女たちは、その切れるような鋭い流し目にトロンとなった。女性の性本能を刺激されたらしく、みな顔が上気している。
いままで散々からかうような態度をしていた女たちが、みなシナをつくりはじめた。
べつに妖力など使っているわけでもないのに、この男は視線ひとつだけで、女をその気にさせてしまう、天性のタラシだ。
「どうした、先ほどのようにしゃべらぬのか。ん?」
「ああ、そんなとこ触らないでおくれよォ。もう、ひどいわね旦那、猫なんかかぶっちゃって、憎いひと」
「ほんとよぉ。ねえ、こっちにもきてぇ」
「旦那ァ」
「なあに、ただおぬしらの可愛いおしゃべりを聞いておったのよ。なかなか賑やかだったからな」
「もう、こんな悪い男だったなんて、旦那、今晩あたしンとこきてよ。ただでいいわよ」
「あ、葛葉ずるい!ぬけがけよ。ねえ、あたしんとこにきてよ。うーんといい思いさせたげるからさあ。ねえ」
「ううん、あたしだったらさ、いま男がいないから、いつまでいてくれてもいいし、ねえ、食べさせてあげるわよ、ヒモにならない?」
それぞれに自分の閨に誘いたい女たちによって、醜い争いが繰りひろげられてだした。
肝心の斎火はひとり知らぬ顔で、古参の娼婦たちの争いをぽかんとして見ていた若い女に声をかけた。
「先ほど話していた、支惟国だが、どうしてそんなに強い剣士を集めているんだ」
「え、ああ――さっきの話のこと?さあねえ、あたしもよくは知らないんだけど、このごろ支惟国に気味のわるい妖魔や鬼たちが現れているらしいから、それらを追い払ってくれる強い剣士が欲しい、ってことだったんじゃないかしらね」
横から別の女が首をつっこんだ。
「そうそう、けっこう腕自慢が集まったらしいわよ。けど、みんなやられちゃったらしいわ妖魔たちに。あそこの巫女姫――えっと、なんて言ったかしら、ほら気の強くって、占者であり、妖術師でもあるいう……」
「三穂津姫?」
「そうそう、その三穂津姫ってのがかなりの術者だから、かろうじて国が守られてるんですって」
ひょいと隣から、酔っ払った男があかい顔で、酒くさい息をはきながら話しに加わった。
「あの女よぉ、えらく気の強い女らしいぜ。男なんてアゴで使ってるって話しだ。まあ、そいつのお眼鏡にかなやぁ、王宮つきの剣士様になれて、報酬をしこたまくれるらしいぜ。馬を二頭に綾と文を十疋、綿を百両と、細布十段、金銀、瑠璃に瑪瑙、真珠に珊瑚――とまあ大盤振る舞いだわなぁ」
「それはなかなか剛毅な話だな」
「あそこは金持ちの国だ。城の宝物庫にはそりゃあ凄ぇ宝がうなってるって、もっぱらの噂さ」
斎火は女をうながし、男の殻の杯に酌をさせた。
「三穂津とはどのような女だ」
「三穂津姫っていうのは、やたら強くて可愛げのない女なんだってよ。なんでも綺麗な宝玉を集めるのが好きらしいぜ。妖魔を珠に変えてる、ってな話しもあるぐらいだ。とにかく珍しいもんが好きで、我儘な女だ」
「ほおぉ」
キラリと斎火の目がひかった。
斎火の指は、胸のヒミカの珠をまさぐっていた。妖しい音がチャリチャリと鳴っている。
「あんたも腕自慢なら行ってみるがいいさ。まあ、あそこの剣士になって、生きて帰ってきたって話はあんまりきかねぇがな」
「いい話を聞かせてもらった。礼だ」
斎火は妖魔から取った鱗を一枚、つくえのうえに指で弾いておいた。
みんなギョッとしてそれをみる。
上級妖魔の体鱗など、そうそう手にできるものなどいない。奪いとるまえに殺されてしまうのがおちだからだ。
「あんた、剣士なのか?」
「見ればわかろう」
天狼剣が黒く光っている。
その並々ならぬ大きさにあらためて驚いたように目をみはる男の顔が、ふと真剣になる。
ごくりと喉が鳴った。
「その剣……その象嵌、鞘にほどこされている、天の星を今まさに咥えようとしている龍の文様……」
剣の道を志した者なら知らぬ者はいない。
「まさかあの伝説の?!あ、あ、あんたっ、もしかして天狼剣の北斗じゃあ――?」
「えっ?」
つかみかからんばかりの争いをしていた女たちが、その名におもわずふりかえる。
シンッと、静まりかえった部屋のなかで、斎火は少しも動じる気配もなく立ちあがった。
その視線を平然とながし、年若い、三穂津姫の話しをしていた女の腕をつかむと歩きだした。
「邪魔をしたな」
だれも言葉を返せなかった。
華麗なほどあざやかに、その場から去っていく。みなその後姿をボウッとながめているばかりである。
大きなざわめきが、しばらくしてからドッとわき起っていた。
翌朝、うっとりとした女がかいがいしく世話をやくのに、北斗は弁当だけでなく、路銀までもしっかり持たされていたのだった。
いつものごとく、釈然としないままに、女の家を後にする。
こういうことはよくよくあるのだが、やはり複雑なものなのだ。
「さあて、支惟国に行くぞ、北斗」
女がみえなくなり、周囲に人影がきえたころ、斎火はあらわれ、そう言った。
「支惟国?なんで――?」
「妖魔や鬼がぞろぞろいるらしい。そこにいる巫女がなかなか面白いモノを集めているというしな」
酒場にいた途中までは、北斗もなんとなく話を聞いていた。もしかしたら支惟国に行くかもしれないと思ってはいたが……。
だがやはり、妖魔や魑魅魍魎がうようよしているところには近づきたくないものである。
上目づかいにそっと聞く。
「……どうしてもそこに行くの?」
「なんだ怖いのか?」
「妖怪や鬼が怖くないわけないよ」
斎火の首にかかっている二つの珠をとりもどすときも、けっこう怖い思いをした。
剣のあつかいにも、もちろん斎火にもまだ慣れていなかった北斗には、それこそ死ぬほど恐ろしい体験、といえた。
もちろんいまでも十分斎火は恐ろしいし、絶対君主であるのもかわらない。
それでも、そんな彼のなかにも、気まぐれまがいの優しさをみつけたり、妖魔たちや、迫ってくる女から助けてくれたりするところもある。
今となっては保護者みたいな存在なのだ。
旅慣れていない北斗がここまでこられたのも、半分は彼のおかげではある。が、それでも斎火はどんなに北斗が嫌がっても、するといえばするし、行くといったら行くのである。
「まったくあきれるほどの臆病者だな、おまえは」
「どうせボクはグズでヘタレで、村一番の役立たずだよ」
あきれ顔の斎火に、北斗がプイっとそっぽをむく。村にいるころから北斗が言われて続けてきた言葉である。
何をするにもトロくて、そのうえ臆病なので、すぐに泣いてしまうのだ。
不器用なことも手伝って、うまれ育った村では、北斗はいつだって厄介者のようにいわれつづけていた。
「そのおまえがよく封印されていた天狼剣になど手を出そうと思ったんだな。――いや、だがあのときの迫力には、さすがのオレも驚いたか」
斎火は思い出すように喉でクックッと笑う。
かぁっと北斗は赤らんだ。
そうなのだ。これだけ怖がりの北斗が、あのとき村の子供たちにからかわれ、肝だめしだといって、天狼剣の封されている山に入っていったのだ。
大人たちから、くれぐれも入るなと禁じられている天鵬山は、かえって子供にとってはおのれの勇気を示す、かっこうの場所となってしまっていた。
そうでなくとも父親が誰かわからない北斗はいじめとからかいの対象であった。
渡り剣士と、母親のすい翠との、一時の火遊びでできた子供だと噂されており、常日頃からそのことをからかわれていた。
それでも、そののち族長の三男坊である男と結婚した翠は、彼とのあいだに四人の子供をもうけた。北斗もその長男として一応は引き取られたし、可愛がられてもいた。
すぐ下の弟の聖月は、兄とちがって利発で器量もよく、つねに活発であり、村でも人気者であった。
幼いながらに、その才能の豊かさに大人達もおどろかされ、ゆくゆくは族長になるであろうと期待されていたほどであった。
北斗はいつもそんな聖月と比べられていた。
だからよけいにグズで出来が悪いと見られてしまっていたのだ。
もちろん北斗は聖月が好きであったし、聖月も北斗によくなついていた。
三才もちがうのに、発育の悪い兄より背も高く、体格もよかったので、いつも北斗をかばってくれていた。
つまるところ、聖月に対する、コンプレックスから北斗は山に登ったのである。
聖月にいいところを見せたかっただけなのだ。
怖くてたまらないのに天鵬山に登っていったのは、もちろんからかわれて引っ込みがつかなくなったこともあったが、北斗はそのときばかりは、なぜか泣きそうになりながらも、聖月に連れられて――もとい、聖月をつれて、天狼剣を封印している岩場へと登っていってしまったのだ。
「ボクだってまさか天狼剣が抜けるなんて思わなかったよ」
ほんのちょっと触れただけだった。
北斗は痺れたみたいに感じて、怖くなってすぐに手をひっこめてしまい、泣きだしそうになるのを我慢して、これで約束をはたしたとばかりに急いで帰ろうとした。
なのに、興味をおぼえた聖月のほうが、剣をギュッと握ってしまったのだ。
まるでそれに触発されたように、剣を封印していた岩場がガラガラ崩れ落ちてしまい、身長よりも高い一振りの雄々しい剣が、北斗たちのまえに煌々とした輝きをはなち現れた。
おどろく二人のまえに、悠然と斎火が立っていた。
腰が抜けたようにひっくり返っていた北斗が、いきなり叫び出していた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいごめんなさい!ボクが悪いんです。ボクのせいなんです。どうか食べないでくださいっ」
北斗は泣きながら懸命にあやまった。
「眠ってるのを起こすつもりはなかったんです。ちょっとした肝試しだったんだ」
しばらくしゃくりあげていたが、北斗は覚悟をきめたように顔をあげ、蒼ざめながら真剣に言った。
「――どうしても、食べなきゃならないんだったら、ボクにして……。弟の聖月は、全然悪くないんだ。ボクが意地はってここに来るっていったから、聖月はしかたなくついてきてくれただけなんだ。ボクが悪い。ボクが起こしちゃった……」
北斗は泣きながら震える手で、聖月を庇い後ろにまわし斎火から隠そうとしていた。
聖月のほうが、驚いてはいたがよほど肝がすわっているのか、幼い澄んだ目で、まっすぐ斎火をみあげていた。
天狼剣にはいくつか言われがあった。
その封印を解いたものは剣の呪いにみまわれ、憑かれて狂い死にしてしまうだとか、剣に封されている悪い魔物に食われて死んでしまうとか。
ときには女が男になるとか、男が女になるなどという馬鹿げた噂もそぞろに流れていた。
たいていのものが子供を怖がらせるための嘘であったが、北斗は食べられるものだと信じきっていた。
「聖月は大切な弟なんです。いなくなったら義父さんや母さんが悲しみます。聖月は大切なんです。大きくなったら族長になるかもしれないんだ。――でも、ボクならどうってことないから……お願い、ボクで許してっ」
言いながら、どこからそんなに出てくるのだというほど盛大に涙をこぼす北斗を、斎火は半ばあきれたように見下ろしていた。
まだ食べるとも殺すともなんとも言っていないのにすっかり殺されると思いこんでいる。
「ボクが封印を解いたんだ。ボクのせいなんだ。いつもボクがぜんぶ悪い……っ」
幼い心ながらに、死を決意した必死の顔に、斎火は北斗の鼻を指ではじくと、からかうように笑った。
「バカが、だれがお前みたいな痩せっぽちを喰うか。オレが食べるのは、女だけだ」
「えっ?」
「……まあいい、どうせなら、おまえよりそっちのガキのほうが使いやすそうだが、そこまで必死に求愛されたとなると、オレも断れないな」
斎火はまるで遊び半分のようすで、北斗の手になにかを焼きつけた。
肉に食い込むような痛みとともに赤い、なんらかの印をかたどった魔方陣のような印が右手につけられていた。
のちになって知ったのだが、それこそが斎火との契約の印であり、天狼剣がぬける唯一の者となった証でもあるものだったのだ。
「北斗、オレはおまえが頼むから、ついてきてやっているのだぞ」
「……そ、それはそうだけど」
たびたびその話を持ち出しては、斎火はしたい放題の我儘三昧をするのだ。
北斗をひっぱりまわし、倣岸不遜にふるまっては、ずいぶん困らせている。
北斗としても、もともと逆らうだけの根性も勇気も元々もちあわせていなかったが、そのあまりの自信のなさは、斎火の封印を解いたのは、本当は自分ではないという引け目からきている部分も、少しはあるかもしれない。
「フン、ちょっとばかり退屈だったからあの山で昼寝をしていただけだ。あんなクソ女なんかに封印されてたまるか。オレがたまたま目を覚ましたところへ、おまえがいただけの話だ」
斎火は北斗がグチグチ言うたびにそういって鼻を弾いた。
だいたい斎火が、だれかに負けて封印されたなどと言うことを素直に認めるわけがない。
天狼剣を封印したのも、神代の時代のはなしであり、まだ国々がどうにか統一されていた頃のことである。
その女王ともいえる巫女姫、ヒミカによって封されたと伝承ではいわれていた。
当時、国々はひそかにではあったが、互いに我こそが覇権を握ろうと虎視眈々と玉座をねらい、ひしめきあっていた。
そのなかの、弱小国ではあったが、魔道を有する国の王が、野望をもやして血に迷ってしまった。
力を過信し、魔界道をひらいて極悪非道なる魔界の王のひとりを、呼び寄せてしまったのだ。
魔王は国々の王をつぎつぎと殺してゆき、国民を苦しめ、残虐の限りをつくしていった。ついには国土を火の海にかえ、魔界道をひらいてこの世界を魔界の一部となそうとしていたのだ。
そのことを知った各国の王たちは、その魔と闘うために、ゆれうごいていた国を真に統一し、全力でそれに立ち向かっていった。
その指導者であり、女王でもある巫女がヒミカであった。
ヒミカは全総力をつくしその恐ろしい魔の軍団と、相対向していった。
そして死闘のすえに、彼女はみずからの命と引き換えにして、ようやく魔王を封印したのだ。
今でもまだ、魔界道は完全に閉じられることなく、そのために時々、人界に魔物たちが入り込んでいるのだといわれている。
「あの女は卑怯だ。はじめっから気に食わないやつだった。このオレにいちいち反抗して、憎たらしげな顔で睨んで、生意気な口をきいて――」
ヒミカのことを言うときはいつも悪態をついている。
その目は、なのに、言葉でなじるよりずっと優しいことを北斗はしっている。
「あいつは自分のすべてでオレを絡めとりよった。女ってやつは、だから油断がならぬのだ。だがそれも、あいつの珠をとりもどし、この封を解かせればすむこと。そのうえで魂を喰らってやる。いや、下僕としてひれ伏させ、このオレに永遠にかしずかせてやる」
そう楽しそうに、口癖のようにいう。
ヒミカは斎火の封印を解く鍵として、自分の魂を六つ珠にわけたとされていた。
三つににぎたま和魂を、三つにあらたま荒魂を分離させ、彼女の偉大な妖力をわけた。
確かにはじめは、その魂の珠を、ヒミカの後継者となった壱与が守護していたが、そのうち御神体として各要所の祭殿に奉られるようになってしまっていた。
だがその壱与も亡くなり、後継者となるべき実力者が現れなかったためと、団結しなければならなかった最大の原因である斎火が封せられた安心感から、国々は愚かにもまた分裂してしまった。
それと同時にヒミカの魂をわけた珠も権力の象徴として奪い去られてしまい、いつしか歴史の表舞台から消失してしまったのであった。
「なあに、あの女の珠なら、どこにあってもすぐにわかるさ」
斎火はどこか愛しそうに、首にかけている珠をつまぐっていた。そんな斎火を見るたびに、北斗はなぜか胸がとても痛くなる。
「その鞘さえなければな。――まあ、オレが全力を出さねばならぬ相手などそうは居らぬが」
たしかにそう思えてしまうほどに斎火は強い。
いまでさえ、どれほどか分からぬほどの妖力なのに、それでも半分だというのだから恐るべき力であろう。
その妖力もまた、北斗が剣を抜いたときだけ全快になるのだという。
子供の北斗にはやはり荷が勝ちすぎた話である。
はあ、と北斗はせいだいな溜息をつき斎火をみあげた。
我が道をゆく斎火にさからうのは、どうやらまだまだ夢のまた夢である。
北斗は先にゆく斎火を慌てて追い走っていった。
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